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アメリカ大統領選
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吉田拓郎の、というより中島みゆきの「永遠の嘘をついてくれ」は、佳曲と名曲と名曲中の名曲しかない中島みゆきの、90年代の大傑作で、吉田拓郎に提供することを前提に作られた“いかにも拓郎っぽい”歌詞とメロディでありながら、それでいて中島みゆきの曲以外の何物でもないという、“神”に不可能はないことを改めて思い知らされる作品だが、拓郎・みゆき、どちらもアルバム収録曲でシングル・カットはされていないにも関わらず、かなり広く知られているようで、ストリート・ミュージシャン稼業でたまにやってると立ち止まる人も多い。 が、とくに私と同世代ぐらいとか、それ以下の世代だと、この曲をすごく好きな人であっても、歌詞の意味をちゃんと理解していない場合がほとんどなんだろうなと以前から思っている。「永遠の嘘をついてくれ」は、簡単に云えば「まつりばやし」とか「誰のせいでもない雨が」などの系列の、要するに明白に“学生運動ソング
現在は第4次世界大戦の戦時下にあり、「ファシスト党〈我々団〉」はその戦時下抵抗組織であると同時に、というよりそれ以上に、大戦終結までの良識派の避難所である。 詳しくはアントニオ・ネグリ&マイケル・ハートの『マルチチュード』、大澤真幸の『文明の内なる衝突』、笠井潔の『例外社会』その他、外山の『全共闘以後』第4章第8節などに譲るが、いわゆる冷戦が「起こらないままに起きている戦争、奇怪に宙づりにされた戦争、戦闘なき戦争として遂行された」(笠井『探偵小説論III』)第3次大戦であり、世界的には01年の9・11以後に全面化し、日本国内的にはそれに先んじて95年のオウム事件を機に全面化した、いわゆる反テロ戦争が第4次大戦である。 反テロ戦争では、(没政治的な凶悪犯罪も含む)テロ防止を口実に、ひたすらのセキュリティ上昇が追求される、したがって軍よりも警察が主役となる戦争であり、とくに第1次・第2次大戦の
外山 80年代の終わり頃って、まあ最も先鋭的な部分は高校退学になろうがどうしようが、反原発でも反管理教育でもやってやるんだってノリがあって、かつブルーハーツを筆頭とするバンド・ブームや、風の旅団に象徴されるテント芝居の第2次ムーブメントもあったし、そういう風潮に背中を押されて、多少は優柔不断なタイプでもドロップアウトしやすい状況だったけれども、それでももう少し勇気や単にタイミングがなくてその一歩を踏み出せずに、それを負い目に感じてたような層を、浅羽通明が正当化してくれた側面があると思うんです。あんなのに参加しなかった君たちの方が正しいんだ、って。 スガ そうだね。浅羽の影響力に関しては少し後から気づいて驚いたんだけど、ペペ(長谷川。90年代半ばから後半期にかけて首都圏の諸々の運動の基軸にあった「だめ連」の2人の中心的活動家の1人)なんかでさえ浅羽にシンパシーを持ってた時期があるって云ってた
※この“失礼”なインタビューに中川氏はいたく立腹されていたようである。そもそもインタビュアーのくせに事前に彼らの過去作品をちゃんと聴いていないことを告げた時点でまずムッとされたようなのだが、私はただのインタビュアーではなく外山恒一なのである。日本を代表する革命家として一介のミュージシャンごときに相対しているのであって、反体制向きのことを云いながら1994年の時点で私を知らず、したがって私の過去の著作を読んでもいない中川氏の方がはるかに“失礼”なのである。まあ、読めば分かるとおり、そもそもたいしたタマではないのだが。 ニューエスト・モデルとメスカリン・ドライヴが解散、ソウルフラワー・ユニオンなる新バンドとしてスタートした。11月1日にはファースト・アルバム『カムイ・イピリマ』が出る。 じつはぼくはニューエストとメスカリンの活動をリアルタイムでは知らない。周囲に熱心に聴いている友人は多かったが
九州ファシスト党〈我々団〉は今後、これまでのように“選挙”を超越的にその外から批判するの(だけ)ではなく、内在的に(も)批判する方向へと路線転換することにした。“対案提示型”(笑)というか、以下がこれから我々の掲げていく選挙制度改革案である。 なおこの程度(たかだか原稿用紙約10枚分)の文章が「長い!」と感じられるような文盲に選挙権を与えてはならないというのが我々の判断である。 1.最終的要求 我々が理想とするファシスト党独裁の革命政権が樹立される以前の段階、つまり現体制下での我々の最終要求は“学力試験による制限選挙制”である。 本来なら憲法改正が必要だが、軍備を持てないはずの現憲法下に軍隊が存在しているぐらいだから、“投票免許”取得試験の公平中立性の保障などによって、事実上の制限選挙を“普通選挙”と強弁する詭弁はより容易であるはずである。 候補者たちが、ごくごく基本的な政治知識さえ持ち合
外山 以前も少しお訊きしたんですが、『国家民営化論』で表明した立場は撤回してないんですよね。 笠井 してませんよ。 外山 『国家民営化論』を出した時期って、後に「ネオリベ」とカテゴライズされるような風潮が、まだそんなに猛威をふるっている状況ではなかったでしょ。 笠井 ネオリベって言葉自体、当時まだありませんでした。 外山 「新保守主義」って言葉はあったけど。 笠井 新保守主義と新自由主義は違うからね。まあ二人三脚でやってるようなところはあるにしても。 外山 笠井さんが『国家民営化論』で表明した立場は、ネオコンと同列視されてしまいがちでしょ。以前お会いした時に、そこらへんについて「ネオコンやネオリベとは違う」と云われてましたが。 笠井 シカゴ派のネオリベとリバタリアニズムも違います。 外山 どう違うんですか。例えばアメリカでは、ネオコンとキリスト教原理主義みたいな人たちとが共闘して共和党を支
はじめに 野間易通は2015年現在の日本の社会運動シーンにおける最重要の人物の1人である。 一時は首相官邸を毎週数万人で包囲した「首都圏反原発連合」の中心メンバーの1人であり、2013年1月に野間を代表として発足した「レイシストをしばき隊」(現「C.R.A.C.」)の活動は、それまで数年にわたって全国各地の路上をいわゆるヘイトスピーチで制圧していたと云っても過言ではない在特会(「在日特権を許さない市民の会」)と初めて互角以上に渡り合った。 野間のリベラル派としての立場は、ラジカル派である私のそれとは最終的には相容れないものだし、細々した部分から根本的な部分まで多くの批判を持ちつつも、それを全面的に展開することは控え、たまに言及する際にはむしろなるべく好意的であるよう心がけてきたつもりだ。 ある時期から、野間が突然、ツイッターなどで私に対する揶揄的やがて批判的言及を断続的・間歇的に繰り返すよ
私には、自分が全共闘運動の唯一の継承者であるという自負がある。 そもそも私の世代に、全共闘運動をたえず参照しながら自らの進むべき道を探ってきたような人間は、狭い政治運動のシーンにさえ他にほとんど(せいぜい数人くらいしか)存在しないだろうし、しかも単に参照するにとどまらず、全共闘のさらに先へ進もうと志して、なおかつその具体的な方向性を提示しうるにまで至ったのはおそらく私一人だろう。 そんな確信を深めているところだったから、『悍』創刊号に掲載された千坂恭二「一九六八年の戦争と可能性」にある、「プレ・ファシズム性こそが、この運動(全共闘運動)の最大の思想的遺産でもある。つまりファシズムの自己肯定を経過しない思想は、この運動以降には到達出来ないということでもある」との記述は、ますます私を天狗にさせている。 全共闘を意識して以来10余年に及ぶ試行錯誤の末に、5年ほど前、私はファシズムへの「転向」を宣
1. どうすれば社会を変えられるのでしょうか? いろんなことを云う人がいるでしょうが、答えはハッキリしています。 まずは学生運動が復活しないことには何も始まらないのです。 学生運動の復活、ということを抜きに社会変革の構想を語る人がいたとすれば(実際、私とあとは文芸批評家のスガ秀実氏を除いては、そんな人たちばかりなのですが)、その人は何も分かっていないので、マジメに取り合う必要もありません。 「学生運動」という言葉は、多少は広い意味にとっていただいて結構です。 その主体は、若くて、ヒマがあって、かつ一定以上の知性を持つ人たちです。「若い知的なヒマ人たち」、こういう層が社会変革の情熱に燃えて盛んに行動した時にのみ、社会は本当に変わります。 若くてヒマで知的であれば、べつに「学生」でなくてもいいわけですが、現実問題、それは「層」としては「学生」以外に存在しにくいことは云うまでもありません。歴史的
原発推進派懲罰遠征 凱旋トークライブ 懲罰遠征3勇士(外山恒一・山本桜子・東野大地) 司会 中川文人 2012年12月29日 東京・高円寺「素人の乱12号店」にて 2013年11月刊行の『デルクイ02』に掲載 その1 その2
原発推進派懲罰遠征 もしくは 原発推進派いじめツアー -いじめられる側にも問題がある!- 2012年12月 その1 その2
ファシズムへの誘惑・ブログ 状況を打破するには、もうファシズムしかない!!君も我がファシスト党「我々団」に加盟せよ warewaredan@mail.goo.ne.jp ファシズムへの誘惑トップページへ 9. 八五年に本格化した青いムーブメントが、加速するのは八七年である。 前に述べたようにこの年、まずブルーハーツがメジャーデビューしている。 同じくらい重要な出来事が、政治運動の世界にも生じている。 一冊の本が、ベストセラーとなった。 広瀬隆の『危険な話』である。 広瀬隆はチェルノブイリ原発事故以来、その被害実態や、そもそもの原発の危険性、そして原発問題をタブーとするマスコミと政財界の癒着の構造などについて、全国各地で地道な講演活動を続けてきた。その講演の内容を一冊にまとめたものが、この『危険な話』である。 八月書館なるマイナーな出版社から刊行されたこの地味な本は、口コミでジワジワと売れ続
目の前に大量のツクシがある。こんもりと山をなしている。 毎年つい採りすぎてしまう。採っているうちに夢中になって、気がつくとまさに乱獲している。そこらじゅうにアホみたいに生えているから、乱獲したってエコロジカルな問題は発生しない。 驚いたことにツクシと云って分からない人も意外と多かったりする。毎年採ってるんですと云うと、十人中二、三人が、ツクシ? ツクシって何です? と訊き返してくる。そういう人もたぶん現物を見りゃ分かるだろう。春になると土手や田んぼのアゼ道とかにニョキニョキと伸びてくるあれだ。べつに田舎の田園地帯に行かずとも、土の地面さえあれば市街地にもけっこう生えている。空き地や駐車場の隅とか、道路の中央分離帯とかにまで。筆みたいな形をしていて、じっさい漢字では土筆と書く。三寒四温な雰囲気になってくると大量発生し、桜が満開になる頃にはもう枯れはじめる。 俗にツクシはスギナの子と云い、ツク
外山のファシズム転向直後のいわば“初期論文”であり、文中登場する首相は小泉純一郎、米大統領はブッシュ・ジュニアだったりするが、現在が引き続き、95年のオウム事件あるいは01年の米同時多発テロに根本的に規定された“世界内戦”の時代である以上、時に例えば菅直人政権やオバマ政権などの一見“リベラル”な政権が成立することがあろうとも、状況は根本的にまったく変わらない。 とにかく、ただただ悪いファシストという種類の人がいる。この人は、常日頃から、戦争とか侵略とか少数民族抑圧とか管理社会化とか悪いことばかり考えている。何故悪いことばかり考えているかというと、それは当然、その人がファシストだからである。その人は何故ファシストなのかというと、決まってるじゃないか、悪いことを考えている人だからである。とにかくね、いるんです、悪いのが、ファシストっていう。(呉智英『封建主義者かく語りき』) 「ファシスト」は常
1999年、JCO臨界事故を受けて配布したビラ
さきの統一地方選で、私は「前衛芸術党・棄権分子」の公認候補として福岡県知事選に出馬した。無届立候補なので、仮に誰かがこれを真に受けて、投票用紙に私の名前を書いて投じたら当然、無効票になる。 告示(三月二五日)から数日間、「棄権せよ!」「一票の軽み」「めざせ投票率ゼロ%」「私は大人です。私は、行かない」などと大書した数種類のビラを、福岡市内の電柱等に、深夜こっそり大量に貼ってまわった。 一度、刑事がアパートへやってきた。他の陣営(?)から苦情が出ていると言う。とはいえ無断ビラ貼りは軽犯罪だし、しかも現行犯でなければ逮捕できないので、警察としても取り締まりようがないようだ。とにかくやめるようにと言い残して帰っていった。 選挙戦も終盤にさしかかった四月八日の朝、ハンドマイクを手に繁華街の路上へ。「投票日まであと三日となりました。みなさんはもう態度をお決めでしょうか。はっきり申し上げて、みなさんの
我々団の、具体的な社会問題に対する見解を訊いていきたいと思います。 総論として、まず何かありますか。 まず我々は現在進んでいる監視社会化の傾向に強く反対します。街じゅうに監視カメラが設置してあるような社会です。あるいは、やたらと細かいゴミの分別を強要されたり、どこもかしこも禁煙になったり、飲酒運転に対するヒステリックな厳罰化や、そもそも犯罪全般に対する厳罰化、かつてなら犬も食わない「痴話ゲンカ、痴情のもつれ」で片付けられていたような問題に「DV」だの「ストーカー」だのといってすぐ警察を介入させたり、いたるところに「子ども110番の家」だの「防犯パトロール中」だのと張り紙がしてあったり、逆に無許可のビラやポスターを民間ボランティアが嬉々としてして撤去してまわったり、とにかくそういった、世間をあげて「お行儀のよい社会」を実現していこうとする近年の風潮に、我々は心底から嫌悪感を抱いています。 そ
下記は過去の情報です。 現在すでにBARラジカルは存在しません。 革命家・外山恒一、常駐。 (外山恒一の“常駐”体制は2012年1月で終了しました) (その後、本来のオーナーM氏が経営を続けていましたが、2014年4月に閉店しました) 脳を洗っていただきに来い! 2011.3.18 open 福岡市早良区城西1-9-31 (西新交差点から城南線を、西新を背に右側の歩道を約450M。「城西2丁目」交差点カド)
コトの起こりは約2ケ月前、5月20日の、知り合い市民運動家のオバサンからの電話だった。 「ゲルニカ事件」というのがあった。 88年3月の、福岡市立長尾小学校の卒業式に向けて、同校6年3組の生徒たちが「卒業制作」として描いた巨大な、ピカソの反戦絵画「ゲルニカ」の模写。彼らは、それを卒業式当日、ステージ正面に飾ってくれることを望んだ。が、校長は「正面には日の丸」を強行した。卒業生の高宮由美(当時13)は、卒業式中でのスピーチで、「私は校長先生のような大人にはなりたくありません」と発言した。保護者席や来賓席から高宮由美に飛ばされる野次。この「不祥事」を自民党の右翼市議が議会で取り上げ担任・井上龍―郎の処分を要求、高宮由美に対しても右翼からと思われる脅迫電話が自宅に続いた。 事件を機に「子どもたちのゲルニカを考える福岡市民の会」が結成され、教育問題全般にわたっての運動が形成された。 5月20日、ぼ
以下は、09年8月の衆院選に際して展開した“選挙反対キャンペーン”の一環として、ブログで公開した記事である。 主に選挙制度批判をテーマとした時評的な記事を、毎日だいたい原稿用紙3枚分ほど書くことを自分に課した。選挙が終わってからも数日続けたが、最後の方はとくに選挙とは関係のないテーマになっている。 「みんなの党」って…… 2009年08月21日(金) 「みんなの党」はヒドい。もちろん名前がだ。主義主張はどうでもいい(そんなものどうせあるわけない)。ちなみに英語名は「YourParty」なんだと。うーん、こっちまで脳みそがスカスカになってきそうだ。 日本の政治から「言葉」が失われて久しい。小泉時代には「ワンフレーズ・ポリティクス」などと云われたが、その「ワンフレーズ」は、背後にそれなりの体系的な政治思想があってそのエッセンスを象徴的に表現する一言、ではなくて、まさに字義どおりの「ワンフレーズ
西部 外山さんの自伝『注目すべき人物』(ジャパンマシニスト)、読ませていただきました。読んでいて、とつおいつ思い出しながら、なんか、これは僕のような人だなあ(笑)と。押し売りする気はないんだけど、たとえば、あなたは思春期の頃から個人で生きてらした感じが歴然としてある。実は本当は自分のこと言うのはいやなんだけど、齢に免じて勘弁してもらえば、僕は60年安保やったせいで世間から組織的に運動やったというふうにみなされている。しかし、それは僕個人の意識から言うとまったく個人行動だったという感じがあるんです。人から誘われて入ったわけでもないし、僕の場合、「俺、やりたい」と言って始めて、「俺、やめたい」と言ってパッと終わった。それっきり。そういう体質だったんですね。 もう一つは、紋切り型の表現だけども、偽善的というのかな、欺瞞的なものについては、やりきれない、体ごと抵抗せずんば止まないという感じがある。
某月某日。 あの外山恒一が、何人かの「前衛芸術家」と「コラボレーション」で美術イベントをやっているという。 先日届いた案内のハガキは、やはり外山らしいというか、なかなか面妖な代物ではあった。 極太明朝体で大きく、「前衛芸術展」とある。その下に並んだ4人の名前は、今回作品を出展している美術家なのだろう。どのような作品なのかの説明はない。 続けて開催期間と会場までの簡単な地図があり、一番下に、「主催者より」として外山のメッセージが一言ある。 「時間の無駄なので、来ないでください」 読んで「ははあ」とピンと来た。これは「退廃美術展覧会」だろう。 ヒトラーが政治家に転身する以前、画家を志していたことはよく知られた話だが、その保守的で古めかしい画風は、さまざまな前衛芸術、実験芸術がセンセーショナルに取り沙汰されていた時節柄、まったく認められることがなかった。その恨みを晴らすことが目的であったのかどう
つまらない時代だと思う。もちろんいつだって「つまらない時代」なんだが、その「つまらなさ」を突破しようと試みるさまざまの模索それ自体が、これほどまでに総じてつまらない、最悪の「つまらない時代」も珍しいんじゃなかろうか。 その理由は私の中ではハッキリしていて、結局、全共闘を直視する者がほとんどいないから、ということに尽きる。 読む気はあるんだが値段が高すぎてなかなか購入するフンギリがつかずまだ読んでないんだが、それなりに評判となっている(た?)小熊英二の大著『1968』も、小熊の政治的スタンスからしてむしろその読者を全共闘から遠ざける効果をしか持っていないだろうし、またそうであるからこそ広く読まれるのだということぐらいは、読まなくても分かる。 よく目撃するのは、「全共闘なんてしょせん……」と知りもしないくせに全共闘を批判するその批判の内容が、実は全共闘が当時の既成左翼に対しておこなっていた批判
※注意!! この2種類はあるイミちょっとした不良品的な感じのレアアイテムです。レアアイテムなので倍額にしたいところ寛大な総統の鶴の一声で半額にしています。赤い「ま」の部分のみアイロンプリントなんですが、数回洗濯すると落ちてしまいます。プリント済のものをお送りしますが、落ちた場合にご自分で再プリントできるように、「ま」のアイロンプリントシート35枚を同封いたします。 ※なおいずれちゃんと作り直して正式メニューに加える予定ですが、その際はおそらく1枚2500円になります。 送料は1枚あたり160円(クロネコメール便)です。 5枚以上ご注文の場合はまとめて普通小包で発送することになり、計算方法が変わります(枚数により値段が変わる可能性があるため下記当方からの注文ご確認メールでお知らせします。もちろん上記メール便よりも安くなります)。 代金のお支払いは銀行振込か郵便振込でお願いします。 銀行
ファシズムは、極左思想経由の極右思想である。 現に、ファシズムの始祖・ムソリーニは、もともとイタリア社会党(当時はまだ共産党はない)の極左派であり、その周囲に集まった初期ファシスト党員の大半はアナキスト(と前衛芸術家)であった。 この程度のことは、常識としておさえておいてもらいたい。 ファシストは、認識において共産主義者(マルクス主義者)であり、行動において反共主義者である。 ファシストは、資本主義がその危機の極点において、「必然的に」共産主義へと移行するという、マルクスの分析に全面的に賛成する。これはマルクス主義者が自慢するように「科学的真理」である。 しかし、水は確かに放っておけば百度で沸騰するが、我々には意志というものがある。我々は意志の力によって、火を止めたり水を追加したりするなどして、沸騰を阻止することができる。 ファシストは、共産主義を望まない。資本主義は、放っておけば「必然的
ムソリーニも極左活動家だった ファシズムの始祖・ムソリーニは、もともとイタリア社会党の党員でした。つまり、左翼活動家だったのです。 しかもただのヒラ党員ではなく大幹部で、29歳にして党中央機関紙『アヴァンティ』の編集長に抜擢されています。この役職は、中央集権的な党組織がととのっていなかった当時のイタリア社会党においては、党全体の活動方針に最も大きな影響力を発揮できるという意味では、形式上の党首をしのぐほどの地位であったと云えるかもしれません。 さらに云えば、当時の社会主義運動は、社会民主主義的な「右派」もマルクス主義的な「左派」も、たいていの国ではとりあえず一つの政党にまとまっており、イタリア社会党も同様だったのですが、まもなくファシズム運動の指導者となるムソリーニは、実は「右派」ではなく、それどころか党内の極左派を代表する指導者だったのです。 このこと一つとってみても、ファシズムが単なる
結局メディアには発表できなかった文章。予想はつくと思うが、ぼくが何を書こうと無視するメディアばかりなのだ。これが発表されていれば浅羽の評価はガタ落ちだったろう。浅羽サン、命拾いしましたね。(2000年・記) 浅羽通明は、『宝島30』95年11月号に掲載された「君がおじさんなにったら──『大人vs子供』の不毛な図式を超えて」と題した文章の中で、ぼくが『VIEWS』10月号に書いた、浅羽と小林よしのりの対談本『知のハルマゲドン』を否定的に扱った書評と、やはり最近の浅羽言説への批判を書いた『噂の真相』のコラム(およびかつて村木哲郎氏が同誌94年5月号に書いた浅羽的言説への批判記事)を取り上げて、両者への反批判をおこなっている。 ぼくの書評は、浅羽通明が、若者を集めては「大人になれ!」と一喝する説教オヤジであることを、もはや誰の目にも明らかな事実として、そういう前提で書いたものである。しかし浅羽は
我々団には、幹部(主力活動家)養成を目的とした塾があります。 が、必ずしも幹部をめざす団員のみならず、 また団員ですらない者に対しても塾は開かれています。 社会を本気で変えるために、少しは勉強しなければ、 と感じたら、いつでも門をたたいてください。 塾の運営方針 (入塾条件、学習内容など) 塾舎の様子 参考資料「日本フォーク・ニューミュージック史講義の実況中継」 01 反戦フォークの時代 02 吉田拓郎 03 後退戦としてのフォーク 04 井上陽水 05 四畳半フォーク 06 長渕史概観(作成中)
「ファシズム」の一般的定義 序文冒頭に掲げたような、ファシストというのは「常日頃から、戦争とか侵略とか少数民族抑圧とか管理社会化とか悪いことばかり考えている」人のことだ、という誤解や偏見を抱いているのは、何も無知蒙昧な一般大衆に限った話ではありません。 私の手元にある高校生用の世界史用語集では、「ファシズム」を以下のように定義しています。 ファシズム fascism 独占資本主義下に出現した国家主義的独裁政治の形態。国家主義・反資本主義・反共産主義を唱え、内では民族主義を鼓舞し、基本的人権・議会政治を否定、経済・思想を統制、外には露骨な侵略戦争を断行した。伊のファシスタ党の運動、独のナチズム、日本の軍国主義が典型。 これはほとんど、「戦争とか侵略とか少数民族抑圧とか管理社会化とか悪いことばかり考えている」というイメージを、学術用語をちりばめてもっともらしく飾りたてただけの云い方です。 ファ
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