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衆院選
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仁科芳雄の「伝記」を書いた人間として(1)、映画『オッペンハイマー』を観ると考えずにはいられないのは、仁科とオッペンハイマーの関係だ。彼らが直接会ったことは少なく、一見、あまりかかわりがないかのようではある。しかし、実は両者は深いところでつながっていた。そのことについて書きたい。 仁科芳雄とオッペンハイマーが直接会う機会はあっただろうか。二人がヨーロッパにいた時期は一部重なっていたが、滞在場所がずれていた。どこかの学会で顔を合わせた可能性がないわけではないが、それがあったとしても記憶に残るような交流がなかったことは、のちの手紙でわかる。仁科は欧州留学から日本に帰る前、1928年に米国各地を訪問し、12月にカリフォルニア工科大学やカリフォルニア大学バークレー校を訪問している。しかし、オッペンハイマーはまだそこに着任していなかった(2)。 結局、仁科がオッペンハイマーと直接会ったのは1950年
クリストファー・ノーラン監督の映画『オッペンハイマー』は劇場で繰り返し鑑賞するに値する傑作だ。映像と音響による物理学的内容の表現、複数の視点の交差、時間軸を行き来する叙述、主人公の心象の映像化など、『メメント』『インセプション』『インターステラー』『テネット』といった作品でおなじみのノーラン監督の技法にいっそう磨きがかかっている。名優が次々と登場して繰り広げる印象深い場面の数々、多数の伏線が配置された複雑な展開、『ダークナイト』にも増して深刻な問いを投げかける重厚なテーマ。これらが合わさって感覚と理知の両方を刺激し、3時間の長さでも緊迫感が続く。 この映画を観たとき、筆者は不思議な感覚に包まれた。それはまず、物理学史上のさまざまな登場人物がこのように注目を浴びている映画の中に当たり前のように登場していることだ。現代物理学史というマイナーな研究分野にいて人知れず研究しているつもりだったのに、
きっかけは、2016年6月23日に届いた1通のメールだった。 実は、ちょっと鄴(ぎょう)城(じょう)に行ってみたいと思っているのですが、 会田くん、行ったことありますか? さらにいえば、ややマニアックな場所ということで、 同行者が探せずにおります。 鄴に興味がありそうな知り合いなんかいませんか? 送ってきたのは、当時、某大学准教授だった河上麻由子さん(現在は大阪大学准教授)。仏教を中心に古代日中関係史の研究をしている友人だ。そのころ私は、次の就職先が決まらぬままポスドクの任期が終わってしまい、腑抜けた日々を送っていた。たしか、ひたすら日本や海外のSF小説を読み漁っていたような気がする。 河北省邯鄲市臨漳県にある鄴城は、後漢末に曹操が拠点として整備し、南北朝時代には東魏(534~550年)・北斉(550~577年)の首都となった都城である。遊牧民が黄河流域を、漢人が長江流域をそれぞれ支配して
2023年もみすず書房の新刊を、各新聞・雑誌・ウェブメディアなど多くの媒体でご紹介いただきました。なかでも複数の評者に取り上げられた注目書を、ふりかえってご案内します。 『週刊東洋経済』 2023/2/25号 書評より 「われわれはいっそのこと資本主義を捨てて、経済システムの抜本的な再構築を目指すべきなのだろうか──。こうしたラディカルな考えに性急に飛びつく前に、一度立ち止まって読んでほしいのが本書である。」 (評者・大阪大学教授 安田洋祐さん) 『日本経済新聞』 2023/4/1 書評より 「本書は従来の経済学が置き去りにしてきた持続可能性の問題に分析を広げ、さらに政策展開している。」 (評者・東海大学教授 細田衛士さん) 『グリーン経済学』の詳細はこちら 『読売新聞』 2023/4/9 書評より 「行動を変えるといえば、行動経済学のナッジ理論が有名であるが、本書はそれを神経科学の視点で
「孤独」の歴史をひもとく フェイ・バウンド・アルバーティ『私たちはいつから「孤独」になったのか』神崎朗子訳 序文(抜粋)公開 またどうして孤独(ロンリネス)について? この本を執筆していることを人に話すと、まずそう訊かれた。もちろん、全員ではない。そんなことを訊くのは孤独な日々を過ごしたことのない人や、暗闇のなか孤独感に苛まれたことのない人だ。ところが1年もしないうちに、孤独はさほどめずらしい話題ではなくなった――いつの間にか、孤独が至るところに存在するようになっていたのだ。新聞でも取り上げられ、ラジオ番組でも話題にのぼった。孤独は全国的に蔓延し、イギリス政府には孤独担当大臣 1 まで設置された。こうして21世紀の初めに、私たちは「孤独のエピデミック」の真っ只中にいることに気がついた。 同時に、孤独に対する不安が、孤独をいっそう避けがたいものにしていた。孤独についての会話は伝染病のごとく広
私たちは人に国籍があることを当然だと思いがちだが、歴史的に見れば、それほど所与のものではない。国籍は喪失するし、剝奪されるし、再取得することもある。このように国籍は決して固定的ではなく、自分も無国籍になり得ると考えると世界の安定感は失われ、社会の秩序は相当違って見えてくる。 実は国籍の喪失は身近なレベルで発生している。例えば国籍の保持に何らかの条件がついている場合――継続的な居住であるとか、何歳までに国籍選択をするとか――条件を満たさなければ国籍を失う。日本国籍は、自らの意思で他国籍を取得したとき失われる。 より大きなレベルでは、内戦などで国家が解体して消滅し、その継承国家の国籍を得られなかったり、取得を望まなかったりした場合は、無国籍になる。その無国籍状態は、子どもにも継承される。かつてのインドシナ難民がよい例だが、内戦を逃れて難民となり、無国籍となった親から血統主義を取る国で生まれた子
古代ギリシャ・ソ連・デジタル帝国ヴィリ・レードンヴィルタ『デジタルの皇帝たち――プラットフォームが国家を超えるとき』濱浦奈緒子訳
アルツハイマー病の治療薬開発が大きなニュースになった。日米の医薬品メーカー、エーザイとバイオジェンが共同で開発したレカネマブだ。ただし、アルツハイマー病を「治療」できるわけではなく、その進行を遅らせるだけである。臨床試験では、プラセボ(偽薬)を使ったグループに比較して、18ヶ月の間に27%進行を遅らせることができた。こう書くとかなりの効果のように見えるが、あくまでも、認知症のスコアの悪化率が27%軽減されただけで、おそらくは患者やその家族が効果を実感できない程度だという。 そうであったとしても、治療薬がなかったことを考えると長足の進歩である。それに、効果があいまいであるとFDA(アメリカ食品医薬品局)による認可が問題視された、同じ二社によるアデュカヌマブよりは明らかに効果が大きい。いずれの薬剤の名前も語尾が「~マブ」になっている。薬剤には命名基準があって、「~マブ」は「~mab」、モノクロ
世界的ベストセラー『21世紀の資本』を発展継承する超大作『資本とイデオロギー』。1100ページを超える本書から、著者による導入部分「はじめに」の一部を先行してお届けします。 あらゆる人間社会は、その格差を正当化せざるを得ない。格差の理由が見つからないと、政治的、社会的な構築物が崩壊しかねない。だからどんな時代にも、既存の格差や、あるべき格差と考えるものを正当化するために、各種の相反する言説やイデオロギーが発達する。こうした言説からある種の経済的、社会的、政治的なルールが生じ、人々はそれを使って周囲の社会構造を理解しようとする。相反する言説の衝突──これは経済的、社会的、政治的な面をすべて持つ衝突だ──から支配的なナラティブがいくつか生じ、これが既存の格差レジームを強化する。 今日の社会では、こうした正当化のナラティブは特に財産、起業家精神、能力主義という主題をもとに構成されている。万人が市
WHOが感染症「サル痘」について、7月23日「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」にあたると発表しました。 この感染症について知りたいという方に向けて、2021年7月刊『疾病捜査官』のサル痘に関する記述箇所の一部を公開いたします。 著者のアリ・S・カーン氏は、米国CDCで国内外の感染症アウトブレイク封じ込めに長年従事してきた専門家。 本書では、以前ザイール(現・コンゴ民主共和国)や米国ウィスコンシン州で発生したサル痘のアウトブレイクに著者が対応したときの様子が記述されています。 私たち人間は、この惑星が自分たちの所有物であるかのようにふるまっているが、実際に物事を動かしているのは微生物や昆虫だ。感染症は、指揮官がだれなのかを私たちに気づかせるために彼らが用いる手段であり、それにはげっ歯類やコウモリなどの小型動物の力を借りることが多い。実際のところ、新興感染症の70パーセントから80パー
新型コロナウイルス感染症が猛威を振るい始めて早2年が経とうとしており、いまだに予断を許さない状況だ。各国政府は国民の生命を守るための対策を講じているが、一筋縄ではいかない問題がある。強力な感染症対策をとれば経済活動は停滞し、多くの国民の生活は危機にさらされる。一方、経済活動を重視して感染症対策をゆるめれば、多くの国民が病に苦しむことになる。 何を優先するか。身に降りかかる出来事や国内外の報道に触れるなかで、多くの人が大なり小なり考えたことだろう。 現代で大切にされている「自由」も、感染症対策にあってはどうしてもいくらか制限しなくてはならない。しかし、どこまでの制限なら許されるのか。この問いに哲学的に明確な答えを出すことはむずかしいが、どの国の政府も対策をとる際に必ず意識するものがある。それは憲法と法律、そして世論だ。いかに革新的な技術や方法があるとしても、法や世論を無視して強行することは、
磯野真穂「解説」抜粋をウェブ公開 H・J・ラーソン『ワクチンの噂――どう広まり、なぜいつまでも消えないのか』小田嶋由美子訳 磯野真穂 著者のハイジ・J・ラーソンは、カリフォルニア大学バークレー校で博士号を取得した人類学者であり、現在はロンドン大学のSchool of Hygiene & Tropical medicineの教授である。ユニセフやWHOといった国際機関のワクチン関連部門で要職を務め、また2010年には、ワクチンをめぐるグローバルな状況を捉えつつ、それをローカルな視点でも分析することを目指すワクチン信頼プロジェクト(Vaccine Confidence Project)を立ち上げた。 本文および彼女の経歴からわかるように、ラーソンはワクチンの効果に確信を持ち、それを人々に広めることを目指すワクチン推進派の研究者である。しかし彼女の言葉は、反ワクチン派を批判する論客に一般的にみら
著者のシュタングネトさんが、本書に収録するための文章「日本の読者へ」を寄せてくださったとき、一読して意外に感じた。本書はアイヒマンについての本であるのに、「アイヒマン」という語は一度しか登場せず、アイヒマン「について」の記述もないのである。しかし、本書の端々から聞こえていた著者の叫びのような声を思い起こして、とても合点がいった。つまりこの「日本の読者へ」は、本書を読了後に読んでいただいて初めて了解できる内容かもしれないし、そうでないと本書の主題が何なのかについて混乱を招きそうなのだが、敢えてここにほぼ全文を掲載したい――ドイツと同じく向き合うべき過去を持ち、歴史認識や学術の存在意義をめぐる問題を抱える日本の読者には、逆に本書へのユニークな導入になるかもしれないと期待して。 なお、シュタングネトさんは歴史家ではなく哲学者である。哲学者がなぜアイヒマンとドイツ現代史について書いたか。その理由も
感情を主題に人文・社会科学と生命科学を架橋する、歴史学研究の斬新な試論。 監訳者によるあとがきの抜粋(ほぼ全文)を以下ウェブでお読みになれます。 森田直子 本書は、Jan Plamper, Geschichte und Gefühl. Grundlagen der Emotionsgeschichte, München: Siedler, 2012(同書の英訳版は、Jan Plamper, The History of Emotions. An Introduction, Oxford: Oxford University Press, 2015)の全訳である。 著者のヤン・プランパーは、1970年に西ドイツで生まれ、ギムナジウム卒業後にアメリカ合衆国に渡って、1992年にブランダイス大学を卒業した。ロシア滞在を挟みながら引き続きアメリカで勉学を続け、スターリン崇拝についての博士論文を執筆
物理学者ロジャー・ペンローズ博士(オクスフォード大学名誉教授)が、ブラックホールの研究により2020年ノーベル物理学賞を受賞しました。ラインハルト・ゲンツェル(マックスプランク地球外物理学研究所)、アンドレア・ゲズ(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)両氏との共同の受賞です。 初めて一般読者のために書かれベストセラーとなった『皇帝の新しい心』、そしてそれに続く『心の影』を、ぜひ、あらためてどうぞ。 ロジャー・ペンローズ『皇帝の新しい心』林一訳はこちら ロジャー・ペンローズ『心の影』1 林一訳はこちら ロジャー・ペンローズ『心の影』2 林一訳はこちら 《AIは裸の王様だ》と喝破するこの主張を読んで、憤慨する人もいるだろう。だが、そう唱えるのは、他でもない。鬼才ペンローズだ。ブラックホールの存在を明らかにし、宇宙のビッグバンによって始まったことを解明したペンローズが語るとき、科学者たちは耳を傾け
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