粗大ゴミに車輪を付けて捨てに行く マンションで暮らしていると自宅から粗大ゴミ置き場まで若干の距離があったりします。手で持てるサイズ・重量の粗大ゴミなら手で運べばよいし、それよりも一回り大きいくらいのものならマンション共用設備から台車を借りられる場合があります。 今回、キッチンで 10 年…
追記もしましたが、自家中毒ですね。そういう煽りは良くないと反省しています。追記の通り、タイトルについての違和感の表明がなされたので変えません。本文ではそういうニュアンスのことは一切書いていないのですが… 不快感を表明されたかたには謝罪いたします。 ついでなので補記しておきます。悩み相談とか、そういったことが危険だからやめたほうがよいという話ではありません。「カウンセラー」という権威(少なくとも、自分を救ってくれる可能性があるというラベルが対外的に貼られている人)を求める人に対して、あるいは手法を知っているということをアピールすること(素人カウンセラーを標榜したり、心理学の知識があることをアピールしている人)によって頼ってくる人に対して、本当に責任を持てる対応ができるのですか、という話です。一度依存関係を作ると見捨てることはできません。悩み相談の枠を超えたら、素人の出る幕ではなくなった、とい
追記:いきなり追記ですが、タイトルは煽りすぎでした。が、タイトルへの違和感を中心としたトラバがついてしまったので変更しないでおきます。本文内では「考え直した方がよい」くらいの話になっています。追記終わり。 たまたまb:id:Marco11のとこで特集wしてたんで、言及しとく。 僕は大学では心理学を学んだ。まあ、いわゆるモラトリアムと言う奴だ。そちらの道に行くつもりはなかったし、完全に興味本位。しかもうちの大学は完全に実験系で、当時は臨床の教授もいなかったくらいだから、当然臨床心理士とかカウンセラーとか、そっち方面は関係ない。それでも、ちょっとは臨床のことを学ぶわけだ。発達も行動もやるしね。そこで知ったことは、人の心のあまりの脆さと言うもの。ガラスのハートっていうけど、繊細じゃなくても砕けない心なんてないよ。もし砕けないように見えたらきっとその心は既に崩壊しているに違いない。 恐ろしいものを
島の人口は現在約4万7000人だが、県外からの移住者は昨年だけで1840人にも上る。住民票を移さない“幽霊人口”を含めると、実際の人口は5万~6万人に達するという見方もあり、移住ブームは盛り上がる一方だ。 石垣島には地元の人が「リトルトーキョー」と呼ぶ地域がある。市街地から車でおよそ30分、海を一望する斜面に40戸ほどの家が建つ山原(やまばれ)の新興住宅地だ。デザインに工夫を凝らした家が立ち並び、近隣には犬の美容室や瀟洒なレストランもある。まさに東京の住宅地さながらの「移住村」だ。 地元の不動産会社の社員は、「山原の住民は、全員が他府県から来た人。4年ほど前は坪4万~5万円だった地価が、7万円程度にまで値上がりした」と話す。 だが、不動産関係者が好況に頬を緩める半面、もともとの住民は移住者の増加に苛立ちを募らせる。「もう来ないでほしい」というのが地元の一般住民の本音だ。
しばらくぶりに非モテの話がちょっと目立ってきたように感じます。G★RDIASの記事が再燃の端緒にも思えますし、crowserpentさんが進めようとなさる話にも興味が湧きますが、ここはまず革非同の古澤克大さんの「非モテの階級的歴史認識」をちょっと真面目に考えたいと思います。 古澤さんは敢えて左翼言論ぽく「フラレタリア」としての非モテを語られているのですが、私は以前から「非モテ」言説の背景に「格差社会」に対してもの申す問題意識と類似の形を見ていました。 格差社会批判とは「生まれ」という自分ではどうしようもないものによって格差が生じ、不公平になることを許容する社会へ向けられたものです。生まれつき恵まれているものと恵まれなかったものとが生み出され、社会においてその格差が固定されて、持たざる者はどう努力しても恵まれた者には届かないという構造がここで批判されているのだと考えられます。 格差社会批判で
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