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衆院選
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問題が明らかになるにつれてわかってきたことは、ジャニー喜多川の権力の大きさだろう。全国から履歴書を送る子どもたちに直接電話をかけて、呼び寄せる。子どもたち少年たちは「スターになる夢」のために参入する。そこで性暴力を受けるが、親にも周囲にも言えず抱え込む。 典型的な性暴力、セクハラの構図だ。ある種のセクハラは、性暴力と引き換えに「エサ」を与える。「#MeToo」で明らかになったハリウッドの女優たちの場合もそうだ。権力を持つプロデューサーの性暴力を甘受する代わりに、役を提示され有名になることを保証される。私はこの構図はものすごい暴力性を持っていると思う。女優になりたい、アイドルになりたいというのはそのひとが自分の表現によって他人から承認を得て何らかの価値づけを得たいということだろう。あるいはそれと少し違って、何かを伝えたい、それによって社会に何らかのインパクトを与えたいということかもしれない。
この2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻によって何かが始まったような直観がある。何かが明らかになったのだが、それを覆い隠すイデオロギーにより歪められた形で人々に伝わっている。それも含めて、新しい枠組みが形成されたように感じる。それは何だろうか。 フレイザーが以前から指摘している「保守反動対進歩的なネオリベラリズム」がその大部分を説明してくれる。当ブログでも紹介したが、その構図は「トランプ主義対アメリカ民主党的勢力」と解するのがわかりやすいだろう。このフレイザーの論の核心は、問題がわかりやすいトランプイズムについてよりも、それに抗するように見える民主党勢力を「進歩的なネオリベラリズム」と断じているところにある。フレイザーの批判はむしろこちらの勢力に向けて注力されている。数十年間にわたって経済を金融化させ、労働者の生活を悪化させたネオリベラリズムの大きな担い手として民主党に代表されるリベラ
日本ではセックス・ワークの問題は、十分に共有されていません。ですがフランスなどの欧米はもちろん、アジアでも議論がたくさん行われ、運動も活発です。日本では90年代に論争が一部で活性化したものの、その後の深化が進んでいないのはとても残念です。また、現在、セックス・ワークを禁止しようとする動きが世界的に広がっており、日本でもその波が見られることをわたしは懸念しています。 今回紹介するのは、2016年にフランスで買春禁止法が成立しましたが、それをめぐって現場にどのような影響があるかを調査した研究者の報告です。この法をめぐってフランスのマスコミ上で大きな議論が巻き起こり、またもちろん当事者の反対運動も行われました。 ちなみに日本では既に売春防止法という法律があり、それによって売春は原則禁止されていますが、風俗営業法によって類似行為が事実上認められている状態です。私見ではこれは非常に国側が管理しやすい
本の書評ですが、この評自体が今のフェミニズムと社会を鮮やかに浮かび上がらせるものになっていると思います。 最近、フェミニズムに関してやや新しい(かのような)スタイルで語るパターンがあって、「やわらかい」とか「ソフト」とか「楽しい」とか良さげなキーワードで、「これまでのフェミニズムとは違うもの」を売りにする語り口が増えています。男性を攻撃しない、とかおしゃれやファッションを軽く楽しむ、とかの語りが付随します。これは誰かが何かを主張していると言うよりは、なんとなく「フェミが流行ってるらしい」とにおわせるようなやり方です。そしてそのフェミというものが何を意味しているのかはよくわからないまま。 例えばディオールが高いTシャツに「WE SHOULD ALL BE FEMINISTS」と書いたとか、追っかけでGUも「I am a feminist」と書いた安いTシャツを売った、とかは分かりやすい例。(
ナンシー・フレイザー(Nancy Fraser)のインタビュー記事(2016)を翻訳しました。原文はここです。 「ケアの危機」とは現在私たちが直面している構造的な問題です。ケアを代表とする家事や子育て、介護などの「社会的再生産」がどんどん民営化・商品化され、私たちの生活が切り縮められている状況のことをいいます。このインタビューでは、その歴史的背景の説明や様々な大事な論点の解説があります。ケアといえば今は子育てや介護という私たち個人が家庭で日々直面する営みが議論されますが、それにとどまらず、公的な教育費の削減や福祉・医療の民営化なども大きな問題です。もちろんアメリカや欧米だけでなく日本も、というより日本は特に深刻に直面している課題です。 要約すると、近代史は、19世紀の自由資本主義→20世紀半ばからの国家統治型資本主義→現在のネオリベラル資本主義、という3段階に分けられます。それぞれの段階で
バトラーの翻訳なんてわたしなどにはハードルが高くて、他に訳してほしい方々がたくさんいらっしゃるんですが、非常に刺激的な内容で、ついつい恐れながらやってしまいました。多分これまた誤訳がたくさんあるのではないかと思います。ご指摘いただければたいへんありがたいです。 バトラーについては説明は要らないかと思います。インタビューは2016年の10月に行われています。ドイツのサイトのものなので、ドイツの政治状況についてが多いですが、アメリカの占拠(オキュパイ、99% etc)の運動やトランプについても語っています。インタビュアーとのかけ合いというか、インタビュアーがおそらくわざとたたみかけるような質問をして、バトラーがそれに対して否定したり肯定したりして議論が深められていくのが面白いです。 欧米で激化するレイシズムがメイン・テーマになっています。フレイザーのテキストについても言えますが、フェミニストと
ネット上でまた上野千鶴子さんの発言について話題になっています。わざわざ取り上げるのもどうなのかなと思っていたのですが、議論のテーマ自体は日本における移民問題ということで、重要なものです。このテーマで、フェミニストのスタンスがひとつに代表されてしまったらよくないので、ひっそりと書いておくことにしました。 この記事自体、そもそもの趣旨がよく分からず、「建国記念?」「司馬?」「日本人?」それでなんで移民問題?とよく分からないことだらけなのですが、紙面ではもっと説明があったのでしょうか。そしてなぜ上野さん?移民問題についてとくに研究成果のある方ではありません。ちょっとやっつけ感のある記事なのですが、とにかくいろいろ問題があるということで批判がなされ、その中でも下記の移住連さんが公開質問状を出されました。 わたしはこれまで研究テーマの一つとして「ジャパゆき」現象についてわずかではありますが取り組んで
マクロビーに続いてナンシー・フレイザーのトランプ論を訳しました。こちらはマクロビーより立場を明確に打ち出している、フレイザーらしい論評です。今年1月2日付で公開されています。 前回のフレイザーのインタビューでも見られましたが、トランプの勝利を、ネオリベラリズムで被害を被ったひとびとに支持された結果と解釈しています。そしてその勝利は「進歩的ネオリベラリズム」の敗北でもあると。進歩的ネオリベラリズムとは、グローバルな金融資本主義と「多様性」や「エンパワメント」といった言葉を唱えるエリートたちの結合、を意味しています。本来「多様性」や「反差別」といった言葉は、全ての人々のための理想でしたが、現在ネオリベラリズムに利用されて、能力主義や企業中心主義のための言葉になってしまっているとフレイザーは考えています。これはフレイザーが従来から批判しているフェミニズムの変質と深く関わっている重要な論点です。
アンジェラ・マクロビーのネット上の寄稿を訳しました。マクロビーはイギリスのメディア研究のフェミニストで、日本ではカルチュラル・スタディーズの分野で知られています。 彼女は、本文中でも触れられている『the aftermath of feminism』が大変面白いです。それは2009年の本なのですが、今回訳出したテクストは2016年11月公開のものなので、今日本でも話題沸騰(・・・)しているトランプ米大統領についてがメインの話題となっています。 トランプ氏については、日本で語られるときは移民排除や人種差別の問題について批判されることが多く、女性差別についてはネタ的に、「こんなこと言ってるよ〜」みたいなノリで語られがちな印象がありますが、そうではない深刻な問題が横たわっていることを論じています。ヨーロッパ、アメリカだけではなく日本も含め、女性に対する抑圧や暴力が増大しており、にもかかわらず十分
フレイザーのインタビューを訳しました!スペイン語の評論サイト『CTXT』上に、2016年4月20日公開されたものです。原文は↓ 前にこのブログでご紹介したもの(ココ)は、フェミニズムの意味について論じられたものでしたが、こちらはもっと長く、テーマも広汎にわたっています。現在が主に承認の時代にあるというフレイザーの従来からの主旨に加えて、戦後からの世界的変化について分かりやすく論じている冒頭のところは、承認と分配の理論についてご存じない方にも取っ付きやすいと思います。そしてこのインタビューの意義のひとつは、承認と分配に加えて、最近導入している「Representation 表象/代表」の概念について説明している点です。 そしてタイトルにもなっているアメリカ大統領選についての論評は、もっと早くにご紹介できたら・・・と悔やまれますが、今読んでも価値は大きいものと思います。クリントンがトランプに負
反婚について書きます。 世の中同性婚に向けていい感じの雰囲気のようです。もちろんそれほど社会的に認められ、日本でも実現!というほどのものではないですが、各地の自治体で同性パートナーシップに関する条例が作られ、「同性でも結婚できていいんじゃない?」というゆるい意識が広がりつつあるのではないでしょうか。 ただ、わたしは、賛成している人の多くは積極的に絶対同性婚認められるべき!という強い意見というわけではないだろうと思います。多くの人は同性婚そのものというより、同性婚が認められたらLGBTの可視化も進み、平等になるだろうという思いから賛成しているのではないかと。 確かにそれはそうかもしれない。じっさい、LGBTのメディアでの報道は増えてる(その一方で未だテレビのお笑い番組などではセクシュアル・マイノリティを差別しているのか?というものも多くてうんざり)。また、現実問題として自分の親や親戚に同性パ
朴裕河さんの著作の問題についてどうやって書こうかと悩んでいましたが、納得できる声明を出してくださる方々がいました。 韓国の研究者を中心としたものですが日本にも呼びかけています。 この間の動きで混乱している方、ご覧ください。 「反省」の言葉で締めくくられていますが、このような事態にまでいたるような状況を作ってしまったのは日本社会の側、日本の「知識人」の責任が大きいですよね・・。本当に残念です。 ※先行して異なる立場から、日本の研究者らが起訴に反対する声明を出しています。わたしはこちらの声明はたいへん判断が難しいものだと思います。ただいえることは、『帝国の慰安婦』がもっている危険性について十分に認識できていないのではないかということです。起訴という国家権力の行使についてはわたしも慎重になるべきだとは思いますが、該当書籍が被害女性たちの心を深く傷つけた−−−−−そのような陳腐な表現しか出てこない
渋谷区のいわゆる同性パートナーシップ条例の件が大きく取り上げられている。東京レインボーパレードが4/26に開催されたこともあり、盛り上がっている。パレードも渋谷の条例を意識した演出が多かったようだ。 こんな雰囲気の中で違ったことをいうのはためらわれるが、わたしはこの盛り上がりに危惧している。 もちろんほかにもこの条例に批判的な声はあるが、それは「同性婚や同性パートナーシップの公認自体には賛成だが、今回の条例は進め方に問題がある」というものだ。条例を推進した議員が、渋谷区の野宿者排除や「ナイキ公園」設立を推進したのと同一人物であるということが指摘されている。また、条例で定められるパートナーシップの認定手続きに高額な費用がかかることや、実質的に認定されることのメリットは小さいことなどが批判されている。ただし、これらの批判にしても「本来の正しい手続きにのっとった同性婚や同性パートナーシップ」であ
フレイザーの議論に関連してまず一言書きたいと思います。わたしはこの主張が、現在のジェンダー・セクシュアリティを考える上で非常に重要な内容だと考えており、いくつかのところで紹介してきました。そのなかで思ったことについてです。 このフレイザーの主張に対して、「フェミニズムを批判するもの」と捉え、否定的に対応された経験が少しありました。それは、ジェンダー・セクシュアリティに関連する研究者からです。 近年、日本のフェミニズム研究が以前と比べて新しい議論が少なくなってきているのは、この反応に代表されるフェミニズム研究界の問題があると思います。 まあもちろんこのフレイザーの論考を読んで下さる方の多くは研究界には直接縁のない方も多いでしょうから、こんなことを書くのは野暮なのですが、実は研究界に止まらない重要な問題点を含んでいると思うので書いておきます。 それは、フェミニズムがひとつの「正義」や「権威」に
アメリカの社会主義フェミニスト、ナンシー・フレイザーの文章を訳したものを紹介します。 これは「The Guardian」のサイトに寄稿されているものです。2013年10月に掲載されたようです。翻訳に間違いがあるかもしれません。ですが、非常に重要な議論をしています。多くのひとに読んでほしいと思うのでここに紹介します。 できるだけ原文にあたってもらうことをお勧めします。(→ココ) ただこの主張自体は、以前からフレイザーが論じているもので、ここでは簡略化したものが寄稿されています。日本語に訳された論文もありますので、関心のある人は、CINIIで検索して読むといいと思います。 なお、掲載にあたっては著者ご本人の承諾をいただきました。ありがとうございます。 ※1/6 ご指摘をいただき、第4段落「with the benefit of hindsight」の訳を直しました。 ※ほかにも読みやすいように
ある文章を紹介します。エミー・スエヨシさんというサンフランシスコ州立大学の研究者のものです。同性婚の運動を批判したもので、もとは2009年に書かれたものですが、アメリカで同性婚が認められた今、この批判はさらに大きな意義を持っていると思います。 日本では、アメリカと当然ながら背景がかなり異なりますので、すぐに当てはめることはできません。ですが、LGBTの運動が大きくなりつつあり、政治家や企業との関連が目立つようになった昨今、エミーさんの批判が同様に生きる部分があるように思います。 同性婚の主張は分かりやすく、マジョリティに訴えかけやすいです。ですがその後ろで見落とされる問題も大きい。結婚制度は、基本的に今の社会のありかたの中にあるもので、マジョリティーマイノリテイを生む構造に逆らうものではありません。個人の財産を守る制度が結婚なのであり、逆に言えば守るほどの財産を持っている人、多くの場合は人
上野千鶴子氏のネット上の記事(インタビュー?)が一部で話題になっているようだ。上野氏がツイッターなどネット上で批判されていることは今までもよくあったが、私はスルーするようにしていた。というのは、上野氏はネットが普及する以前から(文章や発言に対して)毀誉褒貶の大きい人で、また言動自体が極論をあえて言うことで注目を浴び、批判も込みで騒がれることをねらっているようなところがあるから、わたしはあえて言及することでその戦略に乗りたくなかったのだ。10年ほど前に論文上で彼女のスタンスを批判したことはあったし、まあもういいかという気持ちもあった。何よりフェミニズム内部で対立するように見えれば、フェミニズムの戦略上良くないだろうという判断もあった。 だが、ここ近年のフェミニズムの凋落(?)ぶりを見ると、かえってそういう内部批判による変革の欠如がフェミニズムの後退に一役買ったのだろうかという疑念が強くなって
昨日のエントリは、入試の件について書きたかったというよりは、同じ京大で起こった別の事件について書こうと思ったのがきっかけだったのです。ツイッター上ではさんざん報じられてますが、union extasyのテント強制撤去未遂の件。(エクスタシーのブログ参照) 入試問題で過敏になった管理者が、テントが目立つのを忌避したのか、強制撤去しようとしたところ、学生たちが抵抗して、理事と直談判した結果、その位置に在ることを認められた(補足:認めたのは施設管理関係の管理職の方らしい)。 エクスタシーを支援しているわたしとしても他人事ではなく、固唾をのんでw見守っていたが、とりあえず落ち着いて良かった。まあ5年条項や均等待遇の件自体はちっとも解決してないんだけど、あそこにテントがあって、色んな問題の駆け込み寺みたいになっていて、まあ駆け込み寺といっても逃げこんだひとの問題が自動的に解決されるわけではもちろんな
『外泊』とは、韓国の女性非正規労働者を撮ったドキュメンタリー映画です。関連サイトはこちらとこちら。 ホームエバーという韓国大手スーパーマーケットが、2007年6月非正規保護法の施行を前にして、法を逃れるためにパートのレジ係を大量解雇しようとした。韓国でも、日本と同様スーパーのレジで働いているのは中高年の女性が多いようだ。彼女たちは反発して、ストライキを始める。職場であるスーパーに泊まり込みを開始、これが結婚以来、彼女たちにとって「初めての外泊」。 先月末から今にかけてキムミレ監督が来日しており、全国各地で上映会が行われた。わたしも岐阜での上映会に関わった。 今回観たのが2回めで、前回より理解が深まったように思う。 この映画は映像が、過剰な解釈なしに、ポンと差し出される。ナレーションは必要最低限の説明しか入れない。急激に変化していく闘争500日間の経緯を追っていくだけでも大変だが、シンプルな
しばらくWAN問題について書かないうちに、展開は新しくなっているし、言及しているブログも増えてます。 理事会から会員宛に文書が出され、署名サイトで読めます。この文書はいちおう会員宛なのでここで触れていいのかどうか分りません。ですがひとつだけ記しておきたいことがあります。 文書の後半は、遠藤さんについての記述で、それがひどい書き方です。わたしは読んでいていたたまれない気持ちになりました。まるで遠藤さんが非常識な、誰に対しても攻撃的な人物であるかのような書き方で、それが今回の退職勧奨の一因であるかのように読めます。理事は被害者のようです。 ですがまず多くの人に伝えたいことは、労働争議において、このように使用者側が労働者を攻撃する、人格を非難する言説を流すのはよくあることだということです。以前関わっていたユニオンでは、長年運動していた労働運動家の女性がいて、そのひとは周りからずっと裁判を進められ
教育は常にフェミニズムにおいて重要な意味を持ってきた。『教室から編みだすフェミニズム』(2023年、大月書店)はこの教育にまっすぐ向き合い、さまざまな問題を抱えている学校の中でどのようにフェミニズムを育てていくか熟考している。フェミニスト・ペダゴジーを受けた上で、ポストフェミニズム、フーコー、ベル・フックス、情動理論等を駆使して練られた問いをともに考えるきっかけとしたい。
署名効果か、この問題についての輪がどんどん拡大しているように思います。 問題の所在を知る人も増えているし、この問題をめぐって 思いを重ねる輪も増えている。 なにがしかの思いを伝える人も増えている。 いっぽう、沈黙を決め込む人も増えている。 やっぱり、いちばんの難しさは、相手はフェミニストだということですね。 はっきりいって、この争議の相手方が、普通の、民間企業の 経営者だったら、こんなに複雑なことになってない。 もっとシンプルに、突然の外注おかしい、交渉中の退職勧奨許すまじ、という ことで終わっているのでは?? そうではなくて、労働者側を支援する側にも多少の躊躇と迷いが生じ、 支援しない人にも気持ち悪さが消えないのは、相手が単なる普通の 経営者ではなく、NPOで、しかもフェミだから、だと思います。 また、この問題に興味を持つ誰しも、この社会でフェミニズムを掲げることの 難しさを知っているか
それでですね、気になっていることがありましてそれはユニオンWANの争議です。 女性関連のNPOで、雇われていた友人が労働条件の不利益変更、さらに今では退職勧奨にあい、闘っています。 友人というのは、もう名前が出ているからいいと思うので書きますが遠藤さんで、大学の先輩で、その後労働運動界隈で再会(?)し、京都のボスとわたしが言っているひとです。 WANというのはフェミニズムを掲げ、日本のフェミニズムのポータルサイトを作っている団体です。理事には、ジェンダーやフェミニズムに関心のある多くの方々が知っている大学教員の名前が挙がっています。 遠藤さんはウェブマスターとして雇われていたのですが、昨年12月に突然、その仕事の一部を業者に外注するから、労働時間および時給を下げますといわれたそうです。そういわれても困るので交渉を始めたところ、退職勧奨をされています。 詳細は以下のブログにあるのでご覧くださ
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