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大谷翔平
mera85326b.hateblo.jp
10月29日(日)の日本語学会2023年度秋季大会において、シンポジウム「日本語学と国語教育学との接点」に登壇しました。当日ご参加くださったみなさま、他の登壇者のみなさま、運営委員としてご尽力くださったみなさま、本当にありがとうございました。自分の力不足で十分言い尽くせなかったことも多いのですが、本当に貴重な機会になりました。 www.jpling.gr.jp 後半のディスカッションの内容については、やんわりとこんな議論がしたいね、ということを登壇者間で打ち合わせはいたのですが、矢澤先生の「きょうの発表で国語教育の人が文法教育やりたい、って説得されると思う?」というのは(わたしの記憶では)打ち合わせになかったです。笑 いや、まったくもって図星なのですが……。歴史研究のジレンマとして、「歴史的にこうだった」ということと「未来をこうしていきたい」のあいだの接続がうまくいかない、というのがありま
はてなブログの今週のお題が「おすすめブログ紹介」ということで、id:kimisteva 先生からご紹介いただきました。ありがとうございます! kimilab.hateblo.jp わたしとしても今後は学会記録などにとどまらず、コンテンツを増やしていければと……笑(やりたいことはあるんですが、なかなか形にできずにいます) また、次のバトンもいただきました! はてなブログにかぎらずですが、ご紹介できればと思います。 誰がログ dlit.hatenadiary.com 言語学をご専門にされているid:dlit 先生のブログです。疑似科学(水からの伝言)批判や、『日本語に主語はいらない』批判の記事が有名です。でも個人的にインパクトがあったのはこの記事。 dlit.hatenadiary.com 「学術で遊ぶ」というのを体現してくださっていて、複数の意味でおもしろいです。右も左もわからない院生時代、
できることなら、毎日一定の時間「書く」ことをしたいと思っています。ランナーが走らないと身体がなまるように、いろいろあってしばらく書いていないと、明らかに書けなくなります。逆に毎日少しずつでも書けている場合は、アイデアが出てきやすくなったり、文がまとまりやすくなったりします。「書く」ことの回路をつないでおくことで、ことばが出てきやすくなるように思います。 これは「読む」場合でもそうです。かための文章を「読む」ことを続けていないと、明らかに読めなくなります。逆に毎日少しずつでも読めている場合は、その文章の論理が辿りやすくなったり、批判的に読んだりということがしやすくなります。意外なような気もするのですが、「書く」ことの回路と「読む」ことの回路は別で、それぞれ別に風通しをよくしておかないとうまくいかない気がします。 さらに、これが一番重要なのですが、「書く」ことの回路をつないでおかないと、ついつ
この記事の目的 半ば思いつきですが、論文ではないかたちで、「国語の文法ってどうにも教えにくいけど、どこから考えたらいいのだろう」という方向けに、これまで調べたり考えたりした内容をまとめてみることにしました。ふだんわたしがやっている文法教育史の研究より、もうちょっと現代に関連する話題をとりあげるつもりです。「(1)」などとつけているのは、現時点でもいくつかの記事になりそうな気配がしているからです。ご覧くださった皆さまの議論のきっかけになれば幸いです。 あ、「用言の活用ってどう教えたらいいの?」というような、具体的な指導法の話はあまりしません(もとい、私にはできません……)。それよりも、「そもそもなんで用言の活用が重視されるようになったの?」「そもそもほんとうに用言の活用を重視すべきなの?」といった「そもそも論」の話が多くなる予定です。 学校文法とは? 学校文法とは、学校教育における国語科のな
タイトルのとおり、第140回全国大学国語教育学会2021年春期大会(オンライン)において、オンライン学会における「交流」「雑談」の実現をめざした企画を、SpatialChatというツールを用いて行いました。このポストでは、今後オンライン上での研究交流を企画したい方向けに、SpatialChat(以下スペチャ)を用いた交流のメリットや反省点についてまとめます。 SpatialChatとは まず公式ページから(英語)。 spatial.chat 最大の特徴は、自分のアイコンを自由に動かし、「近くにいる」人と雑談ができるところです。 スペチャのサンプル サンプル画像を使って説明します。図の中には5人の参加者がいます。この位置関係の場合、「白馬」からすると「きつね」の声は聞こえますが、左側の「がん」「かえる」「かに」の声は聞こえません(相手側からも同じ)。ここでもし「白馬」が自分のアイコンをドラッ
熱い宣伝です。(何 来たる3月28日(日)、自分が主催のひとりである「教科教育史研究会」の第2回研究会(Zoom使用)があります。 sites.google.com 発表者はわたしです。「なぜ、いま、文法教育史なのか?」というタイトルで、国語教育史(とくになぜ学校文法の教育史)を、なぜ論じる必要があるかについてお話しする予定です。また研究のモデルケースとして、自分の博論の内容もすこしお話しする予定です。 ものすごくかいつまんでいうと、わたしはいまの文法教育の問題(暗記主義的な指導法になってしまうとか、言語活動と結びついていないとか)は、橋本文法のせいではなく、学校における国文法指導がもっている構造的な問題だと考えています。それは、橋本以前にも「暗記でない文法」「他の領域に関連する(=実用的な)文法」の必要性を主張する声が多くあったからです。しかしそれらの取り組みは、また別のさまざまな困難を
なんだかでかすぎるタイトルですが。笑 論点整理(というかブログ執筆の練習)もかねてまとめたいと思います。この件についてくわしい方には「何をいまさら」と言われそうな話ですが……。 いまの中学校国語科で教えられている文法体系、いわゆる学校文法*1には、大きく以下の3つの課題があります。 【課題1】他の領域とのつながりが不明瞭 学校文法ではたとえば「未然・連用・終止・連体・仮定・命令」といった「活用形」を教えます(場合によっては暗記します)。このような文法教育が、子どもの「書くこと」「読むこと」あるいは「話すこと・聞くこと」にどう生きるのかはよくわかっていません。たとえば子どもの作文には、主述のねじれ、だらだら文(主語と述語が離れすぎる文)、修飾語と被修飾語の非対応、といった文法上の課題が表れます。このような課題を緩和するために、「未然、連用……」といった事項を教えることがどう役立つかは不明瞭で
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