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セキュリティ
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2017年の秋、わたしはシカゴで開催された『PMI Global Conference』に参加した。自分の研究成果を講演発表するためだ。テーマは、"Decision making with Risk-based Project Value (RPV) analysis and activities’ value contributions"。それまで10年以上にわたって続けてきた、リスク確率に基づくプロジェクト・マネジメントの手法論を簡潔にまとめたものだった。 考えてみると、PM関連の国際カンファレンスには、これ以来、参加していない(まあ、GAPPS Initiative のこぢんまりしたオンライン会合は別として)。2000年代の初め頃は、米国でも欧州でも、PMの国際大会への参加は楽しかった。新しい理論や手法の提案も多く、活気に満ちていた。だがシカゴでは、なぜかもはや、そうした興奮に浸るこ
月曜の朝一番、あなたは上司に呼ばれて、ある件に関するレポートを作成するように命じられる。それなりの内容だ。部内の過去の資料などを調べ直さないといけない。3日位はフルにかかりそうな仕事だ。それを今週中に提出してほしいと言う。あなたは他にも定常業務を抱えていて、今その1つに着手したばかりだ。さて、どうするか。 1つの考え方は、やりかけの仕事は脇において、そのレポート作成にすぐ取り組むことだ。早ければ水曜日の夕方には終わるだろう。やりかけの定常業務は、木曜の朝から再開すれば良い。その方が気が楽だし、書き上げたレポートをブラッシュアップするチャンスもあるだろう。 しかしもちろん別の考え方もある。金曜日の夕方に提出すれば良いのだから、ギリギリ水曜日の朝に着手すれば間に合うはずだ。そうすれば一旦、着手しはじめた定常業務の方を、先にある程度片付けることができる。頭脳労働というものは、途中で腰をおられると
自宅のリビングの窓際に、クリスマス・カクタスの鉢を置いている。小さな緑のサボテンだが、いつもクリスマスの時期になると深紅の花を咲かせる。どうして植物は目も耳もないのに、正確に時を知ることができるのだろう。いつも不思議に思う。時を知るとはどういう事なのか。 「時計の針を進ませておいてはいけない」と、亡き父はいった。よく、『時間に遅れないために』時計の針をわざと数分進ませておく人がいる。時間のゆとりを確保しておくためだ。だが、父はそうした意見に反対だった。家の時計は正確に合わせておくよう、母に命じた。なぜなら、「時計は計器である」。それが技術屋だった父の答えだった。 計器は正確でなければ役に立たない――それが技術者の感覚だ。安心や余裕のために、計器の針をずらしてはいけない。たとえば体温計を考えれば分かる。体温計は計器だ。『健康のために』体温計を0.2~0.3℃、上げておく人がいるだろうか? 事
当サイトを以前からご覧いただいている読者の方はお気づきだろうが、わたしは『感情』というテーマに、しばしば触れるようになってきた。その最初はおそらく2011年の「知識労働、肉体労働、そして『感情労働』」かもしれないが、2017年頃から少しずつ増えている、そうなった特段のきっかけがある訳ではないが、感情というものが人間を動かす大きな原動力となっていると気づいた、それが理由である(なお、ここでは感情を「感覚的・情緒的なもの」という広い意味で使っている)。 言うまでもなく、当サイトのテーマは「計画とマネジメントの技術ノート」だ。技術と感情ほど、縁遠いものはない。技術は科学を基礎とした理知的な方法論で、かつ非属人的な移転可能なものである。感情の割り込む余地はない、はずだ。なのになぜ、感情を重要なファクターとして考えるようになったかというと、マネジメントが「人を動かす仕事」だからだ。 自分で手を動かし
「ちょっと想像してみてください。もしも家の台所が1階と2階に分かれていたら、どうなると思いますか。冷蔵庫と流し台は1階にあり、ガスレンジは2階にある、と。それはどんなに不便か、お分りでしょう?」――これは、わたしが工場の建築レイアウトについて、よく使うたとえだ。「ところが、製造業のお客様の工場を訪問すると、こんなレイアウトをよく見かけるんです。モノづくりの工程が、上下階に分かれていて、途中に上下の移動が必要になっています。どんな結果が生まれるか、分りますか?」 「工程間で互いに相手の状況が見えないから、作業の同期がとりづらくなりますし、そもそも垂直搬送自体が、時間とエネルギーのムダです。ところが、働いている人は、誰もそれを不思議と思っていません。なぜなら、工場ができた時から、そうなっていたからです。」 日本は敷地が狭い。だからどうしても、工場は平屋ではなく多層階になる。それ自体は仕方がある
「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」は、わたしがスケジューリング学会の下で組織した研究会で、2011年の5月に発足後、13年間活動を継続し、昨年解散した。研究会が産みだした成果の一つは、『PM教育分科会』で開発したプロマネのための研修プログラムだ。これはいくつかの企業や、浜松ソフト産業協会などのセミナーで実施し、それなりに好評だったと自負している。 わたし達が構想したのは、2日程度をかけた合宿形式の研修で、プロジェクト・マネジメントの様々な面を、手を動かしながら身につけてもらう方式だった。その柱の一つは、紙のカードを使って、横長の大きな模造紙にプロジェクトのネットワークを作成し、全体構造を理解してもらう点にあった。残念ながらコロナ禍の影響でリアルな集合研修ができなくなり、研究会活動のブレーキになったのだが、そこはさておき、現実のセミナーでは、やりたいと思ってもできずに終わった事
ある大手航空機メーカーのオフィスを訪れた。研究開発拠点で、小ぶりなオフィスだ。しかし中に入ると、会議室や廊下のあちこちに、自社の様々な製品の写真が飾られている。いずれもカッコいい写真だ。模型も並んでいる。見ていて、改めて思った。「そうか。この人たちは、自由に空を飛べる乗り物を作りたいという情熱で、この会社を動かしているんだ」。 そこの本社も訪れた事はあるのだが、来客用の大会議室や研修室が並ぶ建物では、実感がわかなかった。凝縮されたスペースで初めて、その情熱に気づいたのだ。 働く人の情熱がなければ、企業は続かない。もちろん、情熱さえあれば企業が存続できる、というほどビジネスは単純ではない。しかし優れた製品ができ、自分もそれに多少は関わっていて、それが望ましい風に働くのを見る事は、感情的な勲(いさおし=報酬)になるのだ。 もちろん給与という経済的報酬ももらう。もらわなければ生きていけない。だが
先日の記事でもお知らせしたように、9月5日に行われた「PMシンポジウム2025」(日本プロジェクトマネジメント協会)で、「PMから見た『設計』論の課題」という講演をさせていただいた。ちょうど台風が関東に近づき天気の良くない中、会場までおいで下さった聴衆の皆さん、またオンラインで参加された皆さんにお礼を申し上げたい(講演自体はまだオンデマンド配信でも視聴可能)。 ちなみに、日本におけるPM業界の事情に詳しくない読者のために、念のためご説明しておくと、今回のシンポジウムを主催したのは、PMAJと略される団体である。'90年代に経産省の肝いりで、(財)エンジニアリング協会のバックアップのもと設立された日本発の団体だ。このほかに、(社)PMI日本支部という大きな団体もあり、こちらはPMIJと略されたりもする。 米国発の世界的な団体であるPMI(Project Management Institut
スマートな(賢い)人とは、自分の現状を把握し、過去から学び、未来を予測・構想でき、そして事実とデータに基づいて判断する人のことである。それゆえスマートな組織とは、(1)自らの過去のデータと知見を蓄積し、(2)現状をモニタリングし、(3)ビジョンと予測に基づく計画を立て、(4)客観的事実とデータから決断を下せるような組織、をいう。これは会社組織に限らず、官庁とか大学とかサークルの集団などでも同じである。 現在・過去・未来、そしてデータ。これが「賢さ」の4条件であるならば、プロジェクト遂行の組織も、きちんと過去データを蓄積できるようになっている必要がある。過去のプロジェクトはどんなスコープだったのか、どれくらいのリソースと工数を投入し、スケジュールはどうだったのか。当初の計画とどれくらい違ったのか。追加変更はどうだったのか。こうしたことが記録され、データ化され、できればデータベース化されている
1959年、冷戦時代の米国。ハーバード大学で経済学博士号を取ったばかりの若き俊英ダニエル・エルズバーグは、母校の政治学者・キッシンジャー教授のセミナーで、交渉戦略について連続講義を行う。タイトルは、「Art of Coercion(威圧の技法)」。内容は、経済や政治・戦争における脅迫や強制を「交渉ゲーム」として捉え直すアプローチだった。とくに彼は、第二次大戦前のヒトラーが、破壊を示唆することでオーストリアやチェコスロヴァキアを服従させた例をとり、相手の合理的な推測を逆手に取る「予測不可能性=威圧戦略」の有効性を解説した。 後にキッシンジャーは、「自分が交渉について最も多く学んだのはエルズバーグからだった」と回想している。キッシンジャーという人物への好き嫌いはおくとしても、後に国務長官になった彼の現代政治への影響力は、巨大だった。他方エルズバーグは、米軍のシンクタンクであるランド研究所で働く
わたしが大学に入った頃、新入生の手続きは、正門前の本館と呼ばれる建物で行われていた。事務方にいろいろ書類を提出し、学生の自治会からも熱心な勧誘と説明を受ける(自治会は当時、共産党系の民青が牛耳っていた)。それが終わると、隣の建物で、様々なサークルが新入生勧誘を繰り広げる。その間の渡り廊下に机を置いて、新左翼の連中がにこやかな顔で「アンケートにお答えください」と呼びかけていた(革マル派だったと思う)。わたしは何となくそこに座ってしまった。 アンケート用紙の主要な部分には、「ベトナム反戦、三里塚闘争」から始まって、「部落差別、狭山事件」等々に至るまで、当時の政治的イシューが単語だけずらりと並べられていた('70年代半ばのことだ)。そして「この中で興味がある問題があったら丸を付けてください」という。 (左翼って、なんて馬鹿なんだろう)わたしは内心あきれて、相手にいった。「この中のどれかに関心があ
「佐藤さんは何も考えずにぼんやりしてる事なんか、ないんでしょ?」と言われたことがある。そうかな? 確かに、そうかもしれない。いつも、何か考えている。まあ最近は、マインドフルネスないし座禅まがいのことをしているので、その間は何も考えない・・と言いたいところだが、実は「何も考えない」のは、やってみるととても難しい。わたし達の脳は、ちょっとしたきっかけで思考のドリフトが始まるように作られているらしい。 ともあれ、わたしは、考え事が好きだ。趣味だと言ってもいい。何を考えているかって? まあ、いろいろ。とても抽象的な問題から、今夜のおかずまで。ビジネスのことから、趣味のことまで。でも具体的で直近のことより、抽象的な問題のことが多い。その同じ問題を、繰返しくりかえし考え続けている。時々、ちょっとだけ気づきがあって、少し前進する。
1997年のある日、わたしは出張先の中東の産油国・カタールで、衛星テレビを見ながら1人で夕食をとっていた。インド人のコックが作った日本食で、味噌汁はやたらと濃厚な、謎の味がした。見かけだけは日本風だが、断じて和食ではない。味噌汁を生活の中で味わったことのない人には、味噌汁の「イデア」=本質はわからないのだろう。レシピをなぞり、外側を真似ることができるだけだ。 テレビをつけて、日本語放送にチャンネルを変えると、背広姿の年配の男性の泣き顔が大写しになっていて、仰天した。山一証券社長の記者会見の様子だった。名門証券会社が何兆円もの負債を抱えて、経営破綻したのだ。日本のバブル崩壊を象徴する出来事だった。蒸し暑い中東ドーハの宿舎、謎のインド味噌汁、そしてテレビカメラの前で泣いている、日本人社長。この異様な組み合わせを、わたしは決して忘れない。それはピースがはまらなくなって、崩れ始めたジグソーパズルの
「クリティカル・パスなんて、実際は役に立ちませんから。」ある生産スケジューリングの専門家は、にこやかにそう断言した。この方は元々IT業界の出身で、その後は生産マネジメントやIoT・スマート製造の分野で活躍している人だ。ふうん、この人でさえ、そう思ってるのか。うすうす感じていたことだが、改めて世の認識を再確認した気持ちになった。 クリティカル・パスとは何か。今さら言うまでもないが、クリティカル・パスはプロジェクト・スケジュールにおける基本的概念で、プロジェクト全体の期間を決定する指標である。プロジェクトをアクティビティ・ネットワークで表現した際に、開始点から完了点までを結ぶ経路の内、最長のものをクリティカル・パスと呼ぶ。プロジェクトの全期間の長さは、クリティカル・パスに等しくなる。 もしもプロジェクトの納期を短くしたければ、クリティカル・パスを短縮する必要がある。クリティカル・パスに乗ってい
会議は、あっけなく終わった。「質問は?」議長がたずねたが、誰も声を上げない。それが最後の議題だったので散会となった。参加者は皆、三々五々部屋を出て行く。報告者のプロマネも、しばらくじっと黙ってうつむいていたが、自分のノートPCをたたんで静かに出て行った。ただ、わたしは呆然とした気持ちのまま、席を立つ気がしなかった。 この種類のプロジェクトが、この段階でこの状態にあるとは、まともじゃない。基本構想の仕事ならいざ知らず、すでに投資決定も下り、力仕事の段階に入っている。報告内容から見て、明らかに人も、予算も足りていない。当然、納期にも間に合うまい。ただ、プロマネ自身は、そうは言わなかった。顧客起因の重大な変更があって、進捗も遅れ気味だが、「何とか頑張ります」と言ったのだ。 会議の出席者の中には、経営層の人もいた。他のメンバーだって、昨日今日仕事を始めた人たちではあるまい。だったらなぜ、発言しない
『スパイスカレー』という言葉は、2000年頃から使われるようになったらしい。昔の昭和風のカレーライスは、具材を水で煮て、そこにカレー粉と小麦をベースにしたルーを加えて作った(「ライスカレー」という言い方もあったなあ)。これに対してスパイスカレーは、自分で配合したスパイス群を使い、水を使わず、しかもサラサラ感のある仕上がりになる。より、本場のインド風に近い料理だ。 わたし自身も、スパイスカレーという言葉がはやるずっと前に、米国でインド人の奥さんに教えてもらって以来、繰返し自分で作ってきた。カルダモン、ターメリック、クミン、コリアンダー・・といったスパイス類(粉ではなくホール=粒状のもの)も、昔は都心のデパートや外人向け高級スーパーでないと手に入らなかったが、最近は最寄りの店で買えるようになった。
日本のオーケストラの特徴について あるとき、日本のオーケストラに関する文章を読んでいたら、高名な音楽家バーンスタインのこんな発言にぶつかった。 「このオーケストラ(N響)のことは、セイジから聞いて私は知っているんだ。たとえば指揮者がフルート奏者にイントネーションが少し違うと伝えたくても、気軽に指摘することは許されない。だからこのように言わないといけないそうだよ。”あの……演奏者さま。申し訳ないのですが、あなたの演奏はイントネーションがちょっと高いようなので、できればもう少し下げて演奏してみてもらえないでしょうか?”」 (大友直人「あのN響が世界的指揮者に笑い飛ばされたワケ ~ バーンスタイン氏の痛烈なひと言」 ) 著者の大友直人氏は指揮者で、若い頃にバーンスタインから直接聞いた発言として書いている。セイジとは故・小澤征爾のことで、彼はバーンスタインの助手だったが、N響とトラブルを起こしたこ
「プディングの味は、食べてみないとわからない」という西洋のことわざがある。物事の中には、実際に自分で体験してみないと、わからないことがある。言葉での説明が難しい、言語の伝達だけでは尽くせない何かがある、という意味のことを言っている。大抵の物事は、言語できちんと記述・伝達可能だ、と信じる西洋文化だからこそ生きる、逆説的なことわざである。 マネジメントもそういうものだと、わたしは思う。マネジメントにはいろいろな流儀やスタイルがあるし、あって良いが、明らかに上手・下手がある。自分が属する部門であれ、たまたま自分がアサインされるプロジェクトであれ、あるいは会社全体の経営であれ、マネジメントにはレベルの上下がある。できれば上手なマネジメントの下で働きたいし、自分がマネージする立場の時は、うまくやりたい。 だが実は、マネジメントが本当に上手かヘタかは、事後的にしかわからないのだ。事前にマネージャーの経
アパートの鍵、貸します ビリー・ワイルダー監督の名画「アパートの鍵貸します」(1960)に、忘れがたいシーンがある。大晦日の夜、新年を待つパーティーの乱痴気騒ぎの中、午前零時が訪れ、皆が声をそろえて『蛍の光』を合唱する。日本では卒業と別れを象徴する歌だが、元はスコットランド民謡で、英米では新年に歌う習慣だ。歌い終えた企業の重役が、ふと振り向くと、連れの若い愛人(シャーリー・マクレーン)の姿が消えている。愛人としての人生に疲れていた彼女は、自分の真の望みに気づき、外に出て目的地に向かって走るのだ。 白黒の古い映画だが、映像はとても美しい。白黒の方が、なぜか観客のイマジネーションを刺激するのだろう。パーティーの様子も、彼女が走る街路も、一つ一つ鮮やかなイメージを残す。初めて見たのは、10代の終わり頃だったかと思う。映画には当時のハリウッドの職人芸が詰まっている。 監督・脚本のビリー・ワイルダー
先日、名古屋工業大学で開催されたプロジェクトマネジメント学会中部支部のシンポジウムに参加し、アビーム・コンサルティングの阿部さんと一緒に講演をする機会があった。メインテーマは「MES導入のための標準業務テンプレート」の紹介で、我々の研究会で開発リーダーである阿部さんが解説されたが、わたしはその前振りとして、製造業におけるプロジェクトの共通課題についてお話しした。 わたしが訴えたかった共通課題とは、一言でいうと『プロマネ不在問題』である。プロジェクトは必要があって発足し、進んでいくのだが、肝心のプロマネが誰だか分からない。大事な決断を誰が下し、誰が権限と責任を持つのか分からない。そんなバカな、と思う人もいるだろうが、しばしば見かける現実である。こんな状態では、ものづくり改革だとか工場スマート化などが、うまく進むわけがない。 プロマネが誰だかわからないのだから、「プロジェクト・マネジメント計画
トリレンマという言葉をご存じだろうか。トリレンマとは、満たすべき目標が3つあるのに、そのうちの 2つしか選択できず、残りの1つは諦めるしかない状況を指す。2つの選択肢に矛盾がある場合をジレンマというが、トリレンマはその3点版だ。 ちょっとネットで調べると分かるが、有名なのは「国際金融のトリレンマ」らしい。これは(1) 独立した金融政策、(2)為替相場の安定、(3)国際資本移動の自由化、の 3つのうち、2つしか選べない、という。 製造業で、このトリレンマに相当するのは、QCDのパフォーマンス指標だろう。いうまでもなく、Quality(品質)・Cost(コスト)・Delivery(納期)の頭文字だ。この三つは、まるで三角形の三辺のように関係し合っていて、他に影響を与えずに、独立にコントロールすることが難しい。 たとえば品質を上げたければ、その手段の一つとして検査を徹底する必要がある。しかしそう
以前も書いたことだが、私がまだ駆け出しの頃ついた先輩は、文系出身のエンジニアだった。一流大学の経済学部を出て、システムエンジニアを志し、製油所の基本計画をLP(線形計画法)で最適化設計するような仕事のセクションの、リーダー格だった。わたしは一応、工学部の修士卒だったが、もちろん知識でも能力でも、その先輩にはかなわない。おまけに粗忽な性格だったから、痛い思いをしながら色々と学んだ。 世間ではよく、理系と文系と言うような対比をするが、わたしはこの区分をあまり信じていない。高等教育の人格への影響が大きい事はもちろん認めるが、そもそも専門科目を選ぶきっかけは、単に特定科目の好き嫌いや、先生との相性だったりする。持って生まれた資質から必然的に決まる人間類型だ、とは到底言えないだろう。外的環境、つまり運不運で決まる要素が大きいのだ。 理系・文系とよく似た区分で、技術屋・事務屋という言い方がある。 前者
BOMの用語はややこしい。BOM(Bill of Material=部品表)の概念自体はもう、50年以上もの歴史がある。その間に、いろいろな用語・概念が確立し、徐々に変遷してきた。またBOMをめぐるソフトウェア業界にもいろんな技術進化と流行があり、大手ベンダーが差別化のために提唱した用語が、いつの間にかスタンダードみたいに普及していくこともある。 近年では、BOP(Bill of Processes)という用語がそうだ。このBOP概念はここ10年くらいに普及してきたものだが、実はまだ発展段階で、きちんと定まっていない。同一企業内でも異なる意味で使っていたりする。ちなみに2004年に発刊した拙著「BOM/部品表入門」では、BOPという言葉は取り上げなかった(ほとんど使われていなかったのだ)。しかし最近のBOMのセミナー等では、かならず説明する必要がある。 ちなみに、ERP(Enterpris
久しぶりに、「わたしのプロフィル」 を変更した。前回の更新から、気がつくと数年経っていた。もともと、「マネジメントのテクノロジーを考える」という、一種のアーカイブサイトをWordPressで作ろうとしたのだが、いろいろな経緯からしばらく放置していた。「わたしのプロフィル」は、その中に置いていたので、 ずっと手を入れるのを忘れていたのだ。 ちなみに、わたしの今の肩書は、「 チーフエンジニア(ビジネス・アナリスト)」と名刺に書いてある。もちろん名刺の肩書きなど、しょっちゅう変わるのだが、とりあえず職場では、ビジネスアナリシスを専門に見る立場、と言うことになっている。 ビジネスアナリシスとは、どんな仕事か。それは、「コンテキストを考慮しながら、ニーズを定義し、ステークホルダーに価値を提供するソリューションを推奨することにより、エンタープライズにチェンジを引き起こすことを可能にする専門活動である」
「 ありがとうございました、こちらがタイヤ交換サービスの領収書です。でも、プントって、なかなかおしゃれな車ですね。」 オートバックスのサービス員は、そう言いながら、キーをわたしに返した。お世辞だろうが、言われて悪い気はしない。 ——まぁ、ずいぶん古い車ですけれどね。そう、わたしは答えた。 誇張ではない。わたしが乗っているフィアットの『プント』という車は、ほぼ20年前に買ったものだ。プント Punto はイタリア語で「点」を意味する。小さなコンパクト・カーだ。でも、たまに街乗りをするだけのわたしには十分である。そして気に入って、使い続けている。 わたしは基本的に、ひどく壊れない限り、工業製品は買い替えないポリシーである。世間では、数年ごとに車やコンピューターを買い換えるのが、常らしい。だが、 壊れてもいないものを手放すのは、なんだかもったいない気がする(単にケチなだけかもしれないが)。 とは
海外で働くということ 1ヶ月ほど休みを取って、その国に行き、仕事を探すつもりだ。そういう意味のことを、その人はいっていた。そして欧州のある国の名前を挙げた。知的で真面目そうな風貌。それなりの年代だろうか。そして続けた。日本で求職活動をしても、時間ばかりかかって、埒が明かない。やはり現地に行った方が早い、と。 近くのテーブルで耳に入っただけだから、わたしが何かコメントする立場にはない。しかし思った。(この人は中年過ぎて外国人労働者になるのか。それがどういう事なのか、分かっているのかな。家族も居るようだが、どう思っているのだろうか) 『外国人労働者』という言葉は、日本ではなぜか、単純労働者のことだけを指すようだ。だが大学出の知的職業だろうが何だろうが、自営業のプロフェッショナルでない限り、組織に雇われて働くものは労働者だ。そして外国、とくに欧米で働いて、なおかつ一定のリスペクトを受けて自分の地
夜中に目が覚めて、眠れなくなった。目を閉じても、頭がループしたように、考えるのは同じ事柄とシーンばかり。しばらくしてから、ようやく自分で「ああ、また心で残業してしまっている」と気づいた。こんな残業を深夜に自分の寝床でしても、誰も手当を払ってくれる訳でもない。やめよう、やめよう。 「仕事に心をつかってはいけない」と、昔、あるベテランのプロジェクト・マネージャーから聞いた事がある。でも、聴いて真意をすぐに理解したとはいえない。仕事は複数の人間が協力して進めるものだし、人に気遣いをするのは、ある意味、大事じゃないか。そうも思った。 しかし、この方が言われていたのは、もっと深い話だった。「心をつかう」とは、じつは気遣いとか心遣いの事ではない。心を浪費する、という意味なのだ。あるいは、わたし達の中にある、感情と思考という大切な脳のリソースを無駄につかってはいけない、というアドバイスだ。 仕事の時間が
このところ、BOM(部品表)に関する依頼や問い合せが、急に増えている。先週19日に開催した、有料1日セミナー「BOM/部品表の基礎とBOM構築の留意点および応用テクニック」 は、参加申込みが事前に満員御礼で、アンコール講演を秋に行うことになった。また拙著「BOM/部品表入門」 もつい先日、1,000部増刷して、15刷・累計13,800部となるとの連絡を、出版社からもらった。個別企業や団体からの講演依頼もあり、誠にありがたい。 だが、2004年に出版した本が、今さら売れ出すという現象は、不思議でもある。一体この20年間は、何だったのか。日本の製造業はBOMに関して、眠っていたのか? もっとも今月は、同書の中国語翻訳版も売れ続けているとの知らせも受けた。実際、中国からの製造業の視察団に本を紹介したところ、かなり興味を持っていただけた。また質問内容からすると、中国製造業も次第に、BOM(部品表)
モダンPM技法の三本柱の一つである、EVMS(Earned Value Management System)について、しばらく解説してきた。EVMSでは、横軸にプロジェクト開始からの日付、縦軸に金額をとったグラフをよく用いる(理屈の上では、別に金額に限る訳ではなく、成果物の数量を表す単位、たとえば床面積m2とか設計図面数でもいいのだが、現実には金額を使うことが多い)。そしてこのグラフの上に、計画線PV・実績線AC・出来高EVの3本の線を描いていく。 EVMSでは、スケジュール差異SV(=EV-PC)と、コスト差異CV(=EV-AC)を主要なKPIとして見ていく。両方とも、プラスならば良好、マイナスならば問題を表す。つまり、グラフで言えば出来高EVのカーブが、計画線PVや実績線ACのカーブよりも上に来ているかを、まず注目する訳だ。 そして一般に、プロジェクトという活動は、最初はゆっくり立ち上
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