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アメリカ大統領選
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日がな一日のんべんだらりと過している。本を読み、映画を見、家事をし、また本を読む。その繰返しで一日が過ぎ、一週間が過ぎ、ひと月が過ぎる。時のたつのが早い。Time flies by. 時は翼をもつ。翼をもたないわたしは時に置き去りにされ呆然と立ちすくむ。 「思ってもみないところで、思いがけない名を聞く」。わたしにも覚えがあることだが、これは長田弘の「錬金術としての読書」というエッセイの冒頭の一節だ(『本に語らせよ』)。 長田弘が出遭った思いがけない名はインゲボルク・バッハマン。韓国映画『誰にでも秘密がある』(2004)で、チェ・ジウが本を読んでいる。それを見たイ・ビョンホンが声をかける。「インゲボルク・バッハマン?」。初めての出会いの場面――。 韓国の若者がバッハマンを読んでいてもなんら不思議はないけれど、やはりちょっと虚を突かれるところがある。有村架純がバッハマンを読んでいたらどうだろう
又吉直樹の「火花」は「文學界」に掲載されたときに読んだ。芥川賞候補になる前だったが、いい小説だと思い、好感をもった。ただ、いささか「文学」っぽすぎるような印象があり、そこがいささか気になった。芥川賞受賞後、「文學界」の特集(9月号)を読み、いくつか出演したTV番組を見て(漫才の番組ではない。わたしは彼の漫才を見たことがない)、聡明な人だな、という感想を持った。小説家にしては聡明すぎるようで、そこが彼の弱点かもしれないと思った。そう思ったのは、村上春樹の『職業としての小説家』の冒頭に、「小説を書くというのは、あまり頭の切れる人に向いた作業ではない」と書かれていたからである。 村上は「頭の回転の速い人々が――その多くは異業種の人々ですが――小説をひとつかふたつ書き、そのままどこかに移動してしまった様子を僕は何度となく、この目で目撃してきました」と書いている。「頭の回転の速い人々」が小説家に向い
五、六年前になろうか、寺山修司未発表歌集と題された『月蝕書簡』が岩波書店から刊行されたのは。寺山修司が晩年に作歌したものを田中未知が編纂した遺稿集であるという。この本の出版を新聞広告かなにかで見たときに、わたしのなかに危惧するものがあった。しばらくは打ち捨てていたが、ある時(怖いもの見たさといった)誘惑に抗しきれず、手に取ってみた。そこにあったのは無惨な歌の残骸だった。わたしは、わたしの危惧を確かめるためだけにこの歌集を手にしたことを後悔した。寺山さんは晩年に至って――本人は晩年と意識していなかっただろうが――なぜこのような拙劣な自己模倣にすぎぬ歌を詠んでみようと思ったのか。それだけがわたしのなかに謎として残った。 『寺山修司青春歌集』(角川文庫、一九七二年)の解説で、寺山を世に出した名伯楽中井英夫がこう書いている。 「寺山修司は十二、三歳のころに作歌を始めたらしいが、その短歌が初めて世に
さて、ロレンスについてもう少し書いてみよう。 『チャタレー夫人の恋人』が光文社古典新訳文庫から出た。訳者は木村政則。ところどころ拾い読みをした限りでは、読みやすい、よい訳だと思う。ただし、原文に忠実に、正確に訳されたものではない。訳者はあとがきで、「翻訳するにあたっては、従来のロレンス像や作品評は気にせず、自分の印象に従おうと決めた」と書いている。「つまり、速くて荒い文章で書かれた恋愛小説として訳す。ただ、ここで問題が生じる。荒い文章を速いリズムに乗せていくと、肝心の物語がぼやけてしまうのだ。ここが翻訳の分かれ道だろう。私は物語のほうを重視した」。原文の息づかいよりも物語の面白さを伝えたいということだろう。その是非は読者の好みにゆだねられるといっていい。 『チャタレー』の翻訳といえば、何はともあれ伊藤整である。周知のように、伊藤整による完訳版は裁判の末、猥褻文書とされ、ホットパーツ(性描写
3ヶ月ほど前に書いた「図書」の斎藤美奈子の連載「文庫解説を読む」*1、12月号の第5回では村上春樹訳の『ロング・グッドバイ』(ハヤカワ文庫)を取り上げている。斎藤は、『ロング・グッドバイ』は『グレート・ギャツビー』を下敷きにしているという村上の訳者解説に意表を突かれたという。なにが斎藤を驚かせたのか。 村上は、『ロング・グッドバイ』のフィリップ・マーロウとテリー・レノックスとの関係が、『グレート・ギャツビー』におけるニック・キャラウェイとジェイ・ギャツビーとの関係に重なるとして、この二つの物語は「本当の意味での魂の交流の物語であり、人と人との自発的な相互理解の物語であり、人の抱く美しい幻想と、それがいやおうなくもたらすことになる深い幻滅の物語なのだ」と書いている。斎藤は上記の箇所を引用して「こういう解説を読むと、村上春樹はやはり作家で、明言を避けるのだなあという感想を持つ」と述べる。作家と
以前ここで来嶋靖生さんの評伝『岩本素白』が河出書房新社より刊行されると書いた*1。それは予定どおり無事刊行され、大方の好評を博したようである。微力ながら同書の編集に関わったものとして欣懐を禁じ得ない。「槻の木」八月号に掲載された小文を以下に再録する。 黄金の釘一つ打つ 以下に記すのは書評ではない。『岩本素白 人と作品』の制作に忝くも関与せさせられた者として、ふつつかな感想を述べるにすぎない。 素白が「槻の木」に初めて書いた文章「早春」、四百字三枚強・全文が本書に引用せられている。以下に「早春」のあらましを記す。 素白は、書き物か読書かに倦んで、縁側でなにともなく老梅を眺めている。ふと、先に近所であった失火と、そのさいに詠んだ句「昼火事をうしろに白し梅の花」を思い出し、堪らなく嫌な気持になる。 「それは此の句が月並を通り越して、嫌みをさへ有つてゐる為ばかりでは無い。もう毛の擦り切れた安価な古
片岡義男・鴻巣友季子『翻訳問答』について、もう一つだけ書いておきたい。前回の最後に引用した片岡義男のことば、「書き手が言葉を選んでつないでいくことが文章の前進力になる」ということに関連して、片岡さんは一つの例を提示している。それは、金子光晴の「富士」という詩の、アーサー・ビナードさんによる英訳(『日本の名詩、英語でおどる』みすず書房、2007年)である。 「日本語の作品を英訳する場合、ある作品を日本語で読み、その内容を摑んだうえで、それが形而上的な内容なら、内容に忠実に英語でリライトしなければいけない。英語の言葉の倫理に、日本語で書かれている内容を、取り込まなくてはいけないのです」と片岡さんはいう。「倫理」は「論理」の誤りだろう。「そのたいそう良く出来た例として」、片岡さんは、「富士」の最終スタンザのみ、原詩と訳詩を挙げている。以下のとおり。 雨はやんでゐる。 息子のゐないうつろな空に な
片岡義男・鴻巣友季子『翻訳問答』を読んだ。これは、オースティン、チャンドラー、サリンジャー等々著名な七人の小説家の代表的な作品の一部分を、お二人がそれぞれ日本語に翻訳し、それらについて語り合う、という刺戟的な試みである。当然、既訳も複数ある作品ばかりで、それらも俎上に上がることになる。 まずはオースティンの『高慢と偏見』、冒頭の有名な一節。 It is a truth universally acknowledged, that a single man in possession of a good fortune, must be in want of a wife. この ” truth” をどう訳すか。既訳五種類*1は、いずれも「真理」「真実」といった訳語を当てているけれども、それが「真理」であるならことさらにuniversally acknowledged(あまねく認められている
「海こそはわがハーヴァード大学」と言うメルヴィルにとって、海は生のアイロニーへの決定的なイニシエイションの空間であった。 ――高山宏「メルヴィルの白い渦巻」*1 前回の末尾にわたしは『神聖喜劇』を「異形のテクスト」と書いた。それには幾つかの理由が存在するが、その第一の理由は『神聖喜劇』の読者のだれもが認めるにちがいない、そのほとんど常軌を逸したというべき引用にある。なにかのきっかけで主人公東堂太郎の脳裡に浮ぶ、過去に読んださまざまな書物の断片――古今東西の小説(欧米の小説であれば原文・訳文の双方)、詩・短歌・俳句、評論、政治論文、地誌、軍令、法文、新聞記事etc. ―― それらがほとんど生の形で(要約でなく)厳密に引用される。この大部の小説を読み通すことができずに中途で挫折する読者の多くは、この膨大な引用に躓いたためであるらしい。 作者大西巨人もそのことに当然意識的であり、吉本隆明との対談
『神聖喜劇』読了の余熱のなかにいまも佇んでいる。文章を書くと、つい、パーレン(この丸カッコのこと)のなかに補足説明をしたり、自分の書いた文章をカギカッコで引用したり、と大西巨人的文体にどっぷりと浸っている。影響を受けやすいんだね。才子ならねど軽薄なり。わたしだけかと思ったら、河出から出た『大西巨人――抒情と革命』に千野帽子さんもそう書いていた。恐るべし、大西巨人的文体の伝染力。近々『日本人論争――大西巨人回想』も出るので、この熱はしばらく醒めそうにない。以下に書くのは、その余熱のなかで考えた由無し事である。 「エディターシップ」(Vol.3、日本編集者学会)という冊子に、井出彰氏が「「日本読書新聞」と混沌の六〇年代」という文章を寄稿している。セミナーでの講演を文字に起こしたもので、なかなかに興味深い内容だったが、ひとつ、肝銘を受けたエピソードを紹介しておきたい。 大学生が「日本読書新聞」を
――夜は若く、彼も若かった。が、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった。 小説の冒頭といえばすぐに思い出すのが『幻の女』だ。名文句の定番といってもいいだろう。原文は以下のとおり。 The night was young, and so was he. But the night was sweet, and he was sour. 「恋人よ我に帰れ」Lover, Come Back To Meの、 The sky was blue, and high above. The moon was new, and so was love. をもじったものであることはよく知られている*1。 現在、流通しているハヤカワ文庫『幻の女』では、訳文に若干手が入って、 「夜は若く、彼も若かったが、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった。」 となっている。 稲葉明雄の名訳。かつてのポケミス版『幻の女』は黒沼
それがなんの番組でどのチャンネルで放送されていたものなのか判然としないのだが、つい先日の夜たまたまTVをつけた時にほんの一瞬目にしたやりとりが妙に記憶に残っている。写真で見覚えのある若い頃の顔よりいくぶんふくよかになり、それなりに皺もきざまれた初老の小説家がソファにすわって女優のインタビューに答えていた。それは小説家自身の著書にかんするインタビューのようでもあるのだが、なにぶん一瞬のことゆえそうとは断言できない。かつての旺盛な執筆時をふりかえって苦笑をまじえながら小説家はこう語っていた。ある小説で、ある日会社に行くとなんとかが起こって、その次の日はなに、またその次の日はなにが起こってと書きついで、あとで読みなおしたら日曜日もなくて毎日会社に行っていることになってしまっていた、と量産ゆえの思いがけない不手際をいくぶん自嘲するかのような小説家の発言に妙に気をひかれたのは、そこに小説ゆえの爽快な
もう五年ほど前のことになるけれども、若い小説家たちの小説について本欄でふれたことがあった*1。文芸誌でかれらの新作が妍を競っていたのだが、どれもが一様に「発情」しているさまに聊かうんざりさせられた。性を主題にすることが悪いわけではないけれども、たとえば、かれらの小説のとなりにみうらじゅんの「人生エロエロ」*2をおいてみれば、性にとらわれた人間を対象化する視線において、みうらのコラムのほうが数段すぐれているように思った。 それはさておき、近頃の新人たちも同じようなのだろうかと思っていたところ、いかにも新人らしいというかあるいは新人らしからぬ小説に出会った。各紙誌の書評などで評判の岩城けい『さようなら、オレンジ』である。 概要は、たとえば朝日新聞掲載の小野正嗣の書評*3などを参照していただくことにして、ここでくだくだしくは述べない。小野が「本書は2つの物語からなる」と書く二つの物語はじつはひと
『石神井書林日録』から十余年、内堀弘さんのエッセイ・コラム集『古本の時間』が出た。カバーには平野甲賀さんの書き文字のタイトルと犀のロゴマーク。かつての晶文社らしい新刊だ。 『石神井書林日録』については、かつてbk1というサイトに書評を書いたことがある。bk1はすでになく、いまは〈hontoネットストア〉というところに引き継がれて書評もそこに掲載されているが、以下に掲げておこう。 ***** いやあ、面白い面白い。この新刊ブックレビューでは「面白い」というコトバをなるべく使わないで面白さが伝わるように書くことを心掛けているのだけれど、今回は降参。だって面白いんだもん。ほとんど初めて名前を聞く人たちばっかり出てくる本がどうしてこんなに面白いんだろう。不思議だ。 本書は、目録で商いをする近代詩歌専門の古本屋さん<石神井書林>の店主の日記で、明治から昭和初期あたりの、あまり人に知られない詩人や作家
爪を噛むくせがある。還暦を疾うに過ぎた男が爪を噛むのはみっともない。わかってはいるが、「雀百まで」でいっこうに直らない。いつだったかもう中年をすぎた頃だったと思うが、電車の中で無意識に爪を噛んでいて隣に座っていたおじさんに注意をされたことがある。赤面した。もうよしなさい悪いくせ、爪を噛むのはよくないわ。ペギー葉山の歌声が頭のなかでひびく。 たかが癖でも半世紀もつづけていると熟練するもので、噛み跡はちょっと見には爪切りで抓んだようになめらかで、ささくれるようなことはない。歯をヤスリがわりにつかう技術も修得した。だれかに伝授したいほどだ。足の爪は堅いので噛まない。 「新潮」4月号で山城むつみの評論を読んだついでに藤野可織の「爪と目」を読む。このたびの芥川賞を受賞した小説である。 語り手の「わたし」と、その父、父の愛人である「あなた」、その三人の同居生活と、死んだ「わたし」の母、「あなた」の愛人
今回は前回につづいて「改行の可・不可」の提起する問題についてもうすこし書くつもりだったが、そのまえにどうしても書いておきたいことがあり、「緊急順不同」(中野重治)で急ぎしるしておく。これも『連続する問題』に触発された思考の一つである。 最近、新聞紙面をにぎわせている橋下徹大阪市長の一連の発言についてである。5月27日(月)に行われた日本外国特派員協会での記者会見での発言が、現時点における最新情報である(引用は5月28日付「朝日新聞」朝刊に基づく)。 ひとつは、慰安婦をめぐる発言について。 橋下氏は「銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で、命をかけて走っていくときに、どこかで休息をさせてあげようと思ったら慰安婦制度は必要なのは誰だって分かる」(5月13日)と語ったことにかんして、「『戦時においては』『世界各国の軍が』女性を必要としていたのではないかと発言したところ、『私自身が』必要と考える、『私が』
山城むつみ『連続する問題』*1を読む。「新潮」に2002年から2008年にかけて断続的に連載されたコラムに補論を加えて単行本となった。あとがきに、単行本化の申し出をいったん断ったが編集者の熱心な慫慂に「心が動かされた」としるされている。わたしはこれらのコラムをこの本ではじめて読んだ。書籍にならなければ知ることもなかったかもしれない。こうして一本にまとめられたことを有難く思った。 タイトルの「連続する問題」は中野重治の同題のコラムを踏襲している。中野は1972年より「通信方位」に短い時評文を執筆していたが、そのなかに「在日朝鮮人と全国水平社の人びと――いささか昔のこと――」という標題の「続きもの」がある。十二回でいったん終り、数回のちに「連続する問題」という標題のコラムが書かれた。そこであつかわれたのは「日本共産党の動きに関することがら」であるが、それは「いささか昔のこと」と連続していること
マリオ・ジャコメッリといえば、雪のなかで神学生たちが輪になって踊っている写真が有名で、白と黒のハイコントラストの「無垢の歌」(ブレイク)ともいうべきこのシリーズ「私にはこの顔を撫でてくれる手がない」は、このたび開催されたジャコメッリ写真展(東京都写真美術館)の白眉であったが、ほかに今回新たに紹介された「シルヴィアへ」というシリーズのバストショット、クロースアップと画角を変えた三枚の女性のポートレイトの意志的な眼差しが強く印象に残った(写真参照)。 「シルヴィアへ」というタイトルは、ジャコモ・レオパルディの同題の詩よりとられたもので、写真にはその詩の抜粋が添えられていた。 「シルヴィアへ」 シルヴィア、今も憶えているだろうか あの、きみの限られた命のときのことを きみのにこやかで、そぞろな目のなかで 美しさがまばゆくかがやき、 そしてきみが、嬉しげに思いつめて、青春の 門出にのぼろうとしてい
大島渚が亡くなった。大島さんには30年前、『戦場のメリークリスマス』の公開にさいして本を2冊つくったときに聊かの面識を得た。記憶にのこる出来事などもあるけれど、今回はちょっと別のことについて書いておきたい。 今月21日の朝日新聞朝刊に篠田正浩、吉田喜重と映画評論家の樋口尚文の追悼文が掲載された。吉田さんの短い談話が、大島さんと自分との気質や志向するものの違いを強調していて心に残った。ちょうどいま編集している本の参考に篠田正浩や吉田喜重の著書を読み返したりしていたのでひときわ感慨深いものがあった。 よく知られるように松竹大船撮影所から相次いで監督となった大島、篠田、吉田らは松竹ヌーヴェルヴァーグと称されて脚光を浴びた。命名したのは当時週刊読売の記者だった長部日出雄さんである。むろんフランスのヌーヴェルヴァーグにあやかってのものだが、従来の映画を批判的に乗り越えようとする意志において彼我の新進
前々回、「文体について(その1)」と題した文章を掲載するまでに、ひと月あまり間があいた。更新が滞ったのは、その間、ちょっと気の張る原稿を書いていたためだった。気の張るというのは、柄にもなく日本の古典文学をテーマにした原稿だったことにくわえ、同じテーマの執筆予定に丸谷才一の名前が挙げられていたからだ。丸谷さんと同じ誌面に原稿を書くとなると、そりゃあ緊張しますよねえ。もしかすると丸谷さんの目にふれるかもしれない、そう思うとペンを持つ手もふるえる。いや、ペンは持ちませんが、まあちょっと居住まいをただす、という感じはある。ほかにも、北村薫さんとか中沢けいさんとか、錚々たる方々が寄稿されるとのことなので、わたしなど山を賑わす枯木の役割にすぎないとはいえ、いつものように気楽に書きとばすというわけにはゆかない。ようやっと書き上げて送稿し、しばらく気が抜けた状態だった。 気を取り直しブログの更新に取りかか
片岡義男は、ハワイのマウイ島生れの日系二世の父親と滋賀県に生れた日本人の母親のもとで、幼児期からバイリンガルで育った。英語と日本語をほぼひとしく話したが、《子供の僕の核心に、より深く届いていたほうがドミナントだったと考えるなら、それは英語のほうだ》と片岡は自伝的エッセイ『言葉を生きる』*1に書いている。 《なぜ英語だったのか。実用的だったからだ。英語という言葉はアクションに則しているから、という言いかたが出来る。考えるときに使った言葉が、圧倒的な優位を保って英語だったから、と言ってもいい。 具体的な事実関係に則して、そのことだけについて述べる言葉、という性格が英語には強くある。子供の僕はここに、根源的なと言っていいほどの共感を覚えたのではなかったか》 その後、片岡は生活の大半を日本でいとなみ、日本語で原稿を書いて暮すようになるのだが、幼少期の一種の「刷り込み」のような自覚は、かれの人間形成
「世のなかは絶えまのない動きのなかにあり、変化は最終的には常に進歩の方向にあるのです」 こういう文章をわたしたちはよく見かける。評論や論文などの書物のなかであったり、演説で耳にしたりする。そして、こういう言い方をわたしたちはすこしも怪しまないが、ちょっと「かみしもを着けた」ような言い方だと感じる。つまり、日常会話のなかではあまりつかわない文体であり、それは「動きのなかにあり」や「進歩の方向にある」という言い方による。これはいわば「欧文脈」であり、こういう文章がわたしたちにかなり馴染みのあるものになっているとすれば、それは翻訳文がそれだけわたしたちの日常に浸透したということだろう。 英語の例文は以下のとおり。 The world is in constant movement, and in the long run change is always in the direction of
1940年5月19日、家族といっしょにフランスのサン・ナゼール港を発ったウラジーミル・ナボコフは、一週間余の船旅の果てに5月28日の朝、ニューヨーク港に到着した。1919年の4月に祖国ロシアの地を発って以来、イギリス、ドイツ、フランスと転々と移住したエミグレがようやく見出した安住の地だった。14年余りを過したベルリンで、ナボコフは亡命ロシア人作家としての地歩を築いてはいたが、新天地アメリカではほとんど一介の移民に過ぎない存在だった。実際に仕事に就きはしなかったが、最初に紹介された職は書店の配送係だった。人を介して知り合ったエドモンド・ウィルソンの紹介で雑誌に書評を書く機会が与えられ、パリ滞在時代に完成していた英語で書かれた最初の小説『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』(1941年)もようやく日の目を見ることになった。 マサチューセッツ州のウェルズリー大学にロシア語講師の職を得て、どうにか生
「食わず嫌い」の語釈として、ある辞書は次のように書いている。 1 食べたことがなく、味もわからないのに嫌いだと決め込むこと。また、その人。 2 ある物事の真価を理解しないで、わけもなく嫌うこと。(「大辞泉」) 語の第一義は食に関するものだが、一般に用いられるのは二番目の意味の場合が多いかもしれない。他の辞書でもことばの意味は大同小異だが、「食わず嫌い」には誤まった態度であるとの含意があるようだ。もし「真価を理解」するならば「嫌う」はずがない、といった考えが前提にある。「わけもなく」の語に、嫌うことに正当な理由はない、との含みが窺えますね。だが、好き嫌いに「正しい理由」が必要だろうか。いやなものはいや、といった態度は大人気ないが、では、いかにすれば嫌悪を優雅に表明できるのだろうか。 たとえば、アポリネールは、芸術家を「糞」と「バラ」に分類し、「糞」にダンテ、シェイクスピア、トルストイ、ポー、
平岡正明の『人之初(ひとのはじめ)』という本を書店で見つけた。「未発表だった《自伝》が遂に陽の目を見る」と腰巻にある。これは、読まないわけにいかないな。 買って、とりあえず鈴木一誌さんの「解題」に目をとおす。ほほう、鈴木さんも平岡正明の愛読者だったんだな。鈴木さんは書いている。 「平岡や大藪(春彦)を読むと、からだの底からフツフツと『やってやろうじゃないの』との気力が湧いてくるのだった。いささか暗いが重たさのある情念とでも言おうか。」 オールナイトで健さんのやくざ映画を見て、小屋から朝のまぶしい陽射しのなかに出たときの高揚感だね。平岡の文章は、読む者ミンナがハイになる。ハイミンナールなんちゃって。 「情念だって? だからゼンキョートー世代はうぜえんだよ」という声が聞こえてきそうだが、上等だよ、後続世代は先行世代を蹴飛ばすのが正しい倫理というものだ。AKB48の麻里子さまもゆってるじゃん、「
平凡社ライブラリー版『椿説泰西浪漫派文学談義』が刊行された。カバー装画はブレイクの「エルサレム」。平凡社ライブラリーのシリーズにしっくりと馴染んでいる。慶賀の至り。 原本の青土社版(1972年刊)は縦長の四六変型判で、透明の合成樹脂カバーに書名・著者名・イラストレーションが印刷された、いま見ても洒落た装丁・造本だった(装本・長尾信)*1。ライブラリー版は青土社増補版(1983年刊)を底本としたもので、増補版のカバーもブレイク(「ヨブ記挿画集」)を使っていた。 平凡社ライブラリー版には巻頭に若かりし頃(三十代か)の著者のポートレートが掲げてある(セクスィー部長沢村一樹ふうのイケメン)。帯の「すこしイギリス文学を面白いものにしてみよう」という文句は、本書巻頭のことば。つまり、雑誌連載第一回目「類比の森の殺人」のイントロなのだが、これが旧套の英文学界に投げかけられた、いかに挑発的な文句であったか
いまから六十年余の前、林達夫はこう書いた。 「戦後五年にしてようやく我々の政治の化けの皮もはげかかって来たようであるが、例によってそれが正体をあらわしてからやっと幻滅を感じそれに食ってかかり始めた人々のあることは滑稽である。」 林達夫といえば必ず引用される「声低く語れ」というミケランジェロの章句をエピグラフに掲げた「新しき幕明き」*1というエッセイの冒頭である。「我々の政治の化けの皮」を「○○党の化けの皮」とでもすれば、昨今でも通用するだろう。政権奪取後三年にして早くも(ようやく?)分裂しそうな某政党に、いまさら幻滅を感じる者などおそらくいまいが。 林達夫は書いている。 「政治くらい、人の善意を翻弄し、実践的勇気を悪用するものはない。真のデモクラシーとは、この政治のメカニズムから来る必然悪に対する人民の警戒と抑制とを意味するが、眉唾ものの政治的スローガンに手もなくころりと「だまされる」とこ
George Steiner at The New Yorkerを読んだのをきっかけに(原著を読了したというわけではありません、為念)、スタイナーの本を引っ張り出し(『脱領域の知性』も出てきた)、あれこれとつまみ食いならぬつまみ読みをした。読書の至福とはこういうことなのかと改めておもった。かつては「お勉強」のために読んだ本だが、そうした「邪念」をわすれて気儘に拾い読みをすると、こんなに愉しい読書はまたとない。ロラン・バルトはこうした快楽のことをプレジールと呼んだのじゃなかったっけ。 古本としてはそれほどめずらしい本ではないけれど、一般にはあまり見かけないスタイナー関連書に『文学と人間の言語』という本がある。「日本におけるG・スタイナー」というサブタイトルからわかるように、スタイナーが来日した際の講演や対談、セミナーの報告などを収めた本だ。招聘したのは慶應義塾大学で、そのせいでこの本が池田弥
ひとつのエピソードを書きとめておきたい。老人ホームに居住するひとりの高齢の女性の話だ。かりにAさんとしておこう。Aさんは、ある事故によって数年前から「失語症」の状態になっていた。といっても、脳の器質的な障害による失語症ではない。日常生活において、「うん」とか「いや」といった短いフレーズで意思表示はするが、長いセンテンスの言葉をけっして発しない、という状態だった。同居する夫も子どもたちもAさんと会話しようという努力に疲れ果て、なかば匙を投げた状態だった。 Aさんが老人ホームにやってきたのは二週間前のことだ。そういう入居者であるということは、老人ホームではたらくだれもが心得ていたし、Aさんもまた、職員のだれに対しても口をひらこうとしなかった。だが、ひとりのケアマネージャーの女性だけは、ほかの入居者にたいするのと同じように、毎日のようにAさんに呼びかけていた。 Aさんが入居して二週間たったある日
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