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小寺信良に関するsuzu_hiro_8823のブックマーク (33)

  • コデラノブログ4 : これからの日本の姿 - ライブドアブログ

    2011年03月21日10:48 カテゴリ政治 これからの日の姿 今回の原発事故が危機を脱したとして、その後の日の姿というものをイメージしてみたいと思う。まだそういう検討は早いと思われる人もいるかもしれないが、今だからこそ考えられることもあるので、メモとして書き留めておくことにする。なお筆者は発電などについては素人なので、ここに記すのは単なる理想というか希望でしかない。技術的な検証は詳しい方におまかせしておきたい。 おそらく今後、原子力発電は徐々に縮小せざるを得ないだろう。これまで国策で強引に進めてきた部分がある原発だが、発電所を抱える地元での反対の声に、合理的な反論ができなくなることと思われる。当然地元選出の政治家も反原発派が増えるだろう。 そうなると、我々の生活も、湯水のごとくいつでも電気が使えるという環境が終了することになる。こういうことを書くと、60Hz圏は関係ないという人もい

    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2011/03/21
    在宅だとスイッチ切り替えられないひとが多そうだから在宅がベターかと、自転車で行ける距離程度で。/やっぱ安全性を考えればメタノールよりもエタノール改質なんかなぁ>燃料電池
  • コデラノブログ4 : 電子書籍は一体誰が恐れているのか 3 - ライブドアブログ

    2010年05月11日10:31 カテゴリネット 電子書籍は一体誰が恐れているのか 3 昨日5月10日、いよいよ日iPadの予約がスタートした。リアル店舗に並んだ人も多かったと思うが、今日のように雨でなくてなによりだった。 先日、産経ニュースがこんな記事を配信していた。冒頭のインタビューでは、あえて電子書籍に対して否定的な意見を抽出していることからわかるように、全体を通してかなり否定的なスタンスで伝えている。これをiPad予約前日に配信するあたり、どうにかして出鼻をくじいてやろうと躍起になっている新聞社の思惑が透けて見える。 文中で東京電機大学出版局 植村八潮局長の、キンドルは買ったが持ち歩かない、というコメントをわざわざ抜き出しているところも恣意的である。こんなことは、人による。 僕は数年前にSONYのLiblieを愛用していたことがあり、いつも持ち歩いていた。電車の中でもこれでよく

    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2010/05/12
    わざわざこんな年に当ててきたのかどうかは分かりませんが、たしか今年は国民読書年だったとか(違ったらスマヌ)より多くの本に触れられ、かつ大量の本の山から解放されることを考えれば、良評価する余地はあるはず
  • コデラノブログ4 : 電子書籍は一体誰が恐れているのか 2 - ライブドアブログ

    2010年05月09日11:30 カテゴリネット 電子書籍は一体誰が恐れているのか 2 電子書籍について考えている。今回は、を出す著者側に立って考えてみたい。とはいっても僕は文芸作家ではないので、自分が知っているPCIT系出版社の話になってしまう。その辺をあらかじめお含み置きいただきたい。 今、書籍の出版は、モノカキにとっても非常に敷居の高いものとなっている。なかなかを出させてくれないのだ。 もちろん、書けば書くだけ飛ぶように売れるような人は別だが、僕のようにこれまであまり書籍を出していない著者は、敬遠される。とはいっても、これでも過去に20冊ぐらいは出しており、中には5万部も売れたものがあるので、一応技術系のモノカキとしては優良な書き手だと思うのだが。 なぜを出させてくれないかというと、今出版は大不況のさなかであり、編集者がうんといっても営業がダメ出しするのである。 例えば僕と津

    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2010/05/09
    よく「本の質が下がる」とかいってお手軽出版(=電子出版を出版社側から見た場合?)を批判する向きがあるが、たとえば「水からのほにゃらら」などが売れてしまった時点でいったい何を言ってるのだと小一時間(ry
  • コデラノブログ4 : 電子書籍は一体誰が恐れているのか 1 - ライブドアブログ

    2010年05月07日18:42 カテゴリネット 電子書籍は一体誰が恐れているのか 1 講談社の現代ビジネスが電子書籍に関してなかなか面白い記事を載せている。これを肴に今日から何回かに分けて、書き手、そして読み手の立場から電子書籍について考えてみたい。 コラムの冒頭に「家にいながらは買えるが、町に屋さんがないって想像できますか?」という一文がある。こういうところの文章は大抵編集担当者がくっつけるのだが、これを見て、ああ、やっぱり屋さん目線なんだなぁ、と思う。町の屋は、もう場所によってはとっくに終わっている。 僕は相当の量のを読むので、屋には一家言持っている。僕が3年前に住んでいた小さな町は、駅ビルにも駅前にも小さな屋があったが、完全に終わっていた。単に売りたいを売っているだけの店である。すなわち各ジャンルのベストセラーを平積みし、大量の週刊誌をならべ、地図や学習ドリル、辞書

    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2010/05/09
    新聞屋の論理と似てますな。あれは新聞奨学生たちを人質にとって「文化」を守ろうと画策する。日本の出版社は個人・小規模書店を人質にとって「文化」を守ろうと画策する。
  • 動き始めたケータイ規制、果たして?

    来年1月1日より、小中学生の携帯所持規制を含む石川県の「いしかわ子ども総合条例」がスタートする。携帯所持規制というと大げさだが、実際には親の努力義務であり、強制力はない。また携帯電話販売店に対しても、小中学生には売らないようにといった指導もない。筆者も実際に石川県に飛んで取材も行なってきたが、さあ子どもからケータイを取り上げるぞといった雰囲気もない。 しかしいくら努力義務とはいえ、条例でそれを決めてしまったというのは重い話だ。勘違いして当に子どものケータイ狩りを行なう団体や、子どもたち同士のいじめが出現しないとも限らない。条例のお墨付きがあることで、それが正義だと思い込む可能性は、否定できないのである。 石川県の条例に関しては、その経緯も含めてまた改めて語るべき機会もあるだろう。今回は直接その話ではなく、その条例が投げかける影響について考察してみる。 石川県の条例を受けて、通信事業者らが

    動き始めたケータイ規制、果たして?
    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2009/12/08
    ケータイ規制の要約:土性骨をたたき直したいのでやった。反省はしていない(違わない
  • ついに「ガラスの城」が壊れ始めた録音録画補償金制度

    10月1日に、東芝がデジタル放送専用録画機ぶんの補償金を支払わなかったことを明らかにした(「デジタル専用録画機は補償金の対象外」 東芝が支払い拒否)。これに関して事情がよくわからず混乱している人も少なくないようなので、今回はこの問題について解説してみたい。 デジタル放送専用録画機とは、従来のアナログ地上波用のチューナーを搭載せず、デジタル放送しか受信できないレコーダーである。以下デジタル専用機と呼ぶことにしたい。まず前提として、今年5月には東芝とパナソニックが、このデジタル専用機の価格に、録画補償金を上乗せせずに販売していることが明らかになっている(「課金対象か明確でない」――パナソニックと東芝、デジタル専用レコーダーに補償金上乗せせず)。 日の補償金制度では、消費者がこの補償金を支払うことになっている。補償金は対象機器の販売価格に含まれており、例えばレコーダーであれば、基準価格(ほぼ実

    ついに「ガラスの城」が壊れ始めた録音録画補償金制度
    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2009/10/05
    東芝の"離反劇"のから読み解く補償金なるものの解説ですね。後でじっくりと読みますが、総武線沿線住民の俺にとって「ガラスの城」ってあーた・・・。
  • 日本式コンテンツ利用への序章

    著作物のより広範な利用に関して、著作権法自体がネックになっているという認識は、もはや多くの利用者にとって無視できない問題である。自分で録画した地デジのテレビ番組は、なぜiPodに移して見ることができないのか。ケータイで買った音楽は、なぜ機種変とともに全部捨てなければならないのか。感銘を受けた作品のオマージュとして、ストーリーの続きを作るのはなぜ許されないのか。 これらの理屈はすべて著作権で説明できるが、逆に著作権法なしに説明することは難しい。それは商売の取り決めとしてそういうルールなんだからしょうがないねって話ならできるが、倫理的な面からは成立しづらい話だからである。 3月12日、産学官で形成するデジタル・コンテンツ利用促進協議会は、シンポジウムを開催し、テレビ放送のネット利用に関する「会長・副会長試案」に対してのディスカッションを行なった。一番最初の試案である「ネット権」構想はものすごく

    日本式コンテンツ利用への序章
  • テレビを面白くするいくつかの奇策

    テレビがつまらなくなった、という意見がネット上で散見されるようになって久しい。一方でテレビは変わっていないのだ、我々の生活が変わったのだ、とする意見もある。相反するこの2つの意見は、どちらも今のテレビの問題を言い表わしている。 質的にはみんな、テレビが面白かった時代を知っている。面白いものは、みんな大好きなのだ。ある意味昨今の批判的な態度は、テレビに対する叱咤激励であり、面白くなればまた人が戻ってくる可能性を秘めているのではないかと思う。 テレビがつまらなくなった、それは1つの事実である。では、なぜつまらなくなってしまったのだろうか。近視的に言えば、番組予算がなさすぎである。筆者はバラエティ番組の制作経験がまあまあ長いのだが、最近のいくつかのバラエティ番組を見て、つくづく安いなぁと思う。 例えばスタジオ収録物でもカメラのカット割りを見ていると、全体を写した構図、いわゆる「引き絵」がない。

    テレビを面白くするいくつかの奇策
    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2009/03/02
    『もはやテレビ放送は、視聴率のような番組単位での測定は意味を持たず、他のメディアと比較してどれぐらい利用したかという「接触率」のほうを重視すべきだ。』/"床の間TV思想"から抜けてくれないとねぇ。
  • 小寺信良の現象試考:「ケータイ持たせない論」に見る大人教育の困難 (1/3) - ITmedia +D LifeStyle

    総務省が行なっている「インターネット上の違法・有害情報への対応に関する検討会」が、最終取りまとめに入った。12月17日までパブリックコメントを募集している。 地方自治体の取り組みなどはまだ把握できていないが、行政と企業の取り組みという点では網羅性が高く、良くまとまっていると言えるだろう。これから違法有害関係の取り組みを行なう部署にいる人などには、いい資料となるはずだ。 ただ、これからの具体的な取り組み策がここに書かれているわけではない。個別の取り組みは、これから民間ベースで具体化していかなければならない問題である。 個人的にはこれまでどおり、規制よりも先に教育があるべきという考え方に揺らぎはないが、実際に教育へ着手してみると、いろいろなことが分かってきた。MIAUとして学校教材としてのリテラシー読「”ネット”と上手く付き合うために」を作成したが(リンク先PDF)、これは当初、親に向けた内

    小寺信良の現象試考:「ケータイ持たせない論」に見る大人教育の困難 (1/3) - ITmedia +D LifeStyle
    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2008/12/15
    『もともとは程度問題、つまりコントロールの問題なのに、モノに置き換えてしまうと、とたんにマルかバツかイデオロギーの問題にすり替わってしまう。』というかあえて二元論にして思考停止させたがってるのではorz
  • 「一億総クリエイター」という勘違いに至る道のり

    先週、「コンテンツ学会」の記念講演シリーズの一部として、「変質するContent Play」というタイトルで講演してきた。コンテンツを娯楽として楽しむという行為が、受動的な体系から消費者参加型の「Play」に変質してきた課程で、来は商行為の権利保護ルールであった著作権が、クリエイティブとは無関係な「利用」部分にまで関係してきた課程を整理したものである。 講演のあと参加者とのディスカッションで、またもう一歩深い議論となるタネをいくつかいただいた。ただ、なにぶん筆者は考えるのに時間がかかるタイプなので、ディスカッションの中で丁々発止やり合いながら、打てば響くような答えがなかなか出せない。会議などでも話題が尽きそうになったとき、突然、変な事を言い出して議論の方向性を混ぜっ返してしまうようなタイプなので、歯がゆい思いをされた方も多かったことだろう。 そこでこのコラムの場を借りて、もう一度ユーザー

    「一億総クリエイター」という勘違いに至る道のり
    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2008/12/01
    場のふいんき(なry)そのものを作るのと、「パッケージメディアとしての」成果物は別だよという話。かと。/キロ当たりいくら、でしかメディア側が分からないんならそりゃ勘違いもする罠。
  • 逸話だらけの映像記録と編集の歴史

    1995年にDVカメラが登場し、実写映像をPCへ取り込むことが飛躍的に簡単になって以来、多くのメーカーが何度も「ビデオ編集」をコンシューマ市場に向けて仕掛けてきた。「マルチメディア」なるものが全盛だった当時、多くの人のあこがれのソフトと言えばAdobe Premiereだったわけだが、それ以外にも優秀なソフトウェアが次々に立ち上がった。 ビデオ編集という市場が順調に立ち上がるかに見えたが、2001年ごろから立ち上がったDVDライティングブームが、流れを変えていった。撮影したビデオを編集してDVDに、という流れはあったものの、流にはならなかった。多くの人は、単に録画したテレビ番組からCMをカットしたいだけだったのである。 しかし今、再び映像編集が注目を集め始めている。動画投稿サイトの隆盛で、既存の作品を編集してみたり、オープニングタイトルと同じカット割りをしてみたりという行為を通じ、異なる

    逸話だらけの映像記録と編集の歴史
    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2008/11/10
    動画(映像)編集のお話。初回はフィルム編集から1インチVTRまで。
  • 小寺信良の週刊「Electric Zooma!」第383回:ヘッドフォンに次ぐ大発明? Nikon「UP」~ ウエラブルディスプレイが変える人間の能力 ~

    第383回:ヘッドフォンに次ぐ大発明? Nikon「UP」 ~ ウェアラブルディスプレイが変える人間の能力 ~ ■ ヘッドフォンの映像版? 音楽をどこでも聴けるようにしたのは、ウォークマンの功績である。ウォークマンが画期的だったのは、ほかの人には聴かれずに自分だけの音楽が屋外で楽しめるという、「パーソナル性」がポイントだったのだろう。単に持ち出すだけなら、他人の迷惑顧みずラジカセを持ってガンガン鳴らしながら歩けば済む話だったのである。 一方映像をどこでも見られるようにした功績というのは、今のところはっきりしない。古くはポータブルテレビに始まって、ノートパソコンがそれだったのか、あるいはiPodか、いろいろな節目があるとは思うが、それは体にくっつけて一緒に移動できるというものでもない。見るためにはどこかに置いたり、手に持ったりする必要がある。 CEATECなどの展示会で技術動向を観察するに、

    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2008/10/29
    『相手の戦闘能力いくつといった情報を載っけることが』ああ、例のあれね。ありそうでなかったというのと、腕時計型送受信機と言う結局モノにならなかったのとは違う微妙な存在感が(外れるな/PCディスプレイなら欲(ry
  • 21世紀型フェアユース論

    先週の月曜日、文化庁の私的録音録画小委員会にて、ダウンロード違法化へ向け著作権法改正すべきという結論で報告書が提出されることとなった。この問題に関しては昨年10月ごろから議論が沸騰し、一般からはパブリックコメントを通じて数千件の反対意見が寄せられた。それにもかかわらず、これを無視して文化庁は強行する構えである。 文化を守ることで国民の利益に寄与するというのが文化庁の仕事だと認識しているのだが、長い間商業芸術に携わってきた筆者の感覚では、コンテンツは出来上がった瞬間から文化であるという考えは、現場には馴染まない。はっきり言って商業芸術はただの商品であり、より多く売れるように設計されている。フォーマットや要素、手法論は芸術から借りてきているが、物の芸術(Art)とは違う。 文化というのはそもそも、それが長い間定着したのち、商業的価値が失われていくときに、その下降カーブと相対する形で自然発生的

    21世紀型フェアユース論
    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2008/10/28
    ↓小寺氏にいつもの切れがないのはそういうわけだったのか。/ここは日本的"あいまい(というかなあなあ)"でいいんじゃね?とか思ったけど<日本版フェアユース/それだと一山いくらで稼いでる人たちが怒るから駄目か。
  • ダウンロード違法化はついに何かの引き金を引いた - コデラノブログ 3

    すでに多くのメディアが報道しているように、昨日の文化庁 私的録音録画小委員会にて、ダウンロード違法化という結論が出されたようである。 そもそもこの委員会自体、かなり恣意的な生い立ちを持っている。05年の法制問題小委員会では、補償金は廃止を含めて検討という結論が出たにも関わらず、その結論をなきものにするために登場した。その懸念はすでに06年の段階で、委員となった津田大介も僕も懸念していたことである。 そもそも名前からする通り、来ならば補償金の行く末を考える委員会であるのに、補償金に関することは何も決まらず、決めたことと言えばなんの実効性もないダウンロード違法化のみであるわけだから、結局この委員会は来の機能を果たすことなく終わるわけである。 そのダウンロード違法化だが、そもそもMIAUが立ち上がったのは、この提案に反対するためであった。先日1年目のエントリーを書いたばかりだが、当初の目的が

    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2008/10/21
    『どんなにいい作品が市場に出ようとも、中身を知る機会がなければ買わない。中身を知らずに前評判だけで3000円4000円出すほど、今のネット慣れした若者はそれに価値を見出さないだろう。』ましてや玉石混交ではね。
  • アルファブロガーって本当に居るような気がしてきた - コデラノブログ 3

    以前アルファブロガーって言葉が輸入されてきたとき、「ないない、日それないからww」とか思っていた。当時はブログって有象無象あって、誰もが10回に1回ぐらいいいこと書く、そんな状況だと思っていたし、実際昔は基的に日記ベースだったので、まあそんなとこだったんじゃないかと思う。 しかし最近ブログのランキングなどを眺めていると、ああこの人またランクインしてるなーという、レベルの高いところが目立つようになっていたように思わないか? いや確かにレベルの高いブロガーが育ってきているように思う。 その裏側で、その10回に1回良いことを言うタイプのブログって、減ってきているような気がする。それは単にランキングからはじかれて、目にとまらなくなっているのかもしれない。実数が同じでそう感じるのであれば、情報の集約化が行なわれることで多様な意見が取りこぼされている可能性がある。 また当にその10回に1回ブロガ

    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2008/09/26
    『ある程度まとまった文章を書くと言うことは、感情を思考としてまとめ上げる訓練となると思っている。』/はてブコメも100文字までだからいかにして詰め込めるかを考えてあーだコーダと考えてみたr(それ違います
  • 小寺信良の現象試考:オーディオ業界に3日で絶望した男が業界を救う話 (3/3) - ITmedia D LifeStyle

    業界も世代交代の時 オーディオの世界というのは、時代に合わせたセオリーがある。例えばスピーカーの置き方ひとつでも、セオリーは変わってきた。筆者が中学生ぐらいのころは、スピーカーはまっすぐ正面に向けて置くというのが常識だった。だが今は、リスニングポイントに少し向けるというのが常識になっている。 それというのも、昔は容積の大きな3ウェイスピーカーがオーディオの中心だったこともあって、部屋を鳴らすという感覚だった。ニアフィールドという概念がなかったのである。しかし90年代にブックシェルフ型でも上質のものが出てきて以来、セオリーも変わってきた。 一番オーディオのセオリーをダメにしたのは、実は安易なサラウンドセットだったのではないかと思う。なにせ部屋に6つもスピーカーを置くとなると、高さがそろわなかったり、そもそも同心円状に配置できなかったりする。それでも後ろに置けばそっちから音は聞こえるので、なん

    小寺信良の現象試考:オーディオ業界に3日で絶望した男が業界を救う話 (3/3) - ITmedia D LifeStyle
    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2008/09/03
    (続き)年齢層が高めになると、若い者に馬鹿にされたくない一心で蘊蓄を垂れる。/蘊蓄を語りまくったあげく求道的になり原理主義に到達するかも知れない…。/いま、2chがそうなりつつある気がする(関係ないけど)。
  • オーディオ業界に3日で絶望した男が業界を救う話

    一時期オーディオは、DVDの普及とともにサラウンドで盛り上がった時期もあった。しかしそれ以降は大きな波のようなものはなく、ある程度落ち着いてきている。ただ、オーディオ復活の芽がなくなったわけではない。昨年ソニーがリリースした高級オーディオコンポ「System 501」は、団塊の世代へ向けたオーディオ復活を狙った商品である。 一方で若い世代にも、オーディオへの意識が高い層が存在する。今年6月に同人誌から商業誌へ昇格した「萌えるヘッドフォン読」は、オーディオ関連書籍としてはまれに見るヒット作となった。 しかしmy-musicstyleの根っこは、昨今のような盛り上がりとはほど遠い2000年前後、オーディオ業界暗黒時代にある。 黒江氏: 「オヤジの跡継ぎとして7~8年前に業界に入ったんですが、もう3日で辞めたくなりましたよ。顔を見るのが毎日マニア、オタク、オジサン、電話もひたすら営業さんだけじ

    オーディオ業界に3日で絶望した男が業界を救う話
    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2008/09/03
    (続き)自沈してしまういい例(良くはないがorz)/『評論家も誰も聴いたことのないようなクラシックを引っ張り出してきたり、ジャズといえばもう『ドジャズ』ですよね。』JAZZファンに限らず年齢層が高めになると、(ry
  • オーディオ業界に3日で絶望した男が業界を救う話

    8月の最後の土日、ちょっと変わったオーディオイベント「my-musicstyle」が開催された。普通のオーディオ試聴イベントとは違い、「マニア禁制」をうたうこのイベント、以前からそのスタンスに興味があったので、足を運ぶことにした。 会場となった恵比寿のSPAZIO1は、ちょっとコジャレた新製品の発表会などでメーカーが使いそうな、イベントスペースだ。オーディオイベントと聞いて、各出展者がブースを設けているようなイメージを抱いていたのだが、実際には壁沿いにコンポーネントしたオーディオセットが並び、希望者が順番に視聴できるという、オープンなスタイルの試聴会のような雰囲気である。 来場者にはドリンクが配られ、浴衣の女性スタッフが華を添える。マニア禁制というだけあって、視聴される音楽もオールドロック、メタル、J-POPなど、まずオーディオ専門店のフロアでは流れないジャンルのものばかり。すべて来場者が

    オーディオ業界に3日で絶望した男が業界を救う話
    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2008/09/03
    『オーディオというものが醸し出す空気、評論家の物言い、お店の人の態度。そんなものすべてがJ-POPやロックを愛するような若い子を、振り落としていったんじゃないかと』求道的で原理主義者が跋扈すると自沈してし(ry
  • 小寺信良の現象試考:アナログ停波までに片付けねばならない5つの課題 (1/3) - ITmedia +D LifeStyle

    去る7月25日、情報通信政策フォーラム(ICPF)の今年度第1回シンポジウムに出席した。議題は「2011年 地上デジタル移行は完了するのか」である。アナログ停波は2011年の7月24日だから、シンポジウム当日は、ちょうどあと3年というタイミングであったわけだ。 アナログ停波はすなわち、デジタル放送への完全移行を意味する。すでにヨーロッパではアナログ停波した国もいくつかあり、米国は来年2月に停波する予定だ。 個人的には、過去アナログ停波反対を訴えてきた経緯もあるわけだが、それはこれまでのアナログ放送に比べ、デジタル放送があまりにも不便になっているからである。その問題は今も解決していないのだが、このままアナログ停波を強行すればそれ以外の理由で、数多くの問題が発生することが分かった。 今回はすでに停波した国、そして米国での事情をにらみながら、日国内でアナログ停波までに片付けておくべき課題につい

    小寺信良の現象試考:アナログ停波までに片付けねばならない5つの課題 (1/3) - ITmedia +D LifeStyle
  • 小寺信良の現象試考:「撮影」の暴力化について考える (1/3) - ITmedia +D LifeStyle

    7月4日に開かれたニコニコ動画のイベント「ニコニコ大会議2008」の中で、画面に映った一般人に対してヤジや中傷が書き込まれるという「事件」が起こった。またそれの少し前には、秋葉原連続殺人事件の現場の模様をUStreamで中継したことによる是非が問われた「事件」もあった。 この2つの出来事で考えさせられたのは、新しいテクノロジーや試みのあとには、必ず何らかのルールが必要になるのだなぁということだ。ルールというとすぐに「規制」や「自由への侵害」を連想して嫌悪感を示したり、必要以上に危機感をあおったりする人が多くて困るのだが、仮にルールという言葉がイヤでも、我々は秩序なき廃墟に暮らしているわけではない。少なくともまずはみんなで問題点を共有して、なんらかの秩序を構築することが必要だという認識には、共感してもらえるものと信じたい。 ITはさまざな面で情報革命をもたらしたが、そのもっとも大きな意義は、

    小寺信良の現象試考:「撮影」の暴力化について考える (1/3) - ITmedia +D LifeStyle
    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2008/07/22
    『自分のしている行為は報道や表現者としての責任が取れるか、ということを自問してみればいい』/ネットに『空気』をシステムレベルで作ることは出来るのか?の話に見えました。