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ドラクエ3
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私の行きたい大学と、先生が私に行ってほしい大学 私が望む進路と、親が私に期待する進路 私が好きなことと、友だちが好きなこと 私が心地よい休日の過ごし方と、親が決めたスケジュール 誰かと意見が異なるとざわつく心 断れない誘い 断られて全てが拒絶されたように感じた誘い 少しのズレが大きな不協和音のように聞こえる集団のノリ 私の意思を無視して頭や肩に触れてくる誰かの手 一緒にいるとなんとなく疲れる誰かを嫌だと感じることへの罪悪感 ノックなく開く自室のドア 勝手に開けられた机の引き出し 不機嫌な親が立てる大きな音 他者からの評価という物差しへの恐れと依存 大人が口にする「あなたのため」へのもやもや どこまでが私の願いで、どこからが他者の期待なのか。その境目が曖昧になり、私の「嫌だ」が他者の期待や願いや欲求によって封じられていき、ただ違っているだけのことに強い不安を感じる、それが高校生の私でした。
「昔好きだった作品」の表現に戸惑ってしまったら? フィクションが与える2つの影響──文学研究者・小川公代さん こここスタディ vol.19 子どものころ夢中になっていた漫画やアニメ、小説。大人になった今見てみると、当時を懐かしく思う一方で、「男らしさ」や「女らしさ」の表現が目についたり、「セクハラ」や「パワハラ」とも取れるシーンが気になったりしてしまって、昔のように無邪気に楽しめなくなることが増えた。 描かれている振る舞いと、現代の価値観とのギャップに少しでも気づいてしまうと、「私、その作品好きだったんだよね」という言葉さえ、もはや言い出しにくい気持ちになる。時代や自分の価値観が変わった……と言ってしまえばそうだけれど、その作品が好きだった過去の自分さえも否定するようで、どこかさみしい。 私たちは、自分の、あるいは社会の変化を受け止めながらも、かつてのめり込んだ“古い”作品を楽しむことはで
“人のため”って、なんだろう。 私たち人間は、「できるなら誰かのために動きたい」と考えているし、他者のためだからこそ力を発揮できることもある。ただ、それが「あの人のためにやってあげた」となればなるほど、それは本当に人のためなのか怪しくなってくる。実はその行動を取った自分を認めたい、といった「利己的」な理由の場合もあるかもしれない。その時の“人のために”は、本当に「利他」であると言えるのだろうか。 〈東京工業大学・未来の人類研究センター〉で「利他学」を立ち上げた伊藤亜紗さんも、「誰かのために、と掲げれば掲げるほど利他から離れていってしまう」と語る。 利他の大原則は、「自分の行為の結果はコントロールできない」ということなのではないかと思います。やってみて、相手が実際にどう思うかは分からない。分からないけど、それでもやってみる。この不確実性を意識していない利他は、押し付けであり、ひどい場合には暴
「合理的配慮」は「ずるい」「わがまま」なのか? インクルージョン研究者 野口晃菜さんによる解説 こここスタディ vol.18 「ずるい」「わがまま」「甘え」「マイノリティの特権」ーーー 「合理的配慮」に対して、このような言葉がネガティブな意味で投げかけられる場面に何度も出くわしたことがある。 あなたもそのような言葉をかけられたことがあるかもしれない。あるいは、あなたもそのように思ったことはないだろうか。 「合理的配慮の提供」とは、「障害のある人から『社会の中にあるバリア(障壁)を取り除くために何らかの対応が必要』との意思が伝えられたときに、行政機関等や事業者が、負担が重すぎない範囲で必要かつ合理的な対応を行うこと(※注1)」である。 2016年に障害者差別解消法が施行されてから、行政機関には「合理的配慮の提供」が義務付けられてきたが、民間事業者は「努力義務」であった。それが改正法により、2
地域の居場所「だいかい文庫」、仕掛けた本当の狙いは? “関わりしろ”をデザインする医師・守本陽一さん デザインのまなざし|日本デザイン振興会 vol.09 今回訪れた豊岡市は、兵庫県の北部に位置する、人口8万人弱の都市。野生のコウノトリの生息地として知られ、名湯「城崎温泉」などでも有名ですが、全国各地の市町村と同様に、高齢化や過疎化、人口減少という課題も抱えています。 中心地であるJR・豊岡駅前からまっすぐ伸びる商店街を10分ほど歩くと、一面ガラスで開放的な建物の中に、ずらりと並んだ本が見えてきます。ここは、「だいかい文庫」という名の私設図書館。希望する人は誰でも月々定額で本棚のオーナーになることができ、地域の人は無料で、そのオーナーたちが用意した本を借りられます。 だいかい文庫は、本を媒介として気兼ねなく入ることのできる空気を作り、まちの人たちの居場所となりながら、医療福祉の専門家に“困
権利を主張することは「わがまま」ではない。国際人権法の専門家・藤田早苗さんに聞く「人権」について 健康で文化的な最低限度の生活ってなんだろう? vol.03 人権という言葉は、私たちにとってとても身近なものだ。この頃では、良くも悪くも「人権」がある種のミームとしてインターネット上や日常会話の中で使われることが増えてきたこともあり、言葉自体に耳なじみがない人はほとんどいないのではないかと思う。 けれど「人権ってなに?」と聞かれると、どう説明してよいものか悩んでしまう。生きるために必要な権利ということは知っている。でもそれが具体的にどのようなものなのか、その権利があることで自分たちの暮らしがどのように守られているのか、本来守られるべきなのに、そうなっていないものはなんなのかは、知らない人がまだまだ多いのではないだろうか。 人権とはどのようなものなのか。そして、人権が法的に定められていることが私
人を見た目で判断することって全部「差別」になるの? 社会学者 西倉実季さんと、“ルッキズム”について考える こここスタディ vol.15 「それはルッキズムでは?」という批判をメディアやSNS上で目にするたび、はっと体が緊張する。批判されている対象について調べてみると、「それはたしかに差別だ」と怒りを覚えることもあれば、「言われてみればそうかもしれない」と自身を省みて不安になることもある。 人を外見で差別するのは不当だという思いはもちろんある。けれど、正直に言えば、自分が人の外見にとらわれていない、と言い切れる自信はない。私たちは日常生活のなかで、他者の視線にさらされ、人を外見の印象で判断したりされたりすることにあまりにも慣れすぎている。 なにがルッキズムにあたるか明確にはわかるとは言えないし、誰かを無意識のうちに外見で差別している可能性だってある、というのが自分自身の率直な思いだ。そして
“障害”ってそもそも何だろう? 困難の原因を「社会モデル」から考える──バリアフリー研究者・星加良司さん こここスタディ vol.13 「“障害”って、一見バラバラな事象をひとまとめにしている、実はとても不思議な言葉なんですよ」 インタビューの冒頭、思わぬ言葉を投げかけられてハッとした。 私自身、ダウン症の親戚、人工透析が必要で車椅子生活を送っていた叔父、精神障害のある友人がいる。個別でみると、起こる症状も困難も全く異なるのに、社会から見れば3人とも“障害者”と位置付けられている。その事実に向き合わされた。 話をお聞きした星加良司さん(東大・バリアフリー教育開発研究センター 教授)によると、これまで一般的に使われてきた“障害”の考え方は、近代化に伴って生まれたものだという。福祉国家を目指すなかで、障害を「人の心身機能に制約があるから生まれるもの」と捉える立場(『個人モデル』または『医学モデ
弱さは個人の問題ではなく、構造上の問題だ。公認心理師・臨床心理士 信田さよ子さんと考える“弱さ”のこと こここスタディ vol.08 弱さはできるだけ人に見せず、自分の中で克服すべきだ。社会人として働くようになってから、そんな価値観を当然のものとして受け入れ続けてきた人は少なくないのではないだろうか。私自身にも、自分の弱みにばかり目を向け、それをどうにか矯正しようともがいていた時期がある。 けれど、時間を経て、弱さは必ずしも否定し、矯正すべきものではないと思えるようになってきた。自分の弱いところや苦手なことを隠さず、周囲に助けを求めたり、それをコミュニケーションのきっかけにしたりできる人たちをたくさん目にしてきたからだ。そのことで肩の荷が下り、だいぶ楽になった。 近年では、「自分の弱さを認め、それを怖れずに見せていこう」というメッセージが公の場で説かれることもすこしずつ増えてきた。「弱さは
日常は傍にあるのに、大きな出来事や他者からの評価によって振り回され、見逃されてしまう。 「自分らしく働く」「生産性・効率化」という言葉に必死にくらいつく自分と、どうにも馴染めない自分と、どちらとも言えない自分と折り合いをつけながら、他者をなんらかの物差しで測ろうとしている自分に怯えながら、働くこともある。 そんな気持ちを抱くなかで編集部メンバーである垣花が出会ったのが、精神障害のある人などが通う、就労継続支援B型事業所ハーモニーでした。 「いたずらに人を評価しない/されない場所」 ハーモニーの施設長である新澤克憲さんが、立ち上げ時に綴った言葉です。その言葉を知った私は、ハーモニーがどんな場所なのか、そこにはどんな日常があるのか、気になり、憧れと期待と疑いを抱くようになりました。 この連載では「いたずらに人を評価しない/されない場所『ハーモニー』の日々新聞」と題し、そこに関わる人の日常・出来
差別や人権の問題を「個人の心の持ち方」に負わせすぎなのかもしれない。 「マジョリティの特権を可視化する」イベントレポート こここスタディ vol.02 職場やSNSで見聞きする、さまざまな差別やハラスメント。 「なんでこんなことが起こるのだろう」「もっと平等な社会になったらいいのに」「人としての権利が当たり前に守られるべき」と、当事者の叫びに胸を痛める人は少なくないはずだ。 「私は“中立”。差別なんてしないのにな」と思うことだって、正直あるだろう。 けれど実際には、“中立”で何もしなければ差別にはあたらないという意識そのものが、差別的な社会構造に加担してしまう危険性をはらんでいる。 こう指摘したうえで、問題を個人の態度に由来するものではなく、「マジョリティの特権」から捉えようとするのが、上智大学外国語学部教授の出口真紀子さんだ。 差別や人権の問題は、これまで差別されるマイノリティ側、社会的
「お笑いも介護も、まずは相手の世界に乗っかって、愛のある『演者』になるのが大切だと思うんです」 そう語るのは、介護の現場で8年間働いた経験を持つ、お笑いコンビ『EXIT』のりんたろー。さん。 劇団『OiBokkeShi』代表の菅原直樹さんは、認知症ケアに演劇的な手法を取り入れたワークショップや、高齢者や介護者と演劇作品創作の経験を踏まえ、こう返します。 「介護は『相手が見ている世界を尊重する』ことが大切。そう考えると演技は、相手を尊重し、心を通わせる一つの方法だと思うんです。介護と演劇って相性がいいんですよ」 二人の会話から浮かび上がってきたのは、「演者」としてふるまいが、介護の現場でいきるということ。お二人が介護経験のなかで感じてきたこと、介護とお笑い、演劇の関わりについて語っていただきました。 小さな幸せを一緒に見つけていく
「インクルーシブ」は誰のための言葉? 老舗メーカー〈ジャクエツ〉×医師・紅谷浩之さんの、子どもに“遊びと友だち“を返す遊具 こここインタビュー
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