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2008年6月30日のブックマーク (12件)

  • 承認欲求・マズロー周りの、最近の記事クリップ&私見 - シロクマの屑籠

    最近、「承認欲求」関連の記事を立て続けに見かけたので、保存がてら、まとめてコメントしてみようと思う。百家争鳴の観だが、多くの記事に共通しているのは「時代の変化」「承認欲求的な何かを体感することの、現代的困難さ」だったとは思う。そのうえで、見通しや対策について色々な人が意見交換している、という風にみえた。 なお、このまとめ記事では、混乱をできるだけ避けるために、A.マズローの欲求段階説にある用語「承認欲求」「所属欲求」「自己実現欲求」に統一したニュアンスで書いていくこととする。以下のリンク先の文章は「承認」「承認欲求」がそれぞれで微妙に違っているような気がするが、この記事クリップ上では、一律にマズローの欲求の階層を念頭に置いたうえで言及してみる。 Thirのノート 今回のやりとりのスタート地点、とおぼしき記事。この記事では、まず「承認」の定義づけから入っているが、内容から察するに、マズローで

    承認欲求・マズロー周りの、最近の記事クリップ&私見 - シロクマの屑籠
  • 承認フレームワークの拡張 - socioarc

    承認フレームワークの拡張 Society 1ヶ月ほど前に「国民総幸福量の増大には価値観の真の多様化が必要」というエントリを書きかけて放置していたところ、例の秋葉原の事件が起きてぎょっとした。「価値観の多様化」という言葉はモノやサービスが大量に売れなくなった原因として挙げられる訳だが、それはあくまでも商品の好みが多様化しているだけであり、こと生き方や幸福観としてみた場合には余り多様化していないどころか、むしろ画一化しているようにすら感じられる(例えば、「「見た目」依存の時代―「美」という抑圧が階層化社会に拍車を掛ける」とか「容姿の時代」)。 先の事件が承認の問題が遠因あるのではというのは、先日のニュースメモでも書いたが、socioarcでは以前から「ベーシックアクノリッジメント(基的承認)」などで取り上げて来たように、承認を得られないこと、承認格差が社会の不安定化に繋がるという問題意識があ

  • 「素晴らしく綺麗な景色」は写真に撮れない

    最新記事(inside out)へ  | 年と月を指定して記事を読む(クリック!) / 2001/ 2002/ 2003/ 2004/ 2005/ 2006/ 2007/ 2008/ 2009/ 2010/ 2011/ 2012/ 2013/ 2014/ 2015/ 2016/ 2017/ 2018/ 2019/ 2020/ 2008年5月 を読む << 2008年6月 を読む >> 2008年7月 を読む 綺麗な風景を見てカメラのシャッターを押したい、と思うことがあります。それは、写真に撮って残したいという気持ちではなくて、目の前に広がる素晴らしい景色を他の誰かにも伝えてみたい、というような感じに近いように思います。心惹かれる景色であればあるほど、そんな景色を写真に撮りたい・誰かに伝えたい気持ちが浮かび上がってきます。 けれど、それがどんなに素敵な景色だったとしても、カメラを取り出そうと

    aozora21
    aozora21 2008/06/30
    風景だけでなく大切な瞬間はファインダーを通してじゃなく自分の目で見ておきたいとおもう。
  • 「承認」だけでは済まぬ問題たち―物語と承認の彼方に - No Hedge!

    「承認」の話が自分の観測範囲内でちょくちょく見られるので後出しじゃんけんをしてみる。「ロスジェネ」のシンポでも色々話が出たようだが、パフォーマンスと言えどナイーヴな議論も出たようで、またいくつかの議論はその焦点がぼやけているものもある、と思ったので書いてみた。彼女が出来れば、セックスできれば、コミュニティに所属すれば、作品を認めてもらえれば、「承認」にまとわり付く諸問題は解決する、というわけではない。問題はその深層にある。 自己の連続性としてのアイデンティティ 「承認」と一口に言ってもそれは様々なコンテクストの中で語られ、また意味を持つ。だからこそはてな村で延々と議論されまた車輪の再発見をもたらしうるのだが、それではちょっとノイズが大きすぎるので、社会学者のアンソニー・ギデンズに拠って(彼の)「アイデンティティ」論に置き換えてみる。 まずは引用から。 自己アイデンティティは、生活史という観

    「承認」だけでは済まぬ問題たち―物語と承認の彼方に - No Hedge!
    aozora21
    aozora21 2008/06/30
    そういうのって親や周囲の何気ない「お前はこういう人間だ」っていう決め付けが影響すると思っている。
  • 批判されて、なるほどわかりました、となる人は少ない - カナかな団首領の自転車置き場ダイアリー

    批判が誰の為に行われるか、なんだけど、批判されて、「あいわかりました」と納得して、即コペ転するような人は、そうそう居ないとは思う。少し時間を置いて、変遷した人は見た事有るけれど。←批判されて、納得して、態度を一変させた。スゴい奴だなあ、と思った。 朝日新聞とか、毎日新聞とか、批判されたって、態度一変させたりしないと思う。あと、Web で声高に叫ぶような、所謂ブロガーだって、「おお、なるほど。その通りです。まいりました。目が覚めました」なんてことには、そうそうならないわけで。かの「はてな」大嫌いの先生だって、事実誤認について、指摘されてたのには気づいていたにも関わらず、当該部分を、そーっと改変して誤摩化しただけだったりするわけで。 ぢゃあ、批判が無意味なのかというと、そうではなくて、たぶん、その読者たちには意味を持つ場合があるんだろうと思う。 ある意見が有って、「もっともだー」とか思っても、

    批判されて、なるほどわかりました、となる人は少ない - カナかな団首領の自転車置き場ダイアリー
    aozora21
    aozora21 2008/06/30
    『批判が無意味なのかというと、そうではなくて、たぶん、その読者たちには意味を持つ場合があるんだろう』
  • MELANCHOLIDEA -メランコリデア-: 未だ子供の知り合いなどいない(私には)

    しばらく前に新聞の人生相談コーナーで、小学生からの投稿を見た。 内容は忘れたけれど、自分が子どもだってことをきちんとわかっていて、 抱えている問題は子供である自分が口を出すことではない、とか、 子供である自分にできることはあまりないってことも理解していて、 だけどやっぱりどうにかしたいから助言が欲しいってな聡明な相談だった。 それに対する回答。 「信頼できる大人に話しましょう」 身も蓋もない… そりゃ身近な大人にどうにかしてもらうしかないことはあるけどさ、 信頼(相談)できる大人がいる子はそもそも新聞なんかに相談しないよ。 なりたい大人「周りにいない」=中高生の5割が回答-青少年機構 なりたい大人が周囲にいないと考えている中高生は約5割に上ることが、独立行政法人国立青少年教育振興機構が公表した2006年度調査で分かった。また、高校2年生の7割は将来仕事に就く条件に「正社員」を挙げ、安定的な

    aozora21
    aozora21 2008/06/30
    なんかのコンテストで「尊敬する人は」と問われて口ごもって間が開きすぎてしまい「これまで関わった人全て」と答えておいた。これも嘘だね(笑)
  • 人は考える葦だが - 北沢かえるの働けば自由になる日記

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    aozora21 2008/06/30
    公立幼稚園だったが次男の時の園長がよく「先生(部下になるのかな)の労働者としての権利」を口にしていたなあ。
  • [onoko]最近考えていること - 北沢かえるの働けば自由になる日記

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    aozora21 2008/06/30
    私も中学生のはじめのころまではよく考えてすごく怖くなってやめてしまった思い出が。なんかブラックホールが見えた。
  • 承認欲求って昔から政治権力や宗教の源泉だよ - 雑種路線でいこう

    現代日が非承認型社会なのか、だいたい社会が承認を担保してくれることを期待してる奴ってキモくね、とか思うけど。承認って妙にネットワーク効果があるよね。誰かから認められ、そういう評判があると他の誰かからも認められやすいし、誰かから認められたという自信に裏打ちされた行動が、他からの承認を勝ち取ることもある。だから簡単にポジティブ・フィードバックでベキ法則風に分配されてしまうし「どーせ承認されないし」的ジタバタをやったところでハリネズミ症候群となってしまったり、そもそもエントリーポイントどこ?的な話はある。 この問題、決して昔が良かったとは思えないんですよ。昔からの承認って職能的なところは社会的地位に紐づいていて人にはどうしようもなかったりしたろうし、人格的なところは村社会で非常に狭いところに押し込められていただろうから。そういう諸々が郊外化で崩壊して、団塊世代がヒューマニズム的な教育観を持ち

    承認欲求って昔から政治権力や宗教の源泉だよ - 雑種路線でいこう
    aozora21
    aozora21 2008/06/30
    『自己承認欲求とどう向き合うかについてのLife Hackって伝統的に地域社会や宗教が担ってきた役割/問題が顕在化しているとすれば過渡期故/逆に効率的に承認欲求を満たす仕掛けを提供できる人々にとって大きなチャンス
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    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

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    aozora21
    aozora21 2008/06/30
    『物象化以降の人間意識のありようをつぶさに観察し、ソフトパターナリズムを打破することはできないまでも、せめてそれに加担しないだけの行動を心がけることこそが、リスク社会の行き先を正しく見据えるのに役立つ
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    はてなブログ お邪魔します。 お早う御座います、よゐこ有野です! こちらのLINEブログから引っ越して来ました。 僕のブログ歴はココに居てはる人らの中では長い方やと思います。 あらすじはこんな感じ 飛ぶのが面倒な方はそのまま読み進めてもなんとなく分かります。 2005年に書いたブログやから、…

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    aozora21
    aozora21 2008/06/30
    私が「評判」を気にしないでいられるのは、こういう読者の存在を認識しているからです。それは幻想かもしれないと思っていたけれど、ほんとうにいて嬉しかった。
  • 士はおのれを知るもののために死す - novtan別館

    古代、人が簡単に死ぬ時代、承認欲求に懸ける命の重さは軽かったのかな。富貴は価値観として重く見られず、他に比すべきものが無かったからかも。命が軽かったのではなく、他に代価がなかったのかな。だから、知るという承認自体が重いことなんだな。 現代の承認欲求は地位も名誉も財産もと欲張りだから困る。承認のために差し出す代価は何?命?そんなの値段に換算しないからいいのであって、換算しちゃったら一山いくらだよ。この平等な社会では。

    士はおのれを知るもののために死す - novtan別館
    aozora21
    aozora21 2008/06/30
    『そんなの値段に換算しないからいいのであって、換算しちゃったら一山いくらだよ。この平等な社会では。』こりゃ名言ですな。