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アメリカ大統領選
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とうとうロシアがクリミアの編入に舵を切り始めました。先月のウクライナでの政変からあっという間の出来事でしたが、欧米の対応は後手に回っています。欧米のリーダーが及び腰なのは感覚として伝わってきますが、要所要所で「(欧米との対立を覚悟してまで)ロシアはウクライナに介入しないだろう」、「ロシアはクリミアに派兵しないだろう」、「ロシアはクリミアを編入しないだろう」と楽観的な見方が幅を利かせ、その都度、ロシアの後手に回っている印象です。これで思い起こされるのがキューバ危機でして、当時のCIAでは「ソ連がアメリカとの核戦争の危険を冒してまでキューバにミサイルを持ち込まないだろう」という見方が広がっていました。そのため、ソ連がミサイルを運搬しているという情報が入ってきても、それに対する感度の鈍さは相当なものでした。 今回も各国のインテリジェンス組織が、きちんとした情勢判断を挙げているのか気になるところで
これまでの武器輸出3原則に代わる、「防衛装備移転3原則」の原案が与党に提出されたようです。ここでは内容には立ち入りませんが、そのプロセスがなかなか興味深いかと。本原則は、本年度新設されました国家安全保障会議(NSC)で議論されたようです。NSCとは首相、官房長官、外相、防衛相の4大臣会合を中心に運営される、外交・安全保障戦略の要であり、内閣官房に設置された事務方の国家安全保障局(NSS)によって支えられてます。 武器輸出3原則は元々、経済産業省の所管ですので、経済マターと捉えられていたはずですが、むしろ安全保障上の問題ではないかということで、NSCで検討されたようです。これはまぁ当然のことだとは思うのですが、ポイントは経産省がこの問題をNSC・NSSに委託したというところでしょうか。 普通、役所は自分の案件を手放したがりません。さらにNSSは外務、防衛の縄張りですので、経産省がそこに話を持
ウクライナ情勢はまだ現在進行中ですが、幾つか教訓は汲み取れそうです。まずはやはり集団安全保障体制の限界でしょうか。これは既に1930年代に満州事変やエチオピア侵攻で明らかになっていたことですが、自国と全く関係のない所で生じた武力侵攻事案に、自国の軍隊を送り込んでドンパチやるべきなのか、といった命題です。集団安全保障の理念から言えば、各国が協力して派兵するべきなのでしょうが、当時の国際連盟の反応は外交的な非難か、せいぜい経済制裁までで、とても派兵してまで国際関係を安定させるところには向かいませんでした。 ウクライナ情勢に対する欧米の対応も、ロシアとの衝突を覚悟してまでウクライナに介入する義理はない、といったところでしょう。1991年にイラクがクウェートに侵攻した時の国際社会の対応は見る影もなくなってしまいました。また今回、国連がほとんど機能しないということも明らかになってきました。ロシアの実
アメリカ政府が安倍首相の靖国参拝に遺憾の意を示し、さらには上から目線で日韓関係の改善を迫る態度に接しますと、感情的に気分の良いものではありませんが、それと同時に1941年の日米交渉を彷彿とさせてくれます。日米交渉とは当時悪化しつつあった日米関係の改善と東アジアの安定のため、日米間で半年以上かけて断続的に行われた外交交渉です。日本側の狙いは、アメリカからの石油など物資の輸入と日中戦争の斡旋、アメリカ側の狙いは中国への経済的な参入とアメリカを仮想敵国とした日独伊三国同盟の無効化にありました。 結論から言えば日米交渉は失敗するのですが、その理由には諸説あります。しかし根本的な問題として、日米の問題に向き合う際のスタンスの違いが大きかったのではなかったかと思います。アメリカの政治家は問題を考える際にはまず戦略的に大きな原則を描き、そこから細部を詰めて行くトップダウン方式です。日本の場合は、最初に官
今週、野党各党が自民党との特定秘密保護法案の修正協議を始めたのを契機に、報道機関の論調も少しずつ変化し始めているような印象です。特に反対派の一角であった毎日新聞が、今週月曜の社説で秘密保護法に一定の理解を示しましたし、先週から読売あたりも外部の意見を引用する形で、秘密保護法の必要性を記事にしています。テレビ報道も似たような方向です。もちろん現実政治が修正協議に入ったので、それを客観的に報じれば修正協議のニュースになるのは自然だと思いますが、恐らく各社とも原則反対から条件闘争に切り替え、とりあえずは観測気球を上げてみたといったところでしょうか。ここ数か月、秘密保護についてなるべく多くの学者やジャーナリストの方々と議論してきましたが、意外と「個人的には理解できるが、組織としては。。。」という意見が聞かれました。ですのでどこの組織も反対一色というわけではなさそうです。 ただ政治にしても報道の論調
来週、ちくま書房からKeith Jeffrey, MI6 の邦訳、『MI6秘録』(筑摩書房)が発売されます。原書の方は以前、本ブログでも取り上げましたように2010年に出版されたものですが、6の公式史ということで世界中のマスコミに取り上げられました。しかしその分厚さと内容の雑多さから、英語版を買ったものの途中で断念された方も多いかと思います。 今回、英語版と邦訳版をざっと読み直してみましたが、やはり情報量が膨大なのと、時代を遡れば遡るほど機密の資料が破棄されていますので、エピソードが細切れになりがちで、この辺りが読み難い原因かと思います。なので邦訳版も最初から丁寧に読むというよりは、自分の関心のある分野やエピソード辺りから読むのがお薦めです。 本書の内容は、主に三人の長官-マンスフィールド・カミング、ヒュー・シンクレア、ステュアート・ミンギスを軸にして、6の組織的変遷と情報収集活動について
先日、CIAの元高官に会って色々と話をすることができましたが、日本のインテリジェンスに足りないのは危機意識そのものだが、情報収集よりももっと分析の方に注力すべきだというアドバイスや、日本がいきなりCIAやMI6のような機関を設置するのはとても無理なので、第二次大戦中に設置されたCIAの前身であるOSSを手本にした方が良い、というようなアドバイスは傾聴に値しました。 OSSは第二次大戦中にアメリカの情報機関として設置されましたが、その任務は情報収集から分析、また宣伝工作まで幅広いものでした。有名な調査分析部門には、一級の歴史家や経済学者らが集められており、OSSは情報機関でありながら、優秀なシンクタンクのようであったと言われています。 マイナーな外国語ができる地域研究者や複雑な情報処理をこなせる理系の研究者は分析官としては貴重な存在ですが、米英の情報機関を見ますと意外にも歴史学者が重用されて
アルジェリアでの人質事件はまだ解決したわけではありませんが、残念ながら現時点では痛ましい状況になってしまいました。日本では「人命を最優先すべきだった」や「もっと交渉すべきだった」というような論調もありますが、テロとの戦いは彼我の犠牲を厭わず断固としたものでなければ次のテロを招くだけとなってしまいます。 ただ日本としてこれから具体的にどうすれば良いのか、というのは難しい問題です。本日の『毎日新聞』の社説にアフリカの防衛駐在官を充実させ、情報収集を強化しなければならない、といった意見があり、これは確かに正論なのですが、単純に防駐官を増やしても現在の枠内で活動する限りは難しいと思います。基本的に海外での情報収集活動(ヒュミント)は、パーティーでの会話や学術会議への出席、他国の情報関係者との情報交換などですが、対テロとなるとかなりグレーゾーン、もしくは違法行為に踏み込んでいく必要があります。 例え
北朝鮮から発射された弾道ミサイル(ロケット?)に関する情報の錯綜は、インテリジェンス面でも様々な問題を明らかにしたのだと思います。報道に拠りますとアメリカは北朝鮮のミサイル発射情報を日本にだけ提供し、情報漏えいの懸念から韓国には提供していなかったそうです。その結果、日米は警戒を解くことはなかったのですが、韓国政府では北朝鮮のミサイル発射が延期されるという楽観的な結論となってしまったようです。 ここから明らかになったのは、①アメリカ政府は日本の秘密保全に関してある一定の評価をしているが韓国に対してはその限りではない、②韓国は北朝鮮のミサイル情報に関する独自の情報源を有していない、③日本の秘密保全が上手くいった反面、マスコミは韓国政府が情報源と思われる発射延期について報道してしまった、④やはり衛星情報は重要、といったあたりになるかと思います。特に韓国にとっては、北朝鮮情報ですら日米に頼らざるを
ようやく警視庁公安部の流失資料を読み始めた矢先、今度は海保のビデオが流出との報に接して慌ててこちらも閲覧しました。後者に関しては時事通信からコメントを求められましたので、日本は機密保護制度が未整備だから部内からの情報漏洩が起こる。今回の一件は同情できるが、今後国益を侵すような情報が流出する危険性を考えた場合、今回のビデオ流出を深刻に受け止め、法整備や組織などの本格的な制度設計の検討に乗り出すべきだ、と話しました。情報保全の問題は、1985年の中曽根政権時代にスパイ防止法が頓挫してそれっきりになっています。しかし最近でも2004年の上海総領事館員自殺事件や2007年のイージス艦情報漏洩事案などで手痛い目に遭っているはずなのですが、どうも制度そのものを見直そうという方向には進んでいかないようです。今回の事案においても情報流失源の特定は重要ですが、下手人探しに拘泥せずより広い視野から問題を検討し
今週のSIGは、CIAの歴史研究でした。カリフォルニア州立大学のヒュー・ウィルフォード教授から、「秘密の帝国:CIAの帝国史」と題した報告がありました。米国の情報機関であるCIAが帝国史?と一見不思議なタイトルですが、教授の問題意識は、1947年に米国政府のために情報収集、分析を行う組織として設置されたCIAが、なぜ急速に海外での秘密工作を生業としていったのか、というものであり、そこには20世紀前半に大英帝国が築いた世界各国の諜報網を、米国が受け継いでいったからではないか、という仮説が披露されました。つまり英米の連携という視点でみれば、CIAは大英帝国のインテリジェンスの遺産を受け継いで、各国で秘密工作を行っていたということでしょうか。 最近のインテリジェンス史研究でも歴史学会における研究動向の影響が見られ、帝国史、さらにはLGBTなど、従来の一国のインテリジェンス史にとどまらない、マルチ
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