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ドラクエ3
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- インタビュー 米民主党、苦悩の背景 デビッド・ベトラスさん 2017年11月16日 写真・図版 バーで地元民の声を聞く トランプ米大統領の当選が突きつけたのは、労働者の支持をつなぎとめられない米民主党、リベラル派の姿だ。かつて製造業や製鉄業が栄えた米中西部のラストベルト(さびついた工業地帯)のオハイオ州ヤングスタウンでは、今も労働者の支持は戻っていないという。離反を目撃してきた地元民主党トップに苦悩の背景を聞いた。 ――オハイオ州などラストベルト諸州で連勝し、トランプ大統領が当選して1年。民主党は敗北から立ち直れていますか? 「民主党全国委員会はまだ敗因を十分に理解していない。1回の選挙では、党は変わらないのでしょう。党の将来を全く楽観していません。まず、トランプ氏の言動一つ一つを非難することをやめることが重要です。非難ばかりしていると、それが当たり前になり、誰も聞かなくなる」 「民主
いろいろと気になることがあり、自分でも確かめてみましたが、牧口常三郎が、「教育勅語、あれは最低のものです」とかたった言葉が「教育勅語、あれは道徳の最低基準です」と改変されている。「教育勅語、あれは道徳の最低基準です」には、端的に言えば、解釈として教育勅語を「ヨイショ」する「余白」がのこされた記述なのだけど、こう改変することは、牧口常三郎が「教育勅語」に「殺された」ことを「鬱陶しい」と考える勢力が創価学会のなかで力を持っている方々の中にいるという話ですかね(呆 1. 森川幸ニは昭和十六年の入信であった。十七年十月、男の子の一人が亡くなった時、初代会長牧口常三郎がわざわざ葬儀に来て、初めて牧口を知った。彼の弟も入信し、早くから幹部と目されていた。十八年六月、創価教育学会弾圧の折、弟は神奈川で検挙された。だが、家庭の信心の破綻から忽ち退転して出所した。以来、神奈川方面は、終戦になっても、学会との
- 特集ワイド 元自民党タカ派の遺言 安倍首相、覚えてますか? 毎日新聞2016年5月20日 東京夕刊 参院選が近い。大勝して、悲願の改憲に乗り出したい安倍晋三首相は「今の憲法には自衛隊という言葉がない」(3日、改憲派集会へのメッセージ)と9条改正に意欲的だ。1960年代にも同じような主張をした自民党きってのタカ派議員がいた。安倍首相は覚えておられるだろうか。その彼が晩年には「自衛隊を愛するからこそ9条を守らねば」と訴えたことを−−。【吉井理記】 その人の名は、箕輪登さん。北海道小樽市出身の元衆院議員だ。医師から転じ、67年衆院選で旧北海道1区で初当選。81年の鈴木善幸内閣で郵政相を務めた。防衛政務次官、衆院安保特別委員長も務めた経験から、一般的には防衛族議員として知られる。 「箕輪先生、か。懐かしいなあ。5月(14日)で亡くなって10年ですか……」 衆院議員会館で、しばし目を閉じて思いに
- 太平洋戦争:日米開戦から70年 運命の12・8 作家らはどう記したか 70年前の1941年12月8日、日本海軍がハワイの真珠湾を攻撃し、太平洋戦争の火ぶたが切られた。その後の日本のありようを大きく変え、今日までさまざまな形で影響を与えている大戦だ。当時の作家や評論家たちは、運命の12・8をどのように見つめ、記したのか。【棚部秀行、栗原俊雄】 当時の小説やエッセーをひもとくと、開戦賛美一辺倒の世間のムードが伝わってくる。 伊藤整 「いよいよ始まった」と高揚感吐露 作家の伊藤整(05〜69)は真珠湾攻撃のニュースを聞き、夕刊を買うため新宿へ出かけた。混雑したバスの中で<「いよいよ始まりましたね」と言いたくてむずむずするが、自分だけ昂(こう)ふんしているような気がして黙っている>と、高揚感を吐露している。そして<我々は白人の第一級者と戦う外、世界一流人の自覚に立てない宿命を持っている>と記し
- しかしより根本的な問題は、アリストテレス自身、それ自体のためになされる行為は数多くあり、また、行為外の目的も多々ある、とすでに認めているという事実である。『ニコマコス倫理学』の最初の数行に、健康、勝利、富がそのような行為外の目的の例として挙げられている。行為自体に目的がある例としては、音楽鑑賞を挙げることができる。我々が音楽を聴く時、音楽の試験準備のために聴く場合は別にして、行為外の目的があるわけではない。この批判に対してアリストテレスがいかに答えるかに注意しよう。そうすれば、賢人は人生に一つの最終目的を持つというアリストテレスの想定の根本理由が理解されるであろう。先に、それ自体のためになされる行為と、それ以外の目的のためになされる行為の二種類があると述べたが、さらにここで、それ自体を目的とすると同時に、より包括的な目的の構成要素となるような行為があることを想定する必要がある。 今、健
8月5日の参院特別委員会で中谷防衛大臣は、運用としては否定するものの、議論としては「核兵器輸送も排除せず」と答弁したそうな。翌日6日は広島に原爆が投下された日でもある。 与党の一角を占める公明党の議員諸君は「核兵器輸送も排除せず」をどう聞き、翌日の原爆の日を迎えたのだろうか。 公明党の思想的淵源と平和活動の原点の一つが、創価学会戸田城聖第二代会長の「原水爆禁止宣言」(1957年9月8日)である。 曰わく - 戸田会長はまず「諸君らに今後、遺訓すべき第一のものを、本日は発表いたします」と述べ「今、世に騒がれている核実験、原水爆実験にたいする私の態度を、本日、はっきりと声明したい」「私の今日の声明を継いで、全世界にこの意味を浸透させてもらいたい」「核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、いま世界に起こっているが、私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う」「われわれ世界の民衆は、生存の
- ファシズム的状況に抗する −−フランスで刊行された反ファシズムの寓話『茶色の朝』日本語版の解説で、高橋さんは「だれもがもっている怠慢、臆病、自己保身、他者への無関心といった日常的な態度の積み重ねが、ファシズムや全体主義を成立させる重要な要因」と指摘されています。 高橋 「茶色の朝」は、すでに来ています。安倍政権のもとで急激に進められている日本社会のファッショ化は、すでに深刻な状況であることを、繰り返し指摘したいと思います。 安倍晋三氏は、平然と虚偽を述べることのできる政治家です。福島の状況が「コントロールされている」と国際社会で述べたこともそうですが、最近では、各紙が安倍側近の発言をもとに報道した「撃ち方やめ」発言に対して、「朝日新聞の捏造」だと事実を捏造しています。 私が安倍晋三という政治家に不信感を抱いたきっかけは、女性国際戦犯法廷について、当時官房副長官だった安倍晋三氏が、関係者
- 酒井 …… 今回、『思想』の関東大震災の特集号を読んで、学ぶところが実に多かった。人文科学系の人は、ほとんど朝鮮人襲撃の話をしています。ということは、ほとんどの人がその風評を聞いて憂慮していたということだと思います。朝鮮人の襲撃は東京の火災から二日ぐらい経ってから拡がってきたようです。ただ野上豊一郎は、震災の直後に、すでに宇都宮でその話を聞いたと言っていますから、すごい勢いで風評が拡がった。和辻哲郎も、この風評を信じてしまったことを正直に書いています。和辻は、この風評にのせられて「朝鮮人が来るなら来てみろ」と準備したと書いている。しかし風評にのせられて行動してしまったということについての自責の念が彼にはなかった。これはいくつかの意味で象徴的です。関東大震災で起こった朝鮮人虐殺は、日本の人種主義の原点の一つです。これ以前に日本に人種主義がなかったとは思いませんが、その後の日本の人種主義の
歴史的仮名遣の『神社新報』まとめて読んでいたら、わりとうけまくってしまい、つらい。 ( ※特定のイデオロギーの紐帯としての神社信仰には唾棄を覚えるけれども、熊楠のような対峙と同化と臆面もなく錯覚するのとは同義ではない包摂には憧憬を覚えますがね。 ) 神社界唯一の新聞社 神社新報社 たとえばこれ。 「杜に想ふ 秋の夜長=八代司」『神社新報』平成26年09月15日付。 http://www.jinja.co.jp/news/news_007649.html いわく「本欄にも折々に執筆される山谷えり子氏と有村治子氏とがそれぞれ初入閣。その活躍ぶりは早速に表はされ」って記述がありますが、確かにネオナチ団体といちゃこらして「しらんがな」では済まないわけで、まあ、って確かに世界を驚かせるような活躍しとるわな。 さて、「杜に想ふ」にたびたび登場され、戦前日本への回帰を切に願う山谷えり子代議士の信仰がロー
- ロシア文化人、勇気の異論 ウクライナ紛争の陰で 寄稿・沼野充義 (写真キャプション)推理作家のアクーニンさん(左)と妻エリカさん 最近の緊迫したウクライナ情勢については、日本でもかなり報道されてきた。しかし、それと並行してロシア国内で進行しているもう一つの憂慮すべき問題については、まだほとんど知られていない。それは、ロシアの対ウクライナ強硬政策に反対の声をあげる心ある少数派が「非国民」呼ばわりされ、攻撃されているという事態である。 ■「敵国のスパイ」と罵倒 「無知の病」と批判した作家 プーチン大統領の支持率は80%以上という異様な高さで、民衆の間には好戦的な気分とウクライナに対する憎悪が広がっている。見逃してはならないのは、その背後に、政府の完全な統制下に置かれたロシアのマスコミによる強力な反ウクライナ宣伝があったということだ。ウクライナでの虐殺映像と偽ってチェチェンやシリアの写真が使
- (安全保障を考える)同盟の歴史に学ぶ 東大名誉教授・三谷太一郎さん 2014年6月10日 「敗戦直後、日本が負けたのは国民の努力が足りなかったからだと言った指導者を、忘れられません」=早坂元興撮影 政治を考えるとき、歴史に学ぶことは欠かせない。近代日本は三つの同盟を結んだ。戦前・戦中の日英同盟と日独伊三国同盟。この二つはいずれも戦争の導火線となった。そして、戦後、現在に至る日米同盟といわれる日米安保。これらの歴史から、今日の集団的自衛権論議は何をくみとるべきか。日本政治外交史が専門の三谷太一郎東大名誉教授に聞いた。 ――政府与党が集団的自衛権の行使に向けた議論を進めていますが、歴史の文脈の中で、この問題をどうとらえたらよいのでしょうか。 「最初にお話ししたいのは、戦後も68年が経過して、日本人の戦争観が、敗戦直後とは大きく変化したということです。憲法9条の前提となっていた日本人の戦争観
- 運動部活動の戦後と現在―なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか [著]中澤篤史 [評者]荻上チキ(「シノドス」編集長・評論家) [掲載]2014年05月11日 [ジャンル]教育 人文 ■部活嫌い生む犯人見たり! 「7割以上の中学生と5割以上の高校生が運動部活動に加入し、ほぼすべての学校が運動部活動を設置しており、半分以上の教師が運動部活動の顧問に就いている」。本書の序章に登場するフレーズだ。運動部活動がこれほどまでに根付いているとは。で、その実態は? ページをめくるたびに見えてくるのは、日本の運動部の特殊性だ。国際比較によれば、一部有志の競技力向上を目指す米、一般生徒のレクリエーションを志向する英と異なり、日本では一般生徒の人間形成・教育指導が重視されてきた。種目数や試合数などは多いが、技術や経験がない教師も顧問役に就かされがちで、勤務時間増に不満の声も。生徒は生徒で自由時間
橋本一夫『幻の東京オリンピック 1940年大会 招致から返上まで』講談社学術文庫、読了。戦争で開催中止になったことはあるが、夏季オリンピックの開催都市が自発的に大会を返上したのは第12回東京大会(1940年)以外にない。本書は招致から返上に至るその経緯を克明に描き出す。94年NHK出版刊行の文庫収録。 近代オリンピックの歴史は、対IOCだけでなく、国内問題としても、かなりの部分が政治との闘いの歴史でもある。1940年東京オリンピックも例外ではなさzい。皇紀2600年慶祝のイベントは猛反対から始まったが曲折の末、冬季大会も札幌と決まる。 日本の侵略主義が開催ボイコットに直結するが、肝心の競技施設を準備せず開催意欲だけ先行した立候補が仇になる。日中戦争の拡大で競技場建設がストップし、開催か中止かの岐路に立たされる。「たかがスポーツの大会」としか考えぬ軍人たちはプロパガンダに利用したナチス以下の
- 「いったいどのようにして……ヨーロッパはこれほど強大になり得たのだろうか。ヨーロッパ人は交易や征服のためにアジアやアフリカをたやすく訪れることができるのに、アジア人やアフリカ人がなぜヨーロッパの沿岸や港湾を侵略して植民地を築けないのだろうか。どうしてヨーロッパの王室に、自分たちの法律で枠をはめることができないのだろう」。 老哲学者イムラックは、知識は力だからと答えるのだが、ではなぜヨーロッパ人の知識がその他の地域の知識よりすぐれていたのか。ここまで読んでこられた読者諸賢は、ラセラスにもう少し具体的な賢答を与えられるはずだ。なぜ西洋がその他の地域を支配し、その逆は起こらなかったのか。私が立証してきたことを、おさらいしてみよう。西洋は六つのキラーアプリケーションを持っていたのだが、その他の地域は持っていなかった。総括すれば、次の通りだ。 (1)競争 ヨーロッパ全土が、政治的に細分化され、国
- ナショナリズムを考える B・アンダーソンさんに聞く(ナショナリズム研究の第一人者) 「排外主義や人種差別は、ナショナリズムとは本来、別のものなのです」=米ニューヨーク州イサカ、増池宏子氏撮影 ベネディクト・アンダーソンさん 米コーネル大名誉教授、ベネディクト・アンダーソンさん (ナショナリズム研究の第一人者) 急に燃え上がったり、刺激し合ったり、ときに暴走して好戦的になったり。扱いを誤るとたいへんなことになるのがナショナリズムだと思っていた。国民とは「想像の共同体」であると唱えて世に衝撃を与えた、米コーネル大名誉教授のベネディクト・アンダーソンさんに聞いた。私たちは、これをどう扱えばいいのでしょうか。 ■本来は社会つなぐ欠かせない接着剤 差別的思想とは別 ――日本で、いや中国でも韓国でも近頃、国家の誇りやナショナリズムを強調する言葉が目立ちます。 「確かに、みんな大声を張り上げています
- ひと 「戦争柄の着物」を収集し、研究する 乾淑子さん(60) 軍艦旗や大砲の間を縫って「占領」の文字が躍る絣(かすり)、満州建国を伝える新聞記事を染めた羽織の裏地−−。戦争をモチーフにした柄の着物を収集・研究して12年。コレクションは500枚を数えた。「これだけの枚数を集めた人も、研究しているのも相当珍しいでしょう」と苦笑いする。 民族芸術研究のため古い布を探していて、ネットオークションで一枚の着物が目に留まった。日の丸を振る唐子人形を御所人形が見下ろす図柄。 「母親の愛情を感じさせる可愛らしい着物」と説明されていたが、明らかに題材は日中戦争。平和な場面と解釈され、それが子どもの着物であることに衝撃を受け、探し続けた。日清、日露、東郷元帥……次々見つかった。 「これだけの史料を放ってはおけない」。私財をつぎ込み、落札した。 軍事史研究家の助言を受け一枚一枚読み解いた。集めた戦争柄の着物
- 引用句辞典 不朽版 反日暴動 鹿島茂 中国が日本並みのおとなしい国になる日 市庁舎へやってくる……今や私は目撃者だ。……彼[パリ市総監ペルチエ・ド・ソヴィニー]は尋問される。(中略)階段の踊り場にやってきたところで、せいぜい三十人ほどの一群れが囚人を連行する国民軍兵士に襲いかかり、捕虜を引き離す。彼らは捕虜をつかまえ、引きずりまわし、殴りつける。十五歳のちんぴらが街灯の鉄棒に馬乗りになって、待ちかまえていた。綱を張るのが見えた。……(中略)諸君、おお、同国人よ! その効用によっても正当化されないあの蛮行の数々を嫌悪をもって直視するがよい。あのような行為を許しうるのは必要のみだろう。だが、果たしてそれは必要だったのか。私には判断しかねることだ。 (レチフ・ド・ラ・ブルトンヌ『パリの夜 革命下の民衆』上田祐次編訳、岩波文庫) 今日では、足フェチの元祖として知られているレチフ・ド・ラ・ブルト
- 近代の知識人はみな「官」を志した。「官」になるべきだと世間にも考えられていた。「官」たりえないものは政客をめざし、または学者になろうとした。それが普通の道だと信じられていたなか、明治二十年頃「官」たるの道を余儀なく、また意図してはずれ、そして政客でも学者でもなく実業家でもないなにものか、一般に社会の埒外にあるものとして見られた文人あるいは言語による表現者となろうとした一群の青年たちが出現した。彼らは「官」にはなり得なかった負いめを感じつづけ、その一方で「官」の道を選ばなかった若年の誇りを思うというアンビバレンスのただなかを生きた。しかし、いまだ未熟な出版業界は、消費化する社会にある彼らの生活を容易には安定させなかった。 彼らは、一種の反社会的な生きかたと、その結果ゆえに「世間」に差別された。しかし彼らは、技芸を研いて精神の自由を得、また社会的な束縛からも自由であるという点に誇りを持ちつ
- シニシズム (英)cynicism,cynism (独)Zynismus (仏)cynisme 原義は紀元前四世紀ごろのギリシアのキュニコス派 Kunikoi のとなえた教説および彼らの生活態度をさす言葉。語源は、(1)その派の創始者といわれるアンティステネス Antisthenes がキュノスアルゲス Kunosarges のギムナジゥムで講義したところからでたという説と、(2)アテネの市民がその派の粗野な生活態度を侮蔑的に「犬のごとき」 kunikos ひとびととよんだのを、シノペのディオゲネス Diogenes が逆に自尊の言葉として採用したのに由来するという節がある。犬儒学派とか犬儒主義という訳語は後説によったものである。当時のポリスの崩壊とマケドニア帝国の誕生という時代的背景を反映し、しかも彼らのおおくは他民族との混血児であったところから、その政治・社会思想はポリスの精神と構
- 今週の本棚:三浦雅士・評 『チョムスキー言語基礎論集』=チョムスキー著、福井直樹・編訳 (岩波書店・6825円) ◇「本能としての言語」論が持ち得た包容力 人間の幼児はなぜ短期間のうちに猛烈な速さで言語を習い覚えてしまうのか。また、その言語が、たとえば日本語、英語、中国語というように、これほどにも多様な現われ方をするのはなぜか。言語をめぐるこの二つの基本的な問いに、「生成文法」という考え方で応じたのがノーム・チョムスキーである。一九五〇年代のことだから、半世紀以上の昔になる。専門家の顰蹙(ひんしゅく)を買うのを承知であえて簡略に言えば、幼児が短期間に言語を習得するのは人間にだけ言語の本能とでもいうべきものが備わっているからである、と、チョムスキーは考えた。また、それが多様な現われ方をするのは、言語の本能とはすなわち普遍文法であって、人間にのみ埋め込まれたこの能力が、短期間のうちに各国語
- 鴻上尚史「成人するあなたへ」 本物の孤独と出会おう 成人、おめでとう。でも大人とはなんでしょう。賢いあなたは、年を重ねることと、大人になることは何の関係もないと見抜いているんじゃないですか? あなたの周りには、二十歳をとうに過ぎているのに、少しも大人じゃない人が何人もいるはずです。 大人と子供の違いはなんでしょう。二十歳を過ぎると、実にやっかいな問題にぶつかります。解決不可能な、どちらの結論を選んでも、間違っているんじゃなかと思えるような、正しい解決策が見えない課題です。 でも、人生の問題とはそういうものです。大学入試まで、子供は「問題には必ず正解がある」と思い込まされていますが、もともと、人生の問題には、完全に正しい解答なんてありません。 そういう時、子供は、自分で考えることをやめて、親や誰かのアドバイスや言いつけに従います。そうすれば楽ですし、責任も生まれません。子供とは、いつも誰
- 私の社会保障論 興味深い新市長のあいさつ=湯浅誠(反貧困ネットワーク事務局長) 福祉は最高収益の投資 「深刻化する住宅難、減少し続ける働き口、憂いが深まる伝統市場や路地商圏、競争力が低下している自営業や中小企業。増える非正規職。そのどれもが、新しい解決策を求めています」 先ごろ当選した新市長の就任あいさつ文の一節である。新市長は、現政権や既成政党に不満を持つ多くの市民の支持を集めて当選した。「圧勝 」とは言えなかったが、それでも対立候補に7ポイントの差をつけた。弁護士出身でアイデアマンとしても知られ、旧来の政治家像とは異なる雰囲気に、市民は「やってくれるかもしれない」と期待を抱いたのかもしれない。政策は十分に練りこまれているとは言えず不確実な部分も少なくないが、今回の選挙結果は既成政党に大きな衝撃を与えており、すでに新市長を「台風の目」とする政界再編が始まっている。 新市長のあいさつ文
- ザ・特集:「原発難民」となって−−元宇宙飛行士・秋山豊寛さん 日本人初の宇宙飛行士として、90年に旧ソ連(現ロシア)のソユーズ宇宙船に搭乗したジャーナリストの秋山豊寛さん(69)。その後、福島県旧滝根町(現田村市)に移住、有機農業に取り組んでいた。福島第1原発の事故を受けて、今、どこで、どんな思いで過ごしているのか? 訪ねてみた。【大槻英二】 ◇福島で農業15年、群馬へ/平和な老後、破壊された/経済成長に頼らぬ生き方を 「こっち、こっち」。待ち合わせ場所のバス停に、長靴をはいて現れた秋山さんは真っ黒に日焼けし、すっかり「農家のオジサン」になっていた。ここは福島県ならぬ群馬県藤岡市の鬼石(おにし)町。そのまま埼玉との県境を流れる神流(かんな)川のほとりにある田んぼに案内された。有機農業に取り組む知人から借りた6畝(せ)(約6アール)の水田。7月の初めに手植えをした。 「福島では5月20日
- 半世紀も前の終戦直後のことである。 焼け残った神田書店街の神保町の交差点に近い岩波書店の小売部の前に、「生活は低く理想は高く」という標語の看板が掲げられていた。新刊の文庫が発刊される日には、早朝から学生の長蛇の列ができていた。 学生たちは、戦争下の岩波が、積極的には軍部に協力しなかったのを知っていたのである。だが、行列の学生に制服姿は少なく、彼等の多くは、階級章をはずした軍服に軍靴を履いていた。しかし日々のくらしはどれほど低くても、理想は高くというスローガンは、輝かしい未来を約束させるものとして若い人々の心を捉えていたのである。 書店の店頭には、新興出版社の刊行物と並んで、戦犯的大出版社の書籍や雑誌が積み上げられていたが、学生たちはそれを横目に見るだけで、立ち止まることもしなかった。その間、戦犯的な雑誌の多くが次つぎに姿を消したが、大出版社のいくつかは残った。むろん、大出版社の雑誌とい
アカデミズム底辺で生きる流しのヘタレ神学研究者・氏家法雄による神學、宗教學、倫理學、哲學の噺とか、人の生と世の中を解釈する。思想と現実の対話。 2010年11月25日より「はてな」に雑文を移項いたしますので、今後ともどうぞ宜しくお願いします。 ついでですのでひとつ。 絶賛求職ちう。 過去(2007年8月28日〜2010年11月24日)の雑文は以下のURLより閲覧できます。 引っ越しがうまくいけばこちらへ完全移行の予定。 当分はココログと併用いたします。 Essais d'herméneutique 氏家法雄のブクログは以下のURLから閲覧できます。 ujikenorioの本棚 (ujikenorio) - ブクログ - 折々のことば:978 鷲田清一 2017年12月31日 うたかたの仮の浮世の、はかない人間の一生を、何に託してみたところで、大なる差違はない (江戸川乱歩) ◇ 探偵小説の
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