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アメリカ大統領選
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コンゴ自由国 本稿の舞台となるコンゴ、1971年から97年までの一時期に「ザイール」と呼ばれていたこの地域にヨーロッパの勢力が進出したのは15世紀のことである。最初にやってきたのはポルトガル人で、以後数百年に渡って主に奴隷貿易を行った。しかし彼等ヨーロッパ人の進出は沿岸部に交易拠点を築く程度に限定され、内陸部に入り込んでそこの住民を支配したりする近代的な意味での植民地の建設はかなり後まで実現しなかった。これはコンゴに限らずアフリカ全体について言えることである。未知の風土病の猖獗するこの「暗黒大陸」の中で、ヨーロッパの支配が強く及ぶのは1870年頃になってもまだ地中海沿岸と南アフリカだけ(註1)、あとの「黒色アフリカ」は交易拠点に毛の生えた程度のものがぽつぽつ点在といった程度(その中で最も大きいのはフランス領セネガルだが、まだまだ小さい)にとどまっていた。もちろん世界の他の地方、例えばインド
ハプスブルク家とスイス盟約者団 前編その1 ハプスブルク家の発祥と神聖ローマ帝国 目次に戻る ヨーロッパ最高の名門のひとつとされる「ハプスブルク家」といえば一般的にはオーストリアの領主というイメージが定着しているが、本来は現在のスイスの北部からドイツ・フランス国境地帯のあたりに住み着いていた一族であった。この家はもともとはドイツ・フランス国境のエルザス(アルザス)地方から出た小貴族であったとされているが、1020年頃にスイス北部のアールガウ地方に現在も残る「鷹の城(ハビヒツブルク)」を建設して一族の本拠地とした。「ハプスブルク」という家名はこの城に由来する。ここから東に進めばアウグスブルクやミュンヘンといったドイツ南部の諸都市、西に進めばバーゼルを経由してフランス北東部のシャンパーニュ(註1)、南へ進めばザンクト・ゴットハルト峠(後述)を経由して北イタリアの諸都市へと通じているという交
前編その1 ハプスブルク家の発祥と神聖ローマ帝国 スイスの沿革 ツェーリンゲン家 自由特許状 永久同盟 モルガルテンの戦い 前編その2 ルツェルン同盟 チューリヒ同盟 ベルン同盟 8邦同盟 前編その3 ゼンパハの戦い 従属邦と共同支配地の獲得 ヴァリス共和国 アルベドの戦いとパイク密集方陣 古チューリヒ戦争 盟約者団の拡大 中編その1 ブルゴーニュ戦争の勃発 グランソンの戦い ムルテンの戦い ナンシーの戦い シュタンス協定 中編その2 スイス傭兵 シュヴァーベン戦争とグラウビュンデン自由国 13邦時代 ミラノ戦争 中編その3 「中立」のはじまり ランツクネヒト パヴィアの戦いとローマ劫略 後編その1 ツヴィングリの宗教改革 再洗礼派 改革運動の普及 第1次カペル戦争 第2次カペル戦争 後編その2 ジュネーヴ カルヴァンの登場 シュマルカルデン戦争とアウグスブルクの宗教和議 カルヴァンの宗教
中世ヨーロッパの大学 西ローマ帝国の滅亡後、西欧の学問は長い停滞を続けていた。書き言葉と話し言葉が違う(前者はラテン語)ので学問の習得には時間がかかり、領主の権力や都市の規模が小さいので高度な学問(例えば体系的な法律)はあまり必要とされていなかった。古代ギリシア・ローマ時代の優れた学問はイスラム圏やビザンティン(東ローマ)帝国に保存されていた。 しかし西欧でも12世紀に入って都市の発展が著しくなり(すると法律といったものが必要になる)、イスラム圏との交易が活発化すると、そちらを経由する形で古代の著作がもたらされるに至る。アリストテレスやユークリッド、ヒポクラテスといった哲学・数学・医学等の大学者の著作やローマ法がそれである。その多くは原書ではなくアラビア語版から西欧の言葉(ラテン語)に翻訳された。ローマ法に関しては、このころ激化していたローマ教皇と神聖ローマ皇帝との抗争に際し、自分の陣営を
政界再編 (目次に戻る) 62年、ド・ゴールはそれまで国会・自治体の議員によって選ばれていた大統領職を、直接国民投票によって選出するとの改革案を持ち出した。ド・ゴール派以外の全政党が反対していたが、この頃はまだOASのテロが続いており、さらにアルジェリアから引き揚げてきたコロンや兵士たちによって国内の空気がすさむのではないかとの危惧を巧みに自己の支持へと結び付けた(嬉野ド・ゴール伝)。結果はド・ゴールの勝利、投票数の62%(ただし棄権が23%)を獲得していた。 続いて行われた総選挙(註1)でもド・ゴール派が大勝する。議会内で安定したド・ゴール支持の勢力を築くために新共和国連合(UNR)・労働民主連合(UDT)・独立共和派・MRPの一部を集めて結成された保守派「第五共和政連盟」に対して、左派の各政党は連携行動をとることが出来なかった。ド・ゴール派のUNRとUDTだけで過半数に近い233議
アイスランドとグリーンランドの歴史 第1部 前史 ヴァイキングの到来 インゴルフの入植 植民事業の本格化 アルシングの開催と「自由国」 グリーンランド植民 中世グリーンランドの 社会と経済 北アメリカ到達 キリスト教の伝来 アイスランドの社会と文化 自由国の終焉 グリーンランド入植地の消滅 第2部 漁業の発展 宗教改革 暗黒時代 レイキャヴィクの発展 独立運動の芽生え 自治の確立 連合条約 完全独立の達成 冷戦下のアイスランド 第3部 グリーンランド再植民 東部グリーンランド事件 大戦下のグリーンランド その後のグリーンランド 第4部 魚の海に浮かぶ島 第1次タラ戦争 第2次タラ戦争 第3次タラ戦争 その後のアイスランド 参考文献 総トップページに行く スイフト 買取 買取 ソリオ インプレッサ 買取 銀座カラー口コミ やずや養生青汁 大麦若葉 青汁 効果 t-up 車買取相場表 スバル
パラグアイ戦争 南米のパラグアイは1811年にスペインから独立した国である。建国後30年ほどは総統フランシア博士のもとで自給自足経済の鎖国を行っていたが、彼の死後の44年に権力を握ったアントニオ・ロペス大統領は他国に門戸を開いて外国の技術者を招聘、鉄道や電信・製鉄所・印刷所の設置、それから奴隷制の廃止や義務教育の制定といった近代化に努力した。51年には国境問題・河川交通問題から南の隣国アルゼンチンと険悪になったがブラジル・ウルグアイと組んでこれを乗り切った。 しかしその次は北の隣国ブラジルと険悪になる。パラグアイは内陸国だがそのど真ん中を流れるパラグアイ河がブラジル領のマット・グロッソから大西洋に出るための重要河川とされており、領土問題も存在した。パラグアイ大統領アントニオ・ロペスはなんとか外交努力でブラジルの圧力を回避し続けたが、62年に亡くなる彼の跡を継いで大統領に就任した息子のソラノ
中東のキリスト教 東方アッシリア教会 4世紀頃のローマ帝国には「ローマ」「コンスタンティノポリス」「アンティオキア」「エルサレム」「アレクサンドリア」の5つのキリスト教総主教座が存在した。1番大きいローマ総主教座が現在の「カトリック教会」、2番目のコンスタンティノポリス総主教座を中心としているのが現在の「東方正教会」であり、残りの3つもかなり変則的な形ではあるが健在である。 ローマ帝国の外にもキリスト教徒は存在し、特にペルシア(イラン)とアルメニアには大きな教会組織が構築されていた。しかし組織が発展していくにつれて教義に関する様々な議論が発生したため、全教会の代表者を集めて諸々の教説の是非を問う「公会議」が繰り返されることになる。まず西暦325年に開催された「ニケーア公会議」にて「アリウス派」が「異端」の宣告を受けて教会組織から追放された。同派はゲルマン系諸部族の間に勢力を保っていたがやが
前編その1 冒頭 ヌェバ・メキシコ イギリスの進出 サン・ホワン・デ・ウルーアの戦い 戦争開始 遠征準備 アルマダ海戦 前編その2 フランスの植民事業 イギリスの植民計画 ロアノーク島 ヴァージニア プランテーションの創設 前編その3 プリマス マサチューセッツ ロードアイランド コネティカット ニューイングランドの経済 メリーランド 黒人奴隷の導入 前編その4 ピューリタン革命 ニューアムステルダム 航海条令 第一次英蘭戦争 王政復古 後編その1 ニューヨーク 第二次英蘭戦争 ニュージャージー カロライナ 第三次英蘭戦争 カリブ海植民 ベーコンの反乱 フィリップ王戦争 後編その2 ペンシルヴァニア デラウェア ドミニオン・オヴ・ニューイングランド ヌーヴェル・フランス 後編その3 カロライナの奴隷制 名誉革命 ファルツ継承戦争 ウィリアム王戦争 後編その4 アン女王戦争 植民地経済 ジョ
はじめに ~特に検索サイト等から初めてこのページに来られた方に~ 当ページは西洋史・政治思想に関する素人である当サイト管理人が1917年のロシア革命の具体的経過をレーニン等の革命理論の解説を絡めつつ解説するものである。当サイト管理人は特定の政党や政治思想に立つ者ではないことを明記しておく。 いわゆる「論文」ではないという本稿の性質上、読者の煩雑を避けるため、引用した事項の出典は本文中に( )をつけてタイトルのみを記すにとどめた。その場合、猪木正道著『ロシア革命史』は「猪木ロシア革命史」、長尾久著『ロシヤ十月革命』は「長尾ロシア革命史」、稲子恒夫著『ロシア革命』は「稲子ロシア革命史」、尾鍋輝彦著『ロシア革命』は「尾鍋ロシア革命史」、松田道雄著『ロシアの革命』は「松田ロシア革命史」、菊池昌典著『ロシア革命』は「菊池ロシア革命史」、そしてトロツキーの『ロシア革命史』は単に「ロシア革命史」と表記し
南洋群島 本稿で述べる「南洋群島」は西太平洋の赤道以北に位置し、東西5000キロ・南北2400キロもの広大な海域に散らばる島々のことである。島の総数は1400余、1918年の時点で人が住んでいるのは623であった。島々の総面積は現在の東京都と同じ程度、その地質は珊瑚礁もしくは火山岩で、原住民はチャモロ族・カナカ族であるが言語等は島によってバラバラである。この地域は19世紀の末からドイツの植民地支配がなされていた。 1914年の「第一次世界大戦」勃発に際し日本はドイツに宣戦、太平洋の赤道以北のドイツ領へと艦隊を派遣した。戦艦「薩摩」「香取」、巡洋戦艦「筑波」「鞍馬」、装甲巡洋艦「浅間」といった顔ぶれである。日本軍はドイツ側の抵抗を想定していたが、どの島も戦闘は全くなく無血で占領(註1)となった。サイパン島のドイツ側責任者などは日独が交戦状態になっていることを知らず、島に到来した日本戦艦「香取
2008年05月23日・西洋史の中編の部の「中東のキリスト教」に若干の加筆・修正を施しました。 2008年06月03日・西洋史の中編の部に「ヘンリ・モーガン伝」を掲載しました。 2011年06月16日・リンクコーナーの日記・書評カテゴリに「黒猫館」さんを追加しました。 2019年03月18日・「七つの丘」を廃止、「元老院議員の個室」に縮小リンクコーナーを設置しました。 2019年10月02日・「元老院議員の個室」「元老院議員の日記」を廃止、縮小リンクコーナーを「Charnel House」に移転しました。 2020年07月02日・「元老院議員の寝室」を廃止しました。 2022年08月07日・西洋史の大長編の部に「南アフリカの歴史」を掲載しました。 2023年03月17日・西洋史の大長編の部の「南アフリカの歴史」に第二部を掲載しました。 2023年03月24日・西洋史の大長編の部の「南アフリ
ビアフラ戦争 現在のナイジェリア地域では15世紀中頃からヨーロッパ人が到来して奴隷貿易を行っていた。ヨーロッパ人は最初は現地の王国から奴隷を買い取るという形をとっていたが、19世紀中頃になると現地王国を仲介させずに直接内陸部に入ろうとの意思が高まってきた。そしてイギリスは1860年ラゴスに最初の植民地を開設、フランスやドイツと競争しつつ1914年には現在のナイジェリア領土に相当する地域をイギリス植民地として確定させた。 ナイジェリアは南北で全く異なる社会である。「ハウサ族」を主要部族とする北部乾燥地帯はイスラム教優勢で綿花や落花生を産出していたのに対し、「ヨルバ族」「イボ族」を主要部族としてゴムやパームを産出する南部熱帯雨林地帯はヨーロッパ人が布教したキリスト教が優勢であった。そして南部も西と東でかなり異なる。西部に住むヨルバ族は古くからかなり集権的な国家を形作っていたのに対し、東部のイボ
いわゆる「論文」ではないという本稿の性質上、読者の煩雑を避けるため、引用した事項の出典は本文中に( )をつけてタイトルのみを記すにとどめた。その場合、渡邊啓貴著『フランス現代史』は「渡邊フランス現代史」、河野健二著『フランス現代史』は「河野フランス現代史」、『サハラの砂、オーレスの石~アルジェリア独立革命史~』は「アルジェリア独立革命史」、山上正太郎著『チャーチル ド・ゴール ルーズヴェルト ある第二次世界大戦』は「ある第二次世界大戦」、村松剛著『ド・ゴール』は「村松ド・ゴール伝」、大森実著『ド・ゴール』は「大森ド・ゴール伝」、嬉野満洲雄著『ドゴール』は「嬉野ド・ゴール伝」、そしてアレクサンダー・ワース著『ドゴール』は単に「ド・ゴール伝」と表記した。それ以外の資料はタイトルをそのまま表記した。語句の解説等の脚注は各段落の末尾に記した。 第1部その1 冒頭 第一次世界大戦 剣の刃 職業軍の建
オマーン・ザンジバルの歴史 第1部 スワヒリ都市 オマーンの沿革 ヤアーリバ朝 ブーサイード朝 ザンジバルの隆盛 第2部 バートンとスピーク リヴィングストンとスタンレー ザンジバルの弱体化 植民地化の開始 四十五分戦争 タンガニーカ委任統治領の発展 第3部 タンガニーカ独立 ザンジバル独立 ザンジバル革命 タンザニアの誕生 ウジャマー村 ウガンダ戦争 民主化 第4部 スルタン国とイマーム国 オマーン・ルネサンス 参考文献 総トップページに行く
第1部その1 冒頭 ビザンティン時代 暗黒時代 イオニア七島連合共和国 独立思想のめばえ 第1部その2 友愛会 イプシランディスの決起 ギリシア独立戦争 各国の介入 カポディーストリアスの再登場 第1部その3 ナヴァリノの海戦 露土戦争 ギリシア独立 第2部その1 ギリシア人の定義 バイエルン王家 デンマーク王家 メガリ・イデア ヴェニゼロス登場 第2部その2 マケドニアとアルバニア バルカン戦争 第一次世界大戦 セーヴル条約 スミルナの破滅 第3部その1 ローザンヌ条約 ギリシア共和国 ヴェニゼロス復活 王制復古 メタクサス時代 第3部その2 イタリアとの戦い ユーゴ政変 ドイツ軍の侵入 クレタ島の戦い ギリシアのレジスタンス 第3部その3 内戦 レバノン協定 再び内戦 三たび内戦 第4部その1 パパゴス政権 キプロス紛争の勃発 キプロス共和国 政権交代 再びキプロス紛争 第4部その2
2008年05月10日・西洋史の中編の部に「古代のアルメニア」を掲載しました。 2008年05月23日・西洋史の中編の部の「中東のキリスト教」に若干の加筆・修正を施しました。 2008年06月03日・西洋史の中編の部に「ヘンリ・モーガン伝」を掲載しました。 2011年06月16日・リンクコーナーの日記・書評カテゴリに「黒猫館」さんを追加しました。 2019年03月18日・「七つの丘」を廃止、「元老院議員の個室」に縮小リンクコーナーを設置しました。 2019年10月02日・「元老院議員の個室」「元老院議員の日記」を廃止、縮小リンクコーナーを「Charnel House」に移転しました。 2020年07月02日・「元老院議員の寝室」を廃止しました。 2022年08月07日・西洋史の大長編の部に「南アフリカの歴史」を掲載しました。 2023年03月17日・西洋史の大長編の部の「南アフリカの歴史」
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