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はじめに 『声字実相義』は820年前後(平安時代初期)の空海の著作である。この書の前半部分で空海は古代インドの言語学者パーニニ(前4世紀頃)によって確立されたサンスクリット語の文法、格変化や複合語解釈法、それに字母を用いて言語の構造や意味を論じている。 空海は密教経典に記されたサンスクリット語(梵語)箇所の意味を知るために、密教成立の地インドの言語と文法を修得していたのだ。 この文法は紀元前のギリシア語やラテン語などの文法と類似しており、インドのカルカッタ在任中にサンスクリット語を独学で研究していたイングランドの法学者ウィリアム・ジョーンズが、1786年にアジア協会で「これらは共通の祖語から分化したと考えられる」(印欧語学)という見解を示したことにより、その後の言語学発展の契機となったものである。 現代言語学は、パーニニの文法理論がサンスクリット以外の言語にも適応できるものとして、その汎用
はじめに 空海はその生涯(774-835)において、数多くの著作を残した。 それらの著作によって、私たちは空海の思想を体系的に知ることができる。そうして、そこに書かれていることが神秘的なことなどではなく、大変論理的なものであると気づかされる。 では、その著作とはどのようなものなのだろうか、それらは大きく三つのジャンルから構成されている。 一つは、広義の人間学の展開である。人間の活動を身体・言語・意思とし、それらの究極の原理を説くことから、インド、中国のあらゆる宗教・哲学・思想を総合的に評価する比較思想論や、わが国初となる私立大学の教育論などを展開するもの。 一つは、請来した仏教経典の概要を紹介し、その解釈をしたもの。 一つは、当時の時代、社会、文化、生活、自然などを映した詩文集である。 当「三教指帰(さんごうしいき)」(人間の生き方を指し示す三つの教え)はそれらの著作に先立つものであり、若
『三教指帰』は弘法大師空海が延暦16年(797)12月に作ったように書いてあり、空海24歳の時の作品である。けれどもほとんど同じ内容の『聾瞽指帰』も同年月の作となっている。その両者を比べてみると、その相違は序文と巻末の十韻の詩はちがうが、その他の大部分ではほんの少し字句をかえている。そして細かく比較したところ、『聾瞽指帰』が原作で、『三教指帰』はそれを書き改めたように見える。前者における誤字を後者で訂正している箇所があるから、『三教指帰』は後に修正されたものと考えてよい。 中国の古典に通じ雄弁である亀毛先生が兎角公の邸に来る。公の外戚の甥に蛭牙という不良少年がいる。賭博や狩猟を事とし、不道徳で酒色に耽る者である。兎角公は亀毛先生に蛭牙を矯正して欲しいと依頼する。亀毛はいう。賢者は少なくて、悪に耽る者が多いけれども、人は教えによってその性を直すことができる。蛭牙は孝行でなく、狩猟・博奕を好み
般若心経は真言を説いたお経 『般若心経』ほど、一般によく知られよく唱えられる仏典はありません。日本の仏教各宗では日蓮宗や浄土真宗を除きどこでもこのお経を常用経 ⇒記事を見る 第1章 真言を説いたお経 第1節 祈りの言葉 人はいろんな場面で祈ります。明日の天気を祈り、旅の無事を祈り、家族の幸せを祈り、病気の平癒を祈り、死者の冥福を祈り ⇒記事を見る
空海密教コンセプト ■知恵と救いの『般若心経』 『般若心経』ほど、一般によく知られよく唱えられる仏典はありません。日本の仏教各宗では日蓮宗や浄土真宗を除きどこでもこのお経を常用経典として、ご葬儀やご法事に、護摩祈願やご祈祷に、巡礼やお遍路の際に、檀信徒の日常のお勤めでも、お唱えします。また解説書の出版や雑誌の特集ものも多く、高田好胤師や松原泰道師や瀬戸内寂聴氏やひろさちや氏などの「心経講話」「心経解説」ものがよく読まれています。 しかし残念なことに、この方々の出版物も、これまで公表された仏教学者や学僧の解説書も、すべて(と言っても過言でないほど)『心経』の本当の姿や内容を伝えていませんでした。敢えて言えば「ダメ」「デタラメ」「ごまかし」の類です。 なぜか。理由は簡単です。どなたも『心経』で最もだいじな最後の結論の部分、つまり「般若波羅密多 是大神咒 是大明咒 是無上咒 是無等等咒 能除一切
追悼 松岡正剛さん New ⇒続きを読む 『梵字悉曇字母并釈義』を読む New この記事は、PDFファイルで配信しています。続きはこちら:『梵字悉曇字母并釈義』を読む ⇒続きを読む 『般若心経秘鍵』を読む New この記事は、PDFファイルで配信しています。続きはこちら:『般若心経秘鍵』を読む ⇒続きを読む 『御請来目録』を読む New この記事は、PDFファイルで配信しています。続きはこちら:『御請来目録』を読む ⇒続きを読む
『般若心経』のほんとの意味 ■『般若心経』は真言を説いたお経 『般若心経』ほど、一般によく知られよく唱えられる仏典はありません。日本の仏教各宗では日蓮宗や浄土真宗を除きどこでもこのお経を常用経典として、ご葬儀やご法事に、護摩祈願やご祈祷に、巡礼やお遍路の際に、檀信徒の日常のお勤めでも、お唱えします。また解説書の出版や雑誌の特集ものも多く、高田好胤師や松原泰道師や瀬戸内寂聴氏やひろさちや氏などの「心経講話」「心経解説」ものがよく読まれています。 しかし残念なことに、この方々の出版物も、これまで公表された仏教学者や学僧の解説書も、すべて(と言っても過言でないほど)『心経』の本当の姿や内容を伝えていませんでした。敢えて言えば「ダメ」「デタラメ」「ごまかし」の類です。 なぜか。理由は簡単です。どなたも『心経』で最もだいじな最後の結論の部分、つまり「般若波羅密多 是大神咒 是大明咒 是無
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