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ブックマーク / www.h-yamaguchi.net (11)

  • H-Yamaguchi.net: 「もえOL」お仕事探し1カ月半の「神展開」を追う!

    最近局所的に話題になったAneCan2010年5月号の特集「4月→5月のもえOLお仕事探しの1ヶ月半コーディネート」。「もえOL」が勤務先企業の倒産から次の仕事を見つけるまでの1カ月半の着回しコーディネート、というふれこみ。1カ月半で次の仕事が、という点もさることながら、そのいきさつが神展開らしい、というのでどれどれと見てみた次第。 一応念のため書いておくが、「もえOL」は別に「萌え」なのではなく、押切もえさん演じるところの、AneCan的に理想のOL像、ぐらいの意味だろうから誤解なきよう。押切もえさんに萌える人には(いるなら)どっちでもいい話だが。 リンク先にある目次で見ていただければわかるが、このコーナーは仕事服の特集「緊急指令 目指せ!働くコンサバNo.1」を構成する3つのコーナーのうちの1つ。こういう雑誌にも倒産みたいな話が出てくるとは、という文脈で話題になったわけだ。ちなみに「激

    H-Yamaguchi.net: 「もえOL」お仕事探し1カ月半の「神展開」を追う!
    aozora21
    aozora21 2010/04/09
    ミソは着まわし術なのでそれ以外はフィクションでかまわないのだろうと思います…。美容院で我が風貌はさておいて、雑誌の表紙の安田成美さんの髪型指定するのと同じで^^;;
  • なぜ「リアリティ」に餓えるのか - H-Yamaguchi.net

    2008年12月31日付朝日新聞に、社会学者の見田宗介・東大名誉教授のエッセイが出ていた。「リアリティーに餓える人々」というタイトル。2008年6月に秋葉原で起きた無差別殺傷事件について、「この事件が、日社会のどのような変化を表しているのだろうか」というのがテーマ。まあ年末恒例の世相読み解きものというわけだ。読んでいて「ん?」とひっかかっるものがあったのだが、いろいろ考えてみると触発されるものがあって面白かった。たぶん素人考えなんだろうけど。 このエッセイでは2008年の秋葉原の事件と、1968年に起きた連続射殺事件を並べて、時代の変化を説明する。同じように犯人が若者で、犯行が無差別で、動機がわかりにくく、その背景にアイデンティティの問題があることでも共通。でも決定的にちがうことが2つ。ひとつは「未来」。1968年の事件は「明るい未来」を信じられた時代であったのに対し、2008年は「明る

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  • 「英語を英語で学ぶ」必要はあるのか - H-Yamaguchi.net

    2008年12月22日、文部科学省が高校の新しい学習指導要領の案を公表したそうだ(関連記事としてこれとかこれとかこれとか)。いろいろポイントはあるんだろうが、なんだか「英語英語で教える」という点が特に注目を集めている。主な関心は「教師の負担」であるらしい。ふうんと思うのだが、なんだか釈然としない。 そもそもなんで英語英語で教えるべきと考えるのか?朝日の記事にこんなくだりがある。 文科省が強い方針に踏み出したのは、和訳や作文偏重だった英語教育への反省がある。経団連が00年に出した意見書「グローバル化時代の人材育成について」で「小中高で英会話を重視」「生きた英語に」と財界の要望をうたったことも底流にある。 つまり今までの英語教育は「使えない英語」を教えてきた、というわけだ(経団連の意見書「グローバル化時代の人材育成について」は「英語力の不足」が懸念であり「実用的な英語力の強化」が必要として

    「英語を英語で学ぶ」必要はあるのか - H-Yamaguchi.net
    aozora21
    aozora21 2008/12/24
    『全高校生に「英語で授業」を求めるのはそもそもお門違いだし、はた迷惑なことこの上ない。』/このニュースを聞いた中学一年のお子が「中学で100%できてなかったら何にも分からないね」と途方に暮れておりました…
  • こんにゃくゼリーを「安全」にするいくつかの方法についての提案 - H-Yamaguchi.net

    手短に。子どもがこんにゃくゼリーをのどに詰まらせる事故がまた発生した(参考1・参考2)。事故が続くさまは痛ましい限りで、ご冥福をお祈りするしかない。 個人的には、これだけ事故があるのにどうして小さい子どもに与えたりするのだろうという思いを禁じえないのだが、人間誰しも魔が差すときはあるから、ついうっかりという場合はありうる。大人でいまだに知らない人がいるとは正直思えないが、世の中もののわかった人ばかりではないということもあるかもしれない。はっきり書いてある警告マークを読まない不注意や安全に配慮しない怠慢・無知が直接の原因であるとしても、フールプルーフという考え方もある。さしたる支障なく対策が可能であるなら、できることはすべきだ。 で、いくつか考えてみる。当該領域にはまったくの素人なので、単なる思考実験レベルであり、実現可能である保証はないのだが。 べ物をのどに詰まらせる事故という観点からは

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    aozora21
    aozora21 2008/10/01
    トコロテンつきでつくというのはどうでしょうか…。表面が滑らかだと噛まずに飲み込んでしまうので、細かくする場合は多面体になるようにランダムに切り刻んだ方が味わいもよく歯ごたえも楽しめそうです。
  • テレビも見せるな、本も読ませるな - H-Yamaguchi.net

    政府の教育再生懇談会(座長・安西祐一郎慶応義塾塾長)が、5月17日の会合で、小・中学生の携帯電話の使用制限を盛り込む方針で一致したらしい(記事)。小・中学生に携帯電話を持たせない、機能を通話と居場所確認に限定する、有害サイトへの閲覧制限を法的に義務付ける、などの内容を盛り込むとか。 ふうん。 そもそもこの教育再生懇談会。件の教育再生会議がなくなったと思ったら、あっという間に輪廻転生しちゃった。メンバーもほぼ一新。見ると、2月の終わりにできて、2回ほど会合を開いていて、今回が3回目。で、この方針を打ち出した。6月初めにはもう報告書が出るらしい。早くしないと政権が終わっちゃう心配があるってことかね。あらかじめ結論が決まってない限りまず不可能ではないかとも思えるが、そこらへんの大人の事情はともかく、なかなか生産性が高いではないか。たいへんけっこう。 ま、それはいいとして、この方針、政府のえらい人

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    aozora21
    aozora21 2008/05/23
    『子どもが受け取る情報は政府でなく親ないし保護者がコントロールするのがスジ』この一点につきるんですけどねえ。
  • 知らない人と話すときは - H-Yamaguchi.net

    知らない人と話すときは 4年1組 山口 浩 ぼくは、インターネットのブログというものをやっています。学校や家でおきたことや、テレビを見ていて思ったことなどを書いています。ぼくは作文がすきなので、ブログを書くのはとてもたのしいです。でも、ときどき、よくわからないことがあります。 ぼくは、学校で、知らない人と話すときは、ていねいなことばを使いなさい、と習いました。たとえば、知らない人に道を聞くときには、「ここへ行くにはどう行ったらいいんですか?」とか、「こっちの道でいいんですか?」みたいに、「です」とか「ます」とかをつけて話さなければいけません。それから、友だちどうしで話すときは「そうだよ」みたいな言い方でもいいのですが、目上の人と話すときなどは、「そうです」みたいにします。 こういうのを「けい語」といって、日のことばの大きな特ちょうの1つだそうです。日人は、れいぎを大切にするので、けい語

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    aozora21
    aozora21 2007/06/30
    外形には慇懃無礼というのもあるらしい。
  • 中高年の凶悪犯罪を俗物的世代論で語ってみるテスト - H-Yamaguchi.net

    最近の凶悪事件の中には、被疑者が中高年である場合がけっこうみられるような印象がある。もちろんこういうのは大方マスメディアの伝え方によって作られる印象なのであって、全体の傾向が実際にそうである保証はまったくないのだが、少なくとも世間の注目を集める状況にあるということはいえるのではないか。これまた印象論でしかないが、ニュースとかではこれらの事例について、個々の事情にまで入り込んでそれなりに突っ込んだ情報が伝えられているように思う。 で、気になったことが1つあった。もしこれらが若年者だったら、すぐにテレビやらゲームやらの影響とかが持ち出されたんだろうなぁ、というあたりだ。やれ「過保護に育てられた世代だから仮想と現実の区別がつかなくなっている」だの「なんでもネットやケータイですまそうとする現代のバーチャル社会の光と影」だの。この種の言論は、いざネットで探そうとしてみると検索上位にはなかなかひっかか

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    aozora21
    aozora21 2007/05/20
    世代や性別などが犯罪の行われ方に傾向を現わすことはあると思うけど、その分類そのものが犯罪のパターンを作り出すとはあまり思えないんだなあ。
  • 20代がグラビア誌を買わなくなってきている、という話 - H-Yamaguchi.net

    小学館に「Sabra」という雑誌がある。たいてい表紙に水着のお姉さんの写真が出ていて書店で手に取るにはちょっと恥ずかしかったりするが、別にそういう内容ばかりというわけでもない。先日そこのインタビューを受けたのだが、それ自体は題ではなく、そのときに編集部の方から聞いて、思わずいすから飛び上がって「ほんとすか!?」と叫んじゃった話。 「Sabra」のようなグラビア誌の読者というと、典型的に想像するのは「血気盛ん」な若者、と考えるのがふつうではないかと思う。この雑誌は1999年創刊のため私自身の20代には間に合わず、私は買ったことがないのだが、想像するに、10代は「週刊プレイボーイ」あたりだから、「Sabra」は20代かな、みたいな。そういう先入観で世間話を始めたら、ちがうのだという。グラビア誌の中心的な読者層はいまや30代から40代あたりになっていて、20代の人たちはあまり読まなくなってきて

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  • 老年よ大志を抱け - H-Yamaguchi.net

    何をいまさらな話だが、「世代」をひとくくりにしてこの人たちが何をすべきかみたいな話をするのは乱暴だ。「死ぬまで現役」も、「早く隠居しろ」も、総論として言われたら必ず反発する人が出る。実際はそんなクリアカットなものではないというのは当然。 活躍してほしい人、今いなくなってもらっては困る人というのは少なからずいる。そういう人は、誰がなんといおうと、ぜひがんばっていただきたい。そうでなくても、社会で一定の役割を果たしてほしい人はたくさんいる。そういう人は、それにふさわしい場において、ぜひ活躍していただきたい。それは必ずしもそれまでと同じ職場、同じポスト、同じ業種ではないかもしれないが。さらに、申し訳ないが世の中のためにぜひ引退していただきたい人というのもいる。そういう人はさっさと引退して、どこか他のところにいくなり、隠居するなりどうとでもしていただきたい。 もちろんご人の意志というのもあるわけ

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    aozora21
    aozora21 2007/02/18
    『もう一度現場に戻って、「現場を円滑に回す仕事」をしてくれと。』仕えるという表現は卑下に感じるが、お互い欠けている部分を補完し合うと。尊大さには敬意は感じないということを肝に銘じて。
  • 暴論:「正義の味方」こそ規制すべきなのではないか - H-Yamaguchi.net

    正確にいうと、まったく根拠のない話ではない。以前メディアにも登場したが、ヒーローものが子どもの攻撃性を助長する、というお茶の水女子大の坂元章教授の研究。この分野は専門外だし、坂元教授自身も「さらに検証していく必要がある」と述べているようなので、これをもって断定すべきという筋合いでもないようだが。ともあれIGDAサイトに出ている引用部分を孫引用。 坂元教授らは2001年11月から12月にかけて、神奈川県や新潟県などの小学5年生を対象に、よく遊ぶテレビゲームと攻撃性に関するアンケートを実施、1年後に同じ児童に追跡調査を行い、周囲の人への敵対心を表す「敵意」など、攻撃性に関する5つの指標について、その変化を調べた。 6校の児童592人についての調査結果を分析すると、知的だったり、見た目がかっこよかったり、魅力的な特徴を持つ主人公が登場し、攻撃するゲームでよく遊んでいた児童は、1年後に「敵意」が上

    暴論:「正義の味方」こそ規制すべきなのではないか - H-Yamaguchi.net
    aozora21
    aozora21 2006/12/28
    子どもに人気なのはアンパンマンよりバイキンマンて、関係あるかなあ。
  • 教育的に正しい「どんぐりころころ」を考えてみる - H-Yamaguchi.net

    小ネタ。最近の童話が昔のものから改変されてる、という話をよく聞く。さるかに合戦でも最後にさるがかにに謝って一件落着、みたいな。教育的配慮というやつだろうか。ふと気づいたのだが、童話がそうなら、童謡も同じような配慮が必要なはずだ。というわけで、ちょっと考えてみようと思った。作詞の才能なんてこれっぽっちもないんだけど。 題材として、「どんぐりころころ」を取り上げてみる。擬人化されたどんぐりが池に落ち、これまた擬人化されたどじょう(どんぐりに対して「ぼっちゃん」と呼びかけるところからみて、大人なんだろう)と遊ぶが家に帰りたいと泣く、というのがまあ「あらすじ」になるわけだ。…ちょっと考えただけで、教育上好ましくないではないか。問題ではないか。なんとかしなければではないか。 では。 ♪どんぐりころころ どんぶりこ ここはあまり変えたくないな。いきなりちがっていたら同じ歌と思われないかもしれないし。問

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    aozora21
    aozora21 2006/11/23
    三番目の歌詞も作られています。http://plaza.rakuten.co.jp/ocanyade/19006
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