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画像左下に見える一団はさまざまな病たち。それを倒そうとする中央の集団はお稲荷さんや神田大明神といった庶民の神さま。さらに右上からは援軍として海外から輸入された最新の薬たちも参戦(『諸神の加護によりて良薬悪病を退治す』歌川芳員 画) 子どもの大敵、疱瘡(ほうそう) 江戸時代の流行病(はやりやまい)つまり伝染病の代表的なものといえば疱瘡(読み:ほうそう。天然痘とも)。 1980年(昭和55年)、WHO(世界保健機構)により「地球上からの天然痘根絶宣言」が出され現代では“過去の病気”となった天然痘ですが、それ以前は世界中で人々の命を奪う恐ろしい伝染病でした。 疱瘡とはどんな病気なのかざっくり説明すると以下のとおり。 飛沫や接触により感染する伝染病(伝染力は強い) 潜伏期間は12日ほど 発熱と頭痛からはじまり、全身に発疹が広がる 発疹は水疱となり膿疱になったあとかさぶたになる 下熱すれば治癒に向か
『彩色江戸物売図絵』より(三谷一馬 著) 7月3日は「七味の日」ということで、江戸時代に実在したド派手な唐辛子売りをどうぞ。 全身真っ赤な衣装に身を包み、背中に背負うは6尺(約180㎝)もの超巨大なハリボテ唐辛子。このなかには小袋に入った粉唐辛子が収納されており、「とーんとーん唐辛子♪」とよばわりながら売り歩きました。 まるでハロウィンの仮装かコスプレのような格好ですが、江戸の町に実際にいたというのですからおもしろいですね。 さらに天才画家・葛飾北斎が若い頃に副業としてこの唐辛子売りをしていたというのですから興味深い。しかも、この格好のときに運悪く師匠夫婦に出くわしたという、なんとも気まづいエピソードも残っているそうな。
男女のみならずさまざまな性の交わりを描いた絵画作品、春画(読み:しゅんが)。しかし、ただのエロい絵と侮るなかれ。「春画を見ずして浮世絵は語れない」と言われるほど奥深い春画の基本知識をご紹介します。 「春画」とはなにか? 数十年前までは「春画」(読み方 しゅんが)という単語を口にするのも憚られるような日陰の存在だった春画。ですが、近年では春画の展覧会に大勢の人が集まり、局部への無粋なボカシなどの処置も行われないなど春画の社会的ポジションが大きく変わってきました。 とはいえ、改めて「春画とは?」と聞かれると「昔のエロい絵」というくらいしか知らない、という方も多いのではないでしょうか?では、まず、「春画ってなんなの?」というところから解説していきます。興味が出てきた方は、ぜひ以下の記事もチェックしてください! 関連記事 「アイデア豊富! 有名絵師たちの春画が時代を先取りしすぎている【64作品】」
日本では古くから男色文化がありましたが、江戸時代、春をひさぐ美少年「陰間(かげま)」が大人気でした。男性だけでなく女性をも虜にした美しい陰間たちですが、華やかな見た目とは裏腹にその実態はとても過酷なものでした。今回は陰間を中心に江戸時代の男色をご紹介します。 武士が戯れているのは女性ではなく美少年の陰間たち。どっからどう見ても女性ですが、れっきとした男性(『男色秘戯画帖』より) 日本における「男色」の歴史 男色(読み:だんしょく、なんしょくとも)とは、男性同士の性愛のこと。江戸時代の男色をご紹介する前に、日本における「男色」の歴史をざっくりと。 男色の歴史は古く、奈良・平安時代には公家や僧侶の間で美少年を相手にした男色が行われていたといわれています。ちなみに文献上の男色に関する最古の記録は『日本書紀』なんだとか(諸説ありますが)。さらっと紹介するとこんな内容。 小竹祝(しののははふり)と天
「昔の女性」というとなんとなく専業主婦が多かったというイメージが持たれがち。ところが江戸時代には「専業主婦」という概念すらなかったともいわれており、女性たちもバリバリ働いていました。今回は江戸時代の女性の職業に注目! 川辺で働く女性たち。江戸時代、女性も大事な労働力でした(『花容女職人鑑』より) 都市部でも農村でもバリバリ働いていた女性たち 昨今、「女性の社会進出」という言葉が声高に叫ばれるようになってきました。逆にいえばそれまでは「女性は結婚したら家庭に入る」という考えが根強くありました。しかし「専業主婦」という考えが生まれたのはごく近年のことだそう。江戸時代というとどうも男尊女卑、封建社会というイメージが強く、女性が活躍する場などなかったと思われがち。 ところが、人口比率的にも“男社会”だった大都市・江戸であっても、地方の農村や漁村であっても女性は男性に負けず劣らずバリバリに働いていま
今年太田記念美術館で開催された『お笑い江戸名所〜歌川広景の全貌』展に行ってきました。展覧会にはたくさんの人!いまだ謎多き幕末の絵師・歌川広景の全作品65点をご紹介します! 歌川広景の展覧会チラシ。太田記念美術館の展覧会は着眼点がユニークなものがたくさん 「歌川広景(うたがわひろかげ)」という名前を聞いたことはありますでしょうか? 「ヒロシゲなら知ってるけど、ヒロカゲなんて聞いたことない」という方が多いんじゃないかと思います。正直マイナーな絵師だといえるでしょう。なにせ活動期間がとても短く、作品も確認されているものは全部で65点ととっても少ない。 ここで簡単に広景のプロフィールをご紹介。 歌川広景 生没年不明。どこで生まれたのかも不明。家族も不明と、不明だらけの謎の絵師。「広景」という画号などから江戸時代後期の大人気絵師・歌川広重の弟子だろうといわれています。絵師としての活動期間は1859年
「京の着だおれ、大坂の食いだおれ、江戸の飲みだおれ」といわれるほど“呑んべえ”の街だった江戸。酒好きたちの憩いの場「居酒屋」が登場したのも江戸時代のこと。ということで、江戸っ子たちが愛した酒についてまとめてみました。 盃を手にした若い女性が、着物が乱れるのも気にならないほど酔っぱらってます(『教訓親の目鑑』より「酩酊」喜多川歌麿 画) 朝、昼、晩ーー1日に何度も酒を飲んだ江戸っ子たち 近年、日本酒の消費低迷が叫ばれ続けていますが、江戸時代はその真逆、特に江戸っ子は1日の節目節目に酒をひっかけていました。 朝、仕事に出かける前に茶碗半分くらいの酒を軽くひっかけ(縁起担ぎらしい)、 昼には、昼食と一緒に軽く一杯、 仕事が終わり帰宅後、風呂屋へ行きさっぱりしたらまた一杯、 さらに寝る前にもちょっと一杯 という具合です。 一説に1日2合の酒を飲んでいた、なんて話も。 今なら仕事中に飲酒とかありえな
有名な「なせば成る」という格言。この生みの親こそ、史上屈指の名君といわれる上杉鷹山。今回は波乱と愛に満ちた鷹山公の改革の生涯をご紹介します。 名門・上杉家の養子藩主に崩壊寸前の米沢藩が救えるのか!? 上杉鷹山が活躍したのは江戸時代中期、将軍でいえば十代将軍・徳川家治(いえはる)や十一代将軍・家斉(いえなり)の時代です。 ちなみに「上杉鷹山」の名で知られていますが、「鷹山」は隠居後につけた号で名は「治憲(はるのり)」といいます。「鷹山」の読み方は「ようざん」です。「たかやま」ではありません。 鷹山は現代でも米沢市民の熱い尊敬を集めているので「鷹山」なんて呼び捨てにすると米沢市民からクレームが殺到しそうですが、基本的に「鷹山」で進めたいと思いますのであしからず。 さて、鷹山が藩主を務めた米沢藩は、現在の米沢市を中心にした山形県東南部にあたります。 鷹山はその米沢藩の九代藩主なのですが、じつは米
東京都江東区にある深川江戸資料館。そこは、知る人ぞ知るこだわりすぎの資料館。江戸時代の下町を完全再現した深川江戸資料館のここが凄い!を紹介します 資料館のなかに入るとそこは江戸時代だ まずは深川江戸資料館の基本情報。 場所は、都営大江戸線もしくは半蔵門線の「清澄白河」駅から徒歩3分。なんというアクセスのよさ。料金は大人400円、小・中学生50円と超リーズナブル。 ちなみに資料館のそばにある霊巌寺には、11代将軍・徳川家斉の時代に「江戸三大改革」のひとつ「寛政の改革」を牽引した堅物マジメ老中・松平定信のお墓があります。 暴れん坊将軍・徳川吉宗の孫で将軍候補に名の挙がったこともある松平定信 深川江戸資料館のあるエリアは「白河」という地名なのですが、これは松平定信が白河藩主だったことに由来するらしい。 それではこだわりすぎる深川江戸資料館を紹介します! 深川江戸資料館のこだわり その1。江戸時代
最初のテーマは「修羅場」。 ぐえ〜ごめんなさ〜い タイトル不明(土佐派 画) ザ・修羅場。 男性のやられっぷりが見事。首を絞めている女性(画像左)、よく見ると男性の背中を足で蹴飛ばしています。目も据わっていて完全に殺る気マンマンです。 あなた!ちょっとこっち来なさい!! 『風流艶色真似ゑもん(ふうりゅう えんしょく まねえもん)』より(鈴木春信 画) こちらもどっからどう見ても修羅場。夫の浮気現場に奥さんが踏み込んできたの図です。ふんどしをムンズと掴む手に怒りを感じます。夫は、男性器を露出しながらも言い訳がましい表情で、こちらも秀逸。浮気相手の“いかにも”な感じもいいですね。 ちなみにこちらの春画、奥さん、夫、愛人のほかにも登場人物がいます。画像右端に注目。愛人が引っ掛けている着物の下になんと小人が! この男、秘薬で小さくなったこの物語の主人公で、性の奥義を極めんと大冒険の真っ最中なのです
四季に合わせて年に4回の衣替え まず冬の服装についてご紹介する前に、江戸時代には季節ごとに着る服装が決まっていたという現代人にはちょっとビックリなファッション事情について。 春夏秋冬。日本には四季があり、昔から季節に合わせて服装を変えてきました。衣替え(ころもがえ)ですね。 現在、一般的に毎年6月1日と10月1日が衣替えのタイミングで(地域差あり)、この日を境に夏服、冬服にチェンジします。 衣替えの歴史は古く、中国の風習が伝来し平安時代には宮中行事として衣替えが行われました。当時は「更衣(こうい)」と呼んだそう。 江戸時代になると年に2回だった衣替えが年に4回と倍増。服装での体温調整をより細やかに行えるようになったんですね。 しきたりにうるさい武家社会では4回の衣替えそれぞれで着るものもきちんと定められていました。 と、こんな感じ。 この期日は幕府によって制度化され、武士たちは衣替えの期日
封建社会だった江戸時代。支配階級にあった武士は労働とは無縁…だったわけでもなく。生きるために働かねばならなかった下級武士たちの驚きの内職事情をご紹介。 傘張りに精を出す男性(ただし職人)。明治時代に撮影されたもの。画像引用元:長崎大学附属図書館 年収25万円以下!? 超低賃金だった下級武士たち 江戸時代の武士たちは、現代の公務員に似たようなポジション。もちろん給料をもらえたわけですが、武士のランクによって給料の支払いスタイルが異なりました。 「知行取(ちぎょうどり)と呼ばれた上級武士たちは、幕府から与えられた領地で取れた年貢米の35〜40%が年収として懐に入りました。 一方、中流・下流の武士のほとんどは、給料に何をもらっていたかと言いますとーー お米。 江戸時代はお米が経済の基本だったので、今のように現金で給料が支払われることはまれで、お米でもらうのがほとんど。で、自分たちで食べる分を取っ
近頃、江戸時代の“ゆるカワ”作品がアツい注目を集めています。以前ご紹介した北尾政美(きたおまさよし)もそのひとり。そして、今回ご紹介する耳鳥斎(読み:にちょうさい)も江戸時代が生んだ“ゆるカワ”絵師として展覧会や図録がジワジワ人気を集めています。そんな耳鳥斎の楽しい作品をご紹介。 四コマ漫画のキャラみたい これ、完全に四コマ漫画のキャラクターです。耳鳥斎(にちょうさい)が活躍したのは200年以上前。その頃にまん丸お目目の表現とか既にあったんですね。 描かれているのは当時の人気役者。江戸時代の役者絵というとイメージするのはこんな感じの絵ではないでしょうか。 描いたのは耳鳥斎と同時代に江戸で活躍した絵師・東洲斎写楽。こちらは有名浮世絵師の傑作特集でも紹介しました役者絵『市川鰕蔵の竹村定之進』。デフォルメされた役者の表情が迫力満点に描かれています。 対して耳鳥斎の役者絵はこんな感じ。 うーん、か
犬に猫、金魚や小鳥に爬虫類まで――さまざまなペットを飼っている家庭が増え、ペットはもはや家族の一員となっています。ペットブームが起きたのは近年になってからと思いきや、じつは江戸時代にもペットは大人気。今回は江戸のペット事情をまとめました。 コタツに入った若い娘さんの愛猫を見つめるまなざしはどこまでも愛おし気(歌川国政 画) 庶民にペットが普及したのは江戸時代 動物が人間と暮らすようになった歴史は古いのですが、一般庶民までペットを飼うようになったのは江戸時代のこと。 現代では、ペットのツートップといえば犬と猫。最近では猫人気が急上昇し、飼育頭数では犬と猫がほぼ並びました(ある調査で、2015年度の犬の飼育頭数(推定)は約991万7千頭、猫が約987万4千匹)。 では、江戸時代の人気ペットの筆頭格というと、現代と同じ犬と猫。特に江戸や京など大都市で定番ペットとして愛されたのが猫。まずは、猫につ
日本で喫煙の風習が広まった400年前。喫煙ルールや銘柄、値段は現在と全く異なっていました。そして、嫌煙家VS愛煙家のバトルは当時からあったのです! 遊女が朱色の長煙管(きせる)で一服。なんとも色っぽい(『北廓全盛競 大文字屋内一墨』喜多川歌麿 画) 江戸時代前期は何度もタバコ禁止令が出された冷遇期 世界にタバコが広まったきっかけは、コロンブスの新大陸発見(1492年)だと言われています。日本にタバコが伝来した時期については諸説ありますが、16世紀後半には日本にあったとか。 日本で一番初めにタバコの種をポルトガル人宣教師から受け取ったのはこの方。 神君・徳川家康 家康が江戸に幕府を開く2年前の1601年(慶長6年)、スペインのフランシスコ会の宣教師ヘロニモ・デ・ヘススが家康に謁見し、タバコの種を献上したのが記録に残る最古のものといわれています。この時、タバコを原料に加えた薬も献上されたんだと
江戸時代には、おなら身代わり人や、屁の音で歌舞伎の演目を演じきるおならパフォーマーなど訳のわからない人たちがいた。江戸時代の屁事情はいろんな意味でスゴイことになっていました。 “画鬼”河鍋暁斎が描いた『開化放屁合戦絵巻』より。なんとも気持ちよさそうに放屁してます 「さすが日本」外国人を驚愕させたクレイジーすぎる“おならバトル”絵巻 2012年2月、英国タブロイド紙『Daily Mail』に「腸内ガス芸術! 200年前の日本の“屁合戦”絵画には本当は深い意味があった」という記事がのりました。これが発信源となり、ネットで世界中に拡散され外国人たちを驚愕させたある絵巻物をご存知でしょうか? その名も『屁合戦絵巻』。 屁。つまり“おなら”による男女入り乱れての壮絶なバトルを描いた絵巻物なのですが、まずはダイジェストでご覧ください。 ちなみに余談ですが、屁を上品に表現した「おなら」は「お鳴らし」を略
現代では虫歯の治療、予防対策などの向上により虫歯は減少傾向にあるそうです。それでも、放置しておくと最悪の事態を招くこともあるという恐ろしい虫歯。今回は江戸時代の虫歯治療などをまとめてみました。 江戸時代の虫歯診察(右) 虫歯になった歯は抜くしかなかった!? 現在、虫歯になったとなれば悪い部分を削って詰め物をしたり、かぶせ物をしたりします。進行が進んだ虫歯でも抜歯しないで治す治療法も主流になりつつありますよね。 しかし、江戸時代には当然ながらそんな治療法はまだありません。削る機器もありません。では、どうしたのかといいますと―― 『きたいな名医難病治療』部分(歌川国芳 画) 虫歯はとにかく抜く が基本だったようです。 しかも、 麻酔なしでの抜歯 です。想像するだけで痛すぎる。 お酒を飲んで感覚を鈍らせることもあったようですが、それほど効果があったとは思えませんから、想像を絶する痛さだったでしょ
大ヒット映画『超高速!参勤交代』の続編が公開され、浅田次郎の人気小説『一路』もNHKでドラマ化されるなど、今、「参勤交代」がちょっとしたブーム!知れば知るほど興味深い参勤交代についてまとめました。 江戸を早朝に出発する大名行列が日本橋を渡ってこちらに向かってくるところ(『東海道五拾三次之内 日本橋』歌川広重 画) 参勤交代ってなんだ? 参勤交代の意味を簡単に説明しますと、幕府が全国の大名に対し、1年おきに江戸に来て一定期間住むように義務付けたものです。 諸大名からしたら1年ごとに江戸と国元を往復しなければなりませんでした。ちなみに、国元から江戸へ行くことを「参勤」、江戸から国元へ帰ることを「交代」といいます。 参勤交代の目的ですが、名目上は「徳川将軍家に対する軍役」。ですが真の目的は、幕府と諸大名との絶対的主従関係を明確にすることでした。 壮麗な大名行列は、つまり軍事パレード。1年おきに軍
ルーツは中国、だけど独自に進化した日本の七夕 まずは意外と知らない七夕の起源について。七夕といえば、織姫と彦星のロマンティックな伝説はよく知られています。ストーリーを軽くおさらいすると―― 傑作『月百姿』より「銀河月」(月岡芳年 画) 織姫と彦星の伝説 あらすじ むかしむかし、機織りの名人である織姫と働き者の彦星という牛飼いが天の川を挟んで住んでいました。やがて2人は結婚しラブラブ新婚生活を送っていましたが、イチャイチャしてばかりですっかり怠け者に…。 これに怒ったのが織姫の父である天帝。「そんなに怠けてばっかりなら、もう別居!」と、天帝は天の川を挟んで2人を離れ離れにしました。強制別居措置に織姫と彦星は涙に暮れます。 さすがに不憫になった天帝は「マジメに働くなら、1年に1回だけ会わせてあげてもいいんだからね」ということで、七夕の夜だけ逢瀬を楽しむことを許したのでした。チャンチャン。 織姫
江戸時代の出版業界は大盛況!今も愛読される作品から現代だと物議をかもしそうな作品まで様々誕生しました。江戸時代のベストセラー&ロングセラーを26作品ご紹介します。※更新履歴:2019年9月に5作品を追加し合計26作品にしました。 江戸を代表する版元・蔦屋重三郎の店は本を求めるお客で大にぎわい(『画本東都遊』より/葛飾北斎 画) 庶民の読書熱のウラに貸本屋あり ベストセラー紹介の前に江戸時代の出版事情について。江戸時代前期の1624~44年頃、木版印刷が普及すると商業出版が本格的にスタートし、本が一気に身近になりました。 当初、出版業界の中心は京であり、出版物も仏書や歴史書など硬派なものばかりでしたが、絢爛な文化が花開いた元禄期(1688~1704年)になると、大坂で井原西鶴の『好色一代男』が大ヒット。娯楽作品のヒットは出版革命を起こしました。 さらに江戸時代中期になると江戸でも出版業が本格
老若男女問わず多くの人々を魅了し、観光スポットともなっていた幕府公認の遊郭・吉原。そこで働く遊女たちは華やかで美しく、まさに雲の上の存在だと思われがち。そんな遊女たちの意外に華やかでない1日を紹介します 日の出とともに始まるハードな1日 おしゃれなチェックの着物に身を包んだ花魁。髪飾りのボリュームもすごい!(『玉屋内若紫』) ちなみに、遊女には「花魁」と呼ばれる高級遊女から「新造(しんぞう)」という若手の下級遊女まで厳格なヒエラルキーがあり、待遇もぜんぜん違いました。今回は平均的な遊女の1日を追っていきます。 また、江戸時代の時刻は不定時法のためここにご紹介する現代の時刻は大まかな目安ですのであしからず。 では、遊女の24時間を見てみましょう。 ●早朝6時(卯の刻/明け六つ)● ゴーン、ゴーンと浅草寺の時の鐘が鳴り響きます。夜明けです。遊女と夢のような一夜を過ごした客たちも帰る時間です。こ
“宵越しの金を持たない”のを身上にしていた江戸っ子。とはいえ、お金がなければ食べていけない。でもマジメに働くのもしゃらくさい。そこで考え出されたアイデアと愛嬌たっぷりな珍商売の数々をご紹介。 あの北斎も極貧時代にやっていた!? 唐辛子売り 全身真っ赤! それにしてもハリボテ唐辛子がデカイ、デカすぎる(『彩色江戸物売図絵』三谷一馬 著) 江戸時代に実在した、6尺(約180cm)もの巨大な唐辛子のハリボテを背負って売り歩く唐辛子売り。これは目立つぞ。ちなみに、巨大唐辛子のなかには小袋に入った粉唐辛子が収納されており、「とんとん唐辛子、ひりりと辛いが山椒の粉、すはすは辛いが胡椒の粉、七味唐辛子」と言いながら売り歩いたんだそう。 かの天才絵師・葛飾北斎も極貧時代に唐辛子売りをして糊口をしのいでいたとか、いないとか。 江戸時代前期に流行した珍商売中の珍商売 耳の垢取り 神妙な顔をして耳かきをしてもら
『北斎漫画』の元ネタ 『略画式』(1795年)※蕙斎時代 なんだろう、この楽しそうな人たち。とりあえずおしりがプリプリすぎる。これらは、絵のお手本として北尾政美が描いた人物のスケッチ画です。それにしてもポーズが愉快。 一方、江戸時代の絵のお手本集(絵手本)として有名なのが葛飾北斎による『北斎漫画』。 『北斎漫画』(葛飾北斎 画) 『北斎漫画』は国内だけでなく、マネなど印象派の画家にも大きな影響を与えたといわれています。さらに現代の「漫画」のルーツのひとつとも。すごい作品です。 ところで、先に紹介した絵と『北斎漫画』、なんだか似ていると思いませんか?北尾政美の絵手本『略画式』が出版されたのは『北斎漫画』の19年前、「絵のお手本集」というアイデアもじつは政美がオリジナルなのです。 そんな北尾政美はどんな人物かというと。 北尾政美(きたおまさよし) 1764年(明和元)に生まれ、13歳頃から浮世
男女や同性のセックスを描いて人気を博した浮世絵『春画』。春画は江戸時代のエロ本と思われがちですが、 実は、性的な描写だけでなくユーモアもあふれていたので「笑い絵(笑絵)」とよばれていました。武士も庶民も大らかに楽しんだ、江戸時代の傑作春画を紹介します! 最近、展覧会でも人気の春画。意外と知られていないのですが、江戸時代の大物浮世絵師のほとんどが春画を描いていました。世界に誇る天才・葛飾北斎、猫大好きな奇想の絵師・歌川国芳、美人画の大家・喜多川歌麿などなど。春画は稿料が高かったので、生活のためイヤイヤながら描いていたのでは?ともいわれますが、出来上がった春画やペンネームからはノリノリな感じが伝わってきます。江戸の六大浮世絵師を中心に、歴史に残る傑作春画&とんでも春画をご紹介します! 有名絵師1人目 葛飾北斎(かつしかほくさい) 春画用ペンネームは鉄棒ぬらぬら、紫色雁高(ししきがんこう)。江戸
庶民の学校といえば「寺子屋」としてその名は有名ですが、じつは江戸では「寺子屋」とは呼んでいなかったそう。「手習(てならい)」「手習指南所」「手跡指南(しゅせきしなん)」「筆道稽古(ひつどうけいこ)」などと呼んだんだとか。 ですが、ここでは一般に使われる「寺子屋」で話をすすめていきましょう。ちなみに、「寺子屋」という名称は、江戸時代より前の中世に寺が教育の場として使われていたことの名残なんだとか(諸説ありますが)。 寺子屋の授業風景をちょっと見てみましょう。 (『文学ばんだいの宝』一寸子花里 画) こちらは、男女別の寺子屋風景を描いたもの。たくさんの子どもたちが勉強中ですが、机の向きはバラバラだし、勉強に来ている子どもたちの年齢もかなりマチマチです。 先生はどこかというと、画像左奥と右奥に座っています。それにしても、子ども同士でふざけたり、先生にイタズラしたり、無法地帯です。 寺子屋は「現代
江戸庶民の住まいといえば、落語や時代劇でおなじみの集合住宅「長屋」。プライバシー皆無だけど格安で意外に便利だった長屋の暮らしをまとめました。 洗濯をする女性、子どもをおんぶする女性、水を運ぶ力持ちの女性など、長屋で暮らす人々が生き生きと描かれています。(『絵本時世粧(えほんいまようすがた)』より/歌川豊国 画) 江戸の町人が片寄せあって暮らす「裏長屋」ってなんだ? 一般にイメージする「長屋」というのは、正確には「裏長屋」「裏店(うらだな)」と呼ばれるものです。一方、「表長屋」「表店(おもてだな)」もありまして、表通りに面していることからこう呼ばれます。 表通りから奥へ続く道の入口には木戸があり、両脇には町内警備の役目を果たした「自身番所」と「番人小屋」が。さらにその隣は店舗になっており、これが表店。(『類聚近世風俗志』より) ここでちょっと江戸特有の町構造について。江戸の町には「武家地」「
上の画像は「歌に出てくる色男みたいにモテすぎて世間の噂になったら、ぼく、死んでもいいなぁ(ニヤニヤ)」などと妄想する艶二郎。なんか、こういう顔の人、知り合いにいる気がする。 色男になろう作戦1 恋人の名前を刺青しよう(注 恋人はいない) 悪友のアドバイスのまま、「実在しない彼女の名前を刺青して、なおかつ違う女性から嫉妬されたので、その刺青を消し込む」というハイレベル過ぎる設定で、親にもらった身体を痛めつける艶二郎。 繰り返しますが、元カノも今カノも実在しません。画像は、灸をすえて刺青を消す艶二郎。「うぅ、痛いよぅ。色男になるのもつらいね」 色男になろう作戦2 金で熱狂的なファンを買おう 色男には熱狂的ファンが付き物ということで、近所の町芸者に50両(約500万円)を渡して熱狂ファンを演じてもらうことに。家に押しかけてきた艶二郎ファンを名乗る女性(サクラだけど)に家族は仰天。 番頭(画面右)
時代劇を見ると、長屋の住民も現代と同じような四角い掛けふとん&敷きふとんで眠っていますが、実際はどうだったんでしょうか?江戸時代の布団についてまとめました。 (『時世江戸鹿子』「茅場町旅宿」歌川国貞 画) まずは意外と知らないふとんの歴史についてみてみましょう。 古代の日本人はベッド派!? 日本人の伝統的な寝方といえば「畳にふとん」というイメージがありませんか? じつは、弥生時代の遺跡調査によりますと、古代の日本人は丸太などのベッドに似た寝具で寝ていたと推測されているそうです。 これは意外。国内で現存する最古のベッドがこちら。 画像引用元:ねむりくらし研究所 およそ1,600年前のベッドです。 ベンチかな? 使っていたのは奈良時代の天皇、聖武天皇だそうで、現在は奈良の東大寺正倉院の宝物として保管されています。 このベッドの上にはこんな敷物を敷いて寝ていたんじゃないか、といわれています。 画
「遊女三千」といわれた吉原。華やかな衣装に身をつつんだ遊女たちの生涯は苦難の連続でした。労働環境、借金、避妊、梅毒など。過酷な遊女の一生を画像つきで紹介します。 一見華やかな世界に生きる遊女たち、もとは人身売買で連れてこられた少女!? (『風俗三十二相』「しなやかさう」月岡芳年 画) 華麗なファッションに身を包んだ遊女。ものすごい数の髪飾り!しかも超高級なべっこう製。まさに「高値の華」という表現がぴったり。 華やかな身なりでキラキラしていますが、遊女のほとんどは借金のカタなどとして妓楼に売られた女性です。例をあげると、 農村・漁村などの貧しい家庭の親が、生活難のため娘を妓楼に売る 貧しい下級武士の家の親が生活難のため娘を妓楼に売る 不況や事業の失敗などで没落した商家の親が借金のカタに娘を妓楼に売る 悪い男にダマされて若い娘が妓楼に売られる 表向きは幕府も人身売買を禁じていたため、「遊女とは
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