サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
大谷翔平
mazmot.hatenablog.com
書評とかレビューとかいうのでもないし、夏休みの読書感想文的なものでもない。「法学通論」(田中誠二、千倉書房)という本を読んだので、とりあえずのメモとして書いておこう。どうやら古い時代に大学1年生あたりを対象に書かれた教科書らしい。 私が学生の頃はまだ教養科目というような概念が生きていたので、工学部の学生であった私もいくらか文系科目の講義を受けることができた。ただ、法学には近寄らなかった。うっすらとした記憶によれば、「あれは単位が取りにくい」みたいな噂があったのと、それ以上に全く興味がなかったのとで、選択しなかったのだと思う。ちなみに近頃の大学は、シラバスとか見てる限りだと工学部の受講できる文系科目はごく限られているようだ。それだけ専門分野で学ばねばならないことが増えているのだと思う。21世紀の大学生は、何かとたいへんだ。 ともかくも私の人生は法律とは無縁のはずだったのだけれど、生きていいる
ブコメ(はてなブックマークにつけたコメント)の補足を書いておこう。もともとの話題はこちら。 togetter.com これももともとのTweet(といまは言わんのか)をまとめたもので、さらにそれにブコメつけるというやたらと階層のめんどくさい構造になってるのだけれど、それはともかく。スタートのポストはまともなことを言ってて、 当時は小説におけるイラストというものが惰性的というか、かなり軽んじられていたことが窺える と、なんかニュアンスはあれとして、事実関係はそのとおりと思う。ところがそれにぶら下がるポスト群が、なんだか現代の文脈で当時を解釈していて、なかには「それはあり得んだろ」という解釈をとくとくと語っていてそれに賛同者が出てくるみたいな奇妙なものもあった。そこで、ブコメを書いたら割と星がついたので、「じゃ、補足しておこう」と思った。 映画化された小説『セーラー服と機関銃』の表紙がセーラー
逆境は人を成長させる? 「中学受験は子どもの成長に寄与するのか」という大仰なタイトルにいきなり答える形でいうならば、「それは場合による」。さらに言うならば、たいていの場合は寄与する。ただしそれは、人間というものがそういうものだからだ。人間は、どんなバカバカしい状況にあっても、それを成長の糧とすることができる。逆境にあればあるほど成長するとさえいえる。たとえば、戦争は大きく人間性を蝕むものだが、ときにそのなかで人間を大きく成長させる場合もある。だから、いきなりで申し訳ないが、このタイトルの問いは立て方をまちがっている。いや、そりゃ、何らかの寄与はあるでしょうと。 ただ、それでもあえて、ときにこういう自問をしてしまうのは、多くの中学受験生の親に見られる言説を聞くシーズンに入ってきたからだ。家庭教師にとって、この季節はそれまで抱えていた受験生(私の場合は中学受験生と大学受験生が今年は合計8人いた
「シチズンシップについてのわかりやすい話」みたいな解説がどこかにあったら、ぜひ読みたいと思っていた。というのも(あんまりはっきり書くと不都合もあるのでやや事実を枉げて書くのだけれど)大学を受験する高3生から「世界市民としてあなたはどう生きるか」というお題について質問を受けたからだ。「入試の小論文なんですけど、世界市民って、どういうことなんでしょうか」というわけだ。尋ねられたって困る。私も知らない。 知らないでは務まらないのが家庭教師だ。知らなくても、言葉の背景ぐらいは説明できる。そこで私はおもむろにホワイトボード(「白紙」と書きたいけどオンライン授業なんで)を広げ、説明をはじめた。 一家庭教師のシチズンシップ理解 「市民」の概念は、「都市国家」に遡る。「都市国家」はメソポタミアや中国にも発生したけれど、現代に続く「市民」の概念についてはギリシアまで遡れば十分だ。世界史の教科書だか資料集だか
長い人生で戸別のチラシ配り、つまりはポスティングをやったことが何度かある。ポスティングの求人のチラシがたまにポスティングされているが(ややこしい)、そういう専門の事業としてではない。事業なら数種類をまとめて投函するので1枚あたりのコストが下がるのだが、そうではないため、かなり効率が悪かった。 直近でそれをやったのは、十年ほど前、どういう行きがかりか家庭教師で食っていくことになったときだった。細かいことはほかで書いたことがあるので省略するのだけれど、ある家庭教師の会社から委託契約で生徒をもらうことになったが、なにせ時給が安い。自前で生徒をとればずっと実入りがよくなる。さらにいえば、会社からもらう生徒は遠方のことが多い。片道1時間かかるとかはザラだ。何年かやるうちにそういうのはうまいこと断る方法も身につけたにせよ、片道30分以内の生徒で揃えても移動時間はボディブローのように効いてくる。けれど、
いま、車を乗り換えたところだ。先週までちょうど2年のあいだ乗っていたのが三菱のi-MiEVで、これは2009年に製造されたEVの初期型の中古車だった。それに代わって乗り始めたのが同じ三菱のEVで、やはり型式としては同じ時期に製造が開始された軽ワゴン車の新車だ。同じEVでもだいぶちがう。実は新車の納車から2週間ほど、同時に使用して乗り比べをしていた。そういうことをした人はあまりいないと思うので、一例報告。ただし、なにかデータを取っていたわけではないので、あくまで感想文にすぎない。 たぶんごちゃごちゃと長くなるので、要点だけ先に書いておこう。 i-MiEVは乗用車で、MINICAB MiEVは貨物車。根本的に発想がちがう。 具体的には、経済巡航速度がi-MiEVは60km/hぐらいの感じだけれど、MINICAB MiEVの方は40km/hぐらいの体感。もちろん内装その他はi-MiVEが快適でM
学校は行っといたほうがいい。これはもう大前提だ。その上で、実際には学校なんてそこまでのもんでもない。だから、命がけで行くようなもんじゃない。しんどかったら行かなければいい。新学期のこの時期、こどもの自殺が有意に増える。死ぬくらいなら休めばいいし、何なら不登校になったっていい。私の息子は中1の夏休み明けに不登校になった。それでもおかげさまで二十歳になったいまも元気に生きている。 ただし、彼は絶賛無職アルバイト中で、世間的にいう安定した人生への道からは大きく外れている。たぶん、外れっぱなしのままでいくんだろう。だから、一般には学校に行っといたほうがいいのはまちがいない。命、とまでは言わなくとも、健康(心の健康も含め)に大きく被害が出ない範囲であれば、まあガマンして行っといたほうがいい。 もちろん、いったん路線を外れても復帰する道はある。実際、私がこれまで教えた生徒でも、半年不登校やってましたと
死んだ祖母が私が子どものころに「世のなかに覚えておいてわるいことは何もないよ」と言っていたのを、いまでもその口調とともに思い出す。「泥棒だけは覚えたらあかん」とも言っていたのだが、この「泥棒を覚える」は知識の類ではなく、慣用表現で「悪事を習慣化する」という意味だから、祖母の意図としては「知識に関しては制限を設けるな」ということだったのだと思う。というのも、この話をしてくれた時期、私は将来のビジョンも何もなく、ただ手当り次第に本に読みふけっていた。昭和の私小説からコンクリートの打設方法まで、古代史からソビエト製の通俗科学書まで、ノージャンルで目につくものを片っ端から読んでいた。そして不安になった。いったい自分は何をやってんだろうと思った。そういうときに、そんな私の内心の焦りを的確に見抜いて「泥棒のほかは覚えてわるいことなんて何もないよ」と言ってくれた祖母の言葉は、私の心に深く刺さった。 実際
私はテレビを見ない子どもだった。私の息子もそうだ。単に特殊な事例ではあるのだけれど、2例そろってるから、報告の資格はあるのではなかろうか。テレビを見なかったからといって、それで子どもが不幸になるわけではない。逆に優秀になるわけでもない。すこし変わった人生にはなるかもしれないが、たいしたことではない。 正確にいえば、私も息子も、まったくテレビを見なかったわけではない。私は小学3年生までは、当時の標準でふつうにテレビを見ていた。当時の標準というのも定めにくいのだが、1960年代に白黒テレビの普及が一段落し、カラーテレビがぼちぼちと普及をはじめた頃だ。番組でいえば鉄腕アトムやウルトラマンが終わり、ウルトラセブンが終わって、タイガーマスクの放送が始まった頃だ。私はこういった番組をそれなりにしっかり見ていた。「それなりに」というのは、現代のようにスケジュール管理がしっかりしている時代じゃないし録画機
私立高校なんかでよくプログラムに組み込まれてる短期留学などの語学留学を除けば私の生徒で外国の学校へ進んだ人はいまのところいないのだけれど、遠からず出てきても不思議はないと思っている。先日も、体験授業だけ受けて結局契約には至らなかった医学部受験生がいたのだけれど、外国の医学部の選択肢を示したら飛びついてきた。そのぐらいに、外国の大学で学ぶことは特別なことでなくなってきている。ウチの息子も、コロナがなければバークレー音楽院ぐらい、行ってたかもしれない。息子といえば、彼の保育園時代の同級生がこないだ遊びに来て、フランスに料理人の修行に行くのだという。世界は狭くなった。家庭教師をやっていても進路のひとつとして外国の大学をあげる生徒も現れるようになったし、そうなる以前から私の方から外国の大学を考えてはどうかと提案することもあった。 なぜ国外に進学先を求めてはどうかと提案するのかといえば、ひとつには、
「勉強のやり方を教えてほしい」という需要が多いことに、家庭教師をやっていると気がつく。そこに至る状況はだいたい想像できる。 「なんで勉強しないの」 「やろうと思ってるんだけど」 「じゃあ、やりなさい」 「何からやったらいいのかわからない」 「まず宿題からやりなさい」 「それはやってる」 「ほかにやることあるでしょう」 「学校で言われたことはちゃんとやってる」 「それでこの成績なの? あなた、ほんとうに勉強のやり方がわかってないのね」 みたいな会話が親子であるんじゃなかろうか。「勉強のやり方を教えてほしい」は、生徒自身の口から語られることもあるし、家庭からの要望として聞くこともある。その真意は、「これだけ一生懸命勉強してるのに成績が上がらない。それはやり方がわるいからにちがいない」という感覚だろう。もちろんそればかりではない。子どもに向かって「勉強しろ」といっても「この子は何から手を付けてい
細かい話をするといろいろと面倒なので、大雑把な話。 このあたりを読んで、「ああ、なるほど、そもそも民主主義ってものに対して考え方がまったくちがう人がいるんだなあ。それもけっこうな多数で」と思ったので、そのこと。 anond.hatelabo.jp まあ、以前から生徒なんかにもいってることなんだけど、家庭教師としての私の立場から「民主主義ってなんですか」というのをごく大雑把にまとめると、「みんなで知恵を出し合って、みんなが納得する政策を決めていくこと」みたいになる。なぜなら、それが学習指導要領に通底している科学主義だからだ。科学主義そのものには、個人的にはいろいろ怪しいところもある気がしないではないのだけれど、現代の教育課程においては科学主義が採用されているし、究極の話が学校の成績は科学主義的な素養によって決まるのだから、自分の好みとかはさておいても、立場上はそこに立脚しなければどうしようも
ブコメの言い訳 先日、こちらのツイートにくっつけたブックマーク・コメントに対して、たくさんの黄色い星を頂いた。ただ、短いコメントなので、けっこういろいろな受け取り方をされているのではないかと、あとになって思った。 猫さん on Twitter: "やばいやばい。前澤さんのシンママ向けマッチングアプリあれ予想以上にやばい。一般社団法人 日本シングルマザー支援協会って、、、わたしがだいぶ前から怪しんでた「離婚後共同親権運動してる妙な新設シンママ団体」だよ。しかも団体住所が離婚や不倫の公正証書作成を得意といってる行政書士事務所。" 「支援」というのは、「ひとり親でもちゃんと生きていけるように支援しよう」じゃなくて、「ひとり親状態をなくそう」という意味なんやね。そういう意味では、世界観は一貫してるわ。なるほど、時代錯誤 2023/02/01 11:41 b.hatena.ne.jp 自分で自分の書
大学を途中で辞めてバイト生活をはじめてしばらくして、私が自分の仕事として選んだのは編集だった。もう40年も前のことだ。まだDTP以前の時代で、主流は写植だった。電算写植がそろそろ出てきていたけれどまだ虫眼鏡でドットが見えるぐらいの解像度で評判は悪かった。むしろ活字のほうがきれいだということで、実際、活版清刷り*1の仕事なんかもそこそこにあった。そんな時代のことだから、現代の常識とはちがう。もっというと、出版関係のオペレーションは出版社によってちがうし、業界によってもだいぶ常識がちがう。たとえば私のいた学参業界なんてのは著者と編集者の境界線が非常に曖昧だった。編集プロダクションは著者を起用する前提で原稿料と編集料の両方を請求するのだけれど、手練の編集者になると著者への依頼はせずに自分で原稿を書いてしまい、両方とも懐に入れるなんてことをやってた。出版社もちゃんとした原稿ができればそれでOKとい
老母、その後 去年の春、生活のパターンを変えた。年老いた母親の体調が急速に低下したからだ。3年半ほど前に父親が死んで以来、母親の住む実家には週に1回ぐらいの割で顔を出していた。高齢であるし、コロナが流行していることもあったから。ちなみに、父親が死ぬ前には何人か実家の近くに訪問指導で家庭教師に行く生徒を抱えていた。これは父親が入院したタイミングで会社に頼んでそのあたりの生徒を入れてもらったものだ。そうすることで週に2回は仕事で実家付近に行くことになり、そのついでで入院周りの用事を片付けることができるようになった(交通費つきで)。父親が死んでもすぐに生徒が全員いなくなるわけではなく、週1回のペースはしばらくはそうやって維持された。生徒がいなくなって以後も、母親はまあ高齢でもあるし、週に1回ぐらいは顔を見にいくかなという感じだった。ときどき休ませてもらって、月に3回ぐらいになることが多かったよう
いま大学2年生の息子は、小学校卒業式に羽織袴で出席した。本来これは彼の思い出であり、私がどうのこうのと書くことではない。ひょっとしたら彼の中では黒歴史に近いものであるかもしれず、あまり触れられたくはないかもしれない。とはいえ、親には親の側の思い出もある。桜の花の季節に、少しそんなことを書いておこう。 小学校の卒業式に何を着るのか? 私の感覚は、こざっぱりしたものであれば何でもかまわない、というものだった。なにせ、古い話だが自分が子どものころ、1970年代の小学校の卒業式といえば、特別な格好をしている生徒はそんなにいなかったように思うのだ。自分のときにはふだん通学しているのとそれほど変わらない格好で出席した。だいたいが、子どもなんてすぐに服を汚してしまうのだから、晴れ着なんて無意味だよ、くらいの大雑把な時代だったのだと思う。中学校、高校の卒業式は制服だったし、大学はそもそも卒業さえしなかった
「実家が太い」と言ってしまっていいと思うのだが、私は貧しさと無縁な生活を送ってきた。無縁というのもちょっとちがう。いろいろな局面で貧しさと隣り合わせになりながら、そこにつきものの苦しみから本質的に遠いところにいた。事業がうまくいかなくなって畳むときには現金が足りなくて本当に困ったが、それでも三度の食事を欠かすことはなかった。定収入なしで結婚したときも、どうにかなると思っていたらどうにかなった。不景気の風が吹いて仕事がなくなったときにも、安い給料でかまわないやと思ったら雇ってもらえるところがあった。実家が太いと、「親の老後のために貯金をしとかなければ」というプレッシャーがない。子どもができていろいろと金がかかるだろうといっても、高価なものは頼まなくてもやってくる。祖父母の楽しみなのだから、そこは譲ってもかえって親孝行ぐらいなものだ。結局、自分が食べていければそれで十分であり、食べるだけなら1
中学受験に関してはこのブログでも再々書いているのだけれど、ぶっちゃけていえば、私自身は中学受験指導の経験がそれほど豊富とはいえない。家庭教師業、いちばんお客さんが多いのは高校受験だし、中学受験は手数ばかりかかる。高校受験のノウハウは割と確立しているので、こっちもそれを繰り返すほうが楽だ。なので、訪問指導で仕事をしていた頃には小学生が来たら、何かと口実をつけて他の講師に早い段階で交代するように心がけていた。主にスケジューリングの都合を優先すれば、それほど角もたたずに交代できる。まあ、なかには「この生徒は大学受験まで付き合いたい」と思わせてくれる生徒もいたが、それも事情で途中交代した。なので、自分の担当で合否が出るところまで教えたのは5年か6年前に本番直前の数ヶ月だけを教えた1件があるきりだった。 それがオンライン指導専任になってから、急に中学受験生が増えた。増えたといっても年に2、3人だけれ
この記事 anond.hatelabo.jp 結婚・同居すんなら「絶対に譲れないこと以外は相手の希望に沿うように譲れ。それも無言でそうしろ」 に対してつけたブックマーク・コメント 結婚・同居すんなら「絶対に譲れないこと以外は相手の希望に沿うように譲れ。それも無言でそうしろ」 そやねん。対等だと思って対等のつもりで話し合いとかしてたら、実はこっちの方ばっかり押し付けてることになってたという結果になる。なので、ぜんぶ譲るつもりでようやく対等。向こうも我慢してる。 2023/01/23 15:19 b.hatena.ne.jp が賛同を集めているようなので、蛇足で書いておく。ごく当たり前のことなので、言うまでもないのだけれど、案外と独り身のときには気づかないもので。ちなみに、もちろんこれは多くのケースにあてはまるというだけで、最終的には「ひとによる」。同じひとでも相手によるし、なんなら状況にもよ
ランドセルの話が出るたびに、もやもやする。ランドセルという製品そのものについてではない。いや、用途によってはいいものだろう。弾薬を運ぶとか、そういう物騒な話でなくとも、あのカチッとした形状がフィットする用途はあるだろうし、持つ人が持てばオシャレにも見える。ああいったカバンが世の中に存在することについて、何一つ文句をいうつもりはない。 ただ、個人的にはランドセルにいい思い出がない。というのは、半世紀も前の古い話なのだけれど、自分自身が小学生だったころ、まだ品物がよくなかったためなのか、たぶん小学3年生のどこかであっさりと壊れてしまったからだ。壊れたのが残念だったのではない。壊れたあと、もっと軽い布のカバンで登校して、それが快適だったことが自分の印象に強い。たぶん当時のランドセルなんてみんな同じように耐久性が低かったのだろう、高学年になるとみんな思い思いのカバンで登校していた。そういうもんだと
私はノンポリであると同じくらいに非宗教的だ。ただ、これにかんしては個人的に引いている一線がある。「宗教」というものを私は2つに分けてとらえている。まずひとつは個人的な非合理な思考だ。もちろん非合理的思考のすべてが宗教であると考えているわけではない。非合理的思考のうち、なにかを畏れ、なにかを尊いものとし、自らの行動を律するものが宗教だ。これはほとんどの人間の内にあるものだと思う。なぜなら、世界は人間の頭脳が合理主義で解析できる限度を遥かにこえた複雑系として存在するからだ。どれだけ合理主義を信奉する人であっても、日々の生活を実行していく上では、なんらかの非合理的な信念をもたねばやっていられない。朝起きて「気分がいいな」と思うことに理窟は要らない。友だちをつくるときにいちいち自分にとっての利害を考えるやつはいない。飯は箸と茶碗で食うものであって、合理主義で食うものではない。人間の生活を構成してい
蕎麦、といっても麺類としての「ソバ」ではなく、穀物としての蕎麦を初めて意識して食ったのは、たぶん20代の終わり頃、信州の土産で「蕎麦米」を買ったときだと思う。信州土産といえばそれ以前に蕎麦茶は何度かもらったり買ったりしていたので、そこまで遡るともうちょっと古い話になる。蕎麦茶は香りがいいので好きだったが、どういうわけか2種類、全く別々のものがあるのを不思議に思っていた。いずれも玄米茶と同じように蕎麦を炒ってあるのだけれど、いまにして思えば丸い粒のまま炒ったものと、粗挽きにしていったものだったのだろう。その後、粒のままの蕎麦茶には巡り合わない。 なぜ「蕎麦米」を手にとったのかといえば、その頃、私は意識的に米を食わない生活をしていた。まあ、外食したときには食べるので完全に忌避していたわけではないのだけれど、自炊では基本、米は食べない。その代わりに雑穀を主食にする1年を過ごした。雑穀には粟、黍、
山岳部の連中は、案外とよく道に迷う。昔のことで、GPS使うのが一般化したいまのことは知らない。笑い話のようではあるが、反省会とか行くとアプローチで道まちがえたとか、下山の道に迷ったとか、割とよく聞いた。自分自身でも、しょっちゅう道を踏みまちがえてた。理由は簡単で、山岳部の連中は基本的には地形を読む。地形を見て、地図を確認し、自分の現在位置を把握して、方向を決める。だから、登山道のないバリエーションルートであるとか、あるいは登山道が雪に閉ざされてしまう冬山とか、そういうところでも安全に行動できる。ルートの選択は「あっちの斜面は雪崩れそうだ」とか「あそこの尾根に取り付いたら上部の処理がヤバいな」とか、そういった判断で行われるのであって、そっちに登山道があるかどうかとか、そういったことからはほぼ独立している。その判断をまちがえたら命にかかわるから、等高線の読み方みたいなことは徹底的に叩き込まれる
前回、「目標、努力、成功、成長について」という記事を書いた。 mazmot.hatenablog.com これはもともと、はてなを代表するブロガーのひとり、シロクマ先生のブログに感じた違和感が出発点になっている。 p-shirokuma.hatenadiary.com p-shirokuma.hatenadiary.com 違和感というのは、物柔らかな口調であるから普通に読んでいたら気にならないのだけれど、シロクマ先生が成功することに価値を見出しているのがどちらのエントリにも強く現れていたことだ。いや、そりゃ、人間は幸福であるべきだし、幸福な状態を入手することを成功だと定義するのであれば、成功は喜ぶべきことであるにちがいない。けれど、記事中では、「アタリ」の例とされているのが大学進学であったり、「点の成功」の例とされているのが「大学入試。就職。結婚」であったりと、「成功」は「社会的により上
家庭教師として生徒を教え始めたときに、最初に確認するのは「なんのために勉強するんですか」ということだ。もともと私は勉強が大嫌いだし(ちなみにざっと9割の生徒が「嫌いだ」と答えているからここでは多数派だと思う)、嫌いなことをあえてするのであればそれには必ず理由があるはずだと思うからだ。好きなことをするのに理由はいらない。嫌いなことをあえてするには、そのための理由がなければおかしい。理由がわかれば、その理由に沿って指導ができる。これが顧客満足度をあげるもっとも確実な方法だ。売りたいものを売るんじゃなくて、客が望むものを売るのがサービス業の基本(まあ、優秀なビジネスマンにとってはそうではないのだろうけれど)。 勉強をする理由としてあがってくるのはさまざまであり、個別だ。ひとりひとりちがっている。もちろん、表面的な理由(「大人になって困るから」とか「将来のため」みたいなの)は理由になってないから徹
前史(ここは飛ばしてOK) あまり気が進まないままに家庭教師をはじめて10年以上になる。そこら辺の事情は別で書いたので、繰り返さない。やっているうちにいろいろ考えて、「やっぱりこれは自分の仕事なんだろうなあ」と思うようになっていった。そこにすべてを賭ける気にはなれないが、いろんな仕事のひとつとしてこの先もずっと付き合っていくことになるんだろうぐらいに思うようになった。その矢先、アレルギー性の喘息が再発した。再発というのもおかしいかもしれない。小児性の喘息持ちだったのが成人して寛解しても、年をとるとまた出てくることがあるらしい。それだった。自分の感覚では喘息なんて慣れたものと思っていたのだが、実際に数十年ぶりに発症してみると血中酸素濃度が下がって平地にいるのに高山で行動しているような覚束なさに陥った。通常5分の駅までの道のりを途中2回休憩のためにしゃがみこまなければ歩き通せなくなって、命の危
家庭教師は基本的にナンデモ屋だから、生徒が必要とするものはなんでも扱う。小学校の算数から高校数学まで教えるし、国語だったら平仮名の練習から漢文の解釈まで、英語だったらABCから英検1級まで、どんな教科でもどんな難易度でもやる。もちろん数学Ⅲとか漢文の正確な解釈、英検1級レベルの単語とか、正直、「教える」なんてレベルに自分がいないことは十分にわかっている。ただ、家庭教師の仕事は生徒が学ぶのを助けることだ。教えられなくてもアシストはできる。それで十分に存在価値がある。自分では細かいところまでわからなくても大まかな方向性をヒントとして示すこともできるし、周辺の知識を提供して理解を助けることもできる。いまはWebで調べるのも簡単だから、生徒が悩んでいるあいだに先回りして語源や発音を調べておくこともできる。どういうふうにアシストすれば生徒がうまく伸びるのかを考えるのが仕事だといってもいい(だからむず
人間は外界の様子を知るために五感を備えているのだけれど、これが案外とアテにならない。アテにならないとはいえそれを使わなければ情報が得られないのだから、なるべくそのあやふやさをなくすために指標が用いられることになる。温かい寒いの感覚は前日の気温に左右されてしまうから、古くは山のコブシの花を見て農作業のスケジュールを決めた。こういうのを指標という。社会が複雑になってくるとこういう指標は数値化できるものが好まれるようになる。兵士を選抜するのに「コイツは強そうだ」みたいな検査官の主観ではなく、身長、体重、血圧などの測定可能な指標が参照される。指標は客観的であり、人間の感覚のあやふやさをよく補ってくれる。 ただし、この指標、知りたいことを知るためのものだから、指標が知りたい事象をよく反映しているかどうかということは常にチェックされねばならない。たとえば、百年以上前には俵を担げるかどうかは強壮であるこ
トンガの火山大爆発は、ほんとにすさまじい。被害の様子もまだよくわからないというのが、不気味だ。現地の人々の無事を祈るとして、ここにきて何やら話題になっているのがいわゆる平成の米騒動、1993年の冷害による不作に端を発した米不足だ。なぜなら、この不作が1991年のピナツボ火山大爆発の影響であることはほぼ間違いないので、「火山の大爆発→寒冷化→米不足」と連想が及んだのだろう。 農業は自然に依存するから、今回の大爆発でも農業への影響は避けられない。けれど、1993年のような米不足が再来するかといえば、それはないだろう。未来のことだから断言することはできないけれど、少なくとも物理的には米の供給不足が発生するとは考えにくい。 なによりも、1993年から94年にかけての騒動は、いい教訓になった。米は蓄えておくものだという農家伝来の常識が改めて見直されるようになったわけだ。あの騒動の頃でさえ、「ウチは農
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く