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沖縄戦に関するunyounyoのブックマーク (19)

  • “書きかえられた”沖縄戦 ~国家と戦死者・知られざる記録~|ETV特集

    “書きかえられた”沖縄戦 ~国家と戦死者・知られざる記録~ アジア・太平洋で膨大な戦死者を出したあの戦争から70年。日人だけで310万人を超す犠牲に、国はどう向き合ってきたのか? そのことを考える上で、重要な場所がある。太平洋戦争末期、日米が激しい地上戦を繰り広げた沖縄だ。戦死者は軍民合わせておよそ20万人。沖縄県民だけで12万人に上る。日軍は、アメリカ軍の土侵攻をい止めるため、沖縄で"時間稼ぎ"のための持久戦を展開。深刻な兵力不足を補うため、学生や女性、老人までもさまざまな形で戦場に"根こそぎ動員"した。日軍が潜む地下壕(ごう)やガマと呼ばれる洞窟に、軍民が混在する状況が生まれ、アメリカ軍の無差別の攻撃の中で、住民の犠牲も拡大していった。戦後、国は、沖縄県民の4人に1人という甚大な犠牲に報いるために、ある支援制度を拡大していく。軍人・軍属の遺族を支援するための「戦傷病者戦没者遺

  • ピースおおさか、沖縄戦資料を撤去 府議ら「自虐」批判 - 琉球新報デジタル

    大阪市中央区の戦争博物館「大阪国際平和センター」(ピースおおさか)が4月のリニューアルに伴い、沖縄戦の実物資料を紹介するコーナーを撤去したことが19日までに分かった。ピースおおさかは展示内容を大阪空襲を中心にしたことを理由に挙げている。 資料は近く、県平和祈念資料館(糸満市摩文仁)に返還される見通し。同センターではリニューアル前、府議らが展示内容について「自虐史観」と批判した経緯があり、専門家は「『大阪空襲中心』は隠れみので、リニューアルの政治的意図は明らかだ。地域を絞ることは戦争の総括につながらない」と指摘している。 同センターは、大阪市と大阪府が共同出資した財団が運営しており、1991年に開館した。同資料館から貸し出された資料は鉄かぶとや小銃、軍など10点で、開館当初から1階で常設展示されていた。 リニューアル前の同センターでは、満州事変から太平洋戦争にかけての「15年戦争」を紹介す

    ピースおおさか、沖縄戦資料を撤去 府議ら「自虐」批判 - 琉球新報デジタル
  • 朝日新聞デジタル:沖縄戦 体験者4割、PTSDの可能性 400人調査 - 社会

    1945年4月1日、沖縄島に上陸する米軍=沖縄県平和祈念資料館提供沖縄戦のPTSD調査を受けた人の体験  【木村司】1945年の沖縄戦を体験した沖縄の高齢者の4割が、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を患っている可能性が高いことがわかった。沖縄の研究者グループが約400人を対象に調べた。68年経ってなお、4割もの人に症状がみられる背景には、沖縄戦が激烈な地上戦だったことに加え、米軍基地が身近にあるため戦争を思い出しやすい環境があると研究者たちはみている。  沖縄の精神科医ら6人でつくる沖縄戦トラウマ研究会(代表=當山〈とうやま〉冨士子・元沖縄県立看護大教授)が昨年4月〜今年2月に調査した。戦争被害の実態を明らかにすると同時に、高齢者の心のケアにつなげるのが狙い。沖縄戦の心の傷について、これほど大規模な調査は初めてという。  対象は、宜野湾市や読谷村、座間味村など沖縄県内各地の高齢者。自治

  • 沖縄タイムス | 教科書検定「集団自決」軍命、読み取れる記述に

    教科書検定「集団自決」軍命、読み取れる記述に Tweet 社会 2013年3月26日 16時06分(5時間1分前に更新) 文部科学省は26日、2014年度から高校2年生が使う教科書の検定結果を公表した。今回申請のあった日史では4社9冊のうち8冊が沖縄戦の「集団自決(集団強制死)」を取り上げた。06年度検定以降に削除された「軍の命令」や「強制」が読み取れる記述に戻した教科書もあったが検定意見はなく、修正は求められなかった。 軍の「命令」や「強制」については、書き方を工夫し、可能な限りその意味を盛り込もうという教科書各社も複数あった。「軍の強制や命令」を明記した教科書はないものの、記述の復活を目指した07年の県民大会やその後の一連の県民運動の成果が一定反映される形となった。 日史は申請のあった4社9冊全てが沖縄戦について触れた。そのうち「集団自決」については「日史A」3社3冊、「同B」4

  • 沖縄戦「1フィート運動の会」解散 NHKニュース

    市民からの募金をもとにアメリカが保管する沖縄戦の映像フィルムを取り寄せ、各地で上映会を行ってきた「1フィート運動の会」が、メンバーの高齢化を理由に、15日、解散総会を開き、30年にわたる活動に幕を降ろしました。 「1フィート運動の会」は、沖縄戦の実相を伝えようと、昭和58年に設立された沖縄の市民団体で、アメリカ軍などが撮影した映像フィルムをアメリカの国立公文書館などから買い取り各地で上映会を行ってきました。 1フィート=およそ30センチのフィルムが100円だったころに募金を募って1フィートずつでもフィルムを集めようと会の名前が付けられ、これまでに11万フィート、33キロメートル余りに及ぶフィルムを収集しました。 しかし、メンバーが高齢化していることから解散することになり、15日、那覇市で解散総会が開かれました。 解散総会では、これまでの活動と共にフィルムを沖縄県公文書館に譲渡したことが報告

  • 厚労相にDNA鑑定依頼 ガマフヤー具志堅代表

    田村憲久厚生労働相(左)に遺骨のDNA鑑定を求めるボランティア遺骨収集団体ガマフヤーの具志堅隆松代表(右から2人目)ら=6日午前、参議院議員会館 【東京】ボランティアの遺骨収集団体ガマフヤーの具志堅隆松代表は6日午前、参議院議員会館内で田村憲久厚生労働相と面談し、西原町幸地などで昨年新たに見つかった遺骨13柱を含む沖縄戦戦没者とみられる遺骨15柱のDNA鑑定を求めた。北海道や愛媛県など県内外から名乗りを上げた50遺族と照合する。 具志堅氏らによると、田村氏は「技術的に可能ならできる限りの努力はしたい」と述べ、同省が13柱を引き取った。残り2柱は発見場所周辺に駐留した部隊が不明など情報が少ないとして、今回は引き取らなかった。 幸地は旧日陸軍第24師団歩兵第22連隊が米軍と戦闘を繰り広げた場所。同隊は北海道や愛媛県出身者が多く、具志堅代表の呼び掛けで愛媛から5遺族、北海道から29遺族が名乗り

    厚労相にDNA鑑定依頼 ガマフヤー具志堅代表
  • 新連載「日本への告発状 第1部 超えた臨界点」スタート

    沖縄県外では読めない地元紙記事を、それも紙面の形で知ってほしいと2008年12月より発信してきましたが、新規に立ち上げた後継ブログが現在工事中になっています。休眠から覚めるまでtwitter(https://twitter.com/michinakijin)をご覧ください。 なおアーカイブス(データベース)としてこのブログは残しますのでご活用ください。 下にあるスクロールバーを左右に動かしてお読みください オスプレイの強行配備を機に、沖縄に過重な基地負担を押し付け続けようとする日の安保政策へ県民の怒りが噴出した。新企画「『日』への告発状―基地問題の実相」は、怒りの現場を起点に、国が強調する抑止力や「基地依存経済」の虚実を明らかにし、過重負担の正体を問う。 第1部は、前代未聞の直接行動に踏み出した県民の姿を描き、歴史的な「普天間封鎖」の意義に迫る。首長や議会も「なぜ沖縄だけに」と反対

    新連載「日本への告発状 第1部 超えた臨界点」スタート
  • 1フィート運動の会 来年3月、活動終了

    沖縄戦の実相を次世代に残そうと、米国内で所蔵されている沖縄戦記録フィルムを買い取り、公開してきたNPO法人「沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会」(福地曠昭(ひろあき)代表)が来年3月15日で活動を終了することが13日、分かった。 沖縄戦に関する市民団体が育ってきたことや県平和祈念資料館や県公文書館などが整備されたことなどを踏まえ、一定の役割を終えたと判断した。来年は結成30周年を迎える節目の年でもあり、福地代表は「県民一人一人が参加してつくってきた運動。使命を終えたという気持ちはなく、積極的な解散だ。運動の火は消さないし、若い世代にも期待したい」と語った。 現在、30周年記念誌の編集を進めており、来年3月に発行予定。活動終了については近々記者会見を開いて県民に報告し、感謝を伝えるという。 「鉄の暴風」により全てが灰燼(かいじん)に帰した沖縄戦の記録映像や写真を、戦争を知らない世代に伝えよ

    1フィート運動の会 来年3月、活動終了
  • 沖縄タイムス | 久米島諜報員の素性判明 徳田さん島袋さん 姉妹で追跡 本出版 陸軍中野出身 戦後関西で教員91年没

    久米島諜報員の素性判明 徳田さん島袋さん 姉妹で追跡 出版 陸軍中野出身 戦後関西で教員91年没 Tweet 社会 2010年10月1日 09時32分 沖縄戦時の久米島に、偽名を使って潜入していた旧日軍残置諜報(ちょうほう)員の男性の名を、島出身者らでつくる「久米島の戦争を記録する会」の徳田球美子さん(73)=那覇市=と、島袋由美子さん(71)=浦添市=の姉妹が突き止めた。県内離島の諜報員の中で戦後、名が不明だった唯一の人物で、沖縄戦の専門家の間でも研究課題の一つだった。2人は「まだ解明されていない残置諜報員の役割をひもとく、若い世代の一助になれば」と話している。(新垣綾子) 残置諜報員は、東京の旧日陸軍情報要員養成機関「中野学校」出身者で、身分を隠して配属地に潜り込み、戦闘の準備や住民を監視する任務を負った。伊平屋や波照間、与那国など九つの県内離島には、第32軍・沖縄守備軍の命

  • 沖縄タイムス | 旧軍不法行為で国提訴 沖縄戦民間人被害者ら

    旧軍不法行為で国提訴 沖縄戦民間人被害者ら Tweet 沖縄戦当時の状況を語る比嘉千代子さん(左)と山川幸子さん=那覇市内の比嘉さん宅 [画像を拡大] 社会 2012年8月15日 09時44分(3時間17分前に更新) 沖縄戦の民間人被害者ら40人が国に対して謝罪と損害賠償を求め、15日に那覇地裁へ「沖縄戦被害・国家賠償訴訟」を提起する。訴訟では、旧日軍による「集団自決(強制集団死)」の強制や壕の追い出しで死傷したケースも旧軍の不法行為として責任を求める。原告に加わった那覇市の比嘉千代子さん(79)と、めいの山川幸子さん(71)も、日兵に集落壕から強制的に追い出され、肉親を失った遺族だ。(伊集竜太郎) 沖縄戦当時、比嘉さんは12歳、山川さんは3歳。豊見城村長堂に住んでいた。戦況が激しくなり集落壕に避難した際、刀を抜いた日兵に「貴様らの首は1銭5厘だ。ここは兵隊の壕だ」と脅され、翌日まで

  • 「慰安婦」展に1800人 “沈黙の歴史”に新証言も - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

    社会 「慰安婦」展に1800人 “沈黙の歴史”に新証言も2012年6月29日  Tweet 期間中、予想を上回る約1800人が来場、新たな証言も寄せられた「沖縄戦と日軍『慰安婦』」展=27日、那覇市歴史博物館 県内で初めて「慰安婦」をテーマに那覇市歴史博物館で開かれていた「沖縄戦と日軍『慰安婦』」展(同実行委員会主催、那覇市共催)が27日、終了した。開幕から13日間で主催者の予想を上回る約1800人が訪れ、1日当たりの平均来場者数は同博物館の通常時に比べ4倍の多さだった。 期間中、来場した9人から6カ所の慰安所に関する証言が寄せられ、うち南城市玉城糸数、那覇市首里真和志町で民家が慰安所に接収されたという新たな証言が2件あった。7月5日からは南風原文化センターで移動展が始まる。 同展は旧日軍の沖縄への配備とともに格化した慰安所の設置と「慰安婦」にされた女性たちの性被害に焦点を当て

  • 偽の論点による偽の反論(の・ようなもの) - Apeman’s diary

    http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51796333.html 来であれば改めてとりあげるまでもない愚論なのだが、新宿ニコンサロンでの安世鴻写真展をめぐるニコンの腰砕けの対応(仮処分命令後はむしろ自ら写真展を潰しにかかっているようだが)や、先週末に「復帰」40年目の「慰霊の日」を迎えたことで関心をもった方もおられるだろうから、簡単にコメントしておく。 史実にこだわるなら、まず朝日は「慰安婦が女子挺身隊として強制連行された」と記述し、今に至る騒動のきっかけとなった1992年1月11日付の記事を訂正して謝罪すべきだろう。 来ました、定番の「慰安婦」問題=朝日新聞起源論。朝日の、たったひとつの記事がそれほどの影響力を発揮したとは驚きだ! しかし「挺身隊」についての誤解は朝日新聞の専売特許ではなく、読売新聞の記事にもみられることは、ずいぶん前に小倉秀夫

    偽の論点による偽の反論(の・ようなもの) - Apeman’s diary
  • 沖縄慰霊の日:「絶対生きろ」投降促した知事の言葉胸に- 毎日jp(毎日新聞)

    「女、子供に敵は何もしないから君たちは最後は手を上げて出るんだぞ」。沖縄戦の組織的戦闘が終結したといわれる1945年6月23日の直前、当時の島田叡(あきら)知事=兵庫県出身=から掛けられた言葉を胸に、県警察部職員だった山里和枝さん(85)=うるま市=は戦後67年間を生きてきた。島田知事はその後、沖縄島南部・摩文仁(まぶに)の軍司令部壕(ごう)に向かい、消息を絶った。語り部として戦争の悲惨さを訴え続ける山里さんは言う。「知事は私に『絶対に生きろ』と言ったんです」 45年5月、沖縄守備軍司令部が置かれた首里にほど近い県庁壕に、海軍から県庁職員を看護要員として派遣するよう要請があった。県警察部職員だった山里さんはすぐに応じた。「どうせ死ぬ命。少しでも役に立って死にたいと思った」 だが、たどり着いた海軍壕(豊見城=とみぐすく=市)は「地獄」だった。病棟には薬も包帯もない。治療どころではなく、壕外

  • Gazing at the Celestial Blue 旧日本軍第32軍司令部壕説明板記述から「慰安婦」等の記述が削除

    「沖縄情報うちなーぐちフェスタ」さんでは、「旧日軍の第32軍司令部壕」をこう説明していた。この司令部跡は首里城と弁財天の間にあるのですが、看板もなく、どのサイトでもあまり紹介されていないため、誰も訪れることが有りません。 あるいは、「沖縄発!役に立たない写真集」さんによると、首里城と弁財天堂との間の木々の中にひっそりと、首里にあった旧日軍の第32軍司令部壕の痕跡が残っています。案内板も説明板も無く、首里城とは対照的に、観光客はだれも誰も訪れてはいません。 草場の中に埋もれようとしているこのコンクリートの残骸が、旧32軍司令部壕の入口の一つでした。現在戦闘による落盤の為、この入口からは入る事ができません。 そんな旧日軍第32軍司令部壕に、説明の看板が設置されるという話を目にした。説明文案はこんなだったというのだが…。 第32軍の創設と司令部壕の構築 1944(昭和19)年3月、南西諸島

  • 「捨て石」削除 本質から目を覆う暴挙だ - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

    社説 「捨て石」削除 質から目を覆う暴挙だ2012年3月17日  Tweet 県が第32軍司令部壕説明板の翻訳用文案から「捨て石」の記述を削除した。沖縄戦の質から国民の目を覆う暴挙だ。県は直ちに元の文案に戻すべきだ。  誤解されがちだが、捨て石とは情緒的な物言いではない。資料に裏打ちされた歴史的事実である。  1945年1月、大営は帝国陸海軍作戦計画大綱を定めた。沖縄戦を戦う上で法にも等しい公的文書である。  そこには「皇土特ニ帝国土ノ確保」を作戦の主眼とすると書いていた。沖縄を「縦深作戦遂行上の前縁」と位置付け、「前縁」では「極力敵ノ出血消耗ヲ図」ると定めていた。土決戦に備える(縦深作戦)ため、時間稼ぎをする(出血消耗を図る)のが目的なのだ。「捨て石」は、これを3文字に要約したものといえる。 故に、住民を守るはずの軍が住民を戦闘へ巻き込み、時に壕から追い出すなどした。沖縄戦の

    unyounyo
    unyounyo 2012/03/17
    『帝国陸海軍作戦計画大綱』
  • 沖縄タイムス | 32軍壕埋める可能性 県が示唆

    32軍壕埋める可能性 県が示唆 Tweet Clip to Evernoteこのエントリーを含むはてなブックマークLivedoorクリップに投稿deliciousに投稿Yahoo!ブックマークに登録 政治 2012年3月13日 09時46分(4時間40分前に更新) 「従軍慰安婦」「住民虐殺」の文言が説明板から削除された第32軍司令部壕について、県は12日、2012年度に強度などを調査した上で、埋めることもあり得るとの考えを示した。 下地寛環境生活部長が「年300万円かけて維持、管理しているが、陥落事故も起きており、このままではいけない。工学的に調査し、埋めることも含めて最終判断する」と述べた。県議会予算委員会で、前田政明氏(共産)への答弁。 下地部長は「沖縄戦の指揮を執った第32軍の司令部があったという重要な価値がある」と認めつつ、安全性には懸念を示した。 一方、「沖縄戦の歴史歪曲(わいき

  • 沖縄タイムス | [第32軍壕説明板]「削除」判断の裏に何が

    [第32軍壕説明板]「削除」判断の裏に何が Tweet 2012年2月25日 09時17分(13時間31分前に更新) 太平洋戦争末期の沖縄戦で首里城地下に構築された日陸軍・第32軍司令部壕の入り口に、県が来月設置する予定の説明板から「慰安婦」と「日軍による住民虐殺」の文言を削除したことが分かった。同司令部壕の慰安婦と住民虐殺について「相反するいろんな意見があり、確認されていない」(仲井真弘多知事)というのが削除の理由だ。 県は慰安婦と住民虐殺について多くの証言があることは事実と認めながら、「ない」という証言もあり、行政対応のバランス上、削除を決めたと説明している。行政バランスを根拠に削除するやり方に説得力があるだろうか。 削除のプロセスも不透明で、釈然としない。 県は昨年10月に有識者ら5人で構成する説明板に関する検討委員会を設置。同年11月に最終案を作成した。池田榮史委員長(琉球大教

    unyounyo
    unyounyo 2012/02/26
    ネット上では桜とか日本会議が目立つな。
  • 沖縄タイムス | 「住民虐殺は事実」郷土史家が証言

    「住民虐殺は事実」郷土史家が証言 Tweet 社会 2012年2月25日 09時26分(1時間9分前に更新) 【読谷】「虐殺は事実。歴史を隠してはいけない」。沖縄戦当時、鉄血勤皇師範隊として第32軍司令部壕の壕掘りを命じられていた郷土史家の渡久山朝章さん(83)=読谷村=は、スパイの疑いをかけられた女性が兵士の命令で処刑される場面を目撃した。周囲には何人もの兵士や師範隊員がいた。「虐殺された場所は、はっきりと覚えている」と語り、県が司令部壕の説明板から「虐殺」の記述を削除したことを疑問視している。 県は記述削除の理由として、虐殺の場所が「特定できない」としている。 一方、渡久山さんは、虐殺場所は司令部壕の「補給路」として掘り進めていた「第6坑道」付近と証言。現在の首里金城町付近で、処刑された女性は師範学校の田んぼ付近の電柱に縛られていたという。 その日の夜、女性の叫びを聞いた渡久山さんが声

  • 『沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会』第4回口頭弁論(H18.6.9)の速報-沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会

    『沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会』第4回口頭弁論(H18.6.9)の速報 代表 南木隆治 平成18年6月9日午後1時30分より大阪地裁大法廷で『沖縄集団自決冤罪訴訟』第4回口頭弁論があり、後に述べるようにこの裁判に我が方が勝訴できるだけでなく、「百人切り訴訟」の行方にも決定的な影響を及ぼし、流れを変えるであろうと思われる、我が弁護団のきわめて重要な意見陳述がありました。また、深見敏正裁判長より、我が方の訴えに関して、「具体的、個別的に、いつの時点から損害賠償を請求できる違法な状態が発生していると考えるのかを、問題とされているそれぞれの著作毎に、時系列の一覧表をつくってほしい」との要望が我が方に示され、裁判官が我が方の訴えを真摯に受け止めてくれており、間違っても門前払いをしようなどとは考えていないことがはっきりし、勝訴の気配を感じさせる法廷でした。我が弁護団の陳述を含め、きわめて大きな

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