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「もう死んでやるとか、小学生のときはマジで思ってました。いろいろな意味で生きていくのが苦しくて、とにかく家族の圧をすごく感じて。中学受験にも失敗しました。だからいつも怒りのような感情が心にありました。中学生のころからそれを吐き出すための言葉をときどき携帯のメモ機能に入れていたんですが、ある日その〝怒り100%のメモ〟を見返したら、すごく短絡的で稚拙に思えて、こんな感情をもっとうまく表現できないかな、と考えて辿り着いたのが小説で表現することでした」 樋口さんは二〇〇七年生れの現在十七歳、『泡の子』は初めて書いた小説です。 「怒りのメモ以外に、何かを思いつくたびに携帯のメモ機能に〝表現の断片〟として残してきました。それがたくさんたまって──三〇〇以上かな──テーマもトー横に絞られてきたので、断片と断片をくっつけて、不必要なところは省いて、いろいろな結末に向かっていたものをまとめていったら、最終
私の友人にみうらじゅんという面白い人がいて、彼はある時から「女性を傷つけないこと。子供を傷つけないこと」を最優先に生活し始めました。それまでの自分を反省し、どんどん家事に参加し、威張らず、子供が熱を出せば付き合い(それもかなり重要な)を断って付き添います。それどころか、誰か他のお母さんが駅の階段でバギーを持ち上げているのがしのびないと言って、時間があればしばし駅で周囲を見ているらしいのです。もちろん見つけたら手伝うために。「そこまでが当たり前」と言って。 そんな彼が昨年、私の似顔絵を変形して『あらいぐませいちゃん』というキャラクターを作り、イベントのグッズにさえ使わせてくれたのでしたが、数か月経ってよく聞いてみると「いとうさんは洗い物が足りないと思うんだよね。もっと洗わせてくれと自分からお願いするほど洗ってこその『あらいぐませいちゃん』なのに」と言う。つまり私が家事を多く分担するように、彼
ぼくはかぐわしいものが好きです。きらめくものが好きです。 それだけで、うんこみたいな扱いを受けてきました。 うんこみたいに扱われつづけると、いつの間にか自分でもうんこそのものに思えてきて、自分はくさい、きたない、不必要だと感じるようになるから不思議です。そうして絶望すらも感じなくなってゆくのだから、うんこはお利口です。 うんこのぼくは、男の子たちの輪になんて、ぜったいに入ってはいけなかった。近付くのさえいけない。なぜなら、そこはほとんど彼らにとって、あるいはぼくにとっても、聖域に近い場所だったからだ。 彼らは、そのなかを堂々と闊歩し、筋肉をぶつけあい、喉仏からぐおんぐおんおおきな声をだして笑いあう。そして、うっかりぼくみたいなのが入り込むと、スクラムを組んで締め出して、うんこの烙印を押す。 ぼくらは彼らの暗部であり、けっして触れてはならない恥部なのだ。そのことを徹底的にわきまえ、彼らの聖域
もっと知り、もっと考えるために。わたしたちが新しい「目」や「声」を獲得することで、少しでも明日が変わるように。「すばる」掲載時に話題を呼んだフェミニズム関連の記事を、随時公開します。
文芸批評を知るために、明治から現代まで── 現在、批評家として活躍する3人が選んだ、 いま読んで欲しい40冊。 選者:杉田俊介/藤田直哉/矢野利裕 坪内逍遥『小説神髄』(岩波文庫) 江戸時代から明治時代にかけて多く書かれていた通俗的な「物語」を批判し、「美術」(芸術)としての「小説」の必要性を高らかに謳い上げ、日本の文学を近代文学に改良しようとした野心的な一作というのが本書の通説である。が、「小説」の新しい価値を謳い上げ、たとえば「模写」が芸術性を持つことを説得するために、その根拠として西洋の文学史や「自然淘汰」などの科学を用いている点には注意が必要であろうか。このように論じることで彼が小説を改良しようとした苦心と誠実さと、同時にここで日本近代文学が抱え込んでしまった屈折も、丹念に読まれるべき一冊。こんなに立派なことを述べたくせに、実作『当世書生気質』前編の末尾が「ポカ。須「我」ポカ。須「
選考委員 奥泉光 新人に限らず、作家に期待されるのは、小説なるものの通念に捉われぬ「文」の力の貫徹であり、「なんだこれは?」と読者をして呟かせるような作品を書くことだ。どんな方向でもよいから徹底的なものを待つ。 金原ひとみ なんか面白いもの書けちゃった。そんなノリで送ってください。 川上未映子 遠いものでも近いものでも世界のどこが何が書かれていてもよいけれど、あなたの作品にしかあらわれない角度や光景を読ませてほしい。それはあなたが書かなければ存在しない世界のさまざま。 岸本佐知子 小説とは、頭蓋を内側から圧迫してここから出せと叫ぶ力。以前訳した小説の中に出てきた、忘れられない言葉です。醜くても変てこでも臭くてもかまいません。頭の中の、そんなものを見せてください。 堀江敏幸 小全力で書いたというのではなく、全力で書かれてしまった、と考えるしかないような文章のあつまり。書き手の気持ちの壁を越え
ブコウスキーの墓には「don’t try」と刻まれている。自分のことばにかえるなら「やめとけ」かな、と写真をみて何日かして思いがまとまった。そのあとで彼の詩からとっていることを知らされ、やりなおし。言語をまたぐことのむずかしさを楽しんだ。日本語の「……に会ってみる」とか「……と話してみる」「……をやってみる」といった、動詞のあとに「みる」をつける言い方。そこには現実の世界へ立ちむかうときの態度があらわれている。リハーサルに似た「試し」の希薄感がブコウスキーにはたまらない。「会ってみる」のではなく「会う」だ。「話してみる」のなら話すな、話すならただ「話せ」。ということで、時間にたいする不道徳を戒めているととろう。そうすると、素直に「試すな」とするのがよさそうだ。もっとすすめて「まじめにやれ」もいい。「ふざけるな」も悪くない。この写真はシアトルの市場の魚のコーナーで。撮ってみた、ではなく、撮っ
すばる8月号 紀行特集 すばる散歩部 藤沢周、モブ・ノリオ、横田創、藤野可織、羽田圭介が思い思いの地を散歩する 伏見憲明「爪を噛む女」 団地に住む介護ヘルパーの貴子は、人気ミュージシャンになった民子と20年ぶりに再会し、住む世界の違いを思い知る 雨宮処凛の新連載小説 「ユニオン・キリギリス」がスタート。ひきこもりのカナはひょんなことから「労働組合」に参加することに 新連載 ユニオン・キリギリス 雨宮処凛 小説 桜草団地一街区 爪を噛む女 伏見憲明 巻頭エッセイ 永遠の故郷 吉田秀和 対談 言葉の「湯気」に耳そばだてて 唐十郎 吉増剛造 ボストン大学講義録(1) 鑑か鏡か アメリカ文学は日本でどう読まれてきたか 柴田元幸 評論 『ユリシーズ』を読む――100のQ&A(9) 結城英雄 紀行特集 すばる散歩部 佐渡 トランスポーター 藤沢周 大阪・阿倍野 〈あべのグラウ
一、応募原稿は、未発表小説に限る。(同人雑誌、インターネット上などに既に発表したもの、及び当文学賞の発表より前に発表予定があるものについては、選考の対象外とする) 一、枚数は四百A4字詰原稿用紙で百枚程度から三百枚までとする。原稿は、一行三十字×四十行を目安に判のマス目のない紙に縦に印字し、四百字換算枚数を明記する。手書きの場合は四百字詰原稿用紙を使用する。 一、必ず通し番号(ページ数)を入れて、右肩を綴じる。 一、一枚目にタイトル、氏名(本名)および筆名、住所、電話番号、年齢、職業と簡単な経歴を明記する。 一、受賞作の出版権、及び映画上映権などの諸権利は弊社に属する。
「なんなんだ、この漫画は!?」という衝撃。浅野いにおさんの漫画『おやすみプンプン』のページをめくると、そこには鳥のような顔、照る照る坊主の体、そこから伸びる棒状の手足。小学生の主人公、プンプンはまるで落書きだ。確かにそんな漫画のキャラクターは他にもいるだろう。しかしこの漫画の驚くべきは、プンプンが緻密に書き込まれた背景とリアルに描かれた人間たちがいる街の中にポンと放り込まれているところにある。我々読者にとっては落書きに過ぎない彼が、漫画の中では極めて普通の子供として扱われる。 「二〇〇七年に連載を始めた当初は『何かしら可能性を感じる!』という程度の考えだったんです。それが十話目を過ぎたあたりから、プンプンは記号的な方が読者の感情移入を自然に促すんだなということが分かってきました。ストーリー自体が極端に日常的だから、仮に普通の少年の絵で描いていたら、顔のイメージが違うとか、こんなセリフは言
二つの世紀の変わり目にいる現在、六十余年間にわたる<昭和>とその文学を俯瞰する作業をしておくことが必要だと、私たち「すばる」編集部は考えた。 作品を通して近代日本を追及し続ける井上ひさし氏。斬新な視点で文学史を再構築する小森陽一氏。両氏を主人(ホスト)役に、毎回、主題にふさわしい時代の知性(ゲスト)を招き、従来にない「読んで面白い」文学史を示したい。 井上ひさし 1934年山形生れ。上智大学卒。「ひょっこりひょうたん島」などNHKをはじめ放送作家を経て「手鎖心中」で直木賞受賞。小説、戯曲を手がけ、劇団「こまつ座」の座付き作家を務める。代表作「吉里吉里人」「不忠臣蔵」「東京セブンローズ」「人間合格」他多数。 小森陽一 1953年東京生れ。小学校時代、父親の仕事の関係でチェコに滞在。ロシア語学校へ通う。北海道大学大学院博士課程修了。成城大学、東京
ヴィクトル・ペレーヴィンは、現代ロシアでカルト的な人気を誇る作家である。一九六二年生まれ、モスクワ在住。もともとは電子工学を学び、飛行士の訓練も受けていたという。SFに近い「風刺的・哲学的幻想小説」とでも呼ぶべきジャンルの書き手であり、一九九○年代前半にSF関係の文学賞を何度も受けた。既成「純文学」文壇の狭い枠組みをはるかに越え、若い世代を中心に広範な読者の間で強い支持を受けているという意味では、日本の村上春樹にも多少似た存在と言えるだろう。いや、私の印象では、村上春樹の上品なファンタジーに、キッチュを恐れない島田雅彦の「毒」を加味したような、そんなパワフルかつ神秘的な作家である。いずれにせよ、新作が出るたびに一種の「文学的事件」となるような作家は、現代ロシアの文壇では彼のほかにそんなにいるわけではない。 その彼が国際交流基金の文化人招聘プログラムで、今年の三月末にお忍びで来日した。「お忍
──イスラームと西欧的資本主義は今後どのような関係に置かれるのでしょうか。今後は異なる価値観が並立していく、ということもよく言われますが……。 中沢 現実には、イスラームはグローバリズムに対抗する生命力を失い始めている。だから現在の事態が起こっているわけですね。イスラームの原点に返ろうと考えている人たちは、いま徹底的に追いつめられている。僕はその人たちにエールを送りたい。日本のように異なった価値観が共存する多神教的な論理を世界中の人がもてば、問題が解消するという人がいます。あれは一神教が引き起こした問題なんだと。しかし、それでは現在の最大の問題である資本主義に向き合う思想にならない。多神教論理では資本主義に対峙できない。この本で取り上げたように、イスラーム的な一神教と神話的思考の両方が必要なんです。 ──文中にミシェル・ウエルベックの名前が出てきますが、一神教の問題は、彼が小説『素
後藤明生「挟み撃ち」 日時:2009年1月24日(土) 18:30開場/19:00開演 料金:2000円(全席自由)
「すばる」二〇〇九年十一月号掲載予定 なお授賞式は二〇〇九年十一月中旬になります。 一、応募原稿は、未発表小説に限る。(同人雑誌などに既に発表したもの、及び当文学賞の発表より前に発表予定があるものについては、選考の対象外とする) 一、枚数は四百字詰原稿用紙で百枚程度から三百枚までとする。ワープロ原稿は、一行三十字×四十行を目安にA4判のマス目のない紙に縦に印字し、四百字換算枚数を明記する。 一、必ず通し番号(ページ数)を入れて、右肩を綴じる。一枚目にタイトル、氏名または筆名を明記する。 一、原稿の末尾に、住所、電話番号、氏名(本名)、年齢、職業と簡単な経歴を付記する。 一、受賞作の出版権、及び映画上映権などの諸権利は弊社に属する。
「すばる」2021年9月号 島田雅彦「時々、慈父になる」。三十歳を迎えた私に子ができた。湾岸戦争の最中、生まれる時代を選べない子どもは幸福を享受できるのか。漠然とした不安を抱える私はいかにして「父」になったのか?「君が異端だった頃」に続く自伝的小説、待望の新連載! 須賀ケイ「君の世界にぼくが生きられるなら」。人気ユーチューバー・葡萄ちゃんが生配信中、突然画面から消えた。チャット欄は心配するファンの声で溢れ、ぼくがファン代表として助けに行くことに。短編小説。 角幡唯介「裸の大地(第二部)」。前年、北極での狩猟漂泊旅行の中で、犬橇が開く冒険の可能性に思い至った角幡氏は、ついに犬橇を始めることに。最初の5頭を買い集め、訓練しようとするも、個性豊かな犬たちは思うように走らない。前途多難な挑戦が幕を開ける。 水村美苗「母語で書くということ」。国際シンポジウム「プルースト―文学と諸芸術」での講演を載録
小説 桜木紫乃 兎に角 石田夏穂 小人二十面相 上村亮平 熾火 特集:読書計画2025 対談 朝井リョウ×三宅香帆 読書に必要なのは三つの余白 西村紗知×袴田渥美 自分ひとりの「読み」のために インタビュー 笹沼颯太 本を読む世界を譲り渡す エッセイ 小山田浩子 本棚 奈倉有里 最初に読めなかった本 斜線堂有紀 「一生やろうよ文学フリマ、そしたら一生書くからさ」 大田ステファニー歓人 みんなの読書 論考 千木良悠子 橋本治を読んで「本の読み方」を考える 宮崎智之 エッセイを批評する 新連載 赤坂憲雄 宮崎駿の詩学──アニメ的想像力を物質化するために すばる海外作家シリーズ 索南才譲 辛哈那登にて(訳・解説/趙子璇) インタビュー 索南才譲(聞き手・構成/編集部) 連載 松田青子 ポリゴナムの集会室(7) 滝口悠生 透波と乱波(14) 江國香織 外の世界の話を聞かせて(22) 姜尚中 岸信介
四六時中うつろな顔で携帯の画面を見つめ、電車の中で化粧に専念し、「ゆとり教育」の弊害で学力が低く、視野が狭くて仲間や目の前の快楽にしか関心がない――いまどきの十代の女の子と聞くと、ついそんな紋切り型のイメージが頭に浮かんでしまうあなたに、ぜひご紹介したい十九歳がいる。集英社新書の最年少執筆者、岡崎玲子さんである。 一九八五年、兵庫県生まれ。三歳半から八歳までカリフォルニア州アナハイムに、その後中国の広州市に在住。帰国後、浜松市の公立小学校六年生で英検一級取得。同市の公立中学校一年生でTOEFL670点、二年生でTOEIC975点を獲得し、国連英検特A級も取得する。二○○○年、全米で三本の指に入るプレップスクール、チョート・ローズマリー・ホール校に奨学金つきで合格し、中学三年生の九月に二年生として入学、二○○三年六月に優秀な成績で卒業した。この体験をリポートした『レイコ@チョート校』(
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