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アメリカ大統領選
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インフルエンザ・ワクチンは打たないで! 母里 啓子 / / 双葉社 ISBN : 4575299995 まだこの一派が生き延びていたのかと、まるで「バナナの皮で滑って転ぶ一発芸人」が正月のテレビで埋め草番組に出てきたような驚きをもって拝読した。いや、外来とかで親御さんにこの本について質問されたらどうしようと思って読んでみたんですがね。 確かに私も外来ではインフルエンザワクチンをそれほど熱心には推奨していない。ふだん慢性疾患やらリハビリやらで定期的に拝見している子には、定期受診のおりに接種したりはする。病院職員は全員接種するべきだと思う(むろん自分は毎年接種してますよ)。でも普段元気な子が臨時に受診したような一般外来では、とりたてて薦めることはしていない。打つなとまでは言わないが。だからインフルエンザに関しては、じつはあんまり見解の相違がなかったりするかもしれない。しかし返す刀でワクチン全般
日曜日の午前9時に、新生児搬送があるといって呼び出し。土曜からの当直明けの医師が超低出生体重児をつれて帰ってきた。それきり日曜はNICUですごし、かなり重症で帰るに帰れず泊まり込み、多少落ち着いたかなと思いながら月曜はすでに決まっていた当直で泊まり、火曜の午前中までNICUに居た。火曜の午後は聾学校へ行って気管切開の講義を2年ぶりに行って、質疑応答の雨あられを受けて帰宅。その後に他児の病状説明で夜にまた出勤。 こういうむちゃくちゃな日程で仕事するのは最近マンパワーが増えてからは久しぶりのことではあった。とくに体力仕事をしたわけでもなく、たとえば超低出生体重児の入院時処置(中心静脈確保とか)は若手が行ったし、私はひたすら指示出しばかりだった。おそらく船長とか艦長とか言われる人々はこういう仕事の仕方になるんだろうと思った。しかしひたすら判断を求められ続けながらNICUで52時間、その後に講義と
「上品さ」を私は美徳のなかでもかなり上位にランク付けしている。 上品な人は、自分が受けている待遇はつねに標準以上のものだという前提で動く。だからことさらに要求する必要を感じておられない。自分の必要とすることをさらっと伝えてこられる。そして必要が満たされたら、標準以上の待遇がされたさいになされるような、丁寧な御礼を常にくださる。 そういう人に対しては、こちらも奮起せざるを得ない。というか、どんなに疲れていても、そういう人に相対してその疲れが増幅されることはないように思う。心理的にも体力的にもなんらの負担の上乗せなく、気がついてみると自分でも驚くほどの機嫌の良さ気前の良さで、めいっぱいなサービスをしている。 上品な人の態度をみていると、この人らは、我々が提供したサービスがどのようなものであろうと、自分に提供されたのならそれは標準以上のサービスなのだとお考えのようにさえ見受けられる。そのようにお
娘がTSUTAYAからDVDを借りてきたので、お相伴して観た。 ・造作なくtotal liquid ventilationを行っているようで凄いなと思った。あのコックピットを小型化して保育器に使えたら未熟児の慢性肺疾患なんて悩まなくてもすむのにな。 ・でも学生服と土足が浸かった液体をそのまま肺に送り込んだら肺炎は必発だと思うけどな。それ以前に口腔内の嫌気性菌が入り込んだ時点ですでに戦闘どころではないように思うが。よほど優れた微生物対策が行われているのだろうな。いずれにせよ見習いたいものだ。 ・考え得る限り最悪の組織運営。トップは何を考えているのか分からない。部下は危急の際にも命令にいちいち口答えして行動が遅い。 ・シンジ君がひまに聴く音楽がカセットテープなのがなつかしかった。娘は見たことないかもしれない。ちなみにLPレコードはほんとうに知らないようすである。 ・車のデザインがびみょうに20
息子を連れてユニクロへ行き、冬物を補充してきた。自分の買物だけにしようかとも思ったのだが、私がユニクロに行くと言ったら、自分のジーンズを出してきて「穴があいたんだ」と言い、そのまま台所のごみ箱に捨ててしまった。そこで二人で出かけることになった。 ジーンズは膝頭にとてつもない大きな穴があいていた。ほころびることでかえって価値が上がるような高級品でもないので、捨てるのは正解なのだが、それにしてもあんな穴がどうしてあくんだろう。育成学級でカポエラでもやってるんだろうか。 おまえズボンのサイズはどれくらいだよと聞いたら、160と言う。身長で選ぶのは子供服だ。年齢的にも体格的にも、そろそろウエストで選んで長さを調整するやりかたを教えなければならないと思った。そこでメジャーをもってこさせて、胴囲を測ってから家を出た。 彼の買物は迷いがない。じつにきっぱりした買物のしかたをする。サイズの見方を教えたら、
新型インフルエンザの流行はまだ治まる気配を見せない。しかし既にかかってしまった人はそれなりに回復している。有り難いことである。 有り難いついでに恐縮なことだが、各学校の先生方にお願いしたいことがある。当地においては私立中高一貫校において顕著な傾向なのだが、解熱後2日間して出席停止があけた時点で再度受診して「治癒証明」を貰ってくるようにと指導されている学校がある。これを止めていただきたい。もうすっかり治りましたのにと、親御さんもうんざりした調子で義務的に来診されている。 むろん、こじれているようだと仰って親御さんがご自身の判断でお子さんを連れてお出でになるのを拒むつもりは全くない。当たり前だ。それとは別に、親御さんもこどもさん自身も治ってると自覚されてるのに学校がそうしろと義務づけるもんだから仕方なく受診することになる(それが圧倒的に多いが)のを無くしてほしいということだ。 第一に、そんな「
娘に、国語の宿題の一環として、いままで狼に囲まれるような経験をしたことがあるかと聞かれた。いきなり突拍子もないことを聞くものだと驚いて、文脈が分からないと答えようもないと言ったら、宿題のプリントを見せてくれた。その文章に曰く、「大草原の小さな家」のお父さんが血相を変えて帰ってきたので、どうしたのかと家族が訊いたら、狼に囲まれたが這々の体で帰ってきたとのこと。そういう家族の苦難を知れば家族としてのあり方も色々と変わるだろうが、君たちのお父さんも家庭の外ではそういう狼に囲まれるような体験をしているのではないか、それを知れば君たちの家族の中での態度も自ずから変わるのではないかと問いかけてあった。 そういう例文を貼り付けたプリントで娘の国語担当の先生が問うには、そう訊いたらご家族がどう答えるか予想して書きなさいとあった。娘の予想では「重症の赤ちゃんが生まれたときなどそういう気分になる」と答えるだろ
当直明けて帰宅。小雨に晴れ間が見えたのでロードバイクを持って出て、自宅前の路地で発進・停止の練習。靴底とペダルが貼り付く「ビンディングペダル」の着脱に習熟することが本旨である。片足をペダルにはめて発進し、もう片足もはめて2~3回回す。それから片足を外してサドルの前方へ降りながらブレーキをかけ、停止すると同時に足を地面に着く。その発進・停止を延々繰り返す。 とくに停止が難しい。ハーフクリップにはだいぶ慣れているが、ビンディングは一段階外れにくい。停止する前に意識して外しておかなければならない。ママチャリのように車輪の回転がとまったときに傾いた方の足を地面に着こうと構えていると、足をペダルにとられたまま転倒することになる。立ちごけというらしい。 いちおう両足とも練習したが、私の場合は左足をペダルに付けたままにして右足を脱着する方が簡単なような気がする。しかも私が立ちごけしそうになるときは、だい
友人の友人がアルカイダだと公言するのと深夜の公園で裸になるのとはどちらが恥ずかしいことだろう。
昨夜はNHKで医療再建云々の特集があったらしい。見なかった。当直明けの日に見て楽しいお話じゃなさそうだからテレビは息子に譲った。見なかったことを喧伝されてもNHKにはいい面の皮かも。でもけっきょくNHKまで出向く暇のある連中が語らってる番組なんだよな。発言中の出演者の携帯が鳴って「あ、すいません呼び出されました」とか言って出て行くようなシーンはなかったのかな。 でも医療の再建がなったとして、その中心にいるのは、いま現在においても医療の最先端にいる面々なんだろうなと思う。崩壊する最前線においても優先的に資源が集まってくる場所で、崩壊なんぞものともせず(あるいは気付きもせず)ばりばりと活躍している面々が、崩壊と再建のあとも医療の中心であり続けるんだろう。崩壊と再建というのはけっきょくは崩壊のあおりを受けてわあわあ言ってる我々みたいな泡沫が洗い落とされるだけのことなんだろう。中心の彼らにしてみれ
文部科学省がNICUのない8つの国立大学にNICUをつくるとのこと。突拍子もないことを言い出すものだと驚いた。ノーベル賞の南部博士を招聘して科学忍者隊を結成することにしたくらい言われたらもっと驚いたかも知れないけど。 科学忍者隊なら5人で済むけど、NICUを回すのにリーズナブルに行くなら一カ所5人じゃ済まないんだよね。まさか今さら当直と超過勤務で回そうとか言わないよね。ギャラクターなみに構成員あつめないと苦しいんだけど、各大学に人は集まるんだろうか。一般小児病棟とはまた別に当直をたてなければならないし、医師の数だけでもそうとう必要なんだけれどもね。 いろいろしんどいことはあっても、なにさまNICUは小児科でももっとも儲かる部門なんだから、今までその土地の大学病院にNICUがなかったってのはなかったなりの理由とか事情があるものなんだろうと思う。マンパワーが足りなくて小児科一般病棟の当直とは別
6日土曜の午後、大阪で開催された日本小児科学会の倫理委員会公開フォーラム「子どものいのちの輝きを支えるために ー重度障害をもった子どもの人権と尊厳をどのように守るかー 」という催しに参加してきた。午前の外来を終えてNICUを一回りしてから京阪で大阪へ出たので拝聴できたのは後半だけだったが、それでも、さいきん薄れかけたモチベーションを持ち直すのにはよい機会だった。 重症児の医療の歴史は、まったく医療の対象とすらされなかったという先史時代を経て、何が何でも救命延命するという黎明期があり、それはちょっと非人間的にすぎないかというアンチテーゼが公に語られるようになった革命の時代を経て、今に至るというのが私の理解である。 このアンチテーゼ、もう気管内挿管とか人工呼吸とかでやれる治療行為をすべて行って延命一辺倒の生涯を送らせるのではなく、治療行為の内容を選択してでも(その結果として計測される生涯時間は
土曜日当直。準夜帯にうとうと仮眠したが、 NICUでの急変だとか早朝の緊急帝王切開立ち会いとその後のNICU入院処置だとかで深夜帯はほとんど眠れず。ベッドに入るたびにPHSが鳴る状態。朝からNICU直を若手に引き継いで、病棟回診だとか休日外来とかやって(実際はほとんど動けず周囲にはそうとう迷惑をかけた)、14時頃に帰宅した。ジロ・デ・イタリアの第14ステージをつけてみたが、うとうと居眠ってしまうのであきらめて睡眠。19時頃に娘に起こされて晩飯。風呂に入ってまた寝て、午前5時に新生児搬送で呼び出し。7時にいったん朝飯を食べに自宅へ戻り(徒歩5分なのがありがたい)、8時出勤して短距離の新生児搬送、その後は普通の月曜日の小児科外来。午後も受付時間外の外来をぼちぼち診て、夕方はNICU当直の先生が伏見まで新生児を迎えに行く間の留守番で23時まで居残り。居残り中もぼちぼちと時間外外来を診察する。片道
ようやく中1日で3連の当直シリーズが明けたと思ったら、東京で重症の妊婦さんの搬送を受け入れられなかった件が問題になっていた。なんだか辛いとかしんどいとか個人的なことを言うのが小さく感じられてしまったので、しばらくあれこれ考えていた。 このときに現場でなにが起きていたかを、いちおう周産期医療の周辺で現在もごそごそ動いている身としては、想像できなくもないような気がする。泥沼にはまりかけている紹介元と紹介先のあいだでの言った言わなかった論争までふくめて。そういう立場にいるからこそ、あんまり、当時の状況について想像でものを言うのはためらわれる。大きい声が出せるのはそとにいる人だけだ。まあ、外にいればこそ客観的なお話もできるという利点はあるし、あながち大きい声は下品なばかりとは言えないけど。 ご家族の無念は察して余りある。ご冥福を祈りたいと思う。それは当たり前である。当たり前すぎて、書くだけで読者諸
大分県で採用に関して不正があったとされる2008年度採用の教諭が20名ほど、解雇されることになったと報じられた。 世間に疎くてよくわからんのだが、採用試験を経て正式に雇用関係が成立したはずの人たちを、採用段階で採用側の内部処理に不備がありましたからと一方的に解雇することが可能なんだろうか。この人たちが生徒への体罰や性的虐待を常習的に行っていたとかならまだしも、現状でこのような解雇のしかたは法律的にOKな話なんだろうか。上級官庁はよく当事者に説明をした上でと言ってるようだが、はじめに解雇ありきで説明ってそれはインフォームド・コンセントとは言わんと思うが。それとも、私は自分の世間知らずぶりを改めて反省しなければならないのだろうか。まあ、法律の話は法律を知らない人間が知らないまま論じても不毛だし、よほど不合理ならモトケン先生のブログあたりに何か出るだろうと期待して、私は現段階ではこれ以上の素人法
超低出生体重児では、脳室内出血とか慢性肺疾患とか動脈管開存症とかいった合併症がそれほど重篤でなくても、なんとはなく体重増加が悪い。出生予定の時期に体重2500gを越えている子は珍しかった。それが普通だと以前は思っていた。子宮外では自分で呼吸し消化しなければならない。胎盤・臍帯という極めて高度の呼吸・栄養装置を切り離され未熟な肺と腸を未熟な脳がコントロールして自律しなければならない以上、ある程度の歩留まりは避けられないと思っていた。 解決策はコロンブスの卵的に簡単なところにあった。出生当日からの積極的な経静脈的アミノ酸投与である。胎内で臍帯経由で母体から入る潤沢な供給には及ばないにしても、せめて体組織を維持するために必要な1日体重kgあたり1gのアミノ酸を、出生後も絶やさず投与して飢餓期間を作らないようにするというやりかたである。 以前はブドウ糖液で輸液を開始し、日齢2から母乳投与開始、母乳
医局の机を片付けていたら日本未熟児新生児学会雑誌の6月号が出てきた。まだ開封すらしていなかった。不勉強と片付けの悪さを多忙のせいにして、いまさら目を通してみる。 記事によると、昨年の学術集会(年1回の総会みたいなもんだ)に、かの片岡直樹先生が招かれて、市民公開講座とやらで語って行かれたらしい。例によってメディアのために「後天的な」コミュニケーション障害が生じていると義憤やるかたない調子で訴えておられる。ますます意気軒昂のご様子である。おっしゃるところのメディアによる発達障害の発生率などに関する御論を拝聴すると、どうやら先生は広汎性発達障害も注意欠陥多動性障害もすべてひっくるめてメディアによる後天性障害だとお考えのご様子である。危ういことだ。 11月の学術集会が終わって半年以上、すでに今年度の演題募集も締め切られた時期になるまで片岡先生のご登場を知らなかったのだから私も悠長なものだが、しかし
朝日新聞に母乳育児に関して世間の誤解を助長しかねない特集記事が載せられた由で、日本ラクテーション・コンサルタント協会が緊急声明を出している(参照:PDFです)。ちなみに朝日新聞の記事は朝日のウエブサイトで検索をかけても見つからなかった。いちおう読んだ記憶はあるのだが、私自身の印象としては、わりと文献なんか調べてまめに取材もして、方向性は間違ってるけど態度としてはまじめに書いた記事だと思った。記事の原文をご参照いただけないのが残念である。ラクテーション・コンサルタント協会の声明から内容をご推察願いたいと申したらルール違反だろうか。 私見であるが、やっぱり母乳哺育とかカンガルーケアとかは、じっさいにやっているところを見て意外とうまくいくもんだねという実感を持ってるかどうかで、認識が極端に異なるんじゃないかと思った。 それは例えば飛行機のようなもので、たとえば19世紀の人にジェット旅客機の設計図
生れたばかりの赤ちゃんは数分間は泣き続けるものだと思っていた。大声で泣くことで肺が開くのだと思っていた。だから帝王切開に立ち会ったときも、赤ちゃんを受け取ったらラジアントウォーマーにのせて羊水を拭き取って、あとはひたすら泣かし続けていた。 さいきん、とあるきっかけがあって、帝王切開で娩出されたばかりの赤ちゃんにカンガルーケアを何例か行った。体を拭いて気道の安定を確認しだい、お母さんの胸のうえに赤ちゃんを載せる。むろん蘇生術が必要な赤ちゃんにそんなことしている余裕はないが、呼吸も安定して緊張も良い、アプガー1分値をカウントしたらあとは5分まで暇を持てあますような元気な子たちを対象として。 赤ちゃんはお母さんの素肌にのせるとぴたっと泣きやむ。今まで泣きわめいていたのが嘘のように。息が止まったのではないかと不安にさえなるが、しかし赤ちゃんを支えた自分の手からは赤ちゃんの呼吸運動がしっかり伝わって
正しく葬るというのがだいじなことなのだろうと思う。と、内田樹先生のお言葉を流用してみる。内田先生の原典としては明日は明日の風と共に去りぬ-2002年11月の11月29日分を念頭に置いている。 ここで内田先生の御名前を出すのは、オリジナリティは私自身も主張しないかわり人まねだというご批判はスルーさせていただきますという宣言である。虎の威を借ろうとか責任を回避しようとか言う魂胆はないつもりだ。 人間に限らず、ものごとにはそれなりに寿命というものがあり、いずれかの時点でこの世から去ってゆく。でも去ってゆくものも、それを見送るものも、その「死」を迎え、送り、その後の時間を過ごすための、それなりの作法あるいは条件といったものがある。死者(人間に限らずだが)の正しい葬りかたとも言えようか。 去りゆくものには、去りどきだと悟っていただくこと。これまでの自分の有り様を自分自身で肯定していただくこと。去った
http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20080522/1211444127 駆け出しのときに阪神大震災にあって、はからずも「トリアージ」という現場に立ち会うことになった私としてはですね、人命を救ったり見殺しにしたりした実体験のとぼしい人に、たとえ話のネタでトリアージ云々言われるのはむかつきます。商売の仕方を間違えて客層がおかしくなった百貨店と、あの朝あの救急入口で亡くなっていった人とかあるいは救急まで運ばれることもなかった人とを同列に並べて、自分の話を解さない奴はナイーブだとか感情的だとか仰られてもねえ。いい気なものだと思います。 トリアージに関しては、まじめに正面から語るか、黙るかの、どっちかにして欲しいです。 あのとき救えなかった、というか、救う手をさしのべることもしなかったことにたいして、それを悪だと他者から糾弾されても理不尽だと思うけど、でも、全く正当だと言わ
若い医師には小児科へ来ようとする人は少なく、小児科の中でも新生児をやろうとする人はなお少ない。新人のリクルートのためには新生児医療のすばらしさをアピールしなければならないと、業界内のメーリングリストでときに声高に語られたりして、やれやれと思う。 新生児医療が詰まらない仕事だとは決して言わない。それは医療一般がそうであるように、新生児医療もけっしてクソ仕事ではない。 新生児医療とて、最先端のところにはマンパワーは潤沢にある。先天性横隔膜へルニアでNOつかったりECMO回したり、左心低形成症候群の子にぎりぎりの低酸素療法で体循環を維持したり、そういう華々しい症例が次々に入ってくる施設なら、薄給で(あるいは給料は派遣元施設持ちでも)ばりばり働く若い人たちもまた次々にやってくる。絶えずNICUに泊まり込み、そういう施設に入院するほどの症例が現れるや奪い合うかのように群がりよってくる。最新の病態生理
文藝春秋6月号の「ルポ 世界同時貧困」なる特集の一部として「米国 医者さえ転落する」という記事があり、読んで背筋を寒くした。年収20万ドルを得ていた医師が、医療過誤保険の保険料が年額18万ドルになり、手元に残るのは2万ドル以下と、ワーキングプア同然の水準に転落してしまったという事例が報告されていた。加えて、救急にあふれる無保険の患者と利益中心の病院経営との板挟みで鬱になり、仕事を続けられなくなり、低所得者用食糧配給切符を受給することになってしまった。 「まさに転がり落ちた、という表現がぴったりの状態でした」と、デニスはその時のことを思い出すようにして語る。 「振り返ってみれば、あの時の自分を鬱にしたものは切り捨てられてゆく患者や生活が貧しくなってゆくことよりも、社会に裏切られたというショックだったんだと思います」 「裏切られた、とは?」 「医者である自分は、国に守られているはずだという自身
臨床力ベーシック―マニュアル使いこなしOS (CBRレジデント・スキルアップシリーズ (2)) (CBRレジデント・スキルアップシリーズ (2)) 黒田 俊也 / / シービーアール マニュアル使いこなしOSと銘打ってあるので、てっきり、医者の脳内で各種情報がどう処理されているかといった、いわばメタ診断学のような内容を期待していた。しかしレジデント相手の書物でそんな高尚な内容を期待しても無理なんだろうな。実際には、システマティックレビューで網羅的に診察する方法の推奨であった。 その方法論は、初学者なら、たしかに、一度は通らなければならない道である。私など、もはやとうてい初学者などと言ってられない年代の医師にも、時には思い返してみるのもためになることだ。そういう意味では、本書を読んだことには大いに意義があったと思う。 しかし病院中のベテランがいちいちシステマティックレビューを毎回やれるかどう
企業の採用試験において「地頭力」が重視されはじめていると、NHKの「クローズアップ現代」4月3日放送で報じられた。地頭力についてはNHKに先だってbogusnewsに詳細に報じられていたので興味はあったのだが、現実はbogusnewsよりもばかばかしいものだと感じられた。 「5大陸の中でどれか一つを消さなければならないとしたらどれを消しますか、その理由は何ですか」とか、「富士山を移動させるにはどうしますか:トラックとパワーショベルを使う前提で」とかいう、明らかに正解がない設問に答えられるのが、企業の求める「地頭力」なんだそうだ。ちなみに1問目はさすがに政治的影響を考慮してか解答例は示されずスルーされたが、2問目の答えはトラックの積載量から算出して300億回走らせるというものだった。はあ。 さきのグーグルの採用試験の問題ならともかくも、この例題のナンセンスさは何だと呆れた。大陸を消すって、大
NHKの小児救急特集に関する感想の続き。 本診に先だって手短で定型的な予診を行い、重症度に応じて本診の順序をきめる、いわゆるトリアージであるが、今後の救急診療には必須の手順となろう。重症者を迅速に診るということの、医学的な重要性はいまさら本稿で述べるまでもあるまい。加えて、リスクマネージメントの面もあるということを付け加えさせていただく。米国では(日本でも既出か?)化膿性髄膜炎に関して、外来受付時間から抗生物質の初回投与までに2時間かかったのは遅すぎ怠慢であるという訴訟があったと聞く。病院側が敗訴したというおそろしい追加情報まである。 現状でさっそく当院にも採用できるかというと、それは困難であろう。医師一人看護師一人でやってる小児科時間外では、トリアージに専念できる人員がない。当院では予診票を書いていただき、看護師が簡単な問診をするので、それがいくばくかトリアージのかわりになっている程度だ
本日朝のNHK「おはよう日本」で8時ちょっと前、小児救急の危機なる特集が流れた。ストーリーとして、 1.初期診療が遅れ後障害の残った症例の呈示 2.担当医の「もうちょっと早く治療できてたら」という言質 3.限られたリソースで重症者を迅速に診療しなければならないという問題提起 4.成育医療センターで行われている「トリアージ」の紹介 こういう起承転結であった。 特集の着眼点としては、まずまず合格点であろう。人を増やせったって今日明日すぐに増やせるわけでなし、初期段階で重症度を判定して重症者から診ていく「トリアージ」は今後は必須のものとなろう。それを指摘したということで、この特集を制作した意図は正しいと思った。 しかし特集の具体的な内容にはおおいに疑問を持った。最初に登場した症例の疾患はインフルエンザ脳症なのだ。40分かけて二次救急に搬送されたが、「けいれんを止めるばかりでインフルエンザという診
3月1日に大阪で開かれた近畿新生児研究会へ行ってきた。病棟で急変があったりして病院を出るのが3時過ぎになり、4時半ころ会場に到着した。会場は都島なのに京阪を間違って京橋で降りてしまって地下鉄を遠回りするはめになり、それもまた遅れる原因になった。 慢性肺疾患の演題をほぼすべて聞き損ね、母乳関連の演題をもっぱら拝聴してきた。とくに岡山医療センターの山内先生の講演は、これまで伺った母乳関連の講演の中でも白眉であった。お母さんに対しても赤ちゃんに対しても押しつけがましくないケアがだいじ、と私は教訓を得たのだが理解が浅いだろうか。赤ちゃんは生まれてすぐにお母さんの乳首を匂いを頼りに探して吸い付く力をもっているのだけど、かといってこちらが無理矢理にくわえさせようとしても赤ちゃんは怒るだけ、とか。お母さんイコール聖母と決めうってのケアは良くないよとも。今までの自分のイメージとして、母乳育児を提唱する運動
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