1986年、当時のソビエト連邦、今のウクライナで起こった、チェルノブイリ原発事故。20年以上が経ちチェルノブイリは今、廃墟と化している。HDR(ハイダイナミックレンジ合成)写真で、今の姿が収められている。
1986年、当時のソビエト連邦、今のウクライナで起こった、チェルノブイリ原発事故。20年以上が経ちチェルノブイリは今、廃墟と化している。HDR(ハイダイナミックレンジ合成)写真で、今の姿が収められている。
『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』が、2017年 7月11日より、オンデマンドブック(電子書籍ではありません)として下記よりお買い求めいただけるようになります。価格は 5,200円です。
============================================================== ※お断り: 当ブログ上に掲載する訳はあくまでも暫定訳であり、 出版される際にはさらに訂正・修正が加えられる可能性があります。 ブログへのリンク、内容の引用・転載については、こちらをごらん下さい。 ============================================================== アレクセイ・V・ヤブロコフ (a)、ヴァシリー・B・ネステレンコ (b)、 a. ロシア科学アカデミー モスクワ(ロシア) b. 放射線安全研究所(ベルラド) ミンスク(ベラルーシ) キーワード: チェルノブイリ、放射性核種、放射線分解、土壌、水界生態系、生物濃縮、移行係数、放射性異常形態形成 汚染地域における大気、水、土壌の放射能レベルが、直接もし
26年前に事故を起こしたチェルノブイリ原子力発電所の関係者が、19日、国会の原発事故調査委員会に出席し、原発事故のあとに生まれた子どもの中には、健康に異常が見られるケースも出ているとして、国は、放射性物質の健康への影響に、長期にわたって注意を払う必要があると訴えました。 国会の原発事故調査委員会には、ウクライナ非常事態省のホローシャ・チェルノブイリ立入禁止区域管理庁長官ら3人が参考人として招かれました。 この中でホローシャ氏らは「チェルノブイリ原発事故の発生当時、子どもだった人が親になり、生まれた子どもの中には、健康に異常が見られるケースもある。国は、真剣に向き合う必要がある」と述べ、国は、放射性物質の健康への影響に、長期にわたって注意を払う必要があると訴えました。 また、ホローシャ氏らは「ウクライナでは、子どもたちや住民を社会心理学的な面からサポートするセンターを設置している。また、放射
被曝(ひばく)の森はいま (再) 2011年5月10日 火曜深夜[水曜午前 0:00~0:50] 11年6月2日 木曜深夜[金曜午前 2:06~2:57] 11年7月5日 火曜深夜[水曜午前 0:00~0:50] 11年8月9日 火曜 午後11:00~11:50 12年3月8日 木曜深夜[金曜午前 0:00~0:50] 12年3月15日 木曜 午後6:00~6:50 事故現場から18キロ地点、人影のない汚染地区の一角で暮らすレオニード。家の回りで栽培する農作物を食べて生活している。科学者でもあるレオニードは、放射線を浴びた農作物を調査。農作物の種類によってその度合いが違うことを知る。汚染された場所で栽培しても、食べられる農作物があることが分かったのだ。 ウクライナ人のガシュチャク博士は長期にわたってチェルノブイリ周辺で放射線の影響を調査している。放射線レベルはまだ通常より数千倍も高いが、直
1992年の3月と6月にわれわれは,1986年4月26日に事故を起こしたチェルノブイリ原発にほど近いベラルーシ共和国ゴメリ州ホイニキ地区の地区中央病院において,事故当時に作成された医療記録の調査を行なった.その結果,事故から数週間の間に記録された82件の放射線被曝例を発見したことは以前に報告した1.そのうち8件は急性放射線症と認められるものであった.われわれの報告は,ベラルーシ,米国,日本において関心を惹き起こした2,3. しかしながら,それら1986年5月から6月にかけての医療記録を詳しく分析することは,事故直後のホイニキ地区における放射線状況や被曝量に関する情報がなかったり(また歪曲されたり)していたため困難であった.事故の規模を検討する上で最も基本的な情報である,事故直後の放射線状況に関するすべてのデータは,当時の慣例に従って,ソ連水理気象委員会によって秘密にされていた.ホイニキ地区
ウクライナのチェルノブイリ原発事故後、周辺汚染地域では過去15年間で膀胱癌の発生頻度が約1.6倍に上昇したと報告されている。その原因として現在も土壌中に残存する低レベルCs137の長期間暴露が考えられる。我々は臨床的に膀胱がん症状のない汚染地域住民の膀胱粘膜に、上皮異形成や上皮内がんを含む膀胱がんの発生率が、汚染地域住民の24時間尿におけるCs137レベルにほぼ比例して上昇していることを見いだした。我々はまた、汚染地域住民の膀胱に上皮異形成や粘膜内癌を高頻度に伴う特異的な慢性増殖性膀胱炎を見いだしチェルノブイリ膀胱炎と命名した。その膀胱病変においてはp53,p21,サイクリンD1等、様々な癌関連遺伝子が異常発現していると共にiNOS, COX2なども異常発現しており、この地域の膀胱病変発生には酸化的ストレス傷害が深く関与することを証明した。さらに、原発事故後に認められた膀胱癌が事故前に同地
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東日本大震災写真特集 岩手県被災地 宮城県被災地 福島県被災地 福島原発特集 日本の規制値「理解できない」=ベラルーシの放射能専門家 日本の規制値「理解できない」=ベラルーシの放射能専門家 旧ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原発事故による放射能の影響を調べているベラルーシの専門家ウラジーミル・バベンコ氏が12日、日本記者クラブ(東京都千代田区)で記者会見した。東京電力福島第1原発事故を受け、日本政府が設定した食品の暫定規制値が高過ぎるなどと指摘し、「日本の数値は驚きで、全く理解できない」と述べた。 ベラルーシはウクライナの北隣に位置し、チェルノブイリ事故後、元原子力研究者らが「ベルラド放射能安全研究所」を設立。住民の被ばく量検査や放射能対策指導などをしており、バベンコ氏は副所長を務めている。 バベンコ氏は、ベラルーシでは食品の基準値を細かく分類していることや、飲料水の放射性セシウム
日本の規制値「理解できない」=ベラルーシの放射能専門家 日本の規制値「理解できない」=ベラルーシの放射能専門家 旧ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原発事故による放射能の影響を調べているベラルーシの専門家ウラジーミル・バベンコ氏が12日、日本記者クラブ(東京都千代田区)で記者会見した。東京電力福島第1原発事故を受け、日本政府が設定した食品の暫定規制値が高過ぎるなどと指摘し、「日本の数値は驚きで、全く理解できない」と述べた。 ベラルーシはウクライナの北隣に位置し、チェルノブイリ事故後、元原子力研究者らが「ベルラド放射能安全研究所」を設立。住民の被ばく量検査や放射能対策指導などをしており、バベンコ氏は副所長を務めている。 バベンコ氏は、ベラルーシでは食品の基準値を細かく分類していることや、飲料水の放射性セシウムの基準値が1リットル当たり10ベクレル(日本は同200ベクレル)であることなど
2000年3月26日、ウクライナ・チェルノブイリ原発(以下、チェル原発)の石棺近くにたたずみながら、私は14年前の放射能検出を思い出していた。 旧ソ連のチェル原発で86年4月26日に大事故が発生したことを私が知ったのは、事故から3日後の29日早朝であり、その日から私は放射能測定の観測体制に入ったのだった。「9000kmも離れた日本に放射能など来るはずがないではないか」とからかわれながら、空気中のダスト測定を続けていた。日本には常時観測をしている所もあるのだから、止めようかと思わないではなかった。連休ぐらいはのんびりとしたかったからでもある。連休最後の1日ぐらいは休もうかと思っていた矢先の5月4日のことだった。 それまで放射線検出を示す光がポツポツと思い出すように測定器の画面上に点滅するだけだったのが、まるで大雨にでも遭遇したかのようにザーと流れるような点滅を示したのだ。私は息をのんで画面を
【ジュネーブ伊藤智永】世界保健機関(WHO)の放射線による健康被害調査部門が廃止された後に起きた、東京電力福島第1原発事故。放射線による健康被害は、86年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故と同程度か、それ以下か、それ以上か--。政府や多くの専門家が「今のところ心配ない」と言っても、人々の不安は解消されない。こうした不信感が生まれる土壌には、核の健康被害に関する国際的な調査・研究体制が整備されてこなかった現実がある。 ◇戦後の国際秩序反映 半世紀以上前のWHOの報告書がある。放射性物質が人間の遺伝子に及ぼす影響について、エックス線による突然変異を発見しノーベル賞を受賞した遺伝子学者のマラー博士ら専門家に研究を委託した。 結論は「原子力発電産業の発展により、将来世代の健康は脅かされている。将来の遺伝子の突然変異が子孫に有害だと判断する」。世界はおののいた。 翌1957年、国際原子力機関(IAEA
Vremya Novostyej紙 2001年5月23日 記事 今年の1月、フランスの物理学者で、「チェルノブイリの惨事」(桜井醇児訳、緑風出版、1994)のベラ・ベルベオークさんよりメールが届き、いくつかの手紙が添付されていました。ゴメリ医科大学の学長であるBadazhevsky教授が昨年7月いわれなく逮捕されたが、国際的救援運動のおかげもあって暮れに釈放された。しかし、いまだにミンスクから離れることを禁じられている、という内容でした。 翻訳して紹介しておきます。 国際キャンペーン「Bandazhevskyを自由に」と国際アムネスティの迅速な行動によって、(1999年)12月27日午後4時、Bandazhevsky教授は釈放されました。身柄引き取りに出向いたNesterenko教授によると、彼は20kgもやせ10歳以上歳をとったように見えた、とのことです。しかし、彼はしっかりしており、6
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