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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/aureliano (39)

  • 子育てがしんどい人は自分の感覚を疑ってみよう - ハックルベリーに会いに行く

    最近、子育てに「しんどさ」を感じる人がいて、いろいろ問題になっているようだ。参考:しんどいよな|くわばたりえオフィシャルブログ「やせる思い」 by Ameba ところで、子育てに「しんどさ」を感じる人に対してぼくが言えることがあるとすれば、それは「自分の感覚を疑ってみよう」ということだ。「しんどく思う自分自身に、何か問題があるのではないか?」という問い立てをしてみよう――ということだ。こう書くと、とたんに「そういう言説が母親を追い込むんだ!」などと口角泡を飛ばして反論する人がいるけれども、ぼくが言いたいのはそういうことではない。つまり、子育てをしんどく思うことを道徳的にとか常識的に云々したいわけではなくて、まず、しんどく思うその心のメカニズムを考えてみましょうよ、ということなのである。 ここで、しんどく思う心のメカニズムを考えてみる。人間がしんどく思う時って、一体どういう時だろう? 結論か

    aozora21
    aozora21 2012/07/05
    しんどさを感じる理由は個人の性質、環境や時代によって変わると思うけど、あえて子育ては修行を肯定するとして、葛藤も修行のうちじゃないでしょうかね。
  • 他者を慮ることができずに生きづらくなる人の構図 - ハックルベリーに会いに行く

    またぼくの悪口がはてなに書かれていた。ハイテンションな人が手放しで賞賛される社会はしんどいゲーセン少女など可愛く思える、病弱な少女を酷使して死に至らしめておいて、泣けばすべて許されるという初期ケータイ小説的な道徳を描いた虐待推奨小説が300万部のベストセラーになることを止めることはできない。ここで批判されている「病弱な少女を酷使して死に至らしめておいて、泣けばすべて許されるという初期ケータイ小説的な道徳を描いた虐待推奨小説」とは、ぼくの書いた『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』(以降『もしドラ』)のことを指しているのだろう。『もしドラ』の中で、主人公の川島みなみは、病気療養中の友人である宮田夕紀に協力を仰ぎながら、野球部のマネジメントに当たる。そのことを指して、「病弱な少女を酷使して死に至らしめ」と指摘しているのだろう。作中でみなみは、死に至る病で闘病

    aozora21
    aozora21 2012/01/26
    筋書きはそうかもしれないけど現実にはドクターストップがかかったり家族と意向が合わなかったりで、葛藤するわけですよ。待ったをかける人がないなんてあまりにご都合主義的、と思った。
  • おかげさまで『小説の読み方の教科書』がAmazonで売り切れたこととK氏について思うこと - ハックルベリーに会いに行く

    ぼくの近著『小説の読み方の教科書』が、おかげさまでAmazonで売り切れました。最初に何冊仕入れていたのかは知りませんが、少なくとも数十冊はあったはず。自分で言うのはなんだけれど、ぼくがここで地道に記事を書き続けていることも、少なからず売上げに貢献したと思います。それはもちろんAmazonの売上げだけにではなく、他の場所においてもです。このブログの記事をきっかけに、ぼくのを他の通販サイトで買ってくれた方もいれば、街の書店で買ってくれた方もいらっしゃいました。ブログというのは、そういう意味で当にありがたい。昔は、何かを発信するとなったらいわゆる大手マスコミに頼る以外方法がなかったけれど、今はこうして自分で手軽にブログを書けるということは、インターネットの力と恩恵には当に大きなものがあります。ぼくはそれを、心からありがたいと思う次第です。小説の読み方の教科書作者: 岩崎夏海出版社/メーカ

    aozora21
    aozora21 2011/10/18
    マネジメントだか経営だか知らないけど、こんなふうに世の中回ってると言うならモノを買うのが嫌になるよ。
  • 結局は自分の好きなことを貫き通したやつが負け - ハックルベリーに会いに行く

    自分の好きなことを貫くということ最近のぼくのブームは、「世間では誤って認識されていること」をえぐり出し、それに別の価値観を与え、一つのコンセプトとして確定することだ。去年から、ワタナベコメディスクールというお笑いタレントを養成する専門学校で講師をしているのだけれど、そこで教える中で徐々に明確になってきたのは、「結局は自分の好きなことを貫き通したやつが負ける」ということだ。これはお笑い芸人を目指す生徒たちを見ていて気づいたことで、なおかつ授業の中でも何度となくくり返し述べてきた。何度となくくり返し述べ、ほとんど全ての生徒がそれを理解してくれたのにもかかわらず、しかしなかなか実践することはできないという、少々困難なコンセプトなのだ。 「結局は自分の好きなことを貫き通したやつが勝つ」というのはよく言われることだ。そしてお笑い芸人を目指している生徒たちも、たいていはそういうもんだと信じていて、自分

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    aozora21 2010/01/14
    なるほど…好きな服と似合う服が違う、みたいな。
  • なぜid:manameは真のアルファブロガーなのか? - ハックルベリーに会いに行く

    それは2008年(去年)7月のことだった。ぼくは、とある期待を胸に一つのブログ記事をアップした。その期待とは、当の記事が多くのブックマークを集め、多くの人に注目してもらい、多くの人に読んでもらう――ということだった。 当時、まだブログを書き始めて日の浅かったぼくは、多くの人に読んでもらうことと、たくさんのブックマークを集めることを、目標の二つの柱にしていた。その中で、さまざまな記事を書いては、思うように読まれなかったり、ブックマークを集められないということをくり返していたのだが、そんな折、一つのアイデアを思いついた。それは、以前仕事で書いた映画のシノプシスを、ブログの記事用にリライトしてアップする――というものだった。 さかのぼること数年前、ぼくはテレビを初めとするエンターテインメントコンテンツの企画立案を仕事としていた。その中で、とある映画の企画募集があった際に、一つのシノプシスを書いて

    aozora21
    aozora21 2009/11/09
    書籍化おめでとうございます。manameさんの影響力ってすごいんですね……
  • id:manameこそ真のアルファブロガーだ - ハックルベリーに会いに行く

    id:manameこそ真のアルファブロガーだ。という記事を近いうちに公開します。この記事が825users行ったら……いえいえ。行かなくても公開します。乞うご期待。

  • あまりぼくを見損なわない方がいい - ハックルベリーに会いに行く

    id:AntiSepticはあまりぼくを見損なわない方がいい。消毒するなら相手を選ぶことだな。きみの指摘は大間違いだ。見当違いもはなはだしい。 このエントリを読んで最も印象に残ったのは、ハックルちゃんの「ぶくま」あるいは「ぶくましろ」への意地汚い欲求だw 彼は、はてなで受けそうなものを書くことへの迷いがほとんどないw その迷いのなさがとてもすがすがしく、強い感銘を受けるとともに、反吐が出たwwwブクマまみれのハックルちゃんwww - 消毒しましょ! これは、ぼくの宮崎駿の「泥まみれの虎」を読んで考える「戦争とは何か?」というエントリーに対して、id:AntiSepticがトラックバックを送ってきたエントリーの一節だ。彼が言うには、ぼくのこのエントリーはウソ臭く、陳腐である。そしてそれは、ぼくが意地汚くブックマークを欲しているからなのだそうだ。はてなでの受けを迷いもなく狙った結果、胡散臭い、

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    aozora21 2009/08/01
    私もちょっとだけ売れたのですが言われてみればそのとおりですね…。わずかな金額なので儲かる云々じゃなく、私のレビューで買ってくれたというのがうれしい。
  • 非常に危険な領域 - ハックルベリーに会いに行く

    はてなの全スタッフは次に引くエントリーとそのエントリーページを見ると良い。ここで行われているのは文字通り「いじめ」だ。それ以上でもそれ以下でもない、正真正銘の「いじめ」である。株式会社はてながインターネットに生み出した空間で――id:jkondoがビジョンし、id:naoyaがコンストラクトし、id:kawasakiがプロモートしてきたインターネット上のコミュニティにおいて、今まさに「いじめ」が行われているのだ。そして、はてなにはそれについての責任がある。なぜなら、はてなダイアリーあるいははてなブックマークは、いじめを助長しやすい設計になっているからだ。誰がための「オシャレな女」なのか? - 倒錯委員長の活動日誌 はてなダイアリーユーザーであるid:usukeimadaは、2009年の7月20日、上記のエントリーを上げた。その中に、こんな一節があった。文脈も大切なので、少し長めに引用する。

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    aozora21 2009/07/23
    だからこそ「森じゃなく木を見る」。一人一人のブクマを読み、過去の発言やダイアリーを読む。一見付和雷同しているようで実はそうでもないことに気づく。主張を相容れないのは当然だけどいじめじゃないと思えれば吉
  • 石橋貴明は如何にすごいか - ハックルベリーに会いに行く

    世の中の人になかなか伝わらなくて時々ジレンマを覚えるのが「石橋貴明はいかにすごいか」ということだ。石橋貴明は当にすごい。それは近くにいればいるほどすごいと感じるようなところがあって、石橋貴明の周りには当に瞬く間にシンパができる。石橋貴明は昔、自らをカリスマと称していたけれど、その尊称に全く遜色ないのがぼくにとっての石橋貴明その人である。 石橋貴明のすごさを物語る一つの例として次の動画がある。 これは2004年にフジテレビで放送した27時間テレビ(片岡飛鳥が監督した)の中の一コマなのだけれど、とんねるずの二人が往年の漫才を彼らより若い芸人たちの前でやるという企画があった。その企画の中にすごいシーンがあった。それは、石橋貴明が当にすごくて、そしておそらく誰にも真似できない芸当を見せつけた瞬間だった。それは、この動画の1分14秒辺りで起こる。 「時代を……」 これは、とんねるずの二人が彼ら

  • なぜはてなはぼくに話しを聞きにこないのか? - ハックルベリーに会いに行く

    母の教え梅田望夫さんのインタビュー記事を読んだ。日のWebは「残念」 梅田望夫さんに聞く(前編) (1/3) - ITmedia Newsこれを読んで思ったのは、「なぜはてなはぼくに話しを聞きにこないのか?」ということだ。 なぜはてなはぼくに話しを聞きにこないのか? それがぼくには分からない。当に、普通に話しを聞きにきても良さそうなものだと思う。むしろ、話を聞きにくるのが自然だと思う。それが、こうまで話しを聞きにこないと、ぼくははてなのことを疑ってしまう。ぼくははてなを、「当に真面目にビジネスをする気があるのか?」と疑ってしまう。「企業として、顧客のニーズに応えようという気があるのか?」と疑ってしまう。「組織として、社会に貢献しようという気があるのか?」と疑ってしまう。もし、今はてなが株を公開しても、ぼくは買おうとは思わない。確実に値上がりが見込めるような状況でも、やっぱり要らない。

  • ぼくの名前 - ハックルベリーに会いに行く

    みなさん、こんにちは。初めまして、ぼくの名前は岩崎夏海と申します。今日は少し、ぼくのことについて書こうと思います。 ぼくは1968年(昭和43年)に生まれました。今年で41歳の、職業は会社員です。 ぼくは東京の新宿で生まれました。生まれてすぐ、親の仕事の関係でいくつかの場所を転々と移り住んだのですが、3歳の時に東京の日野市に落ち着きました。日野市は、東京の西、新宿からは京王線の特急で30分ほどの距離にあります。立川と八王子という二つの大きな市に挟まれていて、存在自体はマイナーですが、それなりに多くの人が住んでいます。日野市は多摩丘陵の一角に当たり、ぼくの住んでいた地区はとても坂が多いところでした。またその一帯は、昭和30年代に山林を伐り開いてできたベットタウンで、多くの雑木林が点々と散在している、とても自然豊かなところでした。ぼくはここで11歳までを過ごしました。ですので、ぼくにとってふる

    aozora21
    aozora21 2009/05/09
    これからも更新を楽しみにしております。
  • このエントリーがはてなブックマークで417users行ったら個人情報を公開します - ハックルベリーに会いに行く

    こんにちは。今日は4月17日なのですが、ふと気づいたらこのブログを始めてからちょうど1年が経っていました。記念すべき最初のエントリー真似をすることだ そこでと言っては何ですが、珍しく何か記念になるようなことを書こうと思いました。ぼくはこれまで、このブログの節目となるような時(例えば書いた日数が100日を超えた時や通算ブックマーク数が10000を超えた時など)にも何もしてこなかったのですが、「1年」というのは、それはやっぱり何か大切にした方が良いような気もしたので、記念になるようなエントリーを書こうかなと思った次第です。それで何を書こうかと思ったのですが、この1年を振り返った時に、何が印象的だったかと言えば、それはやっぱり「これが100users行ったら……」というはてなブックマークに関連したエントリーだったので、それにまつわるものを書こうと思いました。 それで、今回は100users行った

    aozora21
    aozora21 2009/04/24
    288get。あと129か。
  • コメント欄を閉じているのがヘタレだという考え方が心底分からない - ハックルベリーに会いに行く

    前に誰かに「コメント欄を閉じてるのはヘタレだ」とブコメで言われたのだが、その考え方が心底分からない。コメント欄の考え方は人それぞれだろうが、閉じてるからってヘタレだというのは古くさいというよりはあまりにもトンチンカンで、ぼくだけではなく、ほとんど人の賛同を得られないのではないだろうか?(とさりげなく詭弁のガイドラインの術!)それから、これも前にブコメで言われたのだけれど、ブログで問いを投げかけたくせにコメント欄を閉じているのはブコメ稼ぎで卑怯だという物言いがあった。これも読んで初めてそういう考え方もあるのかとびっくりした。ぼくはいつでも意見はウエルカムだが、それはコメントではなくトラックバックでもらうことを想定している。だから上記のようなことを言われるとああ世の中にはこういう見方の人もいるのだなあと思って驚いたのだ。ブログのスタンダードが今後どうなっていくかは分からないが、コメント欄やブコ

    aozora21
    aozora21 2009/03/27
    建設的じゃなくても上手なコメント応酬する方々もいますね…。そこで巧いコメント応酬しているからといって、どこでも誰とでも可能とも限らないけれど、そういう方からすれば閉じてるのはヘタレに見えるかも。
  • 新海誠は女の子に喜ばれない - ハックルベリーに会いに行く

    ぼくの知り合いにアニメ好きの女の子がいて、この子の誕生日に何かプレゼントを贈ろうとなった時、それならぼくの好きな新海誠の「秒速5センチメートル」のDVDをと考えた。聞いたところ、それはまだ見たことがないということだったからだ。ぼくはアニメにはちっとも詳しくないのだが、新海誠の「秒速5センチメートル」が好きだ。特にその背景が素晴らしい。新海誠の描く景色は、ぼくにぼくの子供の頃住んでいた場所を強く想起させる。きっと彼は、子供の時にぼくの見ていたものを見ていたのではないか?――と、そんなふうにさえ錯覚させられるほど、それはぼくのノスタルジーを強く刺激する。既視感を強く惹起させられるのだ。それで贈ったのだけれど、これはどうやらあまり喜ばれなかったらしい。感想を聞いてもぼんやりしたものしか返ってこなかった。何でも彼女は彼女の兄と一緒にそれを見たのだそうだが、兄の方が夢中になっていたということだった。

    aozora21
    aozora21 2009/03/15
    んん??70年代フォークソングの世界を彷彿したが…
  • どう考えても「お袋」が一番悪い - ハックルベリーに会いに行く

    小学1年生の女の子に、葬儀場で遺骨を見せたらトラウマになったそうだ。こりゃPTSDになったかもなあこれはどう考えても「お袋」が悪いだろ。案の定、従姪はお骨を壺に収める事なく体調を崩し退室した。顔は真っ青で今にも吐きそうな気配。従姉(従姪の母親)と伯母夫婦(従姪の祖父母・お袋の姉夫婦)はオロオロするばかり。「だから言わんこっちゃない」とお袋は伯母を睨みつつ、従姪の背中をさすりながら俺に「すぐに駐車場に行って、クルマに置いてるあんたの任天堂DS持ってきて」と指示。「こういう時は違う事をさせて気を紛らわせるのが良い」というのがお袋の経験らしい。最初は拒んでいた従姪だったが、火葬場を引き上げる時はゲームに熱中していたようだった。「後で返させるから、しばらく貸しといてやっといてよ」というお袋の要請を俺も受諾した。それから2ヶ月ほどが経過した。伯母から電話があった。「あれから孫(従姪)がトラウマになっ

    aozora21
    aozora21 2009/01/28
    子どものころ大人にうやむやにされたこと、あれはこんな訳だったのか、と気づくことがある。トラウマって大なり小なりみんな抱えててそれも人を形作る要素のひとつなんだろうと思う。いい大人に出会えますように。
  • コミュニケーション能力という幻想 - ハックルベリーに会いに行く

    増田にこんな記事があった。新卒時の面接でさえなかなか通らない位コミュニケーション能力に欠けている。(中略)コミュニケーション能力がない人間は職もないとじわじわ選択を迫るのならいっそのこと殺してほしい。30歳で死のうと思っている ここで増田は「コミュニケーション能力」などと言っているが、しかしそれは幻想だ。コミュニケーションは「能力」ではない。「意志」である。アメリカという国そのものの礎を築いたベンジャミン・フランクリンは、自分のつたない話し方が長年のコンプレックスだったらしいが、長じるに連れ、「むしろつなたない話し方の方が多くの人が丁寧に聞いてくれることに気付いた」と言っている。そこから、人前で話すのが億劫ではなくなったそうだ。 「コミュニケーション能力が低い」などというのは言い訳に過ぎない。要は「コミュニケーションしたくない」というだけなのだ。する意志がないだけなのである。それを能力など

    aozora21
    aozora21 2008/12/22
    『むしろつなたない話し方の方が多くの人が丁寧に聞いてくれる』保険の外交員など流暢でない方がいいお客がついていたりするみたいですね。ただその幻想はいだいた個人よりいだかせる側に問題がありそうな気が。
  • id:kaienさんの質問に答える - ハックルベリーに会いに行く

    id:aurelianoさんへのお詫びと質問。 - Something Orange というトラックバック記事を受けたので、それに答える。 まず、あなたが撤回、お詫びするというのならそれは受け取ります。しかしぼくが一番問題にしている「いじめ」の部分について、どう考えるのかが抜けている。とにかくいじめの問題を軽々しくネガコメに例えたり、あるいはぼくのブログに例えて使うことは許されない。ましてや「いじめ」には「いじめられる方にも原因がある」という考え方も。そこの部分も撤回、あるいは訂正し、ぼくにではなく、それによって不快な思いをした方々にお詫びして下さい。 ぼくには、この発言は「オタク」一般に対する侮辱とも見えます。あなたはこれを心から気で書いているのですか? それとも、小粋なジョークのつもりなのですか? どういうつもりで書いているかは、件のエントリーの文脈の中から読み取ってほしい。また、

    aozora21
    aozora21 2008/12/13
    『いじめの問題を軽々しくネガコメに例えた』のでしょうか…/「もしくは」は前と後どちらか一方を選択させる接続語では。なので「~されるのは自分の責任」と「いじめられているとか」は繋がらないと思いました。
  • ぼくも始終ネガティブコメントをもらっているよ、という話 - ハックルベリーに会いに行く

    トラックバックを頂いた記事の中に、興味深い一節がありました。 かんなぎ騒動で思い出したけど、池田理代子も「漫画を描くのを止めろ」という脅迫の手紙を受け取ったことがあるよ、と言う話(1979年、講談社Be-Loveより) - 情報中毒者、あるいは活字中毒 なんでも、池田理代子さんは昔のマニア――いわゆるオタク受けがすごく悪かったそうなんですが、かくいうぼくも、じつはオタクと呼ばれる連中には相当ブログの受けがよくないのです。なにしろ、彼らはまず大衆受けするという、そのことだけで、ブログ価値が低いと決めつけてしまうのですから……。たぶん彼らにはなにかしらチンケなエリート意識みたいなものがあって、“大衆”というものを軽蔑しているようなところがあるのでしょう。彼らに共通してるのは、例外なく、自分の感覚や美意識をぜったいだと思いこんで、そこから一歩も出ようとしない点です。好みや主観だけが、ものごとの価

    aozora21
    aozora21 2008/12/10
    自分が好きだと思ったものがブレイク、私って先見の明があるわあ!と思うと同時にやはり私も人並みなのだと思い知った中学二年生の秋なのでした。
  • なぜ女の子は「何食べる?」と聞くと「何でも良い」と言うくせに、いざ具体的に提案すると「それはイヤだ」と言うのか - ハックルベリーに会いに行く

    プレゼンテーションをしていて時々気付くのは、相手がプレゼンの内容にはあんまり注目してなかったりすることだ。むしろ、プレゼンするぼく自身を見ていたりする。そもそも、相手に対して何かをプレゼンする時には、向こうが思いつかないようなアイデアをこちらがプレゼンするわけだ。向こうは、ぼくが思いつくようなアイデアを思いつけないから、ぼくにアイデア出しを頼むわけである。但し、クライアントは向こうだから、最終的に選ぶのは向こうなのだけれども、内容が専門的だったりすると、相手にはもう、それが良いか悪いか分からなかったりする。彼らには、それが判断できなかったりするのだ。そうした時に、相手はどうするかというと、そのプレゼンする人を見るのである。内容ではなく、そのプレゼンの仕方を見るのだ。彼の熱意であったりとか、ちょっとした仕草とか、眼差しとか、声のトーンとか、汗の書き方とか、そういうところを見るのである。そして

    aozora21
    aozora21 2008/12/09
    食べたいものが決まらないでお腹が空ききって険悪なムードになったり、いざ食べたら口に合わなかったりって最悪のデートのパターンですよね…食事は予想以上に重要。
  • 電車の中でマンガを読ませないようにしているのは実は出版社だった - ハックルベリーに会いに行く

    今日、アキバ系の聖地、マンガの総山のとらのあなに行ってきました。 そこで、ブコメで勧めてくれたマンガが多く載っている「アフタヌーン」を試しに買ってみました。 しかしこれは何なんでしょうか?付録なんて見たの、いつ以来かな…… それにこの厚さ。家まで持ち帰るのが重くて仕方ありません。 さらに、この表紙。 これはもはや……電車の中で読まれることを完全に拒否してますね。 電車の中でマンガが読まれなくなったのは、むしろ出版社がそれを拒否しているのだということが今日分かりました。読んだ感想については、読み終わったら書きたいと思います。

    aozora21
    aozora21 2008/12/02
    なるほど…装丁も内容も「電車内で気軽に読める」本ではなくなったのかな。金額的にも内容的にも「読み棄てる本」じゃなくなったのだなあと思いました。