サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
アメリカ大統領選
www.kojii.net
先日に発生した御嶽山の噴火に限らないけれども、何か事件があって自衛隊が出動すると、「自衛隊を出す必要はない」と主張する人と、「自衛隊でなければ務まらない」と主張する人が現れて喧々囂々になる。 特に Twitter の出現以降、思ったことをその場でパッと書いて流せるもんだから、リアルタイムでやり合ってフレームアップする事例が増えているような気がする。ただでさえネット上の喧嘩は不毛で犬も食わないのに (経験者談)、特に Twitter に場を移すと、その場その場の瞬間的な (言葉での) 殴り合いにしかならない。不毛だ。 そして「自衛隊が出てくるというと、とにかく否定したくなる人」vs「自衛隊のことをちょっとでもネガティブにいわれると噛みつきたくなる人」なんて図式になったら、もう不毛の極致。 軍用の装備が民生品よりタフにできているのは事実であるにしても、それとて限界はある。 たとえばの話。NBC
ときどき、陸上自衛隊が街中でパレードを行う際に「市民に威圧感を与える」といって労組などが物言いをつけたり、特に実銃の携行に物言いをつけたりする事案が散見される。そういえば、練馬の第一師団だったか、レンジャー訓練の締めくくりに街中を通って駐屯地まで移動する際に、物言いをつけられた事案もあったような。 ところが面白いもので、演習やスクランブル待機のために実弾を積んだ戦闘機が飛んでいても、誰も「市民に威圧感を与える」とはいわない。海自の護衛艦なども同様で、実弾を積んだ艦が航海していても、どこかの労組あたりが「市民に威圧感を与える」と物言いをつけた話は聞かない。 とどのつまり、陸自のパレードや訓練に限って物言いがつくのは、「自分達の目につくところ、自分達が生活しているところに、武器を持った自衛隊員が現れるから」であって、目につかないところなら「そんなの関係ねぇ」ということのようである。なんかテキト
特定秘密保護法案の閣議決定に絡んで「知る権利を妨げる」との主張が出てきている由。それと絡んで、「西山事件」を持ち出している人がいるらしいけれど、「それは違うだろう」と思った。 「西山事件」の何が問題かといえば、「ひそかに情を通じた」ことはひとまず措いておくとして、とにもかくにも「密約」の話を紙面にズバッと書かなかった時点で失格。 「知る権利」を云々するのであれば、新聞記者にとってそれを行使する場は紙面であって、それ以上でもそれ以下でもない。だから、せっかく得た貴重な情報を紙面に書かなかった時点で、もう「知る権利」を放棄したも同然。それを後になって、何をいっているのだと。 そこで「密約の話を暴露すれば、沖縄返還に悪影響が出る可能性が云々」という釈明が出てくるにしても、それならそれで胸の内にしまっておけばいいわけで、後からタイミングを見計らって紙面でぶちまける手もある。それすらしないで野党代議
どういう風の吹き回しか、今頃になって「新東名を利用してループ走行する不正が横行している」というニュース記事が登場。 それに対して「ループ走行できるような道路を造った方が悪い」とか「それをいうなら、どうして本線上のチェックバリアを撤去したんだ」とかいうコメントがワラワラと。しまいには、民主党に八つ当たりする人まで出てきている様子。それはさすがに八つ当たりだろうといいたいけれども、それが本題ではなくて。 そもそも、高速道路ループという遊び (まさか仕事でやっている人はいるまい)、なにも新東名の開通で初めて可能になったわけではない。ちょいと高速道路の路線図をみれば分かることだけれども、すでに実行可能な場所はたくさんある。そして、高速道路の路線網が拡充すれば、さらに実行可能な場所が増えるのは明白。 規定上は、「最短距離の 2 倍を超える走行については実走距離に相当する通行料を支払う」ということにな
以前に「江戸時代に戻れば論」に反論する記事をライブしたことがあったけれど、今回はそれの類型で「経済成長を目指さなくてもいい」論について。 いずれも反原発論とリンクしている昨今ではあるものの、「経済成長を目指さなくてもいい」論については、反原発がワーワーいわれるようになる前から存在しているように思う。 そもそも、「経済成長を目指さなくてもいい」なんていっていられるのは、すでに日本の経済が十分に成長して、誰も彼もが満ち足りた状態になっている、という前提があるのだろうか。すでに満ち足りているから「もういいや」となるのであれば、まだ分からないでもない。 ところが妙なもので、その一方では「格差を解消しろ」とか「雇用を確保しろ」とかいう主張も声高に語られている。それって「経済成長を目指さなくてもいい」とは矛盾があるように思える。 それに、よしんば本当に満ち足りているのだとしても。自分とこが安定して水平
東北地方太平洋沖地震の教訓を受けて、陸上の医療施設が使えなくなっても医療活動を提供できるように「病院船」について調査する予算を要求する。というニュースを見た。 しばらく前に「丸」誌で「トモダチ作戦」について書いたときに、「船は移動力も動力源もインフラ一式も自前で持ち歩いているのが利点」という趣旨のことを書いた。そのことを考えれば、医療施設を船に乗せておいて、必要なところに進出させるというアイデア、間違いだとは思わない。 ただ、単純に「病院船」を設計・建造すれば済む問題かなあ、とも思った。 軍事系趣味人に限ったことではないかも知れないけれど、ついついハードウェア偏重になってしまい、ハードウェアさえ出来上がれば八面六臂の大活躍が可能、と思ってしまう傾向が生じることがある。でも、実際にはそんな単純な話でもないわけで。 病院船ということは、陸上でいえば病院の建物と、底に収容する医療施設という「ドン
行方不明になっていた JR 北海道の社長が遺体で発見されたとのこと。遺書が残されているという話もあり、283 系炎上事故などの不祥事が影響した可能性が高いと思われる。 283 系の炎上事故については、発生直後に某所からコメントを求められて「まだ原因について発表が何もないのに、無責任なコメントはできない。ただ、設計・製造上の不具合なら導入直後から問題が出ていただろうし、ずいぶんと時間が経ってから問題が出たわけだから、整備に問題があった可能性の方が高いのではないか」という話をした。 ただ、その事故原因の話が本題なのではなくて、書いてみようと思ったのは「責任」の話。 といったところで例によって、Microsoft Bookshelf の新明解国語事典 (三省堂) で「責任」について調べてみると、こうある。 せきにん【責任】 自分の分担として、それだけはしなければならない△任務 (負担)。 不結果
「埋蔵金」「埋蔵電力」あたりから、なんでも手当たり次第に「ないモノは、実は埋蔵されている」という風潮が出てきたような。 そんなことをいうならば、「埋蔵仕事」とか「埋蔵ギャラ」とかいうのも欲しい。と思ってしまうのはフリーランスの性。 もう少しおちゃらけると、渋滞を解消する「高速道路の埋蔵車線」とか、お盆休みの指定席券確保を容易にする「埋蔵指定席」とか、PC の RAM 不足を解消してくれる「埋蔵 RAM」とか、リビアで使う精密誘導兵器が足りなくなったときに湧いて出てくる「埋蔵誘導爆弾」とかいったものも欲しい。 なんて調子で続けていくと、ただの大喜利モドキになってしまうので、真面目な話に戻して。 そもそも、現実問題としてどうなんだろう。カネでもモノでも、事前にこしらえて埋蔵しておくには元手が要るわけで、その元手が闇から闇に動いて、誰も知らないところで埋蔵されていた。なんていう都合のいい話、そう
以前、三菱自動車をめぐって問題が発生したときに、「三菱車が炎上」というニュースがやたらと出回ったことがあった。でも、実のところは三菱車ばかりが高い比率で炎上していたという証拠はなくて、要はニュースに取り上げられる比率が違ったというだけの話。他所の業界でも似たような話はある。 そういえば、同じような事件を起こしても、自衛官や警察官だとニュースになりやすいというのもある。無論、高い規範を求められるポジションであるというのは正論だけれども、それだけが理由ではあるまい。 ありていにいえば、「叩きやすいところだと叩かれる」「叩いても文句が出にくいところだと叩かれる」という話。 「世間はサンドバッグを求めている」なんて言い方をしたことがあるけれども、何かの事件・事象をきっかけにして「叩き」を受け止めさせられる羽目になる個人、企業、組織、あるいは国家が、いつの世にもあるよね。と。 たいていの場合、ニュー
その昔、某国の海軍士官が「我が軍の将校の頭脳は犬並みか ?」と怒ったことがあったとか。何が犬並みなのかというと、「犬に対して棒を振り回して脅かしてやると、犬は棒にばかり飛びかかり、その棒を振り回している人間の方は無視する」という趣旨なのだそうだ。 本当に犬がそういう挙動をとるのかどうかはともかく、目の前にある、噛みつきやすい相手に噛みつくことばかり考えて、肝心の目的を忘れてしまったり、どこかに置き去りにしてしまったり、というのはありがちな話。 なんて話を持ち出したのは、「週刊金曜日」が、原発の宣伝に協力した著名人 (実は、直接的に関わっていなくても標的にされている場合があるようだが) の晒し上げ、ブラックリスト作りをやらかしたと聞いたため。それ以外でも、似たような事態が起きていると聞く。 なんという不毛な後出しジャンケン。そもそも、そんなことをやって何か問題の解決になるんだろうか。「週刊金
先日に blog でちょっと触れた話について、「自衛官が被災地で飯食べてると怒られることがある」とのコメントを頂戴した。事実ならひでぇ話だと思う。 救援に行った人でも、いや、むしろ救援に行った人だからこそ、食事や睡眠をできるだけ確保して、任務の維持に必要な体力・気力を保てるようにフォローしないと、肝心の救援活動そのものの足を引っ張るという認識がないんだろうか。 それに、被災した人に対しては救援の手がいろいろと差し伸べられるけれども、その救援に行った人達が救援活動で疲れ果てて参ってしまったとき、誰が助けてくれるんだろう ? まさか救援要員は使い捨てだなんて思ってませんよね、総理 ? この手の話を聞くと思うのは、「美談もほどほどに」ということ。 自然災害、あるいは事故が起きたときなどに、自分が犠牲になって家族や友人、あるいはその他の人を救ったという美談が取り上げられることが多い。今回の震災でも
WikiLeaks.org に限ったことではないけれども、既存の権力、あるいは主流派に対して闘争や批判を仕掛けることで「時代の寵児」として持て囃された個人、あるいは組織が、後になって転落する事例が少なくない。興味深いのは、その過程で下半身がらみの問題が出てくるケースがいくつもあること。 なんていうことを書くと、「それは世界を闇で操る陰謀組織が冤罪によって陥れたのだ」と吹かす人が出てくるのはお約束だけれども、それについては真偽の程を確認できないので措いておく。そもそも、そんな簡単に存在が、あるいは陰謀がばれてしまうような組織が、世界を闇で操ることなんてできるのか、という突っ込みもあることだし。 さまざまな事例を観察してみて思うのは、闘争や批判を仕掛ける側が調子に乗りすぎて、自分で墓穴を掘っている側面があるのではないかなあ、ということ。 「権力の監視」という建前があることでもあり、権力に対する
尖閣諸島の一件がきっかけになったのか、またぞろ「自主防衛」を唱える声が出てきている模様。「出てきている」というと語弊があって「目立つ傾向が」という方が適切かも知れないけれど。 「自分の国は自分で護る」といえば聞こえはいいけれども、実のところ、それを実現できるのか、実現することにいかほどの妥当性があるのか、というのはまた別の問題。いくらお題目が美しくて立派でも、たとえばの話、そのための負担が大きすぎて国を潰してしまったのでは意味がなくなる。 そもそも、「自主防衛が必要なのかどうか」とかいう話より先に、考えないといけない話はいろいろある。軍事力とは政治力の裏付けとなる力なんであって、日本が置かれているポジションを政治・経済・地政学などさまざまな方面から検討して、どういう立ち位置をとるのかが決まらないことには。ということで、簡単にリストアップしてみると。 そもそも国際社会における日本の立ち位置を
若い読者の方には初耳かもしれないけれど、その昔、「ラテカセ」という複合商品が存在した。その名の通り、「ラジオ」「テレビ」「カセットテープレコーダー」をひとつの匡体に詰め込んだ複合商品。(→ ラテカセ - Wikipedia) 「ラジオ + テレビ」とか「ラジオ + カセットテープレコーダー」ならともかく、3 つの機能をひとまとめにしてしまったのだから、当然ながらガタイは大きくなる。液晶テレビなんて影も形もない時代のこと、もちろんブラウン管型テレビなのである。今だったら、同等の機能が携帯電話の中に収まってしまうことを考えると、技術の進歩って凄いと思う。 確か、乾電池で駆動可能なラテカセもあったような気がするけれど、たとえ単一乾電池を使用したとしても、どれだけ長持ちしたことか。全部の機能がひとまとまりになっているという点では確かに便利だけれども、へたをすると、そのすべての機能が中途半端になりか
普天間代替基地問題について取り上げようとすると、米海兵隊が沖縄に駐留する必要性について言及しなければならない。それについての私の考え方については、以前にも書いたから繰り返さない。 一方では、「海兵隊を沖縄に置く必然性がない」という結論をひねり出すために、都合の良さそうな話を拾い集めて切り貼りする電波芸人が続出しているのは面白い。 その電波芸人諸氏が飛びついたネタのひとつに、在沖海兵隊の頭数がある。つまり「18,000 名」という数字の真贋という話。「海外派遣されているため、実際に沖縄に駐留している人数は 18,000 名もいない。18,000 名という数字は嘘っぱちで云々」といった具合。 さあ、ここで問題です。軍隊の人員、装備、あるいはインフラの規模って、平時の状況だけで判断していい組織でしょうか。もちろん否。 たとえば、戦時に本国の部隊 (いわゆる force provider) から部
先日、XC-2 の納入式典に出席した北沢防衛相が、「防衛省が開発した航空機の民間転用を推進する」と発言した由。 それで生産機数が増えてコストダウンや産業基盤の維持につながれば、それ自体はおおいに結構な話。ただ、「高速性能という売りがあるから売れるんじゃね ?」なんていう類の発言をネット上で見ると、「ちょっと待った」と袖を引っ張りたくなる。 以前にも似たようなことを書いたけれども、なにも軍用機に限らずその他の商品も含めて、「性能が優れているから売れる」「技術的に優れているから売れる」とかいう単純な話にはならない。 たとえば家電製品でもデジタル製品でもクルマでも、買った後で修理などのサポートをちゃんとしてくれるメーカーの方が安心できるし、そういう保証がないメーカーでは安心して手を出せない。実際、販売不振に耐えかねて日本市場から手を引いてしまった自動車メーカーがあった。放り出されたユーザーはどう
最近のニュースで、明らかに「それは違うだろう」と違和感を感じていたのが、例の「核持ち込みの密約」、それと「機密費の使途公開」に関するニュース。 もちろん、どこかの国の陸軍みたいに「それは機密ですのでお答えできません」の一点張りで何でもかんでも隠蔽されるのは問題だけれども、じゃあ、何でもかんでもあけすけ、開けっぴろげ、モロ出しにすればいいのかというと、そういうもんでもないだろうと。 そもそも、程度の差はあれ、誰でも「公にできない話」の一つや二つは持っているもの。それは仕事に関わるものかも知れないし、プライベートに関わるものかも知れない。自分みたいな不良社員でも、MSKK 時代の仕事に関して大っぴらにできない話がないわけではない。人によっては「出生の秘密」みたいな話があるかも知れない。 つまり、立場上、公にできない種類の話もあれば、公にしない方が皆が幸せでいられる種類の話もある。市井の一般市民
先日、「911 陰謀論」の賛同者、といえばいいのだろうか。要するに「あれは陰謀であって、アルカイダのテロではない」と主張する内容のメールを頂戴した。そして、そのメールに書かれていた内容について仲間内でツッコミ合戦になって、たいへん盛り上がった。 そこで思ったのは、肝心なところがうまくぼやかされていて、それでいて「専門家」とか「馴染みのない言葉」の利用によって、相手を信じ込ませることができるように工夫されているなあ、ということ。そしてとどめに、「マスコミの情報を鵜呑みにしている」「思考停止している」といって、「自分は真実を知っている」という心理に持ち込むための心理的攪乱を仕掛けている。 たとえば、「ジェット燃料の燃焼温度 (880 度) で鋼材の強度が劣化することはない」と主張していた。それを補強するためだと思われるが、「私は国立大の理系だから分かる」「私の父は WTC で使われている鋼材を
ずいぶん前に、「人道支援に軍隊が不可欠な理由」という記事を書いた。 そこで書いたことを全面否定するつもりはないのだけれど、先日、blog でのやりとりの中で「被災地支援を標榜して軍を整備すると、てっぽ持っているよりお金がかかりそうな気がしますね」というコメントを頂戴したので、「それもそうだよなあ」と。 それで、補遺という形でもう少し考えてみようかと思った次第。 「インフラが整っていなくても動けるだけの装備を備えている」「訓練が行き届いた人手が揃っている」「場合によっては治安が悪化する可能性もあるので、そういうときに重要」とかいった理由があるので、災害派遣を初めとする人道支援任務で軍隊が有用、という話を否定する理由は存在しない。 聞くところによると、ハイチにおける震災で「米軍は、これを機会に軍を送り込んでハイチを占領しようとしている」なんて寝言をいっている人がどこかにいるそうだけれど、そんな
%タイトル% が総理の信条だったけれど、現実と直面するとそうもいっていらず「封印しなければならない」なんていう話になった模様。カメラには手ぶれ防止があるけれど、政治家にも信条ブレ防止が必要ではなかろうか。 なんて嫌味はともかく。そもそも「駐留なき安保」というものが実現可能なのかどうか、ちょっと考えてみようと思った次第。 一般に、「駐留なき安保」と聞くと、「普段は駐留していないけれども、いざというときには駆けつけてきてもらう」と解釈されるだろうと思う。とりあえずは、その線に沿って話を展開することにして。 そもそも、この手の話が出てきたときに「有事」の話しか思い浮かばない時点でどうかと思う。軍事力の存在意義のひとつは「抑止力」なんであって、花火が上がって本物の「有事」に発展してしまった時点で、当初の目的を達成し損なったといえる。その場合には第二の目的として、侵攻を排除するフェーズに移る。まずは
先日の時事通信で「『正当な戦争』失望と憤り = オバマ氏受賞演説、被爆地に波紋」という記事があって、「なんだかなあ」と思った。勝手に期待しておいて、勝手に「裏切られた」といってるだけじゃないのかなあと。 以前にも同じようなことを書いたかも知れないけれど、そもそも「共和党の George Bush 大統領はアフガニスタンやイラクで戦争を起こした、怪しからん大統領だ」→「大統領選で民主党の Barack Obama 候補が出てきて "Change" を連呼した」と、ここまでは事実なわけだけれど、そこから先で「きっと、自分たちが気に入らなかった部分を "Change" してくれるに違いない」と勝手な期待 (悪くいえば妄想) に発展してしまったのが間違いのもと。 それに、「核のない世界」にしても、アメリカがいきなり手持ちの核兵器を全廃する、とかいう内容ではないわけで、タイトルだけ見て早とちりしたの
例の「仕分け人」の騒動を見ていて思ったのは、「担当の役所や事業の内容に関係なく、自分たちがやっていることを、誰にでも分かる形で平易にアピールすることって重要だよなあ」という話。 何をそんな当たり前のことを、といわれそうだけれど、こと国費の支出に関していうと、予算を獲得するために説明する相手は一般大衆、あるいはその代表 (ということになっている) の政治家よりも、むしろ財務省ではないかと。 もちろん、財務省が相手だからといって楽をしているわけではないだろうし、きちんとデータや理屈を揃えて説明しなければならないだろうけれど、そこで求められる説明能力は、一般大衆向けのそれとはまた違うように思える。というのは外野の勝手な見方なんだろうか。 以前に「マイコミジャーナル」の連載や「エアワールド」の記事で、F-22A の生産打ち切り問題に絡めて、アメリカにおける国防予算策定のプロセスについて書いた。国防
井上孝司の Defense Column 〜 日本人は本当に「平和を愛する国民」か? 最近話題の「沖縄基地問題」でも、核実験のときの抗議声明でも、なにかにつけてよく聞くフレーズが、「日本人は平和を愛する国民で云々」という類のフレーズだが、果たして、これは本当なのだろうか。 なんてことを書くと非難囂々だろうが、あえて今回はタブーに挑戦してみよう。 だいたい、日本の歴史だけが突出して戦乱が少ないというわけではないし、日本でだけ特別に、反戦平和運動が盛んであったというわけでもない。つまり、このフレーズがよく聞かれるようになったのは、太平洋戦争後と見るのが妥当だろう。 その太平洋戦争にしても、初期の勝ち戦が続いている頃には、戦捷の催しということで提灯行列をやったりしていたのが、戦局が逆転して負け戦になり、国土が焼け野原になった途端にコロッとひっくり返ってしまったというわけだ。 そして、信用が置け
昨日、観艦式の取材に行ってきた。 肝心の観閲・訓練展示が終わった後で、(ASEAN の会議に出掛けて不在の首相に代わって) 観閲官として出席した菅直人副総理兼国家戦略担当相の訓辞が。もちろん、観閲官が乗っていたのは「くらま」で、自分が乗っていた「まきなみ」ではないのだけれど、他の艦にも訓辞の内容をライブで中継してくれていたので、ちゃんと聞くことができた次第。 その訓辞というのが、「海上自衛隊の威容に接して云々」といったあたりから始まり、海上自衛隊がソマリア沖で P-3C や護衛艦を派遣して実施している海賊対処活動については「広く内外から高い評価と感謝の言葉をいただいている」、北朝鮮の弾道ミサイル発射や核実験を引き合いに出して「米国は無論、中国、韓国、ロシアなどと緊密に連携し、安全確保に万全を期さないといけない」、でもって「自衛隊の活動の場は海外に広がっている。わが国の主体的判断と民主的統制
しばらく前、某所で 日本の政治は北欧を目指すべきです ! と書き込んでいる人がいて吹いた。 北欧というと、私がお気に入りのライ麦食パンを売っているお店… ではなくて、もちろん「北部ヨーロッパ諸国」のことなんだろうけれど。 該当しそうなのは、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、アイスランドあたりか。そのうち 3 ヶ国が NATO 加盟国で、スウェーデンとフィンランドは中立政策を掲げているといっても武装している (ついでに書くと PfP : Partnership for Peace に参加しているし、NATO とともに大型輸送機の共同運用も始めた)。でもって、アイスランド以外は兵器輸出国でもある。そういえば、「冬戦争」のときのフィンランド軍の抵抗ぶりといったら、もう… つまり、日本の政治が北欧を目指すべきということは、「NATO に加盟して兵器輸出国になって、外的に侵略された
土曜日に、横須賀の海自・米海軍合同一般公開イベントに行ってきた。 今回に限らず、最近では海自のイベントに米艦が、米海軍のイベントに海自が、互いに艦を 1 隻派出するのがお約束の様子。今回は、USS Curtis Wilbur (DDG-54) が吉倉の桟橋にやってきて、二代目「しらせ」と目刺しになっていた。 新品の「しらせ」を見学したのに続いて、すでにベテランの域に達しつつある Curtis Wilbur に行ったせいか、全般に使い込まれた印象。といっても決してネガティブな意味ではなくて、使い込んで鍛えられた艦、という方が適切かも。 もともと、Arleigh Burke 級はそんなに余裕のある設計ではないけれども、必要になったものは仕方ないということで、両舷の上甲板に機関砲を増設して小艇対策としているほか、最近の米海軍の常で、対ミサイル デコイの Nulka も増設している。 その手の手直
先週の本欄で取り上げた、「9 条の会の呼びかけ人が、自ら武装して他人に斬りかかったのは、自分が立ち上げた組織が平素に行っている主張と矛盾している」という話。それに対して、「自衛官が殺人を犯したときには云々」といって加害者を擁護している人がいた。 それを見たときには、なんともいえない「場違いな感じ」があったのだけれど、うまく説明できないのでスルーしていた。この件について、ちょっと答えが見えてきたような気がしたので、書いてみようと思った次第。 どういうことかというと、「組織の目的と、そこに所属している個人の思想は、常に一致していなければならない」と考えるからおかしいのだ、ということ。そういう前提で「自衛官が殺人を犯したら云々」なんてことをいうから、違和感を感じたのだなと。 もうちょっと噛み砕いて説明すると。 組織には大きく分けると二種類あって、「最初から、特定の思想の下に人が集まって出来た組織
先日、大阪で車の通行をめぐるトラブルが原因で、一方の当事者が相手をナイフで刺して、刺された被害者は重体、というニュースがあった由。問題は、その加害者が「無防備宣言運動・護憲運動」に関わっていたこと。 「それは、日頃の行いと矛盾しているじゃないか」というだけの話で、それ以上の話でもそれ以下の話でもない。少し前に、「海自の派遣に反対しておきながら、海自に護衛されたツンデレ団体・ピースボート」のニュースと同じレベルの話。 ところが、「無防備・護憲」方面の人にとってはいささかありがたくないニュースだったようで、擁護のための理屈がいろいろとひねり出されている様子。でも、仲間内ではそれで納得させることができても、その他の第三者を納得させるのは無理じゃないだろうか。 まず、「話し合いで解決を」という主張と「トラブルが原因で相手をナイフで刺した」というところの矛盾は、どう逆立ちしても埋められない。そういう
なんだか先週の記事が好評だったみたいなので (当社比)、続編をひとつ。 ただ、「やってはいけない」と断言してしまうのもどうかと思ったので、「やらない方がいい」とトーンダウンさせてみた次第。後の方で「"いちぜろ" 思考はダメ」って書いてるのに、ここで「いけない」って書くと矛盾があると思ったし。 まず、やらない方がいいなと思うのは「単純善悪二元論」とか、「"いちぜろ" 思考」の類。 そりゃ、人命・さまざまな資産・自然を破壊するのだから、戦争なんてしないで済むのなら、その方がいい。ただ、そこで倫理的な話を前面に押し出してしまうと、そこで話が止まってしまう。そもそも、誰が「善」で誰が「悪」なのか、簡単に決められないことも多いわけだし。 それに、過去の人類史の中では、戦争をなくそうといろいろ試行錯誤しては、その度に裏切られてきた実態がある。それらはたいてい、「過去にこういう原因で戦争になったから、そ
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『Kojii.net : テクニカルライター・井上孝司』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く