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ブックマーク / klov.hateblo.jp (10)

  • 『思想地図 vol.2』レビュー - 絶倫ファクトリー

    思想地図〈vol.2〉特集・ジェネレーション (NHKブックス別巻) 作者: 東浩紀,北田暁大出版社/メーカー: 日放送出版協会発売日: 2008/12メディア: 単行購入: 37人 クリック: 362回この商品を含むブログ (105件) を見る 遅まきながら、あけましておめでとうございます。年もよろしくお願いします。 そして遅まきながら、『思想地図』第二号。どの論考も面白かったのだが、全部レビューする気力がないので、5ばかしピックアップして紹介させていただく。 書は「特集:ジェネレーション」となっているが、実質「ジェネレーション」パートと「インフラ」パートに分かれている。これを編者の二人になぞらえて北田パート・東パートと名づけてもいいのだが、若干互いのセレクションが入り混じっている感じもあるので、適切ではない。 「世代間対立という罠 上野千鶴子インタビュー」 『SIGHT』誌上

    『思想地図 vol.2』レビュー - 絶倫ファクトリー
  • ブログにおける議論の「強度」と「文脈」 - 絶倫ファクトリー

    最近、ブログ(と言ってもはてな周りが主なんだけど)がつまらないなと思う。何故か考えてみた。 ちゃぶ台返しと議論の「強度」 ある物事に関して、色々と不平不満を立て並べた挙句、「こうしたほうが良い」という改善点までご丁寧に指摘しているエントリーがあるとする。ブログを見ていれば四六時中目に付くタイプのエントリーだ。 それに対して、「そんなにアイディアあるなら、じゃあお前がやれ」と一言付けて突っ返す人がいる。これはちゃぶ台返しだ。「それ言ったらおしまいでしょう」と。なので元のエントリーを作った人は、そうした言葉を「不毛だ」「非建設的だ」と非難する。確かにそれはそうで、ちゃぶ台返しはちゃぶ台返しでしかない。それをやっちゃうと後に全然全うな議論が続かなくなる。 けれど、たとえそれがいかに不毛であろうと、いやむしろ不毛であるからこそ、その「ちゃぶ台返し」はすごく強力なのだ。覆水盆に返らず。一度「お前がや

    ブログにおける議論の「強度」と「文脈」 - 絶倫ファクトリー
  • 『ロスジェネ 別冊』 - 絶倫ファクトリー

    ロスジェネ 別冊 2008―超左翼マガジン 出版社/メーカー: ロスジェネ発売日: 2008/10メディア: 単行購入: 1人 クリック: 7回この商品を含むブログ (20件) を見る 文フリで買い損ねてたまたま今日屋で見つけたので購入。六月に行われたシンポジウムの書き起こしがメイン。 一つおおと思ったのは、色々と議論を巻き起こした増山氏の例の発言がカットされずに残っていたことだ。僕は当日会場にはいなかったのだが、その場で流されて言ってしまうシンポジウムの言葉と書き起こされた文章では持つ意味が、というか持たされる意味が異なる。「言質取ったり」ということだ。 受動性を掛け金にしたコミュンケーション さて議論の中身なのだけれど、例によって承認の話である。赤木論文が承認の話と経済格差の話をごっちゃにしていて、そこを分離して考える必要があり、そして承認の欠如の問題は非常に解決しづらい、困難な問

    『ロスジェネ 別冊』 - 絶倫ファクトリー
    aozora21
    aozora21 2008/11/25
    『そうした承認の無さみたいなものが問題になるのは、僕らが消費者的態度に慣れきってしまったから、つまりサービスの受容者としての立場に慣れきってしまったからだ、とトンデモの一つも』/メンテ後初ブクマ
  • 『サブカル・ニッポンの新自由主義―既得権批判が若者を追い込む』 - 絶倫ファクトリー

    サブカル・ニッポンの新自由主義―既得権批判が若者を追い込む (ちくま新書) 作者: 鈴木謙介出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2008/10メディア: 新書購入: 11人 クリック: 168回この商品を含むブログ (103件) を見る どちらかというと、「社会学者・鈴木謙介」の著書というより、「Life パーソナリティ Charlie」の著書と言った方がいいのかもしれない。ある程度社会科学的な分析を交えながらも、最終的に彼が目指すのは極めて実存的な問題へのコミットである。彼の著書にはそういう面が多分にあるが、書はそうした傾向が最初から最後まで通呈している。 書の概要―既得権批判者が自らを窮地に追い込む理由 書で一貫して議論されるのは、「既得権批判」という、いまや右も左も大好きなキーワードとなったロジックが、時にその批判する側を更なる窮地へと追い込んでしまう、逆説的な状況である。

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  • 我々は何を隠してきたのか、あるいは「不可能性」の変遷 - 絶倫ファクトリー

    不可能性の時代 (岩波新書) 作者: 大澤真幸出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2008/04/22メディア: 新書購入: 14人 クリック: 179回この商品を含むブログ (162件) を見る 大澤真幸『不可能性の時代』を読み返していた。つらつらとメモ程度に。 不可能性―現実と反現実の乖離 東浩紀や木原善彦が、大澤の(元は見田宗介の)命名法を援用して「理想の時代」「虚構の時代」に続く現代を「動物の時代」「現実の時代」と名づけていた。だがそもそもこの見田―大澤の「〜の時代」という命名法は「現実」の対義語としてどのような言葉が参照されているか、という考察に基づいているものであり、その考察を省略した命名法はオリジナルの意図には反するものである。(東については大澤との対談で直接指摘されていたようだ。) 大澤は、隠された「現実」を捜し求める「現実への逃避」と、ジジェクのいう「カフェイン抜きのコ

    我々は何を隠してきたのか、あるいは「不可能性」の変遷 - 絶倫ファクトリー
  • 情報の複雑化と望まれる「マスメディア」 - 絶倫ファクトリー

    シロクマ日報 > ニュースは現実ではない : ITmedia オルタナティブ・ブログ via kwout 仰るとおりで。……といいたいけれど、事態はそれほど容易なレベルではなくなっている。「それはどのような経路で伝えられてきたのか」「なぜ伝えられてきたのか」といったメタ情報が必要になるということ、それはマスメディアによって伝えられる情報の一意性が疑義にかけられ、その正当性を担保する審級が既に失われていることを意味する。そしてオブジェクトレベルの情報の真偽を決定する審級が喪失している以上、メタレベルの情報の真偽を決定する審級ももはや一つには定められない。地球温暖化に関する論争などその典型例である。温暖化の証拠とその反証といわれる有象無象の「一次情報」が飛び交い、それを取り扱う「専門家」「識者」の言説がまた飛び交い、その言説についての言説もまた世に溢れている。 そしてあまりにメタレベルの情報の

    情報の複雑化と望まれる「マスメディア」 - 絶倫ファクトリー
  • 「承認」だけでは済まぬ問題たち―物語と承認の彼方に - No Hedge!

    「承認」の話が自分の観測範囲内でちょくちょく見られるので後出しじゃんけんをしてみる。「ロスジェネ」のシンポでも色々話が出たようだが、パフォーマンスと言えどナイーヴな議論も出たようで、またいくつかの議論はその焦点がぼやけているものもある、と思ったので書いてみた。彼女が出来れば、セックスできれば、コミュニティに所属すれば、作品を認めてもらえれば、「承認」にまとわり付く諸問題は解決する、というわけではない。問題はその深層にある。 自己の連続性としてのアイデンティティ 「承認」と一口に言ってもそれは様々なコンテクストの中で語られ、また意味を持つ。だからこそはてな村で延々と議論されまた車輪の再発見をもたらしうるのだが、それではちょっとノイズが大きすぎるので、社会学者のアンソニー・ギデンズに拠って(彼の)「アイデンティティ」論に置き換えてみる。 まずは引用から。 自己アイデンティティは、生活史という観

    「承認」だけでは済まぬ問題たち―物語と承認の彼方に - No Hedge!
    aozora21
    aozora21 2008/06/30
    そういうのって親や周囲の何気ない「お前はこういう人間だ」っていう決め付けが影響すると思っている。
  • 彼は誰に「話しかけている」のか―<見る―見られる>の関係性が作り出す共犯関係 - 絶倫ファクトリー

    Infoseek ニュース - ニュース速報、芸能スクープなど満載 最近ワイドショーや新聞を騒がせているこの事件だが、ここまで大きな扱いをされているのは、事件の猟奇性のほかに犯人が実に「マスメディア的」なタイプの人間であることに由来するのではないか。 一方で、星島はマスコミ取材にも積極的に応じた。事件に動揺して他の住民は口が重いのに、星島だけは冗舌だった。事件翌日の19日には報道陣に30分以上も対応し、警察の捜査状況や東城さん姉妹の印象だとかをペチャクチャと話していた。 彼が「ペチャクチャ」と話していた相手は、果たして誰だったのか。テレビカメラの向こうにいる、我々である。テレビの向こうで自分のことを見(てい)るであろう、「マス」である。我々はテレビに映る彼の姿を見ることで、彼と無言の「会話」をしている。彼の姿をテレビを通じて見ることは、彼が想定した「会話」の相手として、彼の用意したフレーム

    彼は誰に「話しかけている」のか―<見る―見られる>の関係性が作り出す共犯関係 - 絶倫ファクトリー
    aozora21
    aozora21 2008/05/31
    関係性の中でしか自分を認識できないてことなのかしら。求められるであろうように振舞う…抑圧が犯罪(反社会的な行動)への欲望を掻き立て、それすらネタにする見られたい自分。
  • 「友だち地獄―『空気を読む』世代のサバイバル」 - 絶倫ファクトリー

    友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル (ちくま新書) 作者: 土井隆義出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2008/03メディア: 新書購入: 12人 クリック: 268回この商品を含むブログ (100件) を見る 2006年度、僕がゼミで御指導いただいた先生のである。渋谷の紀伊国屋をほっつき歩いていたら見つけたので購入した。*1 授業二つにゼミ一つを取っているので、の内容自体は割りと聴いていたものと一致するが、ケータイ小説など新しい事例も扱っていて、確認のためにも役に立った。 書の要旨 「友だち地獄」という煽り気味なタイトル*2の通り、現在の若者の友人関係は希薄化しているのではなく、むしろ友人関係に過剰に没入し、その関係性を維持するのに必死になっている、という内容である。 現在の若者はコミュニケーションを円滑に進めるため、表層的な争いやいざこざを極力回避し、お互いが傷つかな

    「友だち地獄―『空気を読む』世代のサバイバル」 - 絶倫ファクトリー
  • はてブという「逆サトラレ」 - 絶倫ファクトリー

    このブログのいくつかの記事は、割と多くの方のはてなブックマークに載ってます。僕もはてブは利用してるんですが、これって一種の「逆サトラレ」な気がします。 はてブは、記事を登録した上でそこにコメントをつけるんですが、アクセス解析からそのはてブに飛べば一応そのコメントは管理人が見えますし、アクセス解析なくてもRSSリーダーとかから分かります。 ところが、こうしたはてブのコメントは、つけてるほうとしてはあまり見られるという意識がないのでたまにそのコメントの内容をめぐってトラブルが発生します。しかし同じトラブルでも、ブログのコメント欄とはちょっとわけが違う。ブログのコメント欄は明らかに記事を書いた人にも、それを見た人にも、みんなに見られるという意識が働くわけです。手軽にブクマできて、手軽につけられるはてブのコメントは、いわば簡単な感想みたいなものに近い。 はてブのコメント欄にコメントを書き、それをブ

    はてブという「逆サトラレ」 - 絶倫ファクトリー
    aozora21
    aozora21 2006/07/08
    読まれることを承知しているからそのつもりで書くようになるでしょう。
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