花岡信昭の言葉の端々から窺えるのは、自分は素朴な善意の人であるという強い信念だ。それは、たとえば 「ヒステリックにこの事件を伝え、米軍基地は出て行けとののしった一部メディア、とくにテレビは、いま、どう考えているのだろうか。正義派ぶったコメンテーターらのおぞましい顔がいくつも浮かんでくる。」*1といった言葉からも窺える。自分は、彼らのように建前や理念ばかりを振りかざす「正義派」などではないというわけだろう。 たとえば、「こういう事件を前にしては、人間の尊厳に対してどこまでも誠実でありたい。」*2という、最初の言葉にしても、彼自身にとっては本心から出たものであり、別に「偽善」などという意識はないのだろう。だから、一部の批判者から「鬼畜」だの「外道」だのといった激しい言葉を投げつけられたことには、当惑する以外になかったのだろう。 そのため、彼としてはそのような激しい言葉で避難されたことに対して、