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「ふるさと」はどこにあるか ――室生犀星「小景異情(その2)」を考える―― 信時 哲郎 ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの 小景異情(その二)が人口に膾炙されているというよりも、この冒頭の二行だけが人口に膾炙されていると言った方が正確かもしれない。これについて岡庭昇氏は「あたかも都市に流出した民によるふるさとへの追慕というようにうけとられ、感情移入されている」として、それを「誤伝」であると言いきっている。そして「犀星の作品で、ふるさとが遠くからしみじみと想い出されたりしているわけではない。(とてもじやないが)ふるさと(なんてもの)は、遠くにあって(こそ)想い得るもので、そうでなければまっぴらだ……という以外に、ほんらい解釈のしようがない作品なのである。つまり歌われているモチーフは、なによりもふるさとへの憎悪だということだ。」(1)とつづける。 萩原朔太郎は「これは年少時
宮沢賢治がハヴロック・エリスの著書『性の心理』(Studies in the Psychology of Sex)を読んでいたことは、知人や教え子の証言にあるとおりで、その影響についても小倉豊文(1) や大塚常樹(2)、杉原正子(3)らによって指摘されてきた。しかし生涯を童貞で通したと言われる賢治の意外な一面として紹介される程度で、本格的な影響関係の検討は未だ手付かずの観がある。賢治テクストにおよぼしたエリスの影響については、杉原に論があるが、まず人間・宮沢賢治に、エリスの性に関する著書がどのように影響していたかを見極めるのが先であるように思われる。 教え子の根子吉盛が「翻訳本のふせ字の原文の部分をわざわざ仙台の本屋まで行って見てこられたりしました」(4) と語っていることから、賢治が原著より前に訳本を持っていたことがわかるが、賢治が読んだ本として小倉や佐藤成は(4) 、大正十年刊・冬夏社
今日は電子メディアと宮沢賢治ということでお話をしてみたいと思います。しかしいざ面と向かって、「一体両者にどういう関係があるのか」と問われたら、「ほとんど関係らしい関係はない」とお答えするしかありません。今日は「これからの賢治」というテーマに甘えて、かなり勝手なことを話すということをあらかじめご了承願います。 しかしだからといって、これが本当に単なる「こじつけ」なのか、というとそうでもないのです。賢治の思索や行動の軌跡をよく考えてみると、昨今のエレクトロニクス全盛時代の、とりわけインターネットというものは、賢治にとって理想的なメディアであったのではないかと思えてくるのです。 インターネットどころかもっとずっと大昔、人間がまだ文字を持っていなかった頃、そこでは言葉を書き留める術がまだないわけですから、すべては口承で伝わっていました。しかしこれはただ「文字という技術」がなかったというだけの問題で
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