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東良美季の毎日更新日誌です。どんな平凡な日常にも見るべきモノはある、という慈愛に満ちた眼差しで読んでやってください。ファイア、ウォーク・ウィズ・ミー! by tohramiki
「THE FOOLS(ザ・フールズ)」、そして「ブルースビンボーズ」のヴォーカリスト、伊藤耕さんが亡くなった。忌野清志郎、山口冨士夫に続いて、僕らはまたひとり、偉大なロックンローラーを失った。2002年、友人のピスケンこと曽根賢編集長による不良雑誌『BURST(バースト)』にて、僕は幸運にも耕さんにインタビューする機会を得た。今日、訃報を伝えた「Yahoo!ニュース」には、<服役中の月形刑務所内で死去>とある。そう、すべての建前や名目、良識と常識から自由だった伊藤耕は、ドラッグに対しても奔放だったから、長い間ずっと塀の中とこちら側を行き来していた。 そのことも真夜中、高円寺の飲み屋のカウンターで聞いた。すると耕さんは「そりゃロックンローラーにはドラッグがつきもんだろ、力士がメシたらふく食うのと同じだよ」と、わざと軽口でかわした。「でも、刑務所の生活って辛くないですか?」と僕が食い下がると、
昨日から怠け続けているので、HDDレコーダーに溜まりに溜まったテレ朝系列の帯ドラマ『やすらぎの郷』をまとめ観している。とはいえやっと22話(現在35話)までだが。ご存じのようにこの作品には、日本を代表する老スターたちが大挙出演している。そして中でも、ひときわ眼を惹くのが八千草薫さんだろう。今のところ全出演者中、最年長。昭和6年(1931年)のお生まれというから御年86才。実はウチの母親と同学年である。おかげさまで我がオフクロも元気ではあるが、さすがにちょっとした物忘れはある。一方、八千草さんは画面で観る限り、かなり長い台詞もしっかりと入っておられるように思える。 ハイテク化されたこの時代だから、巧妙にプロンプターを付けるということも可能だろうが、少なくともカット割りで誤魔化しているようには見えない。しかも、倉本聰さんのシナリオ集を読んだことのある人ならおわかりだろうが、氏の台本には〈間〉〈
特に僕の世代から1970年生まれ前後くらいまでの人には、きっと身に沁みてわかってしまう名作だと思う。舞台は大坂。時代は特定されてないが、ラジオからThe La's(ザ・ラーズ)の「ゼア・シー・ゴーズ」が流れてきたという描写や、「バブルに浮かれてるヤツなんて嫌いやねん」という台詞があるから、おそらく1989年から1990年くらいにかけてだろう。主人公の三瀬クンは20才過ぎても定職につかず、バイトしてブラブラ過ごしている音楽好きの青年。 それでも漠然と将来に対する不安があったのだろう、同じようにモラトリアムな幼なじみで元パンク少年、Hクンに「就職なんて考えてへんやろ?」と尋ねてみると、ところが意外なことに「しとるよ、就活」という答えが返って来てショックを受ける。「デザイン事務所や」とHクンは言う。「そこで修業して、将来的にはフリーになって、レコードとかCDジャケットとか、音楽関係の仕事をするの
最初は夕方の6時頃だったと思う。例によって仕事からの現実逃避でFacebookを開くと、音楽ライターの能地祐子さんの<嘘でしょう? 嘘と信じたくて何度も読んだ。>というコメントと共に、「Legendary Singer David Bowie Dead At 69」というタイトルの記事(『Huffington Post』)がリンクされていた。それからというもの、Facebook、twitterには、様々な人の驚き、哀しみ、嘆き、追悼、感謝のコメントが溢れた。我々は偉大なるアーティスト、そして世界の恋人を失ったのだ。僕はといえば昨夜、というか正確には今朝方に見た、死んだ親父の夢が妙に生々しく甦った。去年の3月15日の日記にもアップしたが、父は映画『戦場のメリークリスマス』で、デヴィッド・ボウイ氏と共演させてもらっている。役柄もボウイ演じるジャック・セリアズ少佐の通訳だったから、同じ画面に収ま
昨日の続き。ケープルテレビ〈j:com〉のスタッフは、2人のチームでやって来た。1人が主に外の工事をして、もう1人が中の配線作業をする。お見かけしたところ30代半ば、明るく爽やかな若者たち(僕から見たら)である。我が家は築40年の老朽アパートなので、建物までケーブルが来てない。だから外ではゴンドラ付きクレーン車に乗って電柱から線を引っ張る。かなり大がかりな作業だが、約1時間でテレビ、電話、ネットが開通してしまった。驚いたのはすべての工事が終わった後、地上波・BS・CATVにアプリと、非常に多機能なテレビの説明を判りやすく鮮やかにしてくれて、iPhone、ipad miniの設定までやってくれたことだ。彼らは本来「技術屋」であろう。それでも今の時代は、こういう客と接することまでやらなくてはならないのだ。続いてガス栓を開けるためやって来た東京ガスの人はもっと若く20才そこそこ。高校を出てまだ数
今日は久しぶりにアダルト系の原稿を書いた。『ビデオ・ザ・ワールド』誌の最終号が出たのが昨年5月、つまりは約13ヶ月ぶりとなる。いやはや。ともあれテーマは、1980年代初頭に「裏ビデオ」と呼ばれる非合法なポルノグラフィが出廻った頃のお話である。『洗濯屋ケンちゃん』なんてタイトルを言えば、ある世代以上の男性なら、ハハアと思い出して頂けるかもしれない。この時代は『代々木忠 虚実皮膜 AVドキュメンタリーの映像世界』で書いたことともリンクするのだが、家庭用ビデオデッキの普及、つまり「ベータ・VHS戦争」と呼ばれる販売競争とも関わっている──というようことを考えつつキーボードを叩いていると、フト、「あれ、オレ、以前にも同じような原稿を書いたな?」と思い出し、今書いているテーマの参考にもなるので、iMac内を探して引っ張り出し再読してみた。 そして「フムフム、けっこうちゃんと書いてるじゃないの」などと
昨日の続き。『エロの「デザインの現場」』(アスペクト)は俗に〈エロ本〉と呼ばれるヌード・グラビア誌、そのデザインに関わったクリエイター9人を、自身もデザイナーである有野陽一さんが訪ね歩き、インタビューをまとめたものだ。また一方であとがきにて<イメージとして、のちに作家になる木内昇氏が著した『東京の仕事場』(ギャップ出版)がありました。>とあるように、いわゆる〈書斎探訪記〉でもある。さて──ヌード・グラビア誌とは何かというと、当たり前の話なのだがそれは写真誌であり、グラフィック・マガジンである。エロ本というと、可愛い女の子が裸でニッコリ微笑んでいたり、色っぽいお姉さんが「あは〜ん♡」という表情をしてればいいと思う人も多いと思うが、実はそう簡単な話ではない。何故ならそこには「可愛い」とは何か、「色っぽい」とは何か、「エロい」とは何ぞや? という、実にややこしいテーゼが大きく立ちはだかって来るか
昨日の続き。それは僕が代々木にある小さな編集プロダクションで働いていた時のことだった。23才から24才の間くらい、時代で言えば1983年か1984年だったはずだ。編プロというのはいつの時代もそうだが、まあ激務である。さらに今もたいして変わっていないのだが、当時の僕は本当に要領が悪く仕事が遅かった。マイナーなヌードグラビア誌の編集長というものになり──編集長とはいえ部下はいない。たった一人の編集部である──1週間に7日出勤し、そのうち6日は徹夜していた。ただし不幸中の幸いというか、その頃から24時間営業のコンビニというものがポツポツと出来始めていて、会社の近くにも一軒あった。代々木というか、駅で言えば小田急線南新宿駅の近くである。 今ではごく当たり前にある、あの海苔がフィルムで挟まれ、いつでもパリパリの状態にあるコンビニのおにぎりというのは存在したのだろうか? 覚えていない。僕の場合、夜中に
ジムや買い物はなるべく午前中にすますのだが、今日は昼間取材のアポ取りがあったり、先方から電話がかかってくる可能性もあったので、陽が暮れてから出かけることにした。着替えたりウェアやシューズを準備する間にテレビを点ける。時計代わりである。NHK7時のニュースをやっている頃だろうと思ってそうしたのだが、たまたまチャンネルがTBSに合っていて、海外の辺鄙な地域に住んでいる日本人を訪ねるというバラエティ番組をやっていた。最近多いね、こういうの。千原せいじがリポーターやるのもあったけど、あれはテレ朝系だっけ? などと考え、NHKに変えようと思ったのだが、画面を見て手が止まった。茨城ゴールデンゴールズの片岡安祐美ちゃんが、サイパン近くにあるミクロネシアのロタ島という小さな南の島を訪ねる。そこには愛犬2匹とビーチに建てたテントに暮らし、一銭のお金も使わず生活している女性がいた。 テロップには(47才)と出
朝、アパートのエントランスにあるポストに郵便物を取りにいくと、コアマガジン刊『ビデオ・ザ・ワールド』誌6月号が届いていた。これが最終号となる。創刊号が1984年1月号(発売は83年12月)だから、30年近い歴史に終止符が打たれたわけだ。休刊は実は昨年末には決まっていて、本来残り2号出る予定だったのだが、不慮の事態があったとのことで、突然の終焉となった。アダルトビデオ情報誌と呼ばれるものは、全盛期の90年代前半にはおそらく7、8誌出ていたと思われるが、1誌また1誌となくなり、『ビデオ・ザ・ワールド』も近年は苦しい状態が続いていた。3月新宿ロフトプラスワンで行われた『代々木忠+面接軍団』のイベントに取材でお邪魔した際、おそらく日本一の代々木忠ファンというか、代々木忠研究家と呼んでもさしつかえないTさんに声をかけられた。 彼も熱心な読者としてそういった状況を察していたのだろう、「トーラさん、『ビ
6時に目覚ましをかけたものの起きられず、8時まで眠る。しかしまあ、やはり陽が昇ってから起き出す方が楽しい。寝室の窓を見て、ああ、今日も良い天気だとか、冬らしいグレイな朝だとか、フム、雨も風情があるものだ──などと呟きながら一日が始まる方が。それに、この時間だと走り始めが辛くないのも助かる。9時過ぎよりjog、127分。さて、月曜日に取材が2本、打合せが1本あるので、この土日で仕事を終わらせなければならない。またまたかなり追い詰められて来た。午後からはひたすら原稿書き。 最近はこうして〆切が押し迫ってくると、温かい烏龍茶を入れて、それをちびちび飲みながらやる。2リットルのクーラーボックスにいっぱい作っておいて、それを飲む毎にカップをチンする。胃に溜まらないように舐めるように少しずつ、それでも一日4リットルくらいは飲んでいると思う。故・中島らもさんはかつてウイスキーをガソリンにして小説を書いた
アナログ放送は終わっても、我が家の10年もののテレビはまったく問題なく映ってくれているので、HDD録画しておいた27時間TV内、ダウンタウンの『爆笑・大日本アカン警察』のスペシャルを観る。冒頭、松っちゃんは「この番組、編成の方から『アカン』と言われてるらしい」と発言し、笑いを取っていた。確かに、視聴率が悪いとのことで少し前ネットのニュースにもなっていた。僕はつくづく思うのだけど、「面白いものを作ってる才能のある人」や「面白いものを作ろうと努力してる人達」より、「数字だけ見て良いだ悪いだ言ってる連中」の方が、何だってそんなに偉そうにしているんだろう。 AVのメーカーなんかも、大手になると、上層部と言われる人達がいて、必ず「数字が」「売れないんだよねえ」なんてことを言う。でもって変なのは、実際にモノを作ってる監督とかが「じゃあ、どうしたら売れるんでしょうか?」と質問すると、「それが判れば苦労し
音楽評論家の中村とうようさんが亡くなった。5年ほど前だったか、ある人から「トーラさんが生涯で経験した最高のライヴは何ですか?」と質問される機会があり、僕は一瞬の迷いもなく、「1975年12月、日本武道館で行われたデヴィッド・クロスビー&グレアム・ナッシュの来日コンサート」と答えた。高校2年の冬だった。中学時代の同級生Kと出かけた。2人のアコースティック・ギター、クロスビーは12弦、ナッシュは数曲ピアノを、バックにはザ・セクションのグレイグ・ダージがキーボードを、デヴィッド・リンドレーがラップ・スティールとフィドルを付けるというアンプラグドなステージだった。 CSN&Yのライヴ盤『Four Way Street』そのままに、ジョークを交えるリラックスしたMCと共にステージは進行し、今から思えば単純な演出ではあるのだが、ナッシュが一人グランドピアノに向かってあの名曲「Our House」を歌い
5時起床。午後遅くソファーで2時間爆睡し、そのせいか夕方まで身体がだるくて進まなかったが、何とか夜の11時まで原稿書きを続ける。途中、NHKのニュースで、福島第一原発で復旧作業に当たる作業員の環境が劣悪を極めているというのを見た。全面マスクというものを付けて建屋内に入るのだが、それが外れて内部被爆する人がいたり、中には「火力発電所内の作業だから」と連れて来られてみたら原発だった、なんて話もあるという。こういった労働者の実態に関しては、堀江邦夫という人がジャーナリストだということを隠して潜入し、その体験を書いた『原発ジプシー』という有名な本がある(現在は『原発労働記』とタイトルが変わり再発)。 僕の手元にあるのは講談社文庫版で、奥付を見ると昭和59年10月15日発行。現代書館から単行本が出たのはそれより4年前の1979年。今は丁寧に読み直す時間が無いが、ぱらぱらと見返す限り、その実態はあまり
6時半起床。朝から原稿書き。正午前に一本仕上げ、編集さんにメールで送る。昼食を取る前に少しだけ横になろうと思っていた時、インターフォンが鳴る。出てみると、「朝日新聞なんですが、ご挨拶に」という声が。実は、4月から新聞の購読をやめていた。先月末いつもの集金に兄ちゃんが来て、「更新の契約を」と言われた時、「申し訳ないけれど、もうやめるよ」と思い切って伝えたのだった。理由は色々ある。これだけインターネットで情報が得られる中、紙の媒体がどれほど必要なのか? そして3月20日の日記にも書いたが、今回の地震で、つくづく新聞の見出しを眼にするのが虚しくなった──等々。しかし、何より我が家の財政的な問題だ。 ドアを開けるといつもの兄ちゃんでなく、70代くらいに見える男性が立っていた。販売店のご主人だそうだ。「長い間お世話になりまして」とタオルをくれた。ただ、予想はしていたが、お店は大変なのだそうだ。それで
9月19日の日記に、佐藤忠男著『大島渚の世界』(筑摩書房)を引用したが、久しぶりにこの本を引っ張り出しページを開いて驚いた。字がとてつもなく小さいのだ。ごく普通の四六判・単行本サイズなのだけど、1行が48文字もある。1ページ20行。手元に活字ポイント表が無いのでハッキリとしたことは言えないが、おそらく文字の大きさは8ポイント(写植に換算すると12級程度)。つまり文庫とほぼ同じ大きさだ。 最近では文庫本も読みやすく文字を大きくする傾向が強く、13級で組む場合が多い。5月末に出版した『AV黄金時代〜5000人抱いた伝説男優の告白 』(文庫ぎんが堂)は、さらに大きく14級。1行35文字、1ページ15行しかない。つまり何が言いたいのかというと、かつて70年代まで、本を読むという行為は言わば「お勉強」であり、楽しみではなかった。だから読者に対する読みやすさとしての配慮なんて無かったのだ。いや、むしろ
6時、2時間ほど寝ただけで起床。jogは自粛。ジムはスポーツクラブ全体がお盆休みに入った。楽しみはお風呂の中の読書のみ。そして本日、赤塚りえ子・著『バカボンのパパよりバカなパパ〜赤塚不二夫とレレレな家族』(徳間書店)読了。本書は大学時代の先輩で、ライターの今村守之さんが構成を担当されていることもあり、7月に刊行され話題になっていたのも知っていたのだが、仕事上読まなければならない本が色々とあって、2日程前からやっと開くことが出来た。ソフトカバーで336ページ。りえ子さんの語りというか、平易な話し言葉で書かれているので、ヴォリュームの割には比較的短い時間で読める。けれどココロにはズシーンと深い感動を与えてくれる名著である。 タイトル通り、これは自由奔放に生きたマンガ家・赤塚不二夫さんと、その家族の物語。家族とは、一人娘のりえ子さんに、これまた自由でカッコイイ、ママ・登茂子さん。そしてママと離婚
夏のように暑い一日。午前中ジムに向かう時、タンクトップの上に一応Gジャンを着て出かけたのだが、アパートのエントランスを出た途端に脱いでしまった。今日は講談社から出る京極夏彦さんの新作小説が、「iPad」向け電子書籍として発売することが決まったというニュースがあった。また、ソニーとグーグルが提携して、今秋にはアメリカでインターネットテレビが発売されるそうだ。これらに関し「報道ステーション」で、元新聞記者としての意見を求められた鳥越俊太郎氏は、「新聞にはインターネットの検索に無い知識を拾い読む面白さがある、それを若い人達にも知って欲しい」と語り、古舘伊知郎さんは「本には紙の持つ独自の暖かさがありますからね」というようなことを言っていた。やれやれ、である。 僕は、鳥越さんも古舘さんもとても好きな人達だが、ひとこと言わせて貰いたい。新聞や本がネットやiPadに脅かされるのは何故なのか? それは面白
7時半起床。今朝も起きた時に疲労が残っている。しかしこれは年末進行から解放され、やたら走っていることによる肉体的な疲労なので、基本的に心地良い疲れであります。リビングへ行ってストレッチをして、朝風呂に入ると次第に身体がほぐれてくる。そしてこの日記をアップするとまたもや二度寝。うー、極楽(笑)。昼間はちょこちょこと仕事を進め、夕方よりジム。明日から三が日いっぱいスポーツクラブ全体が休館する。つまり本日がジム納め(←そんな言葉あるのか?)であります。 此処に通い始めたのが2001年の4月。そうか、もうすぐ9年になるのだ。この『毎日jogjob日誌』はもちろん始めていなかったので、個人的につけていた日記を読み直してみると、同じ月の5日に「ボストン・レッドソックスの野茂が2度目のノーヒット・ノーランを達成」、前々日の25日には「自民党総裁選挙。地方で小泉純一郎が圧勝し、そのイキオイで本戦にも橋本龍
7時起床。8時よりjogに出る。114分。本日は一日中テープ起こし。普段は苦手、嫌だなあと言いつつだらだらやるのだが、此処の所ずっと確定申告の書類をしていたので、けっこう新鮮な気持ちで集中する。途中気分転換にTVを付けると、ニュースやワイドショーは中川昭一財務相の“泥酔”会見を、何度も何度も流し続けている。何というか、見てはいけないものを見てしまったという気がする。正直、笑えない。『アル中地獄(クライシス)〜アルコール依存症の不思議なデフォルメ世界 』 邦山照彦 ・著という本がある。これは作家の故・中島らも氏も絶賛した、36回も入退院を繰り返した本物のアルコール依存症患者の書いた実話である。この中に、「中川一郎はなぜ死んだ」という章がある。言うまでもなく、昭一氏のお父さんだ。 中川一郎衆議院議員(当時)は1983年、札幌パークホテルのバスルームにて、首を吊って自殺した。著者はこれをアルコー
午後より取材。5時半に終了。地元駅前のスーパーで買い物などして、帰り道を歩き始めた7時半か。昼間は暖かかったけれど、陽が暮れるにつれしんしんと冷えてくる。この季節、家に辿り着いてまずするのは、お風呂に入ることである──と、以前、同世代のライター氏に何気なく言うと、「えっ、何ンでお風呂なの?」と驚かれた。たぶんこれは、独り者にしか判らない感覚なのだろう。妻帯者や家庭のある人は、奥さんや子供が居る家に帰っていくわけだから、当然部屋の中は暖かい。特に僕はエアコン系の暖房が嫌いでパネルヒーターのみだから、スイッチを入れてもすぐには温まらない。即効性があるのは、何と言ってもお風呂なのであります。 しかしこの季節の、帰ってすぐのお風呂、僕は好きですね。凍りついたように冷え切った手足がその先までが温まり、疲れが湯気のように抜けていく。特に取材や打合せで神経を使った時は、その、他人から受けた人間関係の棘の
怠惰な生活が続いております。夜は10時過ぎには寝てしまい、すると早朝4時頃にいったん眼が覚めるのだけれど、そのまま微睡み続ける。要は少し気持ちが暗いのです。起きていても面白くないから眠りの世界へ自己逃避している。しかし起き上がってTVをつけると益々暗い気分になる。元厚生省の事務次官の家族が相次いで襲われた事件が報道されている。どうも嫌な感じがする。テロであれ怨恨であれ、本来自分にはあまり関係の無いはすだ。それなのに暗くなるのは、社会全体を被っている気分を象徴しているからだろう。 各方面で膨大な税金の無駄遣いが行われていながら、消費税は上がる方向へとどんどん向かっている。バカなアメリカ人の金持ちによるくだらないマネー・ゲームのおかげで株価は大暴落し、結局被害を被るのは貧乏人だと判ってきた今、総理になれて嬉しくてたまらない麻生センセイは「定額交付金」なんていう狂気の沙汰を本気でやろうとしている
9時起床。121分走る。昨日未明大阪・難波で起きた個室ビデオ店火災の原因が放火だと判り、犯人の46才の男が逮捕された──という報道がされた。動機は最近やたら耳にして気分の暗くなる、「生きているのが嫌になったから」というものだった。個室ビデオ店って何だろう? そう思う人は、特に女性には多いのではないだろうか。簡単に言うとアダルトビデオ(現在はほとんどDVD)を観るための店舗である。何故個室なのかというと、つまり男が一人で行う、いわゆるそういう行為を安心して出来るように、だ。ニュースを観た人は知ったと思うが、最近はソファーやベッドがあって仮眠出来る店も多い。 そういういかがわしい場所があり、そこへ通う側にも問題がある、と感じる人もいるだろうが、そう単純に割り切れない部分もある。個室ビデオ店へ行く男にスケベ心が無いとは言わないが、理由は決してそれだけでは、ない。独りになりたい、家に帰りたくない、
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