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政治政策に関するaozora21のブックマーク (5)

  • 07年2月:安倍政治への対決の仕方 | YamaguchiJiro.com

    統一地方選挙の前哨戦として注目されていた愛知県知事選挙と北九州市長選挙は、与野党一勝一敗という結果に終わり、柳沢伯夫厚労相の首はつながったようである。しかし、中盤まで圧倒的な劣勢を伝えられていた愛知県知事選挙で、野党系の候補が肉薄したことは、安倍政治に対する国民の不満が大きいことの表れであろう。共同通信の世論調査では、内閣支持率40%に対して不支持率が44%に上り、不支持が支持を上回っている。柳沢氏の首は安泰でも、もはや安倍内閣全体は瀕死の情勢である。 とは言うものの、安倍政治を終わらせるのは簡単ではない。安倍という人はおそらく、幼い頃から出来の悪さを責められることに慣れているはずであり、むしろこれからその真価が発揮されるであろう。どんなに出来が悪くても、総理が自分から政権を投げ出さない限り、その内閣は続く。また、今のところ安倍政権は自滅の形であり、野党に対する期待感が高まっているわけでは

    aozora21
    aozora21 2007/02/11
    『人々が生きる希望と働く力を回復すれば、それが将来の税収を生み出すはずであり、短期的には財政赤字が増えてもかまわないと私は考える。』
  • ------------------  タウンミーティング 民意の反映 - 山田建築設計室の晴耕雨読

    政府主催のタウンミーティングでの、「やらせ発言」が問題になっている。市民の意見を政治に反映させるのが目的のタウンミーティング。同じような「民意の反映」は、現在いたるところで行われている。 私も、かつて、旧市街地のまちづくりワークショップを経験した。主催は地元町内会、市がオブザーバーで、我々建築士会のまちづくり委員は、町内会からのまちづくりの提言を案としてまとめるのが役割だった。出席者は、町内会の役員が主で、その他には比較的自由な時間がとれる高齢者の方、仕事や子育てに忙しい若い世代の出席者は皆無だった。町内会が主催としながら、その実は市が意見を誘導し、市の思惑どおりに意見がまとめられていく。中には、反対の意見も出てくるが、大抵の場合「この様な意見もあった」という形で、議事録の片隅に記録されるだけである。そして、最後に、集約された意見を、我々まちづくり委員が「市民の意見を反映したまちづくりの要

    ------------------  タウンミーティング 民意の反映 - 山田建築設計室の晴耕雨読
    aozora21
    aozora21 2006/12/14
    『主催者の思惑でまとめられたタウンミーティングやワークショップを経て、その提言が「民意の反映」のお墨付きを得てしまうことが問題だ。』
  • で、やはり都市と田舎の対立になるんだろうか? - カタログ落ち

    では老人の面倒を見るために、都市部が老人を受け入れて地方の過疎化をさらに促進すべきなのか?。というとそれは違うと思う。では家族が都市部での今の職をあきらめて田舎に引っ込むべきか?といっても、そもそも田舎には産業がないというのでムリという話になろうかと思う。いまさらではあるのだが、やはり田中角栄の日列島改造論が挫折したのが悔やまれる。結局アレが悲劇だったのは、志半ばにて計画が途中で立ち消えになり、都市がイイトコ取りをした段階でタイミングよく収束したことなんだと思う。田中角栄の真意を図りかねるし、自民党でもあるので正直あんまり持ち上げたくない。ただ田中角栄自身田舎の貧しい生活を身に沁みてわかっており、金権政治といわれようと日田舎を切り捨てるような構想は持っていなかったと思うのだ。地元新潟への利益誘導が非難されることが多いが、新潟は九州北部に次ぐ旧満洲・沿海州との貿易拠点となる可能性を秘め

    で、やはり都市と田舎の対立になるんだろうか? - カタログ落ち
    aozora21
    aozora21 2006/12/08
    『都市もおのれの見苦しさを今一反省して資本の抱え込みなどせず、地方も偏屈な旧弊なんて改めて、お互い日本のバランスの良い発展に向かって協力していければいいのだが』
  • 伊吹は馬鹿なだけなのか、いや高度な世論誘導作戦なのか(「美しい日本語できない小学生が英語をやる必要はない」) - 女教師ブログ

    小学校英語asahi.com:朝日新聞のニュースサイトMSN産経ニュース表示できません - Yahoo!ニュースNIKKEI NET      *1中央教育審議会が検討している小学校英語の必修化について伊吹文明文部科学相は27日、産経新聞など報道各社のインタビューで「必修化する必要はまったくない。美しい日語が話せず書けないのに、外国語をやっても駄目だ。子供のころからやりたい人は個人的にやる。小学校は外国語に興味を持つ程度にとどめるべきだ」と話し、必修化の必要性を否定する見解を示した。 言語政策のマクロ面しか見てない脳が少ない文教大臣。あんた、文部科学省の大臣でしょうが。小学校に英語を導入しようとしてる現在の流れは、「美しい」日語となんかこれっぽちも関係がないヘタレ政策だ。そんなことより大問題なのは、教員に関する問題だ。条件整備もバックアップも微々たる状態で教員の「自己努力」で何とかさせ

    aozora21
    aozora21 2006/09/28
    そうなんだ…<条件整備もバックアップも微々たる状態で教員の「自己努力」で何とかさせようとするアゲアゲ政策だから「必要なし」 たしかに『美しい日本語』には?だったけど。浪花節はいらない。
  • uumin3の日記 再チャレンジ?

    「再チャレンジ」という言葉は、どうしても単線の、何か一つの路線に拘っているときの言葉ではないかと聞こえます。ある道を進むのに失敗して、捲土重来、再度その道を行きなおすというような。 人生は単線の道でもありませんし、来一つの路線で失敗・挫折しても他の道はいくらでもあるようなものでしょう。決して理想論ではなく、それは自分の心一つで見えてくるものじゃないかと思っています。 たとえば世俗的な成功、名声、財云々というものが目指され、そこに至るために学歴、キャリアe.t.cの積み上げが必要だとか、たとえば絵に描いたような幸せな人生というものがあって、そこに届くために幸せな学生生活や恋愛、そして自分を一番理解してくれる無二の人との出会いがあって子供ができて…とか、それらはあくまで一つのモデルケースでしかないでしょう。といいますか、「皆がそう思っているだろう」という想像上の意見集約が為されたようなむしろ

    uumin3の日記 再チャレンジ?
    aozora21
    aozora21 2006/09/27
    『、どこかその「再チャレンジ」という言葉には「もう一度同じ道を競争してみなさい」と言っているような、そういう含みを感じてしまいます。』
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