サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
ドラクエ3
minimalism.jp
この爽快感、この喉越し! 読みはじめて30ページぐらいで、一杯目のビールを飲んだ時の感覚を思い出した。お酒は飲んでいないので、ビールの味は忘れてしまった。ただ一杯目のビールを目の前にして喉を鳴らし、いざ一口飲んだ時の「ぷはぁ」「これこれ」と必要なものが満たされていく、あの感覚だけは覚えている。それと同じで、まさに今、自分に必要で、読みたかったものを読んでいるという感覚に陥った。 ぼくは人間関係からは、思い切り離れて暮らしてきたと思う。 会社をやめた後に住んだ京都ではまわりに誰も知り合いがいなかった。その後も数年に一度住まいを変えていることもあって、「ギグ」のようにその場その場で出会った人と知り合って親交する程度だった。誰かと深く付き合うことよりも、自分がよく知らない初対面の人間の方が好き、とうそぶくこともあった。自分は孤独耐性が強いほうだとも思う。 ところが最近のぼくは、人間関係をがんばっ
ミニマリストはこの状況に向いていない? 新型コロナウイルスはミニマリストの生活にどう影響するのか? まずわかりやすいものとして、ミニマリストはこの状況に向いていないという意見があるだろう。国内外で物流が滞ったり、買い占めが起こったとき「街が間取り」「コンビニが自分の冷蔵庫」と言いながらストックをしていなければ困ったかもしれない。 以前から、ミニマリスト生活のなかでも「災害用品だけは例外」と言い続けてきた。地震のために備えている人は多いと思うが、マスクを備蓄していた人は少なかっただろうし、今後はマスクも備蓄リストに追加したという人も多いだろう。ツイッターでも生活にどんな変化が起こったか聞いてみたのだが、備蓄は少し増やしたという人が多かった。 ぼくはこんな風に「最小限」というのは試行錯誤しながら伸び縮むするものだと思っている。それは単に「すごく少ない」という意味ではない。「最小限」が新たな備蓄
素朴な賛成派だった ぼくは人生に対する満足感は、人生が終わる時に来るのではないと思っている。(このことは前にもブログで書いた)いままで行ってきたことが、臨終の間際に採点されて、結果「いい人生でした!」と誰かに認められるわけではない。やりたいことを将来にも老後にも後回しにせず、思い切ってやってしまえば人生全体の満足感は想像より早く訪れるのではないか。ぼくは今40歳だが、その満足感を確かに感じている。 そういう考えもあって、ぼくもここぞという時に自然に死ねないようなら安楽死がいいと思っていた。引き際は、他の誰でもない自分が決めるべきで、安楽死賛成!! という感じだったがよく知りもせず、根拠も乏しかったので、こちらの本を手に取った。 こちらの両作は、別々に読んでも構わない形式になっているが、『安楽死を遂げた日本人』(以後第2作)は『安楽死を遂げるまで』(以後第1作)の続編という形になっていて、著
自分の仕事が好きじゃない人は、その「慰謝料」のように対価を求める。 仕事のストレスを解消できる、仕事以外の時間が好きなので、そこにお金がかかってしまう。 そして仕事が好きじゃないと、仕事に価値があるかどうか判断するのは、稼いだ額の多寡になってくる。 仕事そのものに意義を感じられない人は、稼いだ額のなかにそれを見つけようとする。 センスに自信のない人が、ブランドに頼るしかないように、 主観に頼れないのだから、誰にでもわかりやすい客観的な基準に頼るほかなくなる。 残念なことに、いつしか他人もその基準で眺めるようになる。 今の自分と、自分の本質の芯がずれていれば、嘘が多くなりどうしてもストレスがかかる。それがぴったりと重なり合えば、もういろいろなことは気にならなくなってくる。 だからお金の不安から逃れるためにどんな方法でもいいから稼ぐ、というのはまっとうなようであてにならない。お金への執着から離
フリーランスになって家にいる時間がながくなり、増えたもののひとつが、お茶やコーヒーにまつわるものです。 まずは、お茶や紅茶を飲む急須はKINTO。 KINTOの製品はどれもミニマリズムを追求していて好きなメーカーです。 この急須の何がいいかというと、まずはガラスでできているのでお茶や紅茶の出ぐあいが目で見てはっきりわかるということ。 ガラスの急須は他にもありますが、こちらを特徴づけているのが茶こし部分がフタについていること。 つまり、注ぐときに茶葉がこされるしくみ。狭い茶こしではないので、お湯を注ぐときに勢い良くそそげて、葉も開きやすい。そしてこす部分が小さいので、茶葉がつまったりせず洗い物も簡単。ちなみに出がらしは冷めてから、手でムンズと取り出します。このへんが気になる人は気になるかも。 気に入ったものは長く使いたいので、ガラス部分や、パッキンのみでも手に入りありがたい。KINTOのカス
自分を会社、モノを社員として考えてみる。 モノを買うということは基本的に、生涯賃金を支払って自分の会社に来てもらうということ。最初に賃金の全額を支払う、だがそのモノがどれぐらい働いてくれるかはよくわからない。 モノの時給は、働き者であるほど下がっていく。うちで言えば、文章を書くだけでなく、映画を見たり、音楽を聴いたりすべてをこなしてくれるMacBook Airがエースだと思う。時給は生涯賃金に対する割合でダントツで低い。 生涯賃金はそれなりに高額だが、毎日数時間、すでに何年も使っているので、時給換算すると数円ではないだろうか。スマホや、Kindleあたりも相当な働きものと言える。 一方でDIY工具である丸ノコさん。5万円で買ったが、おそらくまだ2時間もつかっていないので、時給は25,000円。こうなってくると、考えどきかもしれない。もしかすると丸ノコさんの切れ味が鋭すぎ(生産性が高すぎ)な
ミニマリストとは、自分に必要なものがわかっている人。 大事なもののために、減らしている人。 「ぼくモノ」に書いたこの考えは、今もあまり変わっていない。 必要なものを見極め、そうでないものは削ぎ落としていく。 モノも情報も多すぎる今「減らす」ということはますます重要性が高まっていくと思う。 しかし、それだけでは見落としてしまうかもしれない大事なことが、この本には書かれている。 娯楽になる家事 稲垣えみ子さんは原発事故がきっかけで、つぎつぎに家電を手放し、今の電気代は150円代。 エアコン、電子レンジ、冷蔵庫など普通の人が使っているものをことごとく使っていない。 洗濯機もないので、服は桶で手洗いする。しかし手洗いは愛用のチノパンがムラになってしまったり、失敗の連続だ。しかし、失敗するからこそ工夫が生まれ、難しいからこそ面白さが生まれる。ここまではよくある話だ。フィルムカメラのほうが味わいがあっ
いつもお世話になっている安曇野のシャロム・ヒュッテ&シャンティクティの臼井健二さんにお話を伺った。 臼井さんはよく「欠けているからつながれる」ということをおっしゃる。 シャロム・ヒュッテ&シャンティクティは、農的な営みと、なるべく必要なものは自分たちで作り調達する暮らしをされているが、それでも完全自給などは目標にされていないそうだ。 ぼくも、山奥で小屋をたて、畑を耕し、鶏を飼い、完全オフグリッドの自給自足生活をよく夢想する。お金を使わずとも、そこですべてがまかなえ、独立した暮らし。 だがそんな風に「自分ひとりでなんでもできる」ということは「誰も必要としない」ということでもある。 たまTSUKIの髙坂勝さんも「自分は英語ができないことによって、英語が得意な人の仕事を作っている」という話をよくされる。 誰も彼もデコボコしており、完全に丸い状態の人はいない。 欠けている部分があるから、できないこ
筋トレは息を止めないようにするものですが、 吸ったり吐いたりしながらも全身に力が入っています。 ジムではダンベルでベンチプレスをしているのですが、 先日はその最中に、にやにや笑ってしまい、 あやうくダンベルを落としそうになりました。 笑いながらだと全然できない。 思い出していたのは、先日書いたHUNTER×HUNTERにからめた特殊能力の話。 A1理論というブロガーさんがいるのですが、 その人はトークイベントに参加すると、イベントで喋られた内容を ほぼすべて、スマホからtwitterにリアルタイムでアップします。 そのスピードがあまりにすごいので、 彼の特殊能力は名付けて「親指実況中継(リトルブルーバード)」 去勢が得意な獣医さんの特殊能力は「強制戦意喪失(テイキングユアボールズ)」 などなどいろんな知人の特殊能力を勝手に名付けて、オーラを使いながら能力を発動させている場面を想像すると、に
ぼくは人の話を聞くのが好きで、これは自分でも好きなところだ。 今日の日本橋BOOKCONでも10人ぐらいの方とひとりひとりたっぷりお話を聞いて楽しかった。「茶室」と称していた不動前時代のミニマリストモデルハウスでも、初対面の人を家に招き数時間ずつ話していたのだが、その感覚を思い出した。 編集者時代に、インタビューをして原稿を書くことも多かったので、 人に話を聞くのに慣れているということはある。 しかし、編集者でも聞くより話をするのが好きなひとは多い。 ぼくは話を聞くほうが圧倒的に好きだ。 理由を簡単に言えば、 自分が話す内容について、自分はすでに知っているからだ。 誰かに話をすることで、より自分についてわかってくるということはある。 うまいインビュアーの手にかかると、自分の考えていることが、よりはっきりしてきたりする。 しかし、それでも自分がまったく見知らぬ内容ではない。 ぼくが話を聞くこ
「バイトやめる学校」の著者である山下陽光さんのことは、確か坂口恭平さんの「ズームイン、服! 」で知ったように思う。 山下さんが作っているのは「途中でやめる」という服。 特徴的なのは「手作りで1点ものなのに、すごく安い」ということ。 古着や布のリメイクだが、今サイトを見ても1万円を超える服がなく数千円のものばかり。 アップされるとすぐに売り切れるほど人気で、そうすると値段は上げるのが普通だろうが、値段も上げず儲けもださない。 ・6800円のワンピースを取引先で売っても利益は800円にしかならないが、それは工賃として1着2000円払っているから。 ・消費税が8%に上がったときには18%値下げした。 ・自分の時給を8000円にしたり、1日10万円稼ぐことも可能だがやらない。 ・夫婦合わせて月収は20万円を超えないようにする。(服のモデルは奥様が担当) など、徹底している。 「値付け」がクリエイテ
新聞を読んでいると、ここのところEV(電気自動車)関連の話題がとても多い。 フランスは2040年までにガソリン車とディーゼル車の販売を禁止。イギリスも追随している。 中国は来年から自動車メーカーごとに一定数の新エネルギー車(EV/PHEV)の販売を義務づける。 メーカーのほうでも、ボルボは2019年以降、すべての車をEVかハイブリッドにする。 VWも2025年までに30種類のEVを発売する。 ぼくが乗っているのは、三菱のミニキャブミーブトラックという、軽トラの電気自動車。(航続距離はJC08モードで104km)。 10月2日にはJC08モードで400kmの航続距離という、新型リーフが発売開始になった。 電気自動車に乗っている人は日本ではまだまだ少ない。2016年のシェアはたった0.1%だそう。(ちなみにノルウェーでのシェアは17.5%)。ぼくが電気自動車に乗りはじめて、4ヶ月が経った。だか
食に関しては、いろいろ試行錯誤が続いていますが、 最近は3食食べていて、それぞれのメニューが固定です。 「食の制服化」? ・食べる回数を減らす(1日1食) ・食べる量を減らす(粗食、禅食) ・食べる種類を減らす(菜食、マクロビ) など食のミニマリズムにもいろいろと考えられます。 今ぼくが実践しているのは、 毎日同じ時間に、同じ食べ物が登板するというミニマリズム。 【朝ごはん 06:30】 アボカド+トマト+オリーブオイル+塩 ゆで卵 ヨーグルト+オリゴ糖 コーヒー 【昼ごはん 13:30】 丼 玄米、納豆 or ツナ、生卵、めかぶ、豆腐 +ごま、のり、鰹節など 【ジム後 17:00】 豆乳+プロテイン 【晩ごはん 18:30】 玄米 焼き魚 ぬか漬け 野菜の味噌汁 【飲み物】 水 or グレープフルーツジュース or 牛乳を適時 食の固定化の土台 ちなみに、ぼくは食に関して保守的なわけで
軽トラを買って3ヶ月が過ぎ、おっかなびっくりだった運転も、今では自転車を出すのとまったく変らない感覚で乗れるようになりました。 18年ぶりの運転はとても怖く、それゆえに成長の喜びが楽しいものでした。 軽トラといえば、車のなかでいちばんステータスがないものだと思いますが、軽トラの運転をぼくはとても楽しんでいました。 何台目かでフェラーリを乗っている人より、1台目の軽トラに乗っている自分のほうが絶対楽しんでいる! と思いながら乗っていたものです。 価値は、客観的な条件でなく、それをどれぐらい楽しんでいるかにあるとぼくは思っています。 車好きのテリー伊藤さんが「何十台も車に乗ってきたけど、最初に買った中古車にはかなわない」というようなことを言っていましたが、さもありなんという感じです。 同じようにぼくがiPhoneXを買っても、お古のiPhone4をもらった小学生にはかなわないと思います。 誰か
何かを習慣づけようとするとき、 行動の「ハードルを下げる」というのは鉄則である。 手順を簡単にし、すぐに行動に移せるようにする。 ここをいちばん突き詰めてやっているのがAmazonでとても参考になる。 「すぐに買う」ボタン(ボタンを押した後、スワイプするだけで買える) 「1click購入」そして「ダッシュボタン」。 とにかくAmazonで買うのはハードルが低く、簡単だ。手順のミニマリズム。 最近「バーチャルダッシュボタン」がAmazonに並ぶようになった。そこには自分がAmazonで買ったことのある生活用品などがならび、ボタンを押すだけで買える。たとえばいつもの歯磨き粉が切れたときにそのボタンを押せば、すぐに補充してくれるような仕組みだ。 一方、Amazonでする買い物は指一本で終わって簡単だが、それから玄関まで届くのには配送の方の苦労がある。配送にはガソリンが使われている。丁寧な梱包材は
相反する選択肢があり、そのどちらも選べないとき、 AがあるからBを諦める、AがあるからBはできないというAのせいにするような考え方ではなく Aを優先している、と考えるようになりました。 ぼくの場合だと ・軽トラキャンパーを作りたいが、今は仕事を優先すべき時期 ・お酒の楽しみより、自分を律する楽しみを優先している。 ・安定した収入の会社員よりも、時間や仕事を自分で決められるフリーランスを優先している。 ・コミュニティや家族もまぶしく見えるが、今は、自分の輪郭線がはっきりする1人でいることを優先している。 片付けでも「家族がいるので、モノが減らせない」ということもよく聞きます。 しばらくは家族の意見が変わりそうもないなら、家族がいるからできない、と思うのではなく 「すっきりした生活にしたいが、モノを捨てたくないという家族の気持ちを優先している」と考えてみる。 人は相反する目標ができると、自分を
ここのところ、判で押したような毎日を送っている。 時間割は下記の通り。 06:00 起床 07:00 ヨガ→瞑想→掃除→シャワー→洗濯 08:00 朝食→コーヒー→英語→ブログ→日記 メールの返信、ニュース 09:30 図書館に「出勤」する 13:30 図書館から「退社」する 14:00 昼食→昼寝 14:30 ジムに行く 19:00 夕食 22:00 就寝 特別な用事があるとき以外、例外はない。「毎日決まりきったことをするなんて、自由が好きな自分には無理」と思っていたが、これがとてもうまくいっていて、毎日続けられている。 アラームは1日3回鳴る。起床とジムに行くとき、そして就寝の時間。早起きのためには、起きる時間より、寝る時間を決めたほうがうまくいく。 難易度はこれから上げたり、さらに追加するものもあるだろうが(楽器の練習を今追加したいと思っている)今のところは、疲れも翌日に残らず
次の本のテーマは「習慣」にしようと思っています。 2016年の1月、電車に乗っているときに次の本のテーマはこれだ、と直感したのですがそれから長々とかかっています。まだ全然できていないのですが、少しずつ気づきを貯めていっているところです。 ミニマリズムを通して身に付いた習慣がたくさんあります。 掃除すること、ヨガをすること、瞑想すること、日記を書くこと。 そして身につきづらかった習慣もいろいろとあります。 次回作はミニマリズムではありませんが、その発端はミニマリズム。 その意味でぼくの中では続編です。 テーマは習慣ですが、それを通して「才能」「努力」「喜び/苦しみ」といったものの意味を考えたいと思います。ぼくにとっての「最後の自己啓発」にしようというのもテーマです。もちろん「幸せ」についても。また話が大きくなりそうです。 きちんと書けるかわかりませんが、いいものができたと思わなければ出さない
ミニマリズムは、最小限主義。 ミニマリストと言えば、モノの話がメインになりましたが、 このブログでもたびたび書いてきたように、モノ以外にも最小限にすることはいろいろとあります。 ぼくには、モノの最小限を経てやりたいことがあります。 次は「誰かにやってもらうこと」の最小限。 誰かにやってもらうことを増やし、誰かが持っていてくれるものを使えば、スーツケースひとつで生きていくことはそれほど難しいことではありません。モノが少なくても生きていけることに当初は誇らしいような気持ちもありましたが、次第に自分が持たずにすむのは誰かが持ってくれているおかげだと思う気持ちが強くなっていきました。 今は職業の専門家が進んでいるので、隣の人がやっているクオリティの高い仕事を見ると、とても複雑で自分ではできそうにないことに見えてしまいます。そうなれば「その道のプロに任せよう」ということになるのは自然なこと。 自分の
京都に引っ越してから早4ヶ月が経とうとしている。ぼくのは「引っ越し」という感じで「移住」というまじめさを持った感じじゃないけれど、実際に住んでみるといろいろとわかることがある。 引っ越し直前の東京の部屋。自分の原点でもある、床座ごはん再び。 かつての通勤路は、またすべて写真に収めた。相変わらず感傷的。 東京からの引っ越しは、沼畑さんの車のトランクに荷物を詰めて。 新居。窓が大きく、そこから見える自然が決め手となった。お家賃は東京の半分以下。 自然は東京よりも遙かに豊かになった。そんな環境にいると草花や生き物たちが驚くほど日々移り変わっていくことに気づく。 空が広いので、見上げる機会も多くなった。 このぼくがあろうことか、ベッドも、イスも2つもある部屋に住んでいる。 伸び縮みする最小限 これらはぼくの持ち物ではなく備え付けのもの。都会でモノが少ない生活をしていて、持ち物が少ないということは、
雨の日に家に閉じこもってPCに向き合っていると、家のチャイムが鳴った。 届いたのは、佐々木さんの本。 『goodbye, things』だ。 『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』が、英語版となって今、手元にある。 ハードカバーがずっしりと重く、英字だけのカバーは「洋書」を強く感じさせる。 鳥肌が立つほどかっこいい。 日本語版よりも「方法論」的なレイアウトが消えて、「書」という雰囲気を持っている。 日本語版が出た当時、私はそもそも佐々木さんの話し方や考え方を知っていたので、文を読んでいても佐々木さんの声が登場してしまう。 でも、英語版は各ページのタイトルを見ても、どこか知らない国の人が知らない声で語りかけてくるようだ。 英語版でミニマリズムの本が出るなんて、冷静に考えるとおかしい。 Minimalismという言葉を発見したのはアメリカのサイトで、私も佐々木さんもそれほど海外のミニマリズム事情
新年になると、やりたいことがいろいろと浮かんできます。 が、「やりたいこと」を始めるためには、まず「やめること」を決めることが必要です。 体力も意志力も時間も、去年とは同じままです。 そこにいきなり「やりたいこと」を自分の生活に迎え入れるのは無理があるからです。 手に入れるためには、手放す必要があります。 ぼくが「やめること」筆頭はお酒。お酒のミニマリズム! ずっとやめたいと思っていましたが、好きでなかなか難しかったです。 やめようと思ったときも、ついつい条件付けが頭をよぎってしまいました。 ・誰かといるときはOK ・旅行中はOK ・お祝い事、結婚式などはOK ・好きな女性といるときはOK などなど!(特に最後ね) 「なんでもほどほど」の素晴らしさもよくわかるので、断酒ではなく、「プチ断酒」「ゆる断酒」がいいかとも思いましたが……。 きっぱりやめてみます。というかぼくの場合はそうしないと多
会社を手放してみる 2016年の年末で、9年間お世話になったワニブックスを退社することになりました。 今後は、文を書くことを中心に、その他さまざまなことをナリワイとして組み合わせ生きていきたいと思っています。 思えば、会社員としては最高の自由を与えてもらっていました。 編集者は忙しい仕事ですが、自分の裁量がありました。 お給料も充分、作る本も内容も、ほとんどお任せ頂いていました。 でももっと自由が見たくもなりました。 働く場所の自由。自分の予定を真っ先に立てる自由。自分で決める自由。 実は「ぼくモノ」を書く前に、「これが会社にできる最後の貢献だ」となぜだか思い詰めていて、退社を決意していました。しかし、実践にあたってはそれなりに迷いもありました。 たとえば細かいデメリットとメリットをいちいちあげてみたりもしました。 【会社にいるメリット】 文房具とか備品とかが無料。光熱費も!それってすごい
ミニマリストの定義のようなものをするなら、 そのひとつは「大事なもののために減らす人」のことだとぼくは思っています。 この考えは1年後の今も変わっていません。 モノと向き合うこととは? モノを減らすためには 気に入っていないモノの中から、気に入っているモノを選びだすだけでなく、気に入っているモノ同士を比べてよりどちらがより良いか感じる必要があります。 減らしたいのに、減らせなくて 「なぜこれが減らせないのか?」「一体何に自分は執着しているのか?」 何度も何度も自分に問いかける。 つまりモノを減らすことは、モノと向き合っているようでいて実は、自分の価値観と向き合っているのです。自分が本当に好きなものは何か、どこまでの持ち物で自分は良しとするのか。 自分の価値観に気づいていく そんな風にモノを減らしていくなかで「自分で選ぶ」という感覚が研ぎ澄まれてていく。一般的に「まあ、こういうものだよね」と
長野県の下諏訪(しもすわ)を訪れた。 仕事のため。そしてA1理論さんが1年もしないうちに、5度も通いハマっている場所ということで、興味もあった。 下諏訪はとにかくミニマルな街だ。三角八丁(さんかくばっちょう 一辺が八丁=約800mの三角形)と呼ばれるエリアがある。この小さなエリアのなかに諏訪大社、万治の石仏といった観光名所、温泉、そしてここに移住してきた工芸や手芸の気鋭の作家たちが軒を連ねる商店街までがあり、徒歩で充分に楽しめる街。 A1理論さんのガイドもあって、とても楽しい時間を過ごした。が、ぼく一人でふらりと訪れてもこんなに楽しくはなかったはずだ。 木製のスピーカーを作られている千万音さん、木製細工でミニチュアの世界を作られているゴロンドリーナさんなどを訪れた。他にも魅力的な作家さんたちがたくさん集まっている街。ただ一見ひっそりとしている。お店は閉じていることも多く、制作に没頭されて
少ないモノで生活していると、たびたび「何が楽しいの?」という表情をされたりする。 気持ちはとてもわかる。ぼくも5年前、10年前にミニマリストに出会っていたら同じ反応を取っただろうから。振り返ると、ぼくは刺激に囲まれすぎていた。 年を取ったせいもあるかもしれないが、モノを減らしてから、何もしないことや、なんでもない僅かなことを楽しめるようになってきたように思う。 人はどんな刺激にも耐性ができてしまう。だから前と同じように自分が楽しむためには、刺激を増やし続けるしかない。 例として電圧のテスターを考えてみる。 10Vの電圧と50Vの電圧を計るテスターがある。テスターの針が右端に振り切れるのはそれぞれ10Vのとき、50Vのとき。針が振りきれることを人が満足した状態とすると、10Vの刺激で満足できる人と、50Vの刺激にならないと満足できない人がいる。 同じように満足した状態するために、必要な刺激は
年はいつものように明けて、新年の誓いを立てる。 年が明けると、ぼくは自分を変えたくなっていた。 「ミニマリスト」が昨年1年で多くの人に知られるところになったし、ミニマリズムは国境を越えて、広まり始めている。去年の6月に願いを込めて書いた。「さあ、限界を超えて広がれ」と。 大成功だ。願いは叶った。 大きな反響があり、たくさんの取材を受けさせて頂いた。話すことがとても苦手だった自分が、講演までする機会を頂くようになった。大きな変化だ。 願いは叶ったが、ぼくは前に進みたくなっていた。たくさんの機会を頂いた。そして少しずつ、自分が「空」になっていく感覚を味わってもいた。前に進んでいるはずが、その場で足踏みをしているような感覚。忙しくはしていたが、インプットもアウトプットもどちらも足りなかった。それは状況のせいでもなかった。ただ自分の努力が至らなかった。 インプットもアウトプットも、もっと充実させた
決定したことをまずはご報告します。 私は佐々木さんと違い、まだほとんどのミニマリストさんとお会いしたことがありませんが、今回ブログやツイッター、メール等で多くの感想をいただきました。「感謝度」は遙か高く、空に届きそうです。 本当にありがとうございます。 私もエゴサーチ、しています。廃人になりそうだったので、今は控えてはいますが…。 嬉しかったブログレビューも著者自らですが推薦させていただきます。 ※常時追記中です。 すみれさんの「すみれの壺」より 「最小限主義。」を読んで、空がある幸せを考えた週末 http://smile-simplelife.hatenablog.jp/entry/sunset 家族構成が似ているすみれさんが、雨の日の読書。 最初に紹介してくれたのが、第二章の「空」の部分。 多くの方が、もしかすると本のタイトル《最小限主義。》からして、納得できないかもしれない部分です
また出てきました。昔の写真。 左が昔で、右が今です。 この状態で綺麗だと思っていました…。 家は40平米の1LDK。家族暮らしとしては狭いです。 2歳の娘と親子3人暮らし。 15畳のリビングはキッチンもあり、私と妻の仕事場兼用です。 これも以前の状態。不思議なものです。 突然ですが、今日も取材があり、持ち物などを見せる機会が多くなったので、ブログでも公開します。トークショーでも「モノを持っているミニマリスト」というテーマがあるので、参考にしていただければと思います。 服は左の2着が妻ので、右のシャツが私の普段のシャツ。着ているもう1枚とあわせて2枚を使い回しています。(追記 11月21日、妻のものだと思っていた左の紺のシャツは私の夏服でした。いつ買ったのかもう覚えていません。妻はここにかけているのがパーカー1枚でした) 右はテーラー&カッターで作ってもらったスーツ3着(なかに専用シャツ1枚
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『Minimal & Ism』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く