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援助論に関するunyounyoのブックマーク (6)

  • それを「被害者萌え」と言います

    貧困や売春をする女性に対する支援の現場では、支援者が当事者のことを被害者化しようとする傾向を表して 「被害者萌え」と言ったりします。 自分の支援対象が被害者であればあるほど、支援者にとっては「萌える」んですね。 しかし萌えてはいけない、そうなってはならないと、自戒をこめて常に気を付けながら当事者と接している現場は実際にあります。 当事者主義とか、当事者主権といった考え方です。 もちろん性犯罪の被害者が被害者であることには変わりはなく、どこをどう捉えても被害者であることには変わりありません。 (ましてや自己責任だなんていうことはあり得ません) しかしながら、被害者が「理想の被害者像」におさまってくれないことに理解し難い気持ちを抱くと、周囲の彼ら彼女らが表明するとき、 それは「被害者萌え」という彼ら彼女らの欲望の問題であり、被害者の問題ではありません。 私の問題であるより、あなたの欲望の問題で

    それを「被害者萌え」と言います
  • 「人を支援する」ということ

    大学時代の前半、現地で交流の少ないイスラエルとパレスチナの若者を日に招き、新潟・長野・東京で一ヶ月ほどの平和会議を主催したことがあった。 その会議は成田空港でイスラエル人とパレスチナ人が泣きながら別れを惜しむほど、成果は出たのだけれども、会議最後の一週間、東京滞在は大変だった。 大変だった、というのは「イスラエル人とパレスチナ人がケンカしたから」ではない。 彼らが六木で毎晩遊びまわっていたからだ。 「団体を支援して下さった方々のことを考えて欲しい」と僕は彼らに伝えたが、「東京に来たのに何故遊ぶ時間をくれないんだ。」と彼らは逆に怒っていた。 (一応補足しておくと、今でも彼らとの交流は続いていて、当時のことは笑い話になっている) ***** 何度かこのブログに書いているけれども、バングラデシュの娼婦街に滞在を始めた当初、僕は現地のローカルNGOでインターンとして働いていた。その中で、娼婦街

    「人を支援する」ということ
  • 医学書院/週刊医学界新聞 【〔特別編集・鼎談〕アディクションアプローチ(山崎摩耶,上野千鶴子,信田さよ子)】 (第2344号 1999年6月28日)

    「アディクション」は嗜癖と訳されるが,生活習慣への執着,悪習慣の意味合いを持つ。また,アルコールや薬物依存症などの分野で用いられることが多く,反復する強迫行動とみることができる。これらに対する実際の援助は,さまざまな方法を組み合わせて行なわれるが,信田氏はそれを「アディクションアプローチ」と総称した。 ―― このたび医学書院から,アルコール依存症などの臨床経験をもとに,従来の「家族」や「援助」の常識をことごとく反転させるようなショッキングなといえる,『アディクションアプローチ―もうひとつの家族援助論』というが出版されます。一方で,「訪問看護」が始まり20数年たつわけですが,現場では訪問看護婦が家族に巻き込まれたりすることもあり,「家族は怖い」との言葉も聞こえてきます。そこで今回は,著者の信田さよ子さんを交えながら,「家族」というものを改めて考えてみたいと思い,お集まりいただきました。

    医学書院/週刊医学界新聞 【〔特別編集・鼎談〕アディクションアプローチ(山崎摩耶,上野千鶴子,信田さよ子)】 (第2344号 1999年6月28日)
  • 「誰かを助ける」ということ - 琥珀色の戯言

    参考リンク(1):「学費を支援してくださる方を探しています」(BLOGOSの「話題」より) もう、この件については語り尽くされているようでもあるのだけれども。 僕はこのstudygiftというのと、その広告塔になった大学生・坂口綾優さんの写真をみて、なんだかすごくモヤモヤしてしまったんですよ。 そして、この件について、あまりに世間の反応が厳しかったことにも。 ネットで、坂口さんを責める声には「学生は学業が分のはずなのに、自分が勉強しなくて留年したツケを、社会にまわすな!恥を知れ!」みたいなのが少なからずありました。 僕もそう思うところはあります。 少なくとも、留年したのは、人の責任です。 でもまあ、大学時代、勉強と部活に明け暮れ、そんなに羽目を外すこともなく、地道に単位を取り、国家試験にもストレートで受かった(って言っても、9割くらい受かっちゃう試験なんですけどね)僕としては、逆に、こ

    「誰かを助ける」ということ - 琥珀色の戯言
    unyounyo
    unyounyo 2012/05/23
    被援助の自己責任化という意味では非難してもいいのかもしれない。
  • 信田さよ子「加害者は変われるか――DVと虐待をみつめながら」 - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    加害者は変われるか?―DVと虐待をみつめながら 作者: 信田さよ子出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2008/03メディア: 単行購入: 7人 クリック: 71回この商品を含むブログ (22件) を見る 3月末に出た新刊である。現時点で、私は「このは、日における被害者援助ついての最良の入門だ」と思う。ここ4〜5年は、被害者支援ブームで、精神科医もカウンセラーも女性団体も、も杓子も援助に乗り出してきた。ようやく、「被害者支援とは、かわいそうな人に同情を寄せることではない」と明言する、支援者向けの書籍が出てきたと言えるだろう。しかも、信田さんは加害者支援を通して、暴力を孕む親密な関係性へと、分析のメスを入れる。 児童虐待においては、信田さんは加害者を3つのタイプにわける。(1)被害を自覚できる(罪悪感のある)加害者、(2)被害を自覚できない(罪悪感のない)加害者、(3)病理のある

    信田さよ子「加害者は変われるか――DVと虐待をみつめながら」 - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
  • 「我が事」として何かを「社会を変えたい」と思うとき - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    大西さんから、私のフェアトレードについての下の記事*1にコメントをいただいた。 大西宏「やまもといちろう氏は別にフェアトレードを批判したのではない(メモ)」 http://ohnishi.livedoor.biz/archives/51327750.html 大西さんは、これまでの議論の流れを追った上で、以下のように書く。 小松原織香さんが、コーヒーにまつわる問題点買い手としての消費者の意識の問題に重きをおいていますが、ちょっと認識のズレというか、小松原が「我が事」としてどうするんだとうということが伝わってきません。 これは、そんな話ではない。「コーヒー一杯買う時に、消費者として、誰から何を買うことで、何が起きるのかを考えよう」という話が、この図から得られる示唆である。それが堀江さんの「俺はこういう構造に気付くまで多くの時間を要してしまったけれど、気が付いてからは違う目で世界を見ることがで

    「我が事」として何かを「社会を変えたい」と思うとき - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
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