今週のコラムニスト:レジス・アルノー 〔7月30日号掲載〕 6月30日、私は最近話題になっている嫌韓デモに行ってみた。このデモは東京の新大久保で何年も前から、毎週日曜日に行われているものだ。私は不安を胸に家を出た。自分の身も心配だったが、新大久保の人々のことも、日本の対外イメージのことも心配だった。 実は新大久保はサンフランシスコのチャイナタウンやパリの日本人街と同じような「観光スポット」だ。外国人にとって、新大久保のコリアンタウンを歩くことは伊勢丹新宿店の地階と同じくらい楽しさと驚きに満ちている。伊勢丹が日本がいかに洗練されているかを示しているとすれば、新大久保の街が示しているのは日本が外国人に対してフレンドリーで開かれた国であり、他国の文化が生き生きと存在できる国だということだ。 だがデモのせいで、新大久保は日本が外国人にとっていかに不快な国になり得るかを象徴する場所となった。嫌韓デモ
マー君がプロ野球新記録の開幕16連勝を達成。楽天は貯金を20の大台に乗せ、球界参入9シーズン目にして初のリーグ優勝が現実味を帯びてきた。その楽天で基盤づくりをしたのが、野村克也元監督。データを駆使したID野球で知られたが、ビッグデータの時代到来でジャーナリズムの世界でも“ID報道”が要求されている。最近報道関係者が注目しているデータジャーナリズムってヤツですね。それで昨日、たまたまBROGOSで、私も取材を受けたことのある在英ジャーナリストの小林恭子さんがデータジャーナリズムの記事を書かれていたので拝読。“ID報道”に必要なスキルや人材育成についても触れていたので、欧米よりもまだまだアナログ文化が幅を利かせる日本の新聞社がどうこの問題に向き合うか、ちょっと考えてみた。 欧米の先例については、小林さんの記事や、ID取材の先達を自負している赤倉優蔵氏の記事、講演資料を一読ください。僕はアゴラの
7~8年前、実際にあった話だ。3日も一緒に仕事をすれば化けの皮がはがれるインチキジャーナリストAがいた。打ち合わせの段階で対談相手から聞き出した情報を、まるで自分が集めてきたかのように話すので、相手はよく怒っていた。 実力はからきしないが、一流国立大学出身のAは箔をつける狙いもあり単行本を某出版社から出した。 ところがその単行本はルポライターBの作品を剽窃していたことが、初版を出して間もなく暴露された。「て・に・を・は」まで一緒というのだから丸写しもいいところだ。世間をなめているとしか言いようがない。 筆者はAをよく知っていたので、驚きもしなかった。一流の部類に入る出版社の編集者は、Aのインチキ加減をなぜ見抜けなかったのだろうか?担当編集者に電話して聞いた。 「Aは知識もないし、まして自分で取材なんてできるタマじゃない。話していて分からなかったのですか?」 「そ、それが分からなかったんです
昨日、知人から日経ビジネスのウェブ版に掲載されたとある記事を、「この記事、消されてるけど気になりますね」と教えていただいた。 その日は検索で1ページ目だけのキャッシュは見つけただけで「ああ、続きは読んでみたかったな」と思っていたのだが、今日になって全文のキャッシュがシェアされてきたので他の作業をほっぽり出して読んでしまった。 読んだ後の感想は、「確かにこれは消されるわ」であった。 ただ、この感想は納得ではなく諦めである。 (申し訳ありませんが、まだ推敲前で読みづらい箇所があるかもしれません。また、いつものように、この記事をシェアいただけるならばコチラからお願いできるとありがたいです。) (cache)外国人ジャーナリストが驚いた日本メディアの惨状:日経ビジネスDigital 記事はニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏にジャーナリスト大野和基氏が聞き取り取材を行ったもの
内戦状態のシリア北部アレッポで取材中に銃撃され死亡した日本人女性ジャーナリスト、山本美香さんの遺体が家族らに守られて帰国した。 山本さんは、国連や国際社会が多大な犠牲者や人道的危機を止められない世界の現状から「目をそむけてはいけない」と現場を追い続けた。 常に死の危険がつきまとう戦場の最前線でも、周囲への気配りを忘れない人でもあった。そんな山本さんの冥福を祈りつつ、哀悼の意を表したい。 英BBC放送は、ニュース番組で2分以上の異例の長さで山本さんの死を伝えた。米国務省報道官も「遺族に思いを寄せている」と述べ、その死を悼んでいる。 山本さんは、アサド政権側の民兵に狙われたとの情報もある。警視庁は刑法の国外犯規定を適用して殺人容疑で捜査する方針だ。 アサド政権の何らかの関与が確認された場合には、日本政府としても邦人の生命を奪っただけでなく、報道の自由を踏みにじる暴挙として厳しく追及すべきだ。
よく知られた小噺(こばなし)に次のようなものがある。 ある夜、男が街灯の下で這(は)いつくばって、何か探し物をしていた。通りがかりの人が「落とし物ですか、そこで落としたんですね」と聞くと、探し物をしている男は答えた。「いや、落としたのは暗がりなんですが、そっちは暗くて、よく見えないもんですから」 いまの日本の政治は、この小噺に出てくる落とし物をした男のようなものだ。何かを探してうごめいているのだが、そもそも探している場所が落とした場所ではない。こんなことをいくら続けても日本は復興できないしデフレからも脱却できない。 いま日本が直面しているのは、世界がもろともに、不況の二番底にすべり落ちるという危機状況だ。それは、ギリシャ問題が遠のいても、こんどはスペインやイタリアの問題が控えているといった、欧州だけの問題ではなくなっている。 米国も株価だけは一時的に戻ったかもしれないが、相変わらず雇用は伸
2011年08月19日12:43 カテゴリ科学/文化 個人ブランドの時代 きのうのIT復興円卓会議では、今回の震災報道でメディアの果たした役割が話題になった。「マスコミ対ソーシャルメディア」とか「記者クラブ対フリージャーナリスト」などという図式は無意味で、誰が信用できるかという個人ブランドの時代になった、というのが私の意見だったが、佐々木俊尚氏などもおおむね同じ意見だった。 政府の原発事故についての発表が支離滅裂だったことに批判が集中したが、これも保安院の素人集団が事故処理を仕切っていたからだ。アメリカのNRC(原子力規制委員会)は、Ph.Dをもつ原子力工学などの専門家で構成されているが、日本の独立行政委員会と称するものは、たいてい官僚の出向だ。今度できる「原子力安全庁」も、新たな出向先をつくるのでは機能しない。幹部には、民間の専門家を雇用すべきだ。 もっとひどいのはマスコミで、警察や官庁
【ニューヨーク=松浦肇】米報道界最高の栄誉である2011年のピュリツァー賞が18日発表され、ニューヨークに拠点を置くインターネットメディアの「プロパブリカ」が2年連続で受賞した。同賞は2009年から、紙媒体でない記事も審査の対象にしており、ジャーナリズムの世界でもネットメディアの台頭を印象付けた。 プロパブリカが受賞したのは国内部門で、「ウォール街の現金製造機」というカットの連載企画。2008年の米金融危機の原因となったウォール街の強欲にスポットライトを当てて、専門的で取材しにくいとされた不動産ローンの証券化やヘッジファンドといった金融ハイテク分野の仕組みを解明した点が評価された。 プロパブリカは民間非営利団体(NPO)で、紙媒体と連携した調査報道が売り物。米ニューヨーク・タイムズ紙と共同取材したハリケーン被災直後の安楽死問題を報道し、昨年はネット・メディアとして初めて受賞している。 今年
government of the people, by the people, for the people この国の原子力行政は、地震国であるという厳然たる事実に、真摯な姿勢で向き合ってきたのだろうか。 平成17年に内閣府の原子力委員会が策定した「原子力政策大綱」を見てみよう。 今年から新大綱の策定作業がはじまっているが、いまのところ17年の大綱が生きており、すくなくともこれが現下における日本の原子力行政の基本的な考え方といえる。 驚かされるのは、219ページにおよぶ文書のなかで、「地震」という言葉が出てきた箇所を調べてみると、わずか2か所に過ぎないことだ。 最初に登場するのは9ページで、こういうところに使われている。 「原子力施設の設計・建設・運転に当たっては、地震等の自然現象に対する対策はもとより、設備の故障や誤操作に起因して、内在する放射性物質が国民の健康に悪影響を及ぼす潜在的危
「フェイスブック」が「ツイッター」を買収?という話がある。半信半疑ながら、時代の流れの激しさを感じる。ツイッター的「匿名主義」からフェイスブック的「実名主義」へと世界は動いているのか。チュニジア、エジプトの民衆蜂起も、当初は「ツイッター革命」とか呼ぶ人が少なくなかったが、実は「フェイスブック革命」だった。 時代の転換期には必ず陳腐な悲喜劇が起こる。時代の先端を走っていると勘違いする者たちが、実は単なる時代の落ちこぼれであることが判明するのは早い。尾崎紅葉は、明治維新後の最新のモダン系流行作家だった。しかし紅葉率いる「硯友社」の時代はあっという間に終わり、紅葉の同世代同学年の夏目漱石等の手によって近代日本文学が始まった。今、尾崎紅葉を知る者は少ないが、夏目漱石を知らないものはない。チュニジア、エジプト、イラン・・・で起こっている民衆革命も、マスコミやお調子者の文化人が素朴に礼賛するほど単純な
株式会社NO BORDER代表取締役。社団法人自由報道協会代表。元ジャーナリスト。1968年福岡県生まれ。都留文科大学卒業。テレビ局記者、衆議院議員公設秘書、ニューヨーク・タイムズ東京支局取材記者、フリージャーナリストなどを経て現在に至る。著書に『石原慎太郎「5人の参謀」』 『田中真紀子の恩讐』 『議員秘書という仮面―彼らは何でも知っている』 『田中真紀子の正体』 『小泉の勝利 メディアの敗北』 『官邸崩壊 安倍政権迷走の一年』 『ジャーナリズム崩壊』 『宰相不在―崩壊する政治とメディアを読み解く』 『世襲議員のからくり』 『民主党政権は日本をどう変えるのか』 『政権交代の内幕』 『記者クラブ崩壊 新聞・テレビとの200日戦争』 『暴走検察』 『なぜツイッターでつぶやくと日本が変わるのか』 『上杉隆の40字で答えなさい~きわめて非教科書的な「政治と社会の教科書」~』 『結果を求めない生き方
インテグレート代表取締役CEO・藤田康人 最近、マーケティング関連のセミナーでは、出席者が講演を聞きながらスマートフォンでその内容をリアルタイムに“tsuda(つだ)る”光景が一般的になりました。 “tsudaる”とは、記者会見や発表会、または事件に出くわしたり、話題性の高いイベントなどに出席したときに現場の状況を、あたかも実況中継のように次々とツイッターのタイムライン(発言ログ=記録)へとツイートする(投稿する)ことで、元々は、IT・音楽ジャーナリストの津田大介氏が使い、その後ツイッターコミュニティなどを中心にして広がっていった言葉です。 講師のリアルな講演と同時並行でツイッター上でも、会場の参加者やそれを外部でみている人たちのツイートが絡んで非常に白熱した議論が展開されることも珍しくありません。 しかし、この“tsudaる”という行為が最近のセミナーや講演会のあり方を大きく変質させてい
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