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鎧兜をモチーフとした斬新な作品を数多く発表し、近年脚光を浴びている現代美術家の野口哲哉氏。今回nebulaは野口氏に単独インタビューを行った。 野口氏の作品は、一見するとユーモラスで奇抜なものに感じられる。しかしその背後には冷徹なリアリズムがあるという。それは一体どういうものなのか。 All photos by Gallery Gyokuei 甲冑に恐怖を感じる ──鎧兜をモチーフにした制作をするようになったきっかけについて教えてください。 Phantom of a helmet 2011年 鎧兜は小さい頃から大好きだったんですが、当時は…というか今もなんですが、その理由がよく解らないですね。僕が鎧を選んだというより、良いのか悪いのか、鎧に選ばれたような感覚に近いでしょうか(笑)。 でもそれは特別なことではなく、理由もなくラーメンが好き、オムライスが好きというのと同じだ と思います。自分が
以前「運命なんて、あるのだろうか?」というエッセイを書いてから4ヶ月が過ぎた。その後3月に入籍し、現在結婚4ヶ月目である。これは、客観的に見れば、というかまあ事実まさしく「新婚」そのものであり、そのいわゆる新婚生活のただなかをわたしは夫と歩んでいる。 画像出典:plaza.rakuten.co.jp 新婚生活、と口にするときわたしたちは、こう、なんとも甘美なあれこれ、を否応なく想像する。めくるめくスイートアンドハニーな、つまりは蜜月の日々…。 だがしかし、結婚は生活だ。生ゴミは臭いし、ちょっと怠けて掃除機をかけないでおくと床に散らばる髪の毛の量にアッと驚く。髪の毛、洗面台やお風呂にすぐに詰まってそのたびにため息をつかずにおれない。星野源も大ヒット恋ダンスを踊りながら「意味なんかないさ暮らしがあるだけ〜」と歌っているけれど、実家暮らし二十七年を経てはじめて気づく、暮らすってこういうことなの
なぜ、いまクラシック音楽なのか。 東京で活躍するピアニスト三好駿(みよしたける)さんと、ザルツブルクの音楽大学で学ぶ指揮者水野蒼生(みずのあおい)さんとともに「古典の意味」そして「クラシック音楽の意味」を語り合う。 クラシック音楽は、直訳すると古典音楽。さまざまな批判を乗り越え、あらゆる時代を生き抜いてきた音楽だ。芸術のジャンルの中でも、音楽は特殊である。生涯ゴッホの作品を模写し続ける画家はいないが、クラシック音楽家は人生を賭けベートーヴェンの曲を再現し続ける。 絵画の場合、画家本人が創ったものだけが本物となる。しかし音楽は、書かれた楽譜が作品そのものではなく、演奏家によって再現されなければ後世に残ることなく消えてしまう、孤独な芸術だ。古の巨匠たちが紡ぎあげた音を模倣する「再現芸術」が、音楽という芸術の根幹をなしてきた。 クラシック人気が低迷する中、昔の作品をいま演奏する意味はどこにあるの
「食から社会を変えたい」 そんな強い想いから、カルフォエルニア・ベイエリアのコミュニティ・ファームAlemeny Farmの運営に携わる佳奈(カナ)・ロマン=アルカラさん。前編ではその活動内容や意義を紹介。インタビューを通じて、食と社会、そして政治の関係が浮き彫りになった。後編は、“安全な食”についてさらに深く問い、語り合う。 食の問題と一言にいっても、どんな問題があるだろうか?人間の幸せとは?環境問題とは?今後の地球のあるべき姿は?さまざまな観点が盛り込まれた対話をお届けする。(前編を読まずに理解できる内容ですが、プロフィール等は前編参照。) ︎前編:“食”を考えることは社会を考えること。サンフランシスコALEMANY FARMの挑戦 左から佳奈・ロマン=アルカラさん、順子さん(前編インタビューア) / nebulaの伶奈は日本からテレビ電話で参加 なぜ安全な食べ物を選ぶべきなのか? 伶
自由な恋愛ができるこの世の中で、わたしはいったいどうやって最高の「その人」を見つけられるのだろう。最近お酒の席で人と話したことを元に「運命はあるのだろうか?」ということについて考えてみました。 もうすぐ結婚する。 ということでこの前久しぶりに「のび太の結婚前夜」を見た。同じ境遇にあり、かつまた奇しくも自分と同じ名前のしずかちゃんにここぞとばかりに感情移入してしまう。 結婚前夜、不安に駆られて結婚をやめると言ってパパに泣きつくしずかちゃん。彼女を諭すパパの言葉には、以前同じシーンを観たときよりいっそう胸を熱くしたのだが、 「のび太君を選んだ君の判断は正しかったと思うよ。あの青年は人の幸せを願い、不幸を悲しむことができる人だーー」 熱い胸のうちでふと思う。そう、「選択」なのだ。しずかちゃんはのび太を「選択」した。しずかちゃんはこれまでハタと思わなかったのだろうか、この人よりももっといい人がいる
先日、ワシントン大学で教鞭を取る二人の教授が「コーリング・ブルシット(嘘の摘発)」というクラスのサイトを開設した。一風変わったテーマではあるが、ページには詳細なシラバスや参考文献、ケーススタディが載っており、大学のコース概要さながらの構成である。実はこのコース、ワシントン大学が2017年春学期から開講する授業の本物のシラバスだ。 なぜ大学のクラスをわざわざウェブページにして公開したのだろうか。 そこには、二人の教授の強い信念とメッセージが込められていた。 嘘とでたらめばかりの世界 まずは、ページに掲載している彼らの宣言―授業概要―の冒頭を転載しよう。 世界は嘘にまみれている。政治家は事実を無視し、科学は広報のことしか考えない。高等教育は論理的な思考よりも嘘の方を評価し、スタートアップ企業はでたらめを言う技術ばかりを高めている。広告会社は密かに我々を誘惑し、嘘で塗り固められた世界へと連れ込む
哲学者というと、多くの人がプラトン、デカルト、カント、ニーチェといった名前を思い浮かべるだろう。大学で哲学として教えられているのも、多くの場合、彼らのような白人の哲学者である。 先月、ロンドン大学に所属する東洋アフリカ研究学院(SOAS)の学生自治会が、このような現状に対する急進的な改革案を出した。それは、この学院での哲学のカリキュラムを西洋の哲学者が中心のものから、アジア、アフリカ、中東の哲学者が中心のものに変更することを要求するものである。 (Photo by செலின் சார்ச் ) 哲学=西洋哲学の時代は終わる? 東洋アフリカ研究学院(SOAS)の研究対象は、アジア、アフリカ、中東であり、これらの地域を対象とする研究機関として世界最大の規模を有している。 東洋アフリカ研究学院の学生自治会が、「2016/2017年のために提起された教育上の優先事項」として発表した声明の中には、
1月26日から29日の三日間、一風変わったイベントが世界中で開催された。 その名も”A Night of Philosophy and Ideas“(哲学とアイデアの夜)。哲学、芸術、朗読、パフォーマンスなどを横断しながら、ひたすら思考するためのイベントである。 夜をまたいで繰り広げられるイベントの熱量の高さから「知のレイブパーティー」と呼ばれている。 開催場所はかなりワールドワイドだ。フランス、ドイツ、イギリス、ロシア、といった欧州諸国から、アメリカ、日本、セネガル、トーゴ、エクアドル、ペルー、インドまで、合わせて30カ国にも及ぶ。 2012年からこのイベントを開催している哲学者メリアム・コリチ氏は、オールナイトで行う理由を次のように語っている。 ときには、夜が誘うような、外からの刺激やプレッシャーと無関係な時間性の中に身をさらすことで、思考の質が飛躍的に高まることがあります。このイベン
先生という偉い立場の人が生徒に「道徳」を「教える」ってなんだろう。先生も同じ人間なのになんで道徳について多数の生徒相手に語れるの?そんな資格あるの?という問いをめぐって、現役高校生と倫理の教鞭をとる高校教師と対話をしました。 その模様をお届けします。 伶奈 最近、「道徳」が教科化され評価の対象になるという話を聞きました。小学校では2018年度、中学校では2019年度からだそうです。これを受け道徳教育についてあれこれ考えるべきことがあると思い、凪紗(なぎさ)ちゃんと古賀さんをお呼びしました。凪紗ちゃんは都内私立高校に通う三年生、古賀さんは高校で倫理を教える教師です。本日はどうぞよろしくお願います。 骨折したのに組体操に参加する生徒の美談 凪紗(敬称略)小学校で道徳ってありましたよね。 古賀(敬称略)道徳の教科書もありましたね。「手品師」とかが有名かな。骨折したのに組体操やるやつとかも話題にな
2017年1月23日(月)、新宿で刺激的なイベントが行なわれた。人工知能のための哲学塾 東洋哲学篇 第零夜である。この記事では、そのレポートをお届けする。 「人工知能のための哲学塾」は、NPO法人IGDA日本(国際ゲーム開発者協会日本)に属するSIG-AIが2015年から開催しているイベントであり、ゲームAI開発者の三宅陽一郎氏が講師、ゲーム監督の犬飼博士氏が司会を務めている。 なぜ、哲学なのか? 三宅氏は、ゲーム開発の最前線で人工知能を研究しながら、その開発に哲学を活用している。2016年11月に発売されたFINAL FANTASY XVも、三宅氏率いるチームが開発した人工知能を搭載している。 なぜ人工知能開発に哲学が必要なのだろうか。三宅氏は、GIZMODOで、その理由を以下のように語っている。 なぜ哲学なのかというと、人工知能は理科系と文化系の境界にある、「人間についての学問」でもあ
感覚とは何か。まじめに考えたことがあるだろうか。ある意味では、考える必要もないほど私たちに身近なものと言える。 しかし、実は灯台下暗し。私たちは感覚のことを何も知らなかったのかもしれない。 この記事では、Aeonで公開された「感覚」についての現代の哲学者へのインタビューを紹介しながら、改めて感覚について思考してみたい。 (動画は記事下に転載している) 33種類もある人間の感覚 感覚と言えば、私たちは「五感」を持っている、という考えが一般的だ。 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、合わせて五感である。 「第六感」というと超人間的なことを思い起こさせることからも分かるように、普通の人間が持っている感覚はただ5つだけだと思われている。 何を今更、と思われるかもしれないが、それもそのはず、この考えは2000年以上も前の哲学者アリストテレスが提唱したものだ。そしてそれ以来ほとんど変わることがなかった。アリ
白猫と黒猫の対話、第一弾は「深い言葉」について。「深い言葉」を見たり聞いたりすると、なぜ「くさい!」と思って、「嫌悪」してしまうのだろうか?その理由を白猫と黒猫が対話しながら考えます。 ※このシリーズでは、毎回白猫と黒猫が2人で対話します。 なんで「深い」のに嫌悪の対象なんだろう 黒猫(以下クロ)「深い言葉」ってあるじゃない? 白猫(以下シロ)ふかい言葉? クロ そうそう、スマフォの待ち受けにしたり、ポストカード売り場に並んでいたりするやつ。実際にそれっぽい言葉考えてきたからちょっと出すね。 シロ うわ、それっぽい(笑)。あるよねこういうの。昨日行った居酒屋の壁にもびっしり貼ってあった。トイレにまで「深い言葉」が一面貼ってあることもある。 クロ こういう言葉って「深い」のに、わたしにとっては、身震いするくらい不快なんだ。 シロ たしかに。全部じゃないんだけど、深い言葉って、嫌悪の対象になる
先日、「ポケモンGOを哲学する。あの熱狂は何だったのか」という記事を書いた。その記事へのコメントをいただく中で、記事には書かれていなかったポケモンGOのディープな現場に目を開かされた。 あの記事を書くとき、できるだけ多面的になるように心がけたつもりだった。だが、やはりレベル21のミーハーユーザーの視点から見たポケモンGOだったようだ。 ポケモンが語りかけてくる まず、自分はポケモンに名前を付けているという趣旨のコメントをいただいたという話から始めよう。 あの記事では、筆者を含むそれなりの数の人がポケモンに名前を付けないのはなぜかという切り口で論じた。 しかしそのようなプレイは、一つのプレイの仕方にすぎなかった。名前を付けるプレイもある。現にポケモンに名前を付けてプレイしている方がいるのだ。 その方によると、ポケモンに名前を付けることで、愛着が湧くという。名付けることは愛着と関係している。中
2016年7月22日、日本でのポケモンGOの配信が開始された。2016年12月現在、既に配信開始から四ヶ月以上が経過した。あの異様な盛り上がりはもはや見られないが、今でもポケモンGOは無視できない存在だ。 あの熱狂は何だったのか。そろそろ、ポケモンGOとは何だったのか、そして何でありうるのかを、じっくりと考えてみてもよい頃だろう。 この記事でいう「哲学する」とは、総合的に考えてみるということだ。つまり、データの分析、個人の体験の想起、状況の分析、倫理学的な思考といったそれぞれ異なる領域の話を総合しながら、一つの事象についての理解を深めるということだ。 ポケモンGOの歴史 まずこれまでのポケモンGOの歴史を簡単に押さえておこう。 7月22日の日本での配信開始当時は、どのくらいのブームになっていたのか。配信直後にMMD研究所が発表した「ポケモンGOの利用実態調査」の結果を見てみよう。 この調査
前編 旅をしたら人って本当に成長するの? に引きつづき、今回も旅をめぐる対話をお届けします。後編では、旅と情報の関係を掘り下げようと思います。(後編は前編に比べて短めです◎) 「ああこれが例のアレか」という経験はつまらない 伶奈 旅人姉妹の希さん、順子さん、よろしくお願いします。2人の旅遍歴は前回紹介したので割愛しますね。で、その対話のときに”旅ではすべきことがない状況におかれるから解放される” みたいな話がでたんだけど、ちょっとまだ引っかかってる。そういう旅って滅多にないと思うんだよね。 順子(敬称略)旅の仕方によるけど、普通の旅はどんな感じ? 伶奈 旅ってだいたい、出発前からだいたいの予定は組まれている。有名な場所やレストランを予めガイドブックやネットで調べて、お昼はここ、夜はここで食べよう、その間に時間があるからなんちゃら城にいけるなとかプラン済み。 希(敬称略)旅に行く前のプランニ
ロマン主義 vs 古典主義 上の動画を見て、あなた自身はロマン主義と古典主義のどちらの傾向が強いと感じただろうか。 直感 vs 分析 自発性 vs 教育 正直さ vs 礼節 理想論 vs 現実論 非日常 vs 日常 こうした対立項のどちらに傾いているか、という基準はたしかに分かりやすい試金石だ。 感性が大切なロマン主義 ロマン主義という立場は、一言で言えば「個性主義」、あるいは「天才主義」である。 体験、感情、自発性、といったような原理的に他者と共有され得ない性質が重視されるため、そこでは圧倒的な天才や強烈な個性が称揚される。 「論理より感性」「自発性を重視した教育」といった立場も、ロマン主義の一バリエーションに他ならない。 感覚を疑う古典主義 他方、古典主義は、ロマン主義とは反対に、普遍的に当てはまる価値に重きを置く思想潮流だ。 彼らの価値の中心は、法則、形式、調和。そこに個性という偶然
若者の街と言われ、外国人が最も注目するスポットと言われる渋谷。 僕自身、渋谷に惹かれてしまう。そしてそう感じる人は少なくない。 なぜ、渋谷は人を引き付けるのだろうか。 こんな問いを抱きながら、2016年11月、nebulaの岡田は、渋谷在住のアーティストの布村(ほむら)さんと一緒に渋谷を歩いてみた。 かつてアリストテレスは弟子たちと散歩をしながら語り合ったことから、彼の学派は「逍遥学派」と呼ばれたという。歩行は思考を刺激するのだろうか。 渋谷に促されるままに、ストリート文化やARの話から、ハロウィンや名曲喫茶の話まで、話題は二転三転しながら、渋谷の秘密に迫っていく。 今回の撮影には、「Takumar 28㎜ f3.5」というレンズを使用した。これは、人間の眼で見た風景に限りなく近い写真を撮れるレンズで、警察の記録写真にも使われるほどだという。アート的な写真とはまた違ったアプローチになる。
デカルトは旅を “世界という大きな書物” にでることだと表現した。昔から人は異国へ憧れを抱き、ここではないどこかへゆくことに魅了されてきたのである。 今回はそんな旅をめぐる対話の模様を前後編にわたってお届けします。 伶奈 こんにちは、nebulaの伶奈です。今回一緒に対話をするのは、旅と苦楽をともにしている旅人姉妹の希さん(姉)と順子さん(妹)。まずは自己紹介がてら2人の旅遍歴を聞いてみましょう。 希(敬称略)わたしは今年の10月まで彼氏と一緒に2年半かけて世界一周の旅をしていて、今は一時帰国中。2014年のW杯のときにブラジルから旅を始めたんだけど、わたしの旅は、最近バックパッカーの中で流行っているような効率を重視してきれいに東周りか西周りするものではなくて、その時々に気の向くままあっちこっち行ってたら地球一周になっちゃった感じ。 順子(敬称略)わたしは学生のときアメリカに2年半住んで
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