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ドラクエ3
uchikoyoga.hatenablog.com
先日、昭和45年に『諸君!』に掲載された「革命哲学としての陽明学」という三島由紀夫作の、講座の書き起こしのような文章を読みました。 三島由紀夫はものすごく昔の人に感じるけれど、それは自分が生まれた時にはこの世にいなかったからで、ご長寿ならまだ生きていてもおかしくない年齢(生きていれば今95歳)。亡くなったころの文章を読むと、これがどうにもおもしろい昭和のマッチョなおじさんです。 その雰囲気は自分が新卒で入社した頃の会社の中年男性に受け継がれていた雰囲気に通じるもので、肌観として多少は知っているだけに完全には嫌いになれない、そういう雰囲気。 思い起こせば90年代。わたしが新卒で就職した会社は隔週週休二日制で、階段の踊り場に喫煙所がありました。会社の中年男性は新卒社員にとって親戚のおじさんのような存在。年の近い先輩男性にちょっかいを出されても雑談まじりに中間管理職の人に「嫌がっていたと言ってほ
ここ一か月の間、この感じはなんだろう…と考えることがありました。 嫌な人と自分が重なってつらい。この人と自分は同じと思うとつらい。この人はただエネルギーのあるちょっと器用な人ってだけじゃないか。外から落ち着いて見ると、そう見える。目先のことに注力してそれなりに結果は出たけれど、得たものは幻影のようなもの。そんなふうに他者と自己を重ねて振り返る時間がありました。 このセルフ・サンドバッグ的回想をもう少し深堀りすると… その人の行動力の源は漠然とした上昇意欲と獲得意欲。エネルギーが純粋に生き方と結びつくことはなく、あざとさに似た器用さで脳と心身を効率的に稼働させる。怠惰ではないという意味で第三者からは努力家に見えるけれど、なんのこたぁない、輪っかが回れば走るハムスター。輪っかを回しているのも自分。 目標を達成しても空虚感に襲われるのは、根本的に苦悩を避けているからではないか。そんなふうに思えば
半年ほど前に「おすすめのインド哲学クラスを聞かれても、むずかしいなと思うこと」というのを書きました。 これは、ヨガクラスの後にいただいた質問をきっかけに、その話をしようとすると小一時間かかると思ったことを文章化したものでした。 そしてそのとき、おすすめの本なら紹介できるかな…と思ったのですが、ここ一年くらいでヨガをしている人から聞いたいろいろな話が頭をよぎりました。なんだか年々、わざわざヨガをヨーガにして高尚なものにすることで、かえって日常的な練習から遠ざかってしまう、そいういうプレッシャーのようなものを感じている人がいるような気がして。 今日はそんな背景もふまえつつ、このブログで紹介したことのあるもののなかから特選で10タイトル選びました。 気づいたらこのブログは本の紹介だけで1000記事以上になってしまっていますが、わたしがそらで言えるものを脳内データベースから拾い上げています。今日紹
この本を読みながら何度も「あなたは、わたしか」という小さなつぶやきが浮かぶ。こんなに引き込まれる内面の吐露が、これまでにあっただろうか。そんな気持ちで読み終えました。 言葉や文章に塩分濃度のようなものがあるとしたら、体液に近い配分で書かれた言葉という感覚。わたしは毎日鼻うがいをするのですが、日々カンで入れている塩の加減が今日の体調に合う塩分濃度になったときのような、そういう心地よさ。 冒頭からいきなり、もうそこは考えるとしんどいから麻痺させてしまおうとする癖がついている「いつもの、あの場所のかさぶた」をぺろんと剥がされる。 人は、自らの欲望に従ってしか他人に対して働きかけることができないのだろうか。(プロローグ より) 「だって、そうでしょ」というユダヤ人の知恵みたいなやり方では、どこかさびしい。そう、わたしは実際そこにさびしさを感じているのだ。という自分に向き合うきっかけを与えられた。
このシリーズは「友人が人間摩擦でお疲れの様子のときに差し出す本リスト」に入っているので、これまで紙の本を買っていたのだけど、今回から電子にしました。わたしの数少ない友人で本の話をする2名が両方Kindleユーザーになったこともあり。 過去分も、とくに「常識にとらわれない100の講義」をよく読み返します。お疲れの友人に差し出す一冊は、今でも叶恭子さんかこれかの2択。 今回は、「残念」という表現について書かれているトピックがあり、そこに それでも、「悲しい」「残念」といった自動詞を使うのは、「相手に直接文句は言わない我慢強い私」を演出したいのだろう。 (自動詞で非難する奥床しい日本人 より) とありました。 わたしの感じるこわさ(まえにnoteに書きました)とは角度がちがったけど、なるほど。こっちの使い方のほうが日常的に多そう。こういうひっかかりは、他人に話すと「言葉尻をとらえる、めんどくさい
ヒクソン・グレイシーがべらぼうに強すぎる、負けない試合をテレビで観てきた世代ですが、まあすんごいヨギさんなんです(参考)。 この本を読んで、そのヨガのルーツが「超越瞑想を母親がやっていた」ということを知り、びっくり。TM瞑想ともいわれる、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーさんのアレです。(参考:ビートルズとヨガのまとめ)そりゃ、心もまとまるわ! 自伝的にかなり長い期間のことを振り返り、終盤で 大切なのは、多少の問題を抱えていても、それはそれとして幸せを感じるように努力することだと思う。(210ページ) と語るヒクソンさん。すてき。 <20ページ プロ初勝利をもたらした "心" より> 自分自身のネガティブなメンタルは、対戦相手よりもずっとたちが悪い。間違いなく最大、最悪の敵であり、すべてを台無しにしてしまう。 ギーター6章5節でましたー。別の章で「私は、恐怖心は自分にとって寡黙な友人だと考えて
ブロガー「シロクマさん」の書かれた新書。わたしはこのかたの記事を「ハフィントン・ポスト」に転載されているもので読むことが多いのですが、以前「承認欲求がバカにされる社会と、そこでつくられる精神性について」という記事のなかで、いまの社会を 欧米的な個人主義社会と日本的な村社会の悪魔合体のような印象を受ける と表現されいたのが強く印象に残っていて、かねてよりこの題材の著作が出たらぜひ読みたいと思っていました。 この本の内容はとにかくグサグサくるけどまったくご指摘の通りで、現代のコミュニケーションのさまざまな問題の背景がグラフや図解を交えながら丁寧にまとめられています。いま子育て中の友人にすすめたくなるし、年長者から学ぼうという気持ちになります。 タイトルは事情があってこうなったようですが、内容は「ネット世代向け 老いの才覚シミュレーション」という感じで、冒頭で語られる「若作りうつ」の問題提起より
ビジネス本も読まないとバランスの悪いこのごろなので、書店でいまいちばん売れてるっぽいマーケティング本を読んでみました。今日はせっかくなので、ヨガマーケットの人向けにこの本の感想を書きます。 著者さんの10年のノウハウを集約した本とのことで、読んでいると2005年ごろの楽天市場の成功店長になったような気分になる文体。それでもいま20代30代の男性はアツい気持ちで読めちゃう人がいるということがわかったりして、いろいろびっくりしております。 刺激的な言葉でビジネスでの成功を応援していくタイプの内容で、とにかく実践ノウハウがたくさん書かれています。商売哲学色は少ないけど、終盤のほうで語られる本音はおもしろい。「著者になりたい方へ…… "グル病" に注意!」なんて見出しのトピックもある。 ヨガのインストラクターをする人はこういうノリが苦手だと思うのですが、最近ヨガビジネスのセミナーが増えているようで
プラクティカルなことを言語化するのはすごくむずかしい。でもしてる。すごい。 修業には書き方が二つあって、修業(カルマのほう)と修行(doのほう)があります。武道だと do のほうをとる記述も多く目にしますが、この本ではカルマのほうで統一されています。 この本を読んでいたら、ヨーガの武道と似ているところ、そうでないところが見えてきました。それは端的にいうと、「生きる技術としての修業」と「輪廻から抜けるための修行」の違い。武術とヨーガは「プラクティカルであること」までは一緒なのだけど、それが己の敵を己の中に認めることに加えて、「お願いなので、肉体を持って生きるのは今生(こんじょう)で最後にしていただけませんかね」と神に祈りながら浄化(do)する。生きることをある意味認めていないところがある。そういう微妙な違いを思いながら読むのがおもしろかったです。 11世紀以降のインドのハタ・ヨーガと日本の武
心理学しながら人間学した巨星・なだいなだ先生の言葉が、あらためて沁みてきました。 「ケシカラニズム」 恥の文化で人を裁く日本人の、独特な攻撃性を7文字で表現している。 わたしは以前、クレーム対応をする人たちと仕事をすることがありました。わたしの立場は、テクノロジーも使いながら仕組みで手助けできることがないか、探すことでした。ハードクレームの現場やシーン分解の作業をしたときは、なだ先生のこの言葉のおかげで、必要なことを冷静に考えることができました。 もうひとつ、いまごろになって沁みてきたのが 「わかりいそぐ」 これも、「ケシカラニズム」同様、「人間、この非人間的なもの」という本に出てきた表現です。 「人間、この非人間的なもの」を読んでから4年が経ちました。 今年、山本七平さんの「日本人とユダヤ人」、土居健郎さんの「甘えの構造」という本に出会い、これまで言語化できずにもやもやと抱えていた思いを
このブログももうすぐ2000記事になろうとしているのですが、記事の三分の一が読書感想文です。 過去に何度か、読書感想記事の管理はインデックス化したほうがよいのではないかと思い立ち、古くはアマゾンの「インスタントストア」(本棚サービスではなかったけど)、2009年に「メディアマーカー」という読書ログサービスに手をつけてみたものの、150冊くらい登録して挫折し、そのとき考えたのは 特にあわてて整理する必要もないし、「本棚」という記事でまとめていくことにしよう 本棚の定義って気分で変わるし、この場は著者別やテーマ別のインデックスが有効なんだろうな ということ。 そんな経緯もあって、手作業でたまに人名とテーマで本棚がわりのインデックス記事を作っています。 その間、アマゾンのレビューは食べログ同様、大勢が利用するサービスの宿命をたどっています。同時進行でアマゾンよりも「読んで感じること」の管理や共有
今朝久しぶりに溝の口のヨガに参加して、そのとき「ヨガのことを調べると、いちいち出てくるブログの人」と紹介され、クラスの後も講師のかた(元エンジニア)とネット談義に花が咲いたので、今日はヨガ的SEOについて書いてみます。 わたしはよく、ブログを書いている人にこんなことを言われます。 「うちこちゃんはパソコンやインターネットに詳しいから、アクセスが伸ばせるんだよねぇ」 ちょっとばっくりした言われ方ですが、知人はそう思うでしょう。ちなみに検索の仕組みには少し詳しいかもしれませんが、パソコンには詳しくないです。 このブログでは、「ヨガの記事を書く」ことでテキストの実践研究を日々やっています。実践研究というのは、「ただアクセスを伸ばす」ことを目的とするのではなく、「余計なアクセスを増やさない」ということでもあります。ブログランキングへの参加をやめたり、痩せる系の話題に触れないのも同じ理由です。お悩み
「ユダヤ人」という設定を使って書かれた日本人論。序章で認識することになる「わたしは、日本教徒なんだ」という現実からいきなりデス・スターに乗って信仰の宇宙に連れて行かれます。 ここ数年、外国人に日本のことを聞かれるたびに都度あらためて見直すことになっていた「日本人的な空気読み」。この背景が、どんどんつまびらかにされていく。シビれながら、夢中になって読みました。 裏表紙の解説を紹介します。 評論家・山本七平が、ユダヤ人イザヤ・ベンダサンとして1970年に発表し、300万部を超えるベストセラーとなった記念碑的名著。砂漠対モンスーン、遊牧対農耕、放浪対定住、一神教対多神教など、独自の視点から展開される卓抜な日本人論。豊かな学識と深い洞察、新鮮で鋭い問題の提示は、「山本学」の原点となった。 40年位前にこんな本がベストセラーになっても、人の心って、なかなか変わらないのなぁ。「日本教」って、やっぱり根
今日は子供の日。子供だと一緒にやりながら、「バランスよ、バランス。そう、いいぞ! その調子」であっさりできてしまうことも多い三点倒立なのですが、大人になるとなかなかそうもいかないもんです。 「やる」の意識のグラデーションが複雑になってきますから。汚れちゃってね(笑)。 今日はヨガ仲間たちのリクエストに応えてわたしなりのアドバイスをしてきたのですが、やっぱり大人は汚れかたにバリエーションがあっておもしろい。 今日は大人向けでしたから、四角いアタマ向けに、物理的にも説明しました。 三点倒立をしようとするわたしの腕の中に タオルをしのばせてみました。 そう、両足を揃えて立つよりも、ずっとバランスに使える面積は大きい。 数字的には、【三点=432平方cm】【両足=376平方cm】 三点のほうが15%増量となっておりますよ。 (上底を20cm、下底を12cm、高さを23.5cmでざっくり計算) 床に
姿勢保健均整法(身体均整法)について以前本を紹介し、そのほかでも何度か触れてきましたが、先日池袋にある「金のたまごセンター」で全身調整をしてもらいました。道場のようなお部屋にヨガマットを敷いて、身体均整法養成講座の講師・卒業生スタッフさんが、ものすごく丁寧にゆがみ調整をしてくれます。 ここしばらくの気温や気圧の変化でいちどダウンして復活して、またしばらくすると身体が重くなるような、そんな毎日を繰り返していました。 わたしは気が張ると身体も張り、自力でゆるめられないところまでいって、そのまま何ヶ月も走り続けてしまうというのがお決まりのパターン。マッサージへ行っても、仕事や研究でまとめようとしていることがあるうちは、結局ゆるまない。身体がマシーン状態になりがちです。 100%のうちの40%くらいまではヨガで多少の調整が可能。というのがわたしの体感的実情で、やはり身体は気持ちに多く引っ張られます
以前紹介した「チベットに生まれて ― 或る活仏の苦難の半生」と同著者さんの本です。1970年の秋から1971年の春にコロラド州のボルダー市で行なわれた講義の本です。集まってきた弟子たちの多くが陥りがちな、修行バカの抱負と隣り合わせの混乱・誤解をメッタ斬りにしていく記録。 翻訳も素晴らしく、文章そのものの価値も高い一冊だと思います。図書館で借りることができました。返却期限が迫っているので、数日はこの本の内容紹介を続けていきます。 たまたまウパニシャッドと平行して転記をしていたので、タントラといわれるものについての解釈が相乗効果で深まった気がします。 これはあくまでうちこの解釈ですが ヨーガ=心のはたらきをなくす教え タントラ=心のはたらきを生きる知恵に転換する教え と感じました。こう書くとヨーガがまるで発展途上のように見えがちですが、ヨーガにおいても「生きる知恵に転換する」教えを説いている人
ここ数日、立て続けにこのへんのことについて友達から質問を受けたので書きます。 わたしは道場で「仙骨」とか「丹田」とかっていう単語を使わないようにしています。なぜなら、自分がヨガをはじめたばかりの頃、しばらく「肩甲骨」というのは「健康な骨!」と思っていたからです。「えー、どれ。急に健康なやつって言われても」と思ったんです。なので、そういう言葉を使わない。あんまりそういう辞書的な脳を使わずに練習したい。そんなわけで、「肩甲骨」のことは、「天使の羽が生えてるとこ」と言っています。 自分自身は整体院で勉強したりしていますが、それは自分の感覚を確かめるためで、正しい部位の単語を使えば伝わりやすいかというと、そうでもないだろうな、と思っています。 丹田のことは、そこを感じやすい動きのときに「おへその下の奥に、梅干食べたときにほっぺがキューってなるのと同じようなとこがあるでしょ」と言ったり、「おへその下
ダンサーの友人の、そのときどきの背骨を観察して以来、自分のことも同じように観るようになりました。 「大先輩たちと練習を重ねて、いよいよあす収録なの」という日の彼女の胸の裏は、たいへんなことになっていた。この落書きの猫のようなことに(とりあえず近くにあった紙ナプキンに描いてみました)。 その後何年か観察をしていくうちに、ダンサーの彼女ほどまではいかないまでも、自分にも同じ兆候が強く出ることがあることに気がつきました。 胸椎が尖る感じです。この背景にはざっくり、2種類あります。 ■周囲に影響することが明確な組織ワークをするときや、次にバトンを待っている人のいる、締め切りのあるものを抱えているとき。(ダンサーの友人の状態に似ている) ■やらなくてはいけないとされていることが、実は腹落ちしていないのだけど、「とりあえずの義務感」があるとき。 前者の場合は胸の裏がしなった板のようで、こわばるような感
9月18日からのインド旅行の様子をここ3週間くらいでゴリゴリ書いてきましたが、今日はそのまとめ。インドに足がついて滞在した時間は実質まる8日(OLのシルバーウィーク旅行なもんで)で、うち12時間はインド内の移動に費やしていたので、そんなに長く居たわけではないのですが、21記事も書いていました。インドの場合は、やっぱり文化背景や思考の違いの説明が長くなりがちです。 このまとめでは、旅行で使った予算と持ち物について、最後に目次をまとめます。(写真は、旅のメモ帳) <予算のこと> ハイご予算、ドン。1ルピー=2.18円換算 です。 メモ1:うちこは海外旅行の保険とか、一人旅だと入ろうと思わないタチです。 メモ2:家から空港までの交通費は入っていません。帰りは3000円でリムジンに乗っちゃった。 シルバーウィークの旅行にしては、使ってない気がします。 <「それ以外の全て」に含まれるもの> 初日の空
意外とこの名称が知られていないので、書きますね。 名前を知らなくても、「準備運動」として足の指の間に手の指をいれて足首を回したり、手首を回したり頸をいろいろな角度から伸ばしたりという動きを取り入れているクラスは多いですから、事実上みんなけっこうやっているアーサナです。 先に、以前紹介したことのある本山博氏の「密教ヨーガ ― タントラヨーガの本質と秘法」からの引用をもう一度。 <38ページ パワンムクターサナ(Pawanmuktasana、邪気を払うアーサナ)とは何か より> パワン(pawan)は風、ムクタ(mkta)は解き放つという意味です。風、邪気を追い払うアーサナで、特に、関節の部分にたまる邪気を払うのに効果があります。 (中略) ナディは経絡と同じものと考えられますが、経絡は結合組織でできていて、その中は体液に満たされています。そして、経絡の中の、気のエネルギーの流れがつまりやすい
野口晴哉氏の「体癖」、長谷川光洋氏の「ボディ・メカニック(人体力学)」(=亀井進氏の身体均整法)にある12種類の身体分類を照らし合わせながら学んでいくなかで、自分なりにいまの時代を生きている人を見るときに加味していることがある。 昭和30年代と今では、人が身体を使う環境がだいぶ変わっている。 日々の生活のなかで自分の身体の使い方や人の動きを見るとき、それぞれの持っている社会生活環境や背景が頭のなかに浮かんできて、紐付けたり、また解いてみたりする。 先人の説を読むときには、以下のことをプラスしたりマイナスしたりして見ています。 ■情報でモノを食べる/食べ物の多様化 これは、説明不要ですね。 ■身体エクササイズの多様化と日常化 ゲームと同じような浸透で、ちょっとずついろいろやってみたり、どっぷり依存もできる趣味として確立している。堂々と人に言えるし、やれる。 ■仕事の職種の多様化。作業の機械化
「不眠症諸君!」同様、話は相談者との対談形式で展開します。この本の対話の相棒は高校生。「クラス委員をやっているのだけど、クラスにぜんぜんまとまりがないのです」というところから始まります。 医師である著者さんは青年相手の口調なのだけど、青年の返しがいい感じでオトナで、分解作業はクールなのに文体がすごく読みやすいという仕上がり。「輸出されたインド人グルとアメリカ人の対話」のようないらだちなく読めます(笑)。なださんの本はほんと、いいですよ。 この本は昭和49年の本。オイルショックの翌年です。「実際はそんなに不足していなかったのに、人々がモノ不足だと思い込んで買い占めに走った」というエピソードが出てきます。これをいま読むのがおもしろい。 そして、先に感じたことをひとつだけ小出しにしておくと、この本は 「自分で調べて対応できない人は、権威でなんとかならないかと考える」 ということのからくりを解剖し
仕事をしていると「これってヨガと一緒だなぁ」と思うことが多々あるのだけど、今日はそんなことについて書いてみようと思います。 「あきらめられない人々」というのがいて、仕事で目にする場面で言うと 腰があがらない ⇒行動できない ⇒事実が生産されない ⇒実積がうまれない ⇒「できないやつ」ということになる 「あきらめない」のに「できない」になってしまう。 「できない」の事実予測のストーリーは 1.「やってもできないだろう」というスペック否定 2.「いまは腰が上がらないだろう」という状態否定 に二分されるのだけど、ひとことで「無理」とか「できない」という言葉に集約されてしまったりする。ここは、集約しちゃいけない。ぜんぜん別物です。 ヨガで、開脚前屈中にどうしても頭を床につけたがったり、牛の顔のポーズ中に背中で手をつなぎたがったりしている人から「これがなかなかできないんです」と言われると、「今日のと
今日は下半身のお話です。博多の古本屋でみつけた昭和36年の本です。 インドではリンガ(シヴァ神の男根)をよく見かける。京都の生八橋と同じくらいのノリでおみやげ物の定番にもなっているのですが、日本ではあまり見ることがない。でも、お寺巡りをするようになると、出会ったりする。あるにはあるんですよね。陰陽石とか、けっこうある。そんなことが、ずっとゆる〜い感じで気になっていました。 そんな折、なんともドンズバな本に出会ってしまったので読んでみたら、勉強になった。古事談にある、清少納言の性器にまつわるエピソード(リンク先参照)や、道鏡の巨根伝説なども初めて知るものでしたが、そのほかにも「なんかこれリグ・ヴェーダと似てるなぁ」と思うようなこととか、今ではあまり語られない真言宗立川流のこととか。 特に最後の引用で紹介する「名僧、最澄の悟り」は必読のエピソード。面白い本でした。 <45ページ 大地母神とくぼ
これも先日アシュタンガの先生に教えてもらって、昨夜いっき観しちゃいました。映画なのですが、Youtubeで8つに分割アップされています。こういう映画を観られるのはありがたいなぁ。アップしてくださった外国人さんに感謝。 英語ですが、ほとんど歴史のドキュメンタリーと修行経験談と説法なので、多少の英語力があれば大丈夫。というか、これを英語勉強の教材にしたらいいよ! ほかにはヨーガ用語がいくつか出てくるけど、このブログの読者さんならきっと大丈夫。ひとつ、サンスクリットだとアグニなんだけどチベットだと「トゥンモ(火)」。これだけ覚えておけばいい。 おおまかな流れを紹介しておくと、1&2は侵略されるチベットの様子、3くらいから修行の話がどんどん濃くなっていく。ダライラマ師も中盤で登場。そのあとは世界へ羽ばたくチベット・ブッディズム、でしまる。途中途中に何人ものヨギやリンポチェさんが自らのヨーガについて
2013年2月追記:2012年にインド旅行をした際、ネットの予約には現地で使用できるモバイルの番号が必要になっていました。SMSで確認メールが届くシステムに変更されているので、本記事はインドで携帯電話を持っている人と連携するか、現地で携帯電話のある状態で利用する情報としてご活用ください。 ▼以下、2009年の記事です うちこは旅の準備で、(1)航空券とる⇒(2)ビザとる⇒(3)お世話になる先生に宿の相談も含めて連絡⇒(4)電車のチケットを取る という順番で準備をしました。先生のメールにやたらと「もし電車のチケットが予約できていないようなら、連絡して」と書かれている文面を見て、なんでそんなにそこにこだわるんだろう? と思っていたのですが、調べてみたら 日本のように発券機で買ったりできるわけでもなく、乗る直前に買えばいいものでもない。ほとんどの場合、前もって予約しなければならないのだ。しかも、
宇野さんが95歳の頃に書かれたものです。もう耳が遠い、と書かれているころ。 この本は「恋愛の武士道」という章があるのですが、不況の今こそ、婚カツのまえにまずは読むべし、OLよ。といった内容。はげしく共感することばかりでした。 <24ページ 人生とは、行動すること より 好きな人が目の前に現はれると、私は忽ちにして、その人のとりこになり、前後もなく考へずに行動を開始するのだつた。何の逡巡することがあらう。私はその人の目を真つすぐに見て、「私はあなたが好きです。」と言つた。好きだと言はれて不愉快に思う人はゐなかつた。恋は成就した。 そうなんだよなぁ。不愉快に思う人はいないから、たいがい成就するんだよなぁ。それが、実際言ってみちゃってそうなると「成就した!」って思っちゃうんですよね。 <61ページ 愉しい好きなことだけを より> 私は自分のことを、今、若い人たちの間で流行してゐる、オタク族のはし
「自力整体脱力法」がなかなか面白かったので、これも図書館で借りてみました。77分のDVD付です。ヨガマット敷いて見ましょう。そのまま教室状態になります。これ、2400円なのですが、かなりお買い得な本です。「ヨガ教室って、女性ばっかりなんでしょ? なんかなぁ」と尻込みしている男性に、特におすすめです。 この、矢上氏のキャラクターがかなりいいです。「わたしコレ苦手なんですよねぇ、アイタタタ…」って言いながら教えてたり、水野晴朗ばりに「いやぁ、ほんっとにこれは気持ちいい。あー、気持ちいいですねぇ」と(笑)。「若いころは左右すぐにいけたんですけどね、トシとってくると、真ん中でいっかいお休みするのがよくなってくる。ああ気持ちいい」と、人生の先輩的な未来指導です。ヨガも、こんな気持ちで取り組んだらいいんですよ、という模範生徒のような取り組み方です。「無理シナイデネェ、気持チイイトコロデヤッテネ。怖イ顔
プノンペンのワット・プノンという寺院の近くに官公庁エリアがあります。 東京の虎ノ門や日比谷あたりの雰囲気の場所です。 宿に荷物を置いて出歩いているので、日本からリュックを背負ってやってきたオバさんとおバアさんの我々ですが、黙っていればバレません。 こんなステキなカフェを見つけました。 KN Cafe Angdoung 名前は読めません。なんとなく冷たいものが飲みたいねと、目についたカフェに入りました。 目についたカフェがいくつかあったなか、たまたま入りました。 一階で注文した段階では、普通のカフェだと感じたのですが。 二階が良かった! まるで仕事ができる人になった気分になれます。 ここへ来たら仕事ができそうな気がします。(妄想) 雰囲気の力ってあなどれないなと思いました。 ランチタイムになったら、本当に仕事ができること間違いなしの、官公庁勤務のOLさんたちが入ってきました。 入り口の外にあ
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