日本の放射線影響・防護専門家がICRP以上の安全論に傾いてきた経緯(8) ――ICRPの低線量被ばく基準を緩和しようという動きの担い手は誰か?―― 平成11年4月21日に京王プラザホテルで開かれた「低線量放射線影響に関する公開シンポジウム――放射線と健康」は、放射線防護基準の引き下げを目ざした科学動向に勢いをつけようとするもので、電力会社をはじめとする原発推進勢力が後押しするものだった。科学者側でこの動きを先導したのは医学界というより、人口がさほど多くない保健物理(放射線影響・防護学)の学界の人々だった。1990年代から2000年代へと保健物理の学界では、ホルミシス論やLNTモデル否定論(しきい値あり論)が高い関心を集め優勢になっていった。懐疑的な科学者もおり、野口邦和氏、今中哲二氏らの声がないわけではなかったが、政府周辺の保健物理専門家からそうした声は排除されていた。かろうじて残っていた