サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
ノーベル賞
blog.livedoor.jp/kaiko80s
「小室哲哉 X 吉田拓郎」 非音楽対談 2011年9月15日 21:37 『TK MUSIC CLAMP』は1995年~96年に小室哲哉がゲストを招いて、その人の内側を引き出す深夜番組である。 イエスマンである自らのファミリーを多くゲストに迎える一方、普段メディアに露出しないアーティストもまれに出演していた。 中でも、岡村靖幸、松山千春、吉田拓郎の回はホスト側が受け手となる完全アウェイな内容であった 岡村靖幸は以前紹介したので、番組史上、最も血が飛び交った吉田拓郎の放送の回を紹介する。 もはやこれはフォーク世代という類(たぐい)からの刺客ではなく、モノノケの類であり、確実にホストを仕留めにやってきていた。 <1995/07/26 fujiTV OA> ・まず95年はTK全盛期であり、趣旨としてはフォーク世代との小室サウンドとの世代間の音楽対談を予定。 ・小室側が吉田拓郎に憧れを持っており、
ライブドア ブログ奨学生を1年間終えて 2011年8月3日 21:23 昨年のちょうど今頃、ネットで文章を書き続ける事にいろいろと限界を感じていました。 そんな時に出会った 「ブログ奨学生制度」 契約期間であった1年が過ぎ、今回新たに2期生の募集が始まったようです。 (募集は終了しました) ◆応募期間 第2期応募期間:2011年7月19日~2011年8月31日 第2期合格発表:2011年9月上旬 ◆対象者 ・応募者自身がブログ(ライブドアブログ以外も可)を1つ以上運営しており、得意分野や専門分野の情報を発信することで、世の中の役に立つオリジナルコンテンツを提供したい方 http://scholarship.livedoor.com/ http://corp.livedoor.com/press/2011/0719561 国内初のプロのブロガーを育てるという画期的な試みであり、光栄にも一期生
【氷室京介 全編BOØWYLIVE】 どよめきと歓喜が交差したGIGレポ 2011年6月12日 21:27 このGIGの初日の様子を私なりにレポートしたいと思います。 ここには11万人それぞれがBOOWYに対し胸に秘めた物語があり、このLIVEの感じ方、楽しみ方は11万通りあったはずです。 その中の一人のレポートとして読んで下されば幸いです。 それぞれの曲については読んでる皆様の方がより詳しそうな気もするので、あまり尖った方向に持っていかず会場の反応を中心にお伝え出来たらと思います。 まずはこれを書いてる私のスペックも重要かと、、、 BOOWYは完全な後追い組です。 小学6年の時に解散し、中学で魂を吸い取られるほどハマるも当然GIGは全てビデオでしか観たことがありません。 高校ではド田舎なくせに"渋谷系音楽”になんとなく流され、、コーネリアス的な生き方とか真剣に考え始め、どう彷徨ったのか最
刑事ドラマ・マンガの間違い 2010年8月7日 20:58 警察の世界というのは一般人には刑事ドラマや漫画でしかその世界を知るすべがない。 大門軍団が街中でショットガンを撃ちまくるのは、さすがにおかしいとわかるとしても その他の世界観や設定は意外と鵜呑みにしてしまっている。 そこで元警視庁刑事の経歴を持つ北芝健氏の書物を紐解き、実際の刑事と架空の刑事を比べることによって 各作品の間違いを知ることにする。 ◆ 躍る大捜査線 レインボーブリッジは所轄で封鎖出来る 関係各所(都市整備局、湾岸局、国土交通省)の意向に関係なく 犯人が通る可能性が出てきた時点で、不審車両がいるということにしてしまえば、 所轄だけで封鎖しても問題なし。 ◆ 名探偵コナン 小学一年生の証言に証拠能力はない 捜査の基本である「六何の法則(5W1H)」もままならない 小学一年生の証言など相手にしてもらえない (追記※過去5歳
一体感を持たせるミュージシャンのファンの総称 2011年5月20日 22:39 特定の対象に対し狂信的に応援する人々をファンと呼ぶが、あまりにその範囲が広く時に希薄に感じることもある。 だがサッカー日本代表サポーターを「12人目の日本代表」と呼んだり、ヨン様は熱烈な日本ファンを「家族」と呼ぶことで、その一体感は劇的に変化するのは明白である。 サユリスト(吉永小百合)しかり、ルーマニア(ルー大柴)しかり、このネーミングセンスこそが一体感を生む上で大事なのだ。 このような一般的に知られている総称ではなく、そのファンしか知りえないであろうミュージシャンのファンの名称に絞って調べてみた。 かつて昔のアイドルにみられた「親衛隊」と呼ばれた熱烈ファンは、細分化されて今どう呼ばれているのだろうか? 「X」 → 運 命 共 同 体 (乂Д´) 「レディ・ガガ」 → モンスター 「THE BOOM」 →
「輝きながら・・」の徳永英明はあまりに情緒不安定すぎる 2011年5月15日 23:24 「輝きながら…」 (1987年) 徳永英明の出世作でもあり、そのやさしく切ないメロディーで今でも愛される名曲である。 この頃の邦楽PVは楽曲を視覚で訴えるという概念はあまりなく、曲の歌詞を映像でなぞるというカラオケ映像に近いものが多かったように思う。 過去、このブログで検証した ハウンドドッグの「ff(フォルテシモ)」 泥場で本当の意味の泥試合を行った惨劇 COMPLEXの「BE MY BABY」で5分自由演技を求められた吉川選手のまさかの正拳突きの繰り返しという暴挙。 今回もこれらに匹敵する恐怖映像であった。 どうぞ思い返して欲しい。 この「輝きながら・・・」は南野陽子のフジカラーCMソング起用でわかるように、少女が大人に変わっていく姿を見守る男性の視点で歌ったものである。そういった意味でH2Oの「
「愛という名のもとに」 心に刺さる名セリフ集 2011年4月27日 22:33 『愛という名のもとに』 (1992年) このドラマを学生時代に観たのだが、大人になって観返すと当時とは違うシーンでハッとさせられる事があった。 学生から社会に飛び出た 不安、葛藤、やりがい、結婚、絶望、、、 誰もが経験するこの分岐点での、心に突き刺さってくるセリフを集めてみた。 (自殺直前 タカコへの電話) チョロ 「昔(学生時代)は卒業して社会に出るのが怖かった。 けど今は社会から出るのが怖い ・・・・きっとオレはいつも何かに怯えて生きてきたんだ」 ◆ボート部 貴子 (鈴木保奈美) 時男 (江口洋介) 健吾 (唐沢寿明) チョロ (中野英雄) 純 (石橋保) 則子 (洞口依子) 尚美 (中島宏海) タカコ 冒頭のナレーション 「あの頃の仲間とも連絡が途絶えがちになっていた。 時々、なにか大事なモノを忘れ
氷室京介 「完璧主義者の憂鬱」 2011年4月20日 23:00 昨日からやたらネットニュースで「BOΦWY」の文字が飛び交っている。 こんなに騒がれるのは、1988年の解散から10周年と銘打ってベストアルバム発売時の大々的なキャンペーンが行われた以来か、話題度で言うとそれを超えているかも知れないほどの騒ぎである。 簡単な経緯はこうである。 ■4月18日 チャリティーライブの一環として、氷室京介が初の全曲BOOWYライブ開催を発表 ■4月19日 それに対し各メンバーの反応がメディアに掲載 布袋 :Twitter上で「今日は一日中同じ質問やリクエストを浴びるのでしょう。僕の気持ちを察してもらえないのは淋しいことです」 松井 : 「こんな時だからこそ、再び4人で手を握り合い、大いなる目的のために、協力し合うべきだと思った。アーティストとして、素晴らしい決断だと思う反面、一緒に活動を共にして
ガリガリくんランキング 2008年1月19日 18:16 黒夢時代の清春が何かの雑誌で、 「ロック歌手に必要な条件は?」の問いに、第一条件として 「病的なやせ」 と答えた事をよく覚えている。普通の体系でもダメ、鍛えてマッチョでもNG。極端な痩せが良しとされる他に類をみない特殊な業界なのだ。 病的というのがポイントで個人的にミュージシャンで一番理想的な肉体はB'zの稲葉さんと思っているのだが、残念ながらここで良しとする肉体とは少し種類が異なるのである。 痩せていればいるほど良いとされるこの業界で極地に君臨しているのは誰なのか? 公表プロフィール、もしくは巷の噂で流れるアーティストの身長体重からBMI指数を勝手に計り順位づけをするという失礼きわまりないことを行ってみた。 BMI指数は体重(kg)÷身長(m)÷身長(m)で健康指数を示す数値であり 標準値22.0が最も健康的な肉体だと言われていま
あの有名人がもし生きていたら・・・今頃◯◯歳 2011年3月29日 21:36 先日、テレ東で放送された「尾崎豊 放熱の彼方」。 一昨日の「金八スペシャル」のダイジェストで観た若き日の沖田浩之。 彼らの若すぎる死は、いつまで経ってもその輝きが失われない事を改めて知る事となった。 幼き頃に眺めていた彼らも、気づけばその多くの人の享年の年令を超えてしまっている。 若くして亡くなった彼らがもし生きていれば・・・今頃・・ 止まった時計の針を動かすことは無意味かもしれないが、 若すぎる死ゆえに、彼らがどの世代の人間だったかも把握できてない。 そこで2011年 4月1日を基準に、あの時代に惜しくも亡くなった著名人の現在の年齢を算出し、 彼らが生きていればどの年代の人間であったかを調べてみた。 1973年 7月20日 ブルース・リー (享年 32) 現在 70歳 1977年 8月10日 山田かまち (
バンドのボーカリスト以外が歌う名曲集 2011年3月20日 00:15 各パート事に分けられたバンド活動において、メインVoが存在するのに、他のパートがリードボーカルをする事はまれにある。ここではソロ名義でCDリリースする楽曲ではなく、バンドの一曲として歌っている曲を指す。 この手の曲は少し変化球をつけようと取り組んだアルバムに収録される事が多い。 ライブの定番曲となり時には一番の盛り上がりとなるケースもあり、ファンに愛されている曲が多いのだ。 しかしながらアルバム曲が主体な為、一般的には知られず根強いファンにしか認知されていないケースがほとんどで、これらのデータを羅列した記録媒体を少なくとも私はお目にかかった事がない。 何事も先人が大事という事で、あの時代のボーカリスト以外が歌う名曲集を集めてみた。 ■ユニコーン (EBI /ベース) ペケペケ (88') ドラマ「若者のす
トキ 「ケンシロウ、もうちょっと詰めれる?」 2011年3月19日 22:24 19XX年、地球は核の炎に包まれた・・・ 死の灰が降り注ぐ中、核シェルター前にたどり着く3人・・ だが無常にもそのスペースに入れるのは、2人までが限界と告げるシェルター内の人・・ 北斗の拳 KC6巻(集英社) より 空気を察し、自らが犠牲となる事を選んだトキ だが、、 コマ拡大 & 空きスペース着色 ↓ 上方から見た空きスペース分布 言えなかった、、 「ケン、もう少し詰められない?」 「ユリア、子供交代で肩車しない?」 「中の人、、2人どころか10人はいけますよね?」 被爆してなければ北斗最強だったであろう男は一言が言えず病に散った。 なによりこのコマから学べることは・・ 都内の満員電車で絶対無理というところから数十人が押し込まれる様子を、日々体験してる日本人読者相手に 2人は入れて、3人は無理という無茶設定を
懐かしのゲーム機 同時発売ソフト一覧 2011年3月3日 00:47 先日のニンテンドウ3DSの発売で、発売日に街中で多くの行列が出来たようだ。 発売日購入組みが気になるのが、「同時発売されるソフトが何か?」につきるだろう。 いつの時代もその興味の高さは同じだと思うが、買った満足感からか過去の記憶がスッポリ消えてしまっている。 ネットが浸透してなかったあの時代は特に、ゲーム性もわからずとりあえず同時に衝動買いしていたように思う。 そこで過去のゲーム機と共に同時発売されたソフトが何だったか?を調べてみた。 1981年 ■ カセットビジョン 13500円 ファミコンが登場するまでの2年間、最も売れた家庭用ゲームハード機である。 イモ欽トリオがイメージキャラクターになった。 同時発売ソフト 2本 <きこりの与作> 4980円 エポック社 冒頭に与作の「ヘイヘイホー♪」の音楽が印象的 htt
シティーハンター ED曲 イントロの入り方は絶妙すぎ! 2011年2月19日 23:22 ■ シティーハンター CITY HUNTER (85’~91’) ジャンプ黄金期を担ったヒット作だが、内容がハードボイルドな大人向けという事もあり、知名度とは裏腹に誌面での人気投票では、さほど伸びなかったようだ。小中学生の男子に香の魅力を理解するのは難しかったかもしれない。一話完結という事もあり、毎回登場する美女の依頼人には相当な苦労があったと思いがちだが・・・ Q、読者としては毎回登場する美女にたちが楽しみなわけですが、ご苦労は? 北条氏: 香っていうのが女ウケするけど、男ウケするキャラじゃなかったから、もう一人男ウケするキャラと出さなきゃいけないなかった。それで毎回美女を出さないといけなかったんだけど、それに関しては苦労はなかった。はっきり言って顔の描き分けは全然してないもん(笑)変わってるのは
イカ天 名言集 2011年2月14日 23:33 『イカすバンド天国』(1989年2月~1990年12月) アマチュアバンドは数いるようで実は少なく、1年目でほぼ出尽くしてしまった事もありわずか一年半の放映で終了した訳だが、バンドブームと共に疾風のごとく駆け抜け、未だに人々の記憶に残っている番組である。 そんな番組内での記憶に残る名言(迷言)集をチョイスしてみた。 ◆ 戦争反対の歌や オゾン層破壊の歌も歌ってるよ 【AURA】 ----バンドの姿勢を問われて ◆ やっぱり子供にウケないとダメですね 【AURA】 ◆ 誰も江戸時代から来たって信じてくれないから素顔になってみました 【カブキロックス】 ◆ 拙者は"際(キワ)"という事に誇りを持っている 【辛口審査員から「キワモノバンドはロックじゃない」と言われたカブキロックス氏神一番】 ◆ あ~~オマエ、洋服持ってるのかよ! 【たま
「たけしメモ」から学ぶ 笑いのいろは 2010年7月16日 23:17 「元気が出るテレビ」の冒頭の名物コーナー 「たけしメモ」 複数の作家で集めたネタをたけしが読み上げていたのかと思いきや、10年もの放送で毎回頭を抱えながら たけし本人が作成していたという。 そのメモを紐解いていくとそこには笑いの基礎となる 教科書的ないろはが詰まっていたのだ。 ただおもしろい事を羅列するのではなく、そこにはフリップ芸ならではの流れを作るべくある法則性がある事に気づく 2つの実際のたけしメモからそれを簡潔に分析してみる こんなボディーガードはいらない ・小さい ・必ず遅刻する ・必ずはぐれる ・とりあえず逃げる ・サインをねだる ・強い方につく ・やたらトイレが近い ・異常な目立ちがり ・反応が遅すぎる ・反応が早過ぎる ・人嫌いである ・見てみぬふりをする ・自分のボディーガードもいる ①お題の対象物か
布袋寅泰武道館LIVE 感涙の曲目リスト 2011年2月3日 00:31 昨日である2011年2月1日に布袋寅泰が30周年を記念して、武道館でLIVEが行われた。 BOOWY COMPLEX時代の曲もこの記念の一夜限りにVoで復活するとあって、足を運べなかった私は昨日からその曲目が気になっていた。本日布袋BLOGで発表されたその選曲はあまりに秀逸だったもので記載する。 そして2004年に行われた「BOOWY VS 氷室」と題して行われた氷室のソロ記念ライブでの選曲と比較を行ってみる。 1987 1224 あの夜から決して交わる事のなかった2つの線のその軌跡を知ることが出来ます。 曲目引用元: HOTEI official BLOG ライブハウス 武道館へ 30thANNIVERSARY HOTEI THE ANTHOLOGY“創世記”BEGINNING FROM ENDLESS ~BOO
無名だった10年前のヨシモト若手芸人達の現在の生存率 2011年1月30日 18:44 その昔『ダウンタウンのごっつええ感じ』終了の数年後、松本人志、今田耕司が冠となった『わらいのじかん』(テレビ朝日)が始まった。今やヨシモトの稼ぎ頭である千原兄弟、雨上がりも準レギュラーとして登場していた。 この番組内で浜田雅功をゲストに迎え、ダウンタウンが全く知らぬ(ヨシモト)若手コンビ50組の名前を暗記しようという企画があった。若き日の「品川庄司」が出てきて、「こんなのアカンて! (コンビ名が)覚えられへんて!」と言われている姿は、今見ると非常に新鮮な映像である。 10年経った今見返すと、検証資料として興味深いものがあった。 ヨシモト芸人であるダウンタウンが全くカスった事もない後輩芸人という点がポイントである。 どこかで顔を見たことあったり、芸風を知っていたらこの企画は成立しないのだ。 それ故に若手5
意外性のある正式名称 2011年1月8日 17:23 小室哲哉の偏食からくるサカナ嫌いは各所で公言している事だが、『鯉のぼりをみるのもイヤ』を知った時それはもうキライとかの範疇ではなく、トラウマ的な何かを背負ってると感じた。 中西保志が『最後の雨』のヒット直後に、男の哀愁を伝える路線で『千年前から見つめていた』をリリースしたが、この単位になると見守ってあげる感はもはやなく、強い怨念しか感じなくなるのだ。 本来は末恐ろしいものなのに、何かオブラートに包まれやさしく感じてしまうことはよくあることである。 そこで意外性のあるあまり知られてない正式名称をあげてみる。 パンチパーマ チャンピオンプレス 福岡のある理容室が「これ以上ない髪型」という思いから「チャンピオンプレス」となる。 しかし定着せずいつしかパンチパーマと呼ばれるようになる。 ウーパールーパー メキシコサラマンダー メキシコのソチミル
あのバンドが解散した時の年齢とその理由 2010年12月4日 22:24 宇多田ヒカルが27歳という年齢で音楽活動休止を決断した。 これに対する反応はこの27歳という年齢を自分が既に経験したかどうかで、感じ方が異なってくると思う。 私が10代の頃にバンドブームが過熱し、同時にその崩壊劇もみてきた訳だが、当時は解散時のメンバーの年齢など全く気に留めていなかった。解散時の彼らが20代だろうが30代だろうが、10代から見ればそこに何の違いもないのだ。だが自分がその年令を過ぎると、『20代後半』での決断だったかと『30代中盤』での決断だったかでは、そこは感じ方が大きく異なるのだ。 あのバンド(ユニット)が解散した時、彼らは一体何歳の時の決断だったのかを調べてみた。 それと同時に書籍「バンド臨終図鑑」に記載されている、今だからわかる各バンドの解散の理由も簡潔に引用表記する。 当時の彼らが下した決断時
解散を『解散』と表現しない美学 2010年12月2日 21:44 通常、バンド活動に終止符を打つ時マスメディアに対して 解散 という言葉でそれを伝える。 しかし中には独自の言い回しで終りを表現するバンドもいた。 『解散』という言葉の持つ哀愁を打ち消す表記が多く、そこにはバンド活動とリンクさせた言葉の美学が伺える。 その言い回しは学校のサークル活動の終了や社内でのプロジェクト解体などに今後使えるかもしれないので、 過去のバンドの解散の言い回しに学んでみる。 TM NETWORK プロジェクト終了 SHAZNA 完結 CASCADE 終わり WANDS 解体 シブがき隊 解隊 光GENJI 卒業 一世風靡セピア 卒団 筋肉少女帯 凍結 YMO 散開 PSY・S 終焉 LUNA SEA 終幕 access
意外性のあるミュージシャンの前職 2010年11月28日 23:23 タモリの元ボウリング場支配人しかり、ジャイアント馬場の元巨人のピッチャーなど著名人の意外な前職は、各所で紹介された結果今では多くの人が知る事となっている。 しかしながらテレビの前でしゃべる機会が多いタレントと違い、ミュージシャン達の前職は意外と知られていないと思う。 それは決して隠している訳ではなく、自叙伝の著書の中でしかそれを言わない人が多い結果だろう。 このブログの資料として多くのミュージシャンの自叙伝を読み漁った結果、その辺がだいぶ詳しくなった。 しかし大黒摩季がバックコーラス専だったとか、元accessの浅倉大介がヤマハでシンセサイザーの開発を行っていたとか、楽器屋でバイトしてたなどのエピソードは順当すぎて驚きがない。 そういった訳でミュージシャン(兼業も含む)の意外な前職 (下積み時代のアルバイトも含む)を羅列
山下たろーくんにみた真のスポ根魂とは? 2010年11月5日 23:12 高校生が主役のスポーツマンガではいつも接戦になってしまう事は、常にピークを求められる週刊連載での宿命ともいえる。 だがいつも9回裏サヨナラ満塁ホームランじゃあ、子供相手とはいえさすがに現実味がない。 それ故、現実とのバランスを配慮した舵取りは作品を構築する上で重要な作業となる。 スラムダンクの全試合スコアを見ると、接戦と現実味とのバランス具合を織り交ぜた巧みさがみてとれる。 SLAM DUNK <練習編> 湘北● 86-87 ○陵南 1点差 湘北○ 75-74 ●緑風 1点差 <全国高校総体神奈川県予選> 1回戦 湘北○ 114-51 ●三浦台 63点差 2回戦 湘北○ 160-24 ●角野 136点差 3回戦 湘北○ 103-59 ●
少年ジャンプ黄金期の思い出せない最終話集 2010年11月2日 23:05 団塊Jrにとって少年ジャンプ黄金期はちょうどドストライクの年代だったと思う。 そういう私も購入組で、少なくともこの時期の連載作品は駄作、名作に関わらず全て読んできた。 少年ジャンプ 1991年 2月25日号 この懐かしの号を読み返すと、フリーザとの戦いがクライマックスで、鬼塚が吉祥寺を制圧し、花道が流川と少し和解して、ポルナレフがありのまま今起こった事をしゃべっており、どこを開いても読み応え満載であった。 しかし、読み返しながら思い返すとある事に気づく。 間違いなく全作品読んだはずなのに、ほとんどの結末(最終話)を記憶していないのだ。 あしたのジョー、バカボン、タッチ、ブラックジャック、、、上の世代が愛してきた作品は、一度しか読んでないはずだが、結末がキチンと語れる。黄金期でもさすがにドラゴンボール/スラムダンク/
お昼のTVに黒い花火が打ち上がった日 2010年4月23日 22:41 1年以上前になるが、テレビのキーワード自動録画で「千原ジュニア」と登録していたところ 我が目を疑うような番組が放り込まれていた。 それは2008年に放送された「千原兄弟の夜明け」(テレビ東京)という番組で 土曜のお昼という普段なら絶対に見逃していた時間帯での放送であった。 これを視聴してからだいぶ月日が経ったのだが、google検索してみても 未だこの番組の衝撃度を語った視聴者の声は見受けられない。 テレビ東京がお昼に打ち上げたドス黒い花火を後世に残さねばという使命感を感じた。 番組冒頭で収録直後と見られる千原兄弟がこう切り出すところからスタートする 「みなさま・・昼下がり・・いかがお過ごしですか? 苦情とかたくさんあると思いますが、全て小沢仁志が持ちますんで」 この番組は無趣味なジュニアにキャンプの素晴らしさを哀川翔
公営・私営/裏ギャンブルのピンハネ率 2010年10月27日 22:21 ピンハネ率(テラ銭)とは・・ギャンブル(博打)の胴元(主催者)が掛金(売上)から徴収する手数料のこと そのギャンブルに1000円投じて、ピンハネ率25%だと胴元に250円取られるとの理解でよいです。 自宅で友人達と賭け麻雀をしたら、友人間のみで金が動くのでこの場合はピンハネ率0%となります。 ◆◆◆ ・・・ピンハネ比率 ◇◇◇ ・・・配当金 <2010年度> 公営/私営ギャンブル 宝くじ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇ ピンハネ率 54% ロト6 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇ ピンハネ率 54% サッカーくじ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ ピンハネ率 50% パチスロ ◆◆◆◆◆◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ ピンハネ率 28.6% 競馬 ◆◆
再放送不可能なスポーツ発言集 2010年10月26日 00:09 1990年5月 巨人 VS 広島 広島市民球場 NHK生中継にて 忍者の格好に扮した広島ファン(通称クモ男)が、本塁側の網フェンスによじ登り横断幕を垂らし 発煙筒を焚いたり、手裏剣を投げたりと生中継されていたNHKにて10分も篭城した。 画像元:『野球ばかのつぶやき』さんより この乱入のハプニングは10分も生中継で流れた事と、その後定期的に珍プレー的なテレビ放映で幾度も映った事から、 ファンならずとも知るある程度有名な珍事だと思う。 だが、このハプニングは垂れ幕を下ろす前の駆け上がる様子や煙幕を投げるとこを観たことがあっても、 この垂れ幕の内容をテレビで観たことは少なくとも私はない。 その3本の垂れ幕の内容は、以下のとおりである。 「巨人ハ永遠ニ不ケツデス!」 「ファンヲアザムクナ!」 「天誅! 悪ハ必ヅ滅ビル!」 察する
80年代の懐かし画像集 2006年8月1日 23:26 80年代の懐かし物の画像を、思い出せるだけ探してみました。 「見たり、触ったり、所有していたはずなのに、記憶からすっぽりと消えているもの」 をコンセプトとして、集めてみました。 私は76年生まれなのでプラマイ5歳ぐらいの方は、懐古出来る物もあるかと思います。 牛乳瓶のフタ、メンコ、コマ 地域によって牛乳メーカーは違うので、転校生は一躍ヒーローに これらを知ってると思うと自分が昭和の人間なんだなと実感します コスモス コピー商品を多く排出し、著作権侵害で潰れた。 「ロッチ」の「ドッキリマン」はさすがに本家が許さなかった。 スーパーカセットビジョン 私の世代はファミコン・MSXまでは思い出るのですが、この辺はかなり記憶力との勝負です。 ひゅう太 伝説の16ビットマシン マイコンと呼ばれていた時代 ソノシート ビニール製レコード 雑誌の
フローチャートで知る「たけしの挑戦状」 2010年10月20日 23:43 クソゲーと呼ばれるテレビゲームはいつの時代でも定期的に出てくると思うが、ネットが発達した今は事前にデモ動画や体験版が配布されたりと、その危険はある程度は回避できるものである。 続編モノでとりあえず買ったが期待はずれはあったとしても、とんでもないクソゲームを多くの人が買ってしまうという事態は今後はもう起こらないと思う。そういった意味でも「たけしの挑戦状」(ファミコン 86”)は我が国の歴史上で最も売れたクソゲーとして今後半永久に名を残していく事となるだろう。初代ドラクエと同じ80万本売れた訳で、私を含めた多くの被害者が日本中にいると思う。 このゲームの鬼畜ぶりはもはや伝説化されてる為、各所で散々語りつくされておりこの荒らされた畑には何の作物も期待できない。 無理に新しい切り口を探したとて、classが『夏の日の199
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『80年代後半~90年代前半を回顧するブログ』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く