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衆院選
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iOSの場合 アプリを制作しているフォルダ( my_app など)をルートとして、 ios/Runner/info.plist を開きます。 この中にある「Bundle name」の項目でアプリ名を設定できます。 Androidの場合 android/app/src/main/AndroidManifest.xml を開きます。 この中にある「android:label」の項目を変更すると、アプリ名に反映されます。 <application android:name="io.flutter.app.FlutterApplication" android:label="app name" android:icon="@mipmap/ic_launcher"> 注意点 Flutterの設定ファイルである「pubspec.yaml」にも「name」という項目があります。 こちらを変更しても、アプ
「ドキュメント 道迷い遭難」は、実際に道に迷って山で遭難した人たちに取材をした本だ。 いつ遭難するかなんてわからないので、登山初心者としては一度は読んで置いたほうがいいかも、と思って手にとってみた。 この本に登場する人も山のタイプも様々で、おそらく意図的に条件の違う遭難事例を組み込んでいるのだろう。 山で遭難したら「尾根に登り、沢に下るな」というのは初心者でも知っている格言なのだけど、遭難した人たちは、不思議なくらいにみんな沢へと降りてしまっている。 登場するのはある程度の登山経験を積んだ人たちなので、当然この格言はみんな知っているのだけど、いざ遭難してしまうと、そういう冷静な判断ができなくなってしまうようだ。 道に迷ったら引き返せばいい、というのもよく言われていることだけど、迷ったと気づいた時には既にそれなりの距離を進んでいるので、その移動に費やしたコストが無駄になることを嫌い、「もう少
蕭何(しょうか)は劉邦を世に送り出し、彼が漢の皇帝になるまでその覇道を支えた名臣です。 統治能力に優れており、項羽との戦いに苦戦する劉邦に兵員や軍需物資を供給し続け、継戦能力を維持するのに貢献しました。 それ以外にも韓信の才能を見出して大将軍に推薦するなど、人材登用の面でも活躍しています。 戦いには参加しなかったため、やや地味な存在ではありますが、もしも蕭何がいなければ、劉邦が中国大陸の覇者になることもなかったでしょう。 この文章では、そんな蕭何の生涯について書いてみます。 【蕭何の肖像画】 沛県に生まれ、役人となる蕭何は劉邦と同じ沛県の出身で、秦帝国が大陸を支配していた頃には、その現地採用の役人となっていました。 決して身分は高くありませんでしたが、真面目な性格で有能であったため、上役から評価され、地元の住民たちからも慕われるようになっていきます。 この時の部下に、後に漢の丞相(じょうし
武田信玄は甲斐(山梨県)を拠点として周辺の諸国に勢力を伸ばし、一大強国を作り上げた戦国大名です。 軍事や調略、内政や家臣団の統率にも優れており、武田氏を戦国最強と呼ばれる軍団に育て上げました。 上杉謙信と川中島で何度も戦火を交えたことでも知られています。 やがて信玄は徳川家康や織田信長を脅かし、上洛して天下を制することを目指すようになりますが、病のために寿命が尽き、その野心を達成することはできませんでした。 この文章では、そんな信玄の生涯について書いてみます。 【武田信玄の肖像画】 武田信虎の子として生まれる信玄は1521年に、甲斐守護の武田信虎の次男として誕生しました。 幼名は太郎といいます。 信玄には兄がいましたが、幼い頃に死去してしまい、これによって信虎の後継者になりました。 母は甲斐の有力な領主・大井氏から嫁いだ大井夫人です。 信玄が生まれる直前に、今川氏が甲斐に攻め込んで来ており
徳川家康は三河(愛知県東部)の小領主から身を起こし、織田信長と同盟を結んで勢力を伸ばした人物です。 子どもの頃に人質になったり、武田信玄に苦戦したり、豊臣秀吉に臣従したりと数多くの苦難を経験しましたが、最終的には天下を制しています。 家康が開いた江戸幕府は長期安定政権として、264年に渡って平和な時代を築きました。 この文章では家康がどのような道のりをたどって天下人となり、世の安定のために尽くしたのか、について書いてみます。 【徳川家康の肖像画】 松平広忠の嫡男として生まれる家康は1542年に三河の小領主・松平広忠の嫡男として誕生しました。 幼名は竹千代といいます。 母の於大(おだい)は近隣の領主・水野忠政の娘でしたが、水野氏はやがて松平氏が敵対する織田氏と同盟を結んでしまいます。 このため家康が3才の時に離縁され、実家に戻されました。 こうして家康は、幼いころに母と生き別れになっています
前田利家は織田信長に仕え、槍の名手として知られた武辺者でしたが、長じてからは軍の指揮官として活躍するようになります。 やがては能登一国の主となり、豊臣秀吉の信頼を得て90万石の大名にまで出世しています。 晩年には徳川家康とも張り合えるほどの存在となり、豊臣家の柱石にもなりました。 この文章では、一代でそれほどの出世を遂げた前田利家の生涯について書いてみます。 【前田利家の肖像画】 前田利春の四男として生まれる利家は1538年に、尾張(愛知県)荒子村を支配していた前田利春の四男として誕生しました。 幼名は犬千代と言います。 1551年に13才で織田信長の小姓となり、側仕えを始めています。 この年はちょうど信長が織田家の家督を継承した時期にあたり、利家は信長の尾張統一戦に参加して武功を立てていくことになります。 当時の尾張は織田氏の一族が権力争いを行っており、多数の勢力によって分裂した状態に置
明智光秀は低い身分から織田信長に引き立てられ、多くの領地や軍の指揮権を与えられた武将です。 しかしやがて光秀は謀反を起こし、京都の本能寺で織田信長を討ちました。 そして天下人になることを目指しますが、その野心は世から受け入れられず、裏切り者として多くの敵を作ることになり、あえなく滅亡しています。 この文章では、どうして光秀は信長を裏切ったのかについて、書いてみます。 【信長に謀反を起こし、自らも滅んだ明智光秀の肖像画】 不明な前半生明智光秀は1528年に美濃(岐阜)で生まれた、と言われていますが、異説が複数あり、出自がはっきりとしていません。 父親が誰なのかも定まっておらず、その出生は謎めいています。 明智氏は美濃の守護・土岐氏の一族であるとされていますが、父の名前も伝わっていないことから、かなり低い身分の出身だったのではないかと言われています。 光秀はかつて足軽(最下級の兵士)や中間(雑
先日「計算機++」をアップデートし、新しくワンタッチで割引計算ができる機能を追加しました。 以下は使い方の紹介です。 割引計算のしかた まず割引計算をしたい数字(ここでは例として10,000)を入力します。 そして画面の上部にある、ギザギザした枠に囲まれた「%」ボタンをタッチします。 すると5%きざみの割引計算ボタンが表示されます。 ここでたとえば「-30%」のボタンを押すと、すぐに3割引の計算結果が表示されます。 このように、ワンタッチでさくさくと割引計算ができるようになりました。 答えの下に(10,000-30%)の補足テキストが表示されるので、どのような計算の結果なのかがわかるようになっています。 式でまとめて割引計算 複数の商品の価格を入力し、まとめて割引計算をすることもできます。 たとえば「3,500+2,500」と入力し、「-20%」のボタンを押します。 するとまず「3,500
真田昌幸は有名な真田幸村の父親で、当人も優れた軍略家として知られた人物です。 しかし一方で「表裏比興(ひょうりひきょう)」の者、と評されたりもしています。 これは老獪なくわせ者、といった意味で、その才覚を褒めているような、嘲っているような、微妙なニュアンスが込められています。 どうして真田昌幸はそう評されるようになったのか、そのあたりをこの文章で書いてみたいと思います。 【真田昌幸の肖像】 真田家の三男として生まれる昌幸は信濃(長野県)の豪族・真田幸隆の三男として生まれました。 兄が2人いましたので、この時点では真田家の相続権を持っていませんでした。 真田家はこのころ甲斐(山梨県)と信濃を支配する武田家に仕えており、昌幸は7才の時に人質として武田信玄の元に送られます。 幼い頃から信玄にその才能を見出され、寵愛を受けたと言われています。 その後、成長した昌幸は跡継ぎのいない武藤家の養子となり
電子書籍『正史に基づく三国志 蜀志篇へん』を、Amazonのkindle storeにて、販売開始しました。 これは三国志に登場する蜀しょくという国を作り、支えた人物たちについて書いた本です。 三国志は二つあり、まず蜀や晋しんに仕えた陳...
小早川秀秋は関ヶ原の戦いにおいて西軍を裏切り、東軍の勝利を決定づけたことで知られています。 その一点でのみ歴史に名を残している、と言ってもよいでしょう。 しかし秀秋がどのような来歴の人物であったのかはあまり知られていません。 この文章ではそのあたりに触れつつ、秀秋がどうして東軍に寝返ったのかについて書いてみようと思います。 【小早川秀秋の肖像】 秀吉の養子になり、後継者候補として育つ秀秋は天下人・豊臣秀吉の義理の甥として誕生しました。 父は木下家定といい、秀吉の妻・ねねの兄です。 本能寺の変が発生した1582年に生まれています。 3才の時に実子のいない秀吉の養子として引き取られ、ねねの元で成長することになりました。 元服して羽柴秀俊を名のり、わずか6才の時に諸大名からの起請文を受け取ったり、秀吉の代理として天皇への誓いを受け取るなど、公的な場での活動が認められます。 (秀秋は生涯で何度か姓
先日iPhone6のSIMフリー版を購入し、MNPでauからMVNOのみおふぉんに移籍しました。 手続きの過程や使用感などをレポートしようと思います。 まずはauの解約とMNPの予約手続きを auのサポートに電話し、MNPの予約番号がほしい旨を伝えました。 解約理由やどこに移籍するのかなどを聞かれ、それらの質問が終わると、解約月の料金の説明がありました。 (ここで引き止めを受ける場合もあるそうなのですが、すでにSIMフリー版を購入していて、MVNOに変えるつもりだと説明したせいか、引き止めはありませんでした。) 基本料金などは日割りになるものの、LTEの定額料金はまるまるかかってしまうそう。これも日割りにしてほしかったですが、ここで文句を言っても仕方ないので、はいはい、とうなずいて終了。 更新月の申し込みだったので、解約料(9,500円)はかかりませんでした。 MNPの手続き費用として2
毎年恒例となっているiPhoneの新型の発売日が近づいてきました。 私はiPhone5を使っているので、2年ぶりに新型に買い換えようと思ってiPhone6を注文しました。 10月でAUの2年縛りが終わって無料でMNPできるタイミングなので、そこでSIMフリー版でMVNOを使ってみるつもりです。 Apple Storeのサイトで注文したのですが、既に9月19日出荷分は売り切れていて、配達予定日は10月9日〜17日になってしまいました。(^_^;) どうせ契約を変えるのは10月なのでちょうどいいんですけど、SIMフリー版がそんなに人気があるとは意外でした。 ■MVNOを利用した場合の料金は MVNOはdocomoやAUなどの通信網を利用して、独自にデータ通信や音声通話サービスを提供する事業者です。 現時点で130くらいの業者が参入していて、かなり盛り上がってきているようです。 MVNOとdo
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