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ガブリエル・リッター(ダラス美術館アシスタント・キュレーター) 国際交流基金は具体美術協会(以下「具体」)を代表する2人の作家、白髪一雄と元永定正の活動を紹介する「アクションと未知の間で―白髪一雄と元永定正」展を、ダラス美術館(米国テキサス州)との共催で7月19日まで開催しています。共同キュレーターの一人であるガブリエル・リッター氏に本展の見どころをご寄稿いただきました。 写真提供:河﨑晃一氏 具体への注目 具体美術協会が1958年にマーサ・ジャクソン画廊でニューヨーク・デビューを果たした際、美術批評家のドリー・アシュトンに「期待はずれ」と酷評されました。しかしそれ以降、アメリカでの具体への評価は大きく変化しています。当時の具体は、ジャクソン・ポロックらによるニューヨーク・スクールと直接比較されたため、抽象表現主義の模倣とみなされたのです。アラン・カプローといったアーティストが1966年に
冨田 勲(作曲家 シンセサイザー奏者) 進行/前島秀国(サウンド&ヴィジュアル・ライター) ゲスト/伊藤博之(クリプトン・フューチャー・メディア代表取締役) シンセサイザー音楽の第一人者、日本を代表する作曲家として世界的に知られる冨田勲氏。今回のトップストーリーでは、冨田氏の2015年度国際交流基金賞受賞を記念して行われた講演会の模様をご紹介します。1970年代に日本初のモーグ・シンセサイザーによるアルバムを発表し、近年は宮沢賢治の文学を音楽化した『イーハトーヴ交響曲』にバーチャル・シンガー初音ミクをソリストとして起用するなど、サウンドクリエイターのパイオニアとして常に革新的な音楽を創造し続ける世界のTOMITA。講演会はまず第1部でサウンド&ヴィジュアル・ライターの前島秀国さんを進行役に冨田氏の足跡が、初音ミクの創造者である伊藤博之氏を迎えた第2部では『イーハトーヴ交響曲』の誕生に至る道
阿部和重(作家) 国際交流基金バンコク日本文化センターは、芥川賞作家阿部和重氏の話題作『IP(インディヴィジュアル・プロジェクション)/NN(ニッポニア・ニッポン)』のタイ語版出版を記念して、2014年3月、阿部氏をタイにお招きし、第12回バンコク国際ブックフェア2014の公式イベントのひとつとして、タイの作家ウティット・ヘーマムーン氏とのトークセッション、朗読会を開催しました。 阿部氏は、タイ訪問の際、 現地の「Writer」 誌(文芸月刊誌、毎月約 3 千部発行)のインタビューを受け、作家になるまでのいきさつ、著書のタイ語翻訳について、アジアの作家として感じることなど、ざっくばらんに語ってくださいました。そのインタビューの様子を日本の読者の皆さまにもご紹介します。 本との出会い~作家になるまで ――今回はタイの読者向けにある種「阿部和重入門」的なところを想定してインタビューをさせていた
太田佳代子(コミッショナー) 中谷礼仁(ディレクター) 山形浩生(エグゼクティブ・アドバイザー) いよいよ開幕が近づいてきた「第14回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展」(2014年6月7日〜11月23日)。国際交流基金(ジャパンファウンデーション)は、国別参加部門に毎回参加し、日本館展示を主催しています。日本館の展示は、コミッショナー・太田佳代子氏が率いるプロジェクトチームにより、1年近くにわたって着々と準備が進められてきました。2014年のヴェネチア建築展は、「近代建築の変化100年」という共通のテーマが与えられており、日本館のテーマを「現代建築の倉」と設定し、1970年代を軸として100年の建築をひも解き、日本建築の底力に迫ります。開催に先駆け、プロジェクトチームに展覧会の詳しい内容を聞くプレビュー・トーク「In the Real World 現実のはなし――日本建築の倉から」が開催
ディエゴ・ペレッキア(立命館大学衣笠総合研究機構プロジェクト研究員) 能楽:「清経」金剛能楽堂、京都 撮影:鈴木一萬 19世紀半ばの明治維新の始まりとともに、250年以上にわたり日本を支配してきた封建制度は消滅した。武家から公的な庇護を受けて座を構えていたプロの能楽師たちは、突然制度的にも経済的にも後ろ盾を失うこととなった。その後、初期の危機的状況を乗り越え、能は公式な芸能として復興し、後援組織から限定的ではあるが経済援助を受け取るようになった。こうした公的支援はあったものの、危機からの再生を図るためには能役者たち自らが多くの費用を工面しなければならず、より安定した定期的な収入源が求められた。 能以外の芸能では、同じ演目が数週間から数か月にわたって繰り返し演じられるのが普通だが、能の場合、上演されるのは1回きりである。また、公演ごとに様々な役割(ワキ方、囃子方、後見)を担う役者が雇われるが
ドリュン・チョン(ニューヨーク近代美術館アソシエイト・キュレーター) 前山裕司(埼玉県立近代美術館主席学芸主幹) 林道郎(上智大学教授、美術批評家) ガブリエル・リッター(ダラス美術館アシスタント・キュレーター) 鈴木勝雄(東京国立近代美術館主任研究員) 2012年冬。ニューヨークと東京で、ほぼ同時期に戦後の日本美術をテーマにした展覧会が開催されました。ニューヨーク近代美術館(以下、MoMA)では、国際交流基金との共催にて「TOKYO 1955-1970:新しい前衛」展が、また、開館60周年を迎えた東京国立近代美術館(以下、東近美)では、「美術にぶるっ! ベストセレクション 日本近代美術の100年」展内の第Ⅱ部として「実験場 1950s」展が、それぞれ開催され、多くの観客を集めました。 1950年代以降の日本における美術動向を扱ったこの2つの展覧会は、多くの共通点と同時に相違する部分を持っ
佐渡島 庸平、永井 幸治、岡本 ナミ 少年時代に、宇宙へ行こうと誓い合った兄弟を描く小山宙哉氏のマンガ『宇宙兄弟』。マンガは累計発行部数1,185万部を超え、2012年4月からはTVアニメもスタート、2012年5月には実写版の映画も公開されるなど大ヒット作品となりました。 国際交流基金では、この大きな成功を収めた作品について、作品の魅力のみならず、ビジネスや流通の側面にも着目し、海外での日本文化紹介の一環として、マンガ『宇宙兄弟』の編集者である佐渡島庸平さん(株式会社コルク代表取締役社長)、アニメの企画・プロデューサーである永井幸治さん(読売テレビ放送株式会社)、声優として同作に出演する岡本ナミさん(株式会社アクロスエンタテインメント)によるレクチャー・ワークショップを、2013年2月にインドネシアのジャカルタ、メダン、スラバヤの3都市で実施しました。 今回のトップストーリーでは、日本のア
田中功起 蔵屋美香 国際交流基金(ジャパンファウンデーション)は、今年6月から11月にイタリアで開催される第55回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館展示を主催します。 日本代表作家には田中功起氏を、また日本館キュレーターには蔵屋美香氏(東京国立近代美術館美術課長)をそれぞれ起用し、開幕に向け進められている、日本館の展示準備と新作制作過程の進捗をお伝えするトークイベントを、昨年11月に開催しました。 ダイジェストでその模様をお伝えします。 蔵屋:東京国立近代美術館研究員の蔵屋美香です。このたび、田中功起さんと一緒に第55回ヴェネチア・ビエンナーレの日本館展示を担当させていただくことになりました。 日本館の展示内容を決める選考過程は面白いシステムで、アーティストではなくキュレーターが指名を受けてコンペを行います。ですから、コンペでは私が田中さんのアイデアを代弁するかたちでプレゼンテーシ
ウラジーミル・ニコラエヴィッチ・ワシーリエフ 西村雄一郎 司会・通訳 池田正弘 2010年に、生誕100年を迎えた映画監督・黒澤明が唯一、海外で撮影した日ソ合作映画『デルス・ウザーラ』。当時、助監督を務めたウラジーミル・ニコラエヴィッチ・ワシーリエフ氏が来日し、撮影当時のエピソードやシベリアでの「黒澤組」の友情、ロシアでの黒澤評価などについて語るイベントが催されました(2010年12月8日、JFICホールにて)。当時の様子を記録した映像なども上映。また、映画評論家で『黒澤明 封印された10年』、『黒澤チルドレン』などの著書のある西村雄一郎氏が対話に加わりました。 黒澤明監督の名前を知らない ロシア人はほとんどいない 池田:ワシーリエフさんは、今回が初めての訪日です。こうした形で黒澤さんと仕事をした方のお話を直接お聞きできるのは、たいへん貴重な機会だと思います。 ワシーリエフ:黒澤明さんとい
伊藤 博之 クリプトン・フューチャー・メディア株式会社社長 バーチャル・シンガー『初音ミク』(はつね ミク)は、クリプトン・フューチャー・メディア社から発売されているボーカル・アンドロイド=VOCALOID(ボーカロイド)。 2007年の発売以来、国内のみならず海外でも爆発的な人気をキープし続ける初音ミク、待望の英語版が2013年夏にリリースされる。 生みの親、伊藤博之さんが、世界的な文化コンテンツとなった「初音ミク」の最前線を語る。 「毎日、海外からオファーが来るんです。」 初音ミクには、世界中からコンサートのオファーがたくさん来ます。まだ行ったことがない国ばかりなので、なるべく多く行ってみたいですね。 これまでの海外公演で印象に残っているのは、やはり日本国外での初めて初音ミクをお披露目したときのこと。 2010年、ニューヨークの「New York Comic Con」で「ミクの日大感謝
ブラッシュアップされた「戦後美術」の見取り図として ~ニューヨーク近代美術館での「TOKYO 1955-1970:新しい前衛」展 光田 由里(美術評論家) ニューヨーク近代美術館で「TOKYO 1955-1970:新しい前衛」展(以下「東京展」)が開催中(2012年11月18日~2013年2月25日)である。高度成長期の都市・東京にメディアと人が交差した前衛のエネルギーを見せるべく企画された。建築(メタボリズム)、音楽(図形楽譜)、パフォーマンス、グラフィック・デザイン、写真、映像とジャンルを広げる意欲展である。同展のカタログ『Tokyo 1955-1970: A New Avant-Garde』に出品作家の紹介文「Trauma and Deliverance: Portraits of Avant-Garde Artists in Japan, 1955-1970 (トラウマと救済 日本
西原鈴子 国際交流基金日本語国際センター所長 「海外における日本語教育」は「文化芸術交流」および「日本研究・知的交流」とともに、国際交流基金が実施する国際文化交流事業の三つのフィールドを形成しています。 「海外における日本語教育」事業は、日本語を媒介にして、日本に興味を持ってほしい、理解してほしいという注目願望の側面と、日本から発信可能な様々な側面を利用・享受してほしいという提供願望の側面を持っています。そのことを、少し視点を変えて比喩的に考えてみたいと思います。 「秘密の窓」と「盲点の窓」 「ジョハリの窓」と言われる、コミュニケーション心理学研究の古典的仮説があります。ジョセフ・ルフト(Joseph Luft)とハリー・インガム(Harry Ingham)が発表した「対人関係における気付きのグラフモデル」のことで、自分をどのように公開し隠蔽するかを鍵にしてコミュニケーションの進め方を考え
ベン=アミー・シロニー ニシム・オトマズギン エルサレム・ヘブライ大学東アジア研究学部 現在、学生を日本研究へ向かわせている要因は何か? 1980年代には日本経済が世界中の学生を引き付けた大きな要因でしたが、当時とは異なり、今や日本研究へと学生を誘っているのは日本の現代文化やライフスタイルです。どの日本研究者も言うように、学生の関心は日本の企業文化や経営技術、経済から離れ、マンガ、アニメ、ビデオゲーム、Jポップ、日本のファッションなどに移ってきました。世界の若者は、日本の野田佳彦首相や、かつては有力な日本の企業団体であった経団連のことは耳にしたことがないかもしれませんが、ポケモンやドラえもん、ハローキティについては非常によく知っています。数千万人もの若者がマンガやアニメ、ビデオゲームを買い、大勢が東京から発信される陽気で快活な都市文化に夢中になっています。 過去20年間で、日本のポップカル
見市建 × 師岡カリーマ・エルサムニー 『イスラームから考える』を上梓され、イスラーム世界をありのままにかつ鋭い洞察を込めて伝えてくれる人として注目を集める師岡カリーマ・エルサムニーさん。インドネシアのイスラーム運動を中心に東南アジア政治研究をされている見市建さん。お二人の対談は、日本におけるムスリムの受容の実際や、中東だけでは語ることのできない多様なイスラーム世界を知る、示唆に富んだものとなりました。 師岡カリーマ・エルサムニーさん(左)、見市建さん(右) ■イスラームと日本をつなぐ 見市:師岡さんのエッセイ集『恋するアラブ人』と『イスラームから考える』を大学の授業で使わせていただいています。 「海外地域研究」という授業で主に東南アジアの話をするのですが、イスラームに馴染みのない学生にはどうしてもイスラームの教義や義務についての話から始めざるを得ないんです。でも、礼拝を1日5回するとか、
をちこち編集部 1.アニメエキスポ Anime Expo ロサンゼルスで開催され20回目を迎えた北米最大のアニメコンベンションの「アニメエキスポ(Anime Expo)」。アメリカのみならず世界中からも参加者の集うイベントとなっている。コスプレイベントやコンサートなどが沢山の会場で昼夜問わず同時に行われ、毎年アニメ業界からゲストを日米から招き、夏のアニメの祭典として大変な盛り上がりを見せる。最新の日本サブカルチャー文化であるメイドカフェ、同人誌、ゲーム、カラオケなどを前衛的に紹介する反面、伝統舞踊や日本の屋台まで、総合的に日本文化をカバーする。2011年のエキスポの目玉の1つはボーカロイド歌姫、初音ミクライブ「MIKUNOPOLIS!」海外初となるライブは、チケットが1週間足らずで完売するほどの人気だった。略称は「AX」。 開催地:米国 ロサンゼルス 開催日: 毎年7月初頭 4日間 来場
ニコラ・タジャン 心理学者 「現代日本における若者の大きな問題は何か。」これは2009年8月に私が初めて来日したときに抱いた疑問です。コンピュータやインターネット、テレビゲーム、携帯電話といった新しいテクノロジーに関連する問題があるにちがいない、という直感が私にはありました。しかし、精神科医や哲学者から、アスペルガー症候群(高機能自閉症)や発達障害が増加したことや「ひきこもり」(斉藤環 1998)の話を聞くとは思っていませんでした。とりわけ驚いたのは、日本の社会的引きこもりがこれほど大きな現象であるということです。しかし驚くと同時に、私は臨床現場で、学校に関する問題を抱えた子どもやティーンエージャーをカウンセリングしているかもしれないと気付きました。 フランスに戻ってから、私は同僚ら、つまり家庭医や精神科医、心理学者、精神分析学者、ソーシャル・ワーカーと「ひきこもり」について話し始めました
トゥーッカ・トイボネン Tuukka Toivonen Ph.D. オックスフォード大学. 「長期的な支援につなげやすい学生の特性を最大限に引き出すため、学生にハードルの低いボランティア・プログラムを提供し、学生が現地に行く際のボトルネックとなる要因を取り除きました。これが僕らの作り出した新たな仕組みです。学生の持つ"若さ"という強みを被災地に届けることは、復興活動のためにはとても価値のあるものだと思うんです。」 船登惟希(ふなとよしあき)、就職ジャーナル(2011年12月9日) これは、震災復興支援の学生ボランティアを東北地方に派遣する学生団体「Youth for 3.11」の代表者の言葉です。この短い引用には、津波と福島原発事故を経験した日本における若者の役割について大切なメッセージがいつくか隠されています。東北の復興に役立ちたいと願う若者が、社会構造による深刻な「ボトルネック」に直
北京日本学研究センター博士課程 岳 遠坤 大学院二年生の時、たまたま翻訳者募集の記事を見て応募してみたら合格し、文学翻訳の道を歩み始めた。最初に翻訳したのが『徳川家康』であり、そして昨年この作品で野間文芸翻訳賞を受賞させていただいた。重なる偶然が幸運をもたらしたとしか言いようがない。受賞してから、「日本語を勉強することにしたきっかけは」とよく聞かれる。余程日本のことに精通し、少なくとも興味を持っていただろうと思われたからにちがいない。そのたびに「日本語科にまわされたから」と苦笑いしながら答えせざるを得ない。中国の大学受験制度は日本とは違い、それを説明すればながくなるのでしないことにするが、一言で言えば、私が日本語科を選んだのではなく、日本語科に拉致されたのだといえば正確なところであろう。 左:山岡荘八著『徳川家康』25・26巻 右:野間文芸翻訳賞 授賞式の様子 小さいころから文学がすきで、
日本語教育支援部 JF講座チーム パソコンや携帯が当たり前の世の中、自分で文字を書く機会はどんどん減っている。ましてや書道なんて「書き初め」や小学校の書写の授業の記憶しかない人がほとんどではないだろうか。 しかし遠い東欧、中央アジアの国々でも、筆をとって日本の文字を書いている人たちがいる。 日本の文字や言葉、文学の美しさ、そしてそこに息づく日本人の価値観や美意識を遠い海外の人にも感じてもらいたい―そんな思いを胸に、世界各国で「日本の美しい文字プロジェクト」を展開している書家の木下真理子さんが10月に、3カ国4都市を巡る旅に出た。 書道家 木下真理子氏 行き先はキエフ、アスタナ、アルマティ、モスクワ。10月下旬、年によっては初雪がちらつくこともあるという。まだジャケット一枚ですむ秋の日本から、ダウンやらホッカイロやら冬支度を詰めて飛び立った。 鏡の中の書作品 ツアーの最初の会場は、ウクライナ
綿矢りさ(芥川賞作家) ドイツとイタリアに行って講演やその他現地作家との交流などを深めてみないかと誘っていただいたとき、初めに思ったのは、「え、私が行っていいの?」だった。なにせ書いた小説がドイツ語訳とイタリア語訳されているといっても、それは五年以上前の話。ドイツではとっくに絶版になっている。私は行きたいけど、講演しに行っても、ほとんど人が集まらないんじゃないかな?三人くらいだったら誰を見ながらしゃべろう?と人気のないホールの寒々しさを想像して躊躇していた。 結局なぜ行こうと思ったかといえば、新しいことに挑戦してみたかったからだ。うまくできないかもしれない可能性に怯えて二の足を踏むのは、私の生まれもっての性格だが、うんざりしていた。 いっちょ行ってみたらどうかと誘ってくれる人がいる、必要とされると臆病者も奮起する。十日間でケルン、ベルリン、ハンブルグ、ローマの四都市をめぐる旅が始まった。
アンチエ・パピスト・マツオ(Antje Papist-Matsuo) 本年の日独交流150周年を記念し、日本の世界的芸術家・葛飾北斎(1760~1849年)の大型回顧展が、ベルリン有数の展覧会場Martin-Gropius-Bau(マルティン・グロピウス・バウ)にて開催中である。 マルティン・グロピウス・バウ内 高名な北斎研究者・永田生慈氏の監修のもと、北斎の卓絶した長い画業の全時期より版画・素描・絵本・肉筆画400点以上を出展している。うち少なからぬ数が美術史上の代表的作品とされており(図1)、日本と西洋の文化を問わず、その後の美術・デザイン界に大きな影響を及ぼしている。 図1:冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏(ベルリン「北斎展」出展作品) 1831年頃。大判錦絵 25.2×37.6cm。北斎改為一筆。版元:西村屋与八。墨田区蔵。 日本と西洋の別を問わず、北斎は日本の美術史における巨匠の一人に
永田 生慈(日独交流150周年記念 北斎展 監修) しりあがり寿(漫画家) (司会 国際交流基金 造形美術チーム 森 多恵) 今から150年前の1861年、日本と当時のプロイセンとの修好通商条約の締結に遡る日独の交流の始まり。日本は江戸末期、天才浮世絵師・北斎(1760-1849)が亡くなってまだ160年余。すでに北斎らの作品は欧州に伝えられ影響を及ぼし、ジャポニスムの波が高まりをみせる頃である。北斎がその作品を通じてヨーロッパそして世界に伝えた当時の日本の姿、そして同時代の人々も現代人をも惹きつけてやまない北斎の発信力を、今回のベルリン展のチーフキュレーターである永田生慈氏と、多様な表現に挑戦しつづけ国内外で活躍中の漫画家・しりあがり寿氏が語り合う。 北斎の評価には 多くのドイツ人が貢献してきた ── 日独交流150周年でドイツ各地で行われている数多くの日本文化紹介事業の中でも、この北斎
ベルリン自由大学 知的コミュニケーション/科学ジャーナリズム アレクサンダー・ゲルケ 危機、紛争、大惨事は、自然現象ではない。これらのできごとは、社会全体がメディア化されている条件下では、全面的な構築プロセスの結果と見ることができる。「危機」という用語は、一連の異なる出来事の総称として用いられ、観察者の認知の仕方による面が大きい。それにもかかわらず、危機と言われるものには、一定の特徴もある。危機とは、まず予期しなかった脅威であり、これが個々の価値観ばかりでなく、システムそのもののあり方、さらには現状が永続するという危機感にいたるまで、切迫した状況のなかで様々に問い直すことである。さらに、危機をもたらすできごとは、特にアクチュアリティーが高いという特徴があり、こうしたできごとは、情報価値が高いばかりか、社会的に大きな重要性を持つものとされる。この社会的な構築プロセスのなかで、ジャーナリズム(
2008年から2011年にかけ、パリ日本文化会館を皮切りにブダペスト(ハンガリー)、エッセン(ドイツ)、ワルシャワ(ポーランド)、サンテチエンヌ(フランス)、ソウル(韓国)、5か国6都市を巡回した「WA - 現代日本のデザインと調和の精神」展。日本が誇るプロダクトデザインとその下地になった伝統文化を体系的に紹介する本展は、各国で大きな反響を呼びました。日本のデザインには、伝統技能や地域工芸にあらためて注目するものや、生産者と消費者のコミュニケーションを誘発するしくみを備えているものが数多くあります。そこには物質的な豊かさだけを求めるのではない、新たな生産と消費のあり方が隠されているのかもしれません。現在武蔵野美術大学美術館で開催中の帰国展にあわせて行われた本鼎談では、「WA」展のキュレーターのひとりである川上典李子氏、長年にわたり地場産業振興プロジェクトに取り組むデザイナー安次富隆氏、欧州
社会・経済・文化、あらゆる面において「3.11」は時代の大きな転換点になりつつあります。この大震災が日本社会にどのような影響を与えていくのでしょうか。特に若者たちの動きや、クリエイティブな分野で活躍する人たちのアクションを通して、3.11後の社会・文化の変化とその背景について探ります。被災地仙台の出身で震災直後から積極的に発言している社会学者の宮台氏、東北大学大学院教授で直接震災を経験した建築批評家の五十嵐氏、そして被災地を何度も取材し、ソーシャルメディアとその中の若者の動きについて知見のあるメディアジャーナリストの津田氏に、それぞれの視点から震災から現在までの動きを分析していただき、これらの動きが将来的に日本の社会をどのように変える可能性があるのか語っていただきました。 震災後の状況を言語化することは誰にとっても容易ではありませんが、様々な視点から敢えて分析を試みることは今必要なことだと
舘野晳 自由寄稿家・韓国語翻訳 韓国では日本の小説が ベストセラーの常連になっている ソウル光化門の大型書店・教保文庫。広々とした店内はいつも大勢の客で賑わっている。昨年、久しぶりに大改装をして店内は明るくなり、利便性も一段と増したようだ。客筋は若い女性、子ども連れの母親、サラリーマン、中高校生とさまざまだ。日本人観光客の姿もときおり見かける。CD、DVD、アクセサリーなど、ちょっとした買い物に最適のグッズが揃っており、近頃は日本のガイドブックでも紹介されているからだろう。 店内にいつも人だかりができるコーナーがある。「文学書の新刊コーナー」で、入口を入ってすぐの目立つ場所に陣取っている。教保文庫は韓国を代表する大型書店。文学書の売り場もたっぷり確保しているのだ。 その周囲を見てまわると、韓国の小説、エッセー、各種全集、翻訳小説などが賑々しく並び、売れ筋の本は目立つ場所に置かれている。ベス
ホーム トップ ストーリー Feature Story 特別寄稿 連載 エッセイ Behind the Scenes ウェブマガジン 「をちこち」とは? 雑誌『をちこち(遠近)』 バックナンバー 雑誌『をちこち(遠近)』バックナンバー 関連キーワード 文学 翻訳 言語 鹿島茂 亀山郁夫 鴻巣友季子 日本語は翻訳によっていかに鍛えられたか 鹿島茂 亀山郁夫 鴻巣友季子 特集 翻訳がつくる日本語 巻頭鼎談 掲載号:23号 翻訳がつくる日本語 (P10-21) (ISBN-13: 978-4634580411) 関連記事 その壱 翻訳なんてするもんか 私と日本語、そして文学翻訳について Page top▲ 前の記事 次の記事 JF Facebook JF Twitter - @Japanfoundation by Japanfoundation Copyright(c) The Japan Fo
出版まで、そして出発まで 『親指Pの修業時代』が英語に翻訳されアメリカで発売されたことには格別の感慨を催す。膨大な読書人口を有するアメリカ及び英語圏に作品を送り出すのは、日本語を始めとする英語訳が簡単ではない言語を使って書く作家の抱く夢の一つだと思うが、私の場合はそれに加えて、この作品は九〇年代に一度アメリカの出版社と出版契約を結び、前払い金を受け取り翻訳者にも紹介されていたにもかかわらず、先方の都合で出版キャンセルとなった、という経緯がある。それから十年以上が過ぎ、英語訳の夢はおろか『親指P』という作品のことさえ頭の隅に吹き払われてしまっていた。 しかし、英語版『親指P』の、黒地にタイトルを銀色と鮮やかなピンク色で印字した、ポップであると同時にいわくありげな、しかし俗悪には陥らず品位を保った美しい表紙に、珍しい生きものであるかのように見入るうちに、少女時代から性革命の国として太平洋のこち
ホーム トップ ストーリー Feature Story 特別寄稿 連載 エッセイ Behind the Scenes ウェブマガジン 「をちこち」とは? トップストーリー ASEANにおける人的交流とエンパワーメント <1> 現地駐在職員が語る 最新!ASEANってこんなところ ブルネイ、カンボジア、インドネシア、ラオス、マレーシア編 【特集081】日本ASEAN友好協力50周年を迎えた2023年、国際交流基金でもさまざまなイベントやワークショップを開催しました。 ところでそもそも、ASEAN加盟国ってどの国?それぞれの国の文化って...[続きを読む] Feature Story ―今日も世界のどこかで ASEANにおける人的交流とエンパワーメント <3> 「日本とASEANの若者が共に描く2050年の世界」 2023年度参加学生が語る、交流事業プログラム体験記 環境・防災教育グループ「V
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