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衆院選
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最近、KORGのDS-DAC-100mという再生専用USBオーディオインターフェイスをつけたところ、PCからの音楽再生品質が劇的に上がったので、それを踏まえて、 PCに溜め込んだデジタル音楽ファイルを できる限りコンパクトな環境で できる限り安く できる限り高音質で 楽しむ方法について簡単にまとめてみる。 必要なものは4つ パソコン オーディオインターフェイス パワーアンプ スピーカー 1)のパソコンはメインに使っているものでももちろんいいのだが、古いノートパソコン(OSはXPでもなんでもいい)などが余っていたらそれをスタンドアローンで音楽再生専用にしてしまうのも一つの方法だ。 普段の仕事場環境(仕事机の上など)にコンパクトながら高音質の心地よいオーディオ再生環境を構築するのか、リビングなどに専用の環境を作るのかによる。 キモは高品質DAC 2)のオーディオインターフェイスは重要。汎用性の
フェイスブックの今日は何の日的な書き込みで、「57年前の今日(1959/03/15)、フィリピン、ルバング島の小野田寛郎少尉と小塚金七一等兵が日比合同捜査隊に発砲する」というのを目にした。 横井庄一さん、小野田寛郎さんの帰還はテレビで大々的に中継されていたから鮮明に覚えている。でも、小野田さんと一緒に潜伏していた日本兵が複数いて、仲間は戦後だいぶ経ってから銃撃戦の中で死んで、小野田さんだけが戻って来たことは、記憶としては残っているけれど、詳細については知らないことが多いと気づいた。 そこで、実際はどういう経緯だったのか、調べてみることにした。 時系列でまとめると、 1945年2月28日 米軍がルバング島に上陸。装備もまともになかった日本軍はあっという間に壊滅状態で、一部兵士が山の中に逃げ込んで潜伏。生き残った数十名が投降。小野田寛郎少尉は島田庄一伍長、赤津勇一一等兵、小塚金七一等兵と一緒に
デモで法案は止められないが、負け方が重要……という敗北主義 スポーツ関連のイベントプロデュースやWEB制作を手がける会社の社長をしている清義明氏が、自身のブログで「国会議事堂前の『敗北主義』 -最後に笑うものが最もよく笑う・・戦後左翼史のなかの市民ナショナリズム」という長い文章を公開している。 55年体制、日本共産党史、左翼と新左翼の違いなどなど、戦後日本の政治や社会運動史について事細かに説明していて勉強になるが、冒頭部分と最後の部分で非常に重要なことを示唆していると思うので、一部、抜き出してみたい。(太字はこちらで処理したもの) 安保法制を巡って、その反対派が国会議事堂前でデモを行いました。過去最大規模だそうです。(略) このデモの結論は明らかです。 この法案は可決されます。間違いありません。 そして、このことは国会議事堂前に集まったすべての人は皆知っているはずです。 この類のデモという
1Fの地下水汚染問題で、鹿島などは「凍土型遮水壁」(⇒経産省サイトのPDF ⇒東電サイトのPDF)などという提案をしているが、これはあまりにも非現実的で費用対効果が低い「机上の計画」だと思う。 この計画は、簡単に言えば、建屋の周辺にパイプを深く埋めてそこにマイナス40度くらいの冷却剤を入れて土地を永久凍土のようにカチカチに凍らせ、その「凍土」を遮水壁とすることで地下水流入=汚染水増大を防ぐという計画。 言うまでもなく、その冷却剤を長期間維持管理するためのエネルギーは膨大なものになる。 すでに1Fの収束作業に使っている電力だけでも大変な負担なのに、これ以上、効率の悪いエネルギーの使い方をするという発想がどうしようもない。「甘えている」としか思えない。 国から金が出るから、請け負えば儲かるんじゃないか……という発想の延長上に出てきた案にしか見えない。 原子力ムラを構成していた企業が、「フクシ
「30km圏利権」という罠 ■家に帰れば補償打ち切り、仕事を再開すれば補償減額 先日、某新聞社記者から電話があって、「川内村がいち早く帰村宣言をしたが、今の気持ちと村の現状を聞かせてほしい」という。 逆にその記者に、「本当のことを書けるのですか?」と訊いた。 テレビでは「除染が完全に済んでいないのに帰れない」といったことを言う「避難者」が映し出される。それを見て視聴者は「汚染された村に帰れだなんて、村長は人殺しか」などというトンチンカンなコメントをネットに書き散らす。 全然違う。 放射能汚染はもはや関係ない。最初から、村の中心部の汚染は避難先の郡山市などより低いということをここでも何度も書いている。 帰れないのは、帰ると補償金がもらえなくなるから。 非常にシンプル、かつ切実な理由からだ。 東電の「賠償金ご請求の解説」というパンフレットが僕の手元にも届いている。 そこにはこう書いてある。 避
表の「阿武隈日記」に書いたのだが、このブログだけ読んでいるかたも多いと思われるので、実用情報として、ガイガーカウンター SOEKS 01M の情報を。 我が家に届いたガイガーカウンターとしては、これが5台目のガイガーカウンター。 1台目はロシア製のRADEX RD1706で、これはとても扱いやすく、性能もよかったのだが先日壊れてしまった。 RADEXの製品の中ではGM管を2本搭載している上位機種だが、3月13日にイギリスのショップに注文して、2万円台で購入できた。直後に世界中で品切れ。一時期はアマゾンやeBayで10万円を超える値段で出品されていた。今はSOEKS 01Mが大量に出回ってきたことを受けてか、5万円くらいにまで下がってきたようだ。 2台目は同じイギリスのショップで注文したクラシックなやつだったが、すぐに壊れたので返品・返金してもらった。 3台目は、実は最初に国内のショップに注
国より早く3月12日朝に、県は自ら空間線量を調査し、北西方面大汚染を知っていた! 朝日新聞に前田基行記者が『プロメテウスの罠』という記事を連載している。 その中の「防護服の男」と題されたセクションにこういうシーンが出てくる。 浪江町津島地区に住んでいた菅野(かんの)みずえさん(59)が、3月12日の夕方、自宅の前で防護服を着た二人の男を見つける。男たちは切迫した表情で「なんでこんな所にいるんだ! 頼む、逃げてくれ。放射性物質が拡散している」と叫んだが、すぐにどこかへ去っていった。 この記事は現在ネット上のあちこちに転載されている。例えば⇒ここ で読める。 この記事の中に、驚くべき記述があった。 //福島県は、事故翌日の3月12日早朝から、各地域の放射線量を計測している。 同日午前9時、浪江町酒井地区で毎時15マイクロシーベルト、高瀬地区では14マイクロシーベルト。 浪江町の2地点は、ほかの
ここにきて、避難所にボランティアで入っていた人たちからいろいろな話が伝わってくる。 双葉町の避難所となったリステル猪苗代(豪華リゾートホテル)では、「被災者」が、猪苗代町の地元の人たち中心のボランティアが炊き出しで出した食事に対して、 「こんなまずい飯が食えるか」 と文句を言って、不要な軋轢を生んだという。 同じ双葉町住民の避難所となった旧騎西高校にボランティアで入っていた人たちは、避難してきた人たちが、 「自分たちは、一生、国と東電が面倒みてくれる」 「原発敷地内の草取りは時給2,000円だった。今さら時給800円でなんて働けるか」 といった会話をしているのを聞いてショックを受けたという。 無論、こんな人たちは例外で、ほとんどの人たちが苦労していることは分かっている。しかし、こうした発言は人伝えでどんどん広がっていく。 彼らは自分たちの言葉がどれだけ周囲の人たちに衝撃を与えているか理解し
一方、そんな若い人たちがこれからも生きていかなければならないこの世界は、ますます終末感を増している。 世界レベルでスポーツ競技を競えるくらいの環境は、かなり裕福な家庭に生まれるか、スポンサーや組織がバックアップしなければ得られない。 ハッサンのように命からがら祖国を後にした難民が、逃げ延びた先の国(ハッサンの場合はエチオピア~オランダ)で努力と幸運の末に栄光を摑むケースもあるけれど、才能に恵まれていても、日々の、食う、寝る、スマホを使える環境を得るだけで精一杯という若い人たちが大半だろう。 経済の格差は情報操作をも生む 時給いくらのバイト生活に明け暮れる人たちは、情報を自分で集める余裕も技術もない。流し見するテレビやネットニュースから得られる情報は、富裕層がコントロールするマスメディアや、メディアに誘導されたネットユーザーからのものばかり。それが「常識」となって脳にしっかり刷り込まれる。
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