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アメリカ大統領選
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2019年に中国武漢市で発生し、2020年に世界中に広がった新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)による感染症(COVID-19)は、日本国内でも流行した。この感染症の蔓延に対する日本政府の対応には、どのような問題があったのか。コロナ不況に対する日本政府の経済政策は妥当だったのか。本稿では、過去の問題を再検討することで、今後に向けての教訓としつつ、感染症に強い社会を作るための提言を行いたい。 1. 日本の感染症対策にはどのような問題があったのか治療薬もワクチンもない新しい感染症が海外で発生した時、その感染症が国内で広がることを抑制するために国家として取るべき方策には、三つの段階がある。洪水対策に喩えるなら、第一段の堤防は水際対策であり、第一段の堤防が決壊した時の第二段の堤防は感染者の隔離であり、第二段の堤防が決壊した時の第三段の堤防は無差別的な都市封鎖(ロックダウン)である。 最後の堤
このウェブサイトはクッキーを利用し、アフィリエイト(Amazon)リンクを含んでいます。サイトの使用を続けることで、プライバシー・ポリシーに同意したとみなします。 冠詞は中世ヨーロッパの共通言語であったラテン語には存在しなかったし、英語をはじめとするヨーロッパの近代言語でも、最初から独自の品詞として存在したわけでもなかった。定冠詞は「あれ」を意味する指示形容詞から、不定冠詞は「一つの」を意味する数量形容詞から分離独立した後発の品詞である。このうち、定冠詞は古典ギリシャ語やアラビア語にも存在するが、不定冠詞は、近代の西ヨーロッパで発展した特異な冠詞である。不定冠詞の誕生は、西ヨーロッパで発展した個人主義と関係があると考えることができる。 1. 不定冠詞ヨーロッパ近代言語における冠詞の使い方には、似た面が多いので、本稿では、主として英語における冠詞の使い方を取り上げて、冠詞の機能を分析してみた
古代ローマ帝国は、いわゆる五賢帝時代に最盛期を迎えた後、徐々に衰え、大移動を開始したゲルマン民族に蹂躙され、滅んだ。なぜ古代ローマ帝国は持続不可能になったのか。諸説を検討しながら、私の仮説を提示したい[1]。 1. ローマ帝国はいつ滅びたのかローマ帝国はトラヤヌス帝(在位:98年-117年)の時に版図が最大となった後、徐々に衰退し、終わりがはっきりしない。だから、ローマ帝国がいつ滅びたのかという問いに答えることは難しい。しかし、特定の時点で区切らないと教科書的に不都合なので、歴史学界はいくつかのエポック・メイキングな出来事を候補として挙げている。 1.1. 時期に関する定説395年にローマ帝国が東西に分裂した後、すぐに消滅した西ローマ帝国とは異なり、東ローマ帝国は、オスマン帝国のメフメト2世が首都コンスタンティノポリスを陥落させた1453年まで続く。そこで、ローマ帝国が最終的に滅んだのは、
このウェブサイトはクッキーを利用し、アフィリエイト(Amazon)リンクを含んでいます。サイトの使用を続けることで、プライバシー・ポリシーに同意したとみなします。 1996年11月、東京都内のマンションの一室で、家庭内暴力に悩む父親が、14才の長男を金属バットで殴り殺し、社会に大きな衝撃を与えた。事件発生当時よりも、家庭内暴力の詳細が明らかになった時の方が、世間の関心は高まった。なぜこのような事件が起きたかに関して、キャスターや評論家たちがいろんなことを言っていたが、私は、この家族の病理は、ファルスの不在にあると考えている。そして長男を殺害した父親は最後までこの原因が分かっていなかった。そして、分かっていなかったからこそ、最悪の結果に終わったのである。 理想的な家庭的背景父親は、東京大学を卒業後、当時倍率百倍の難関であった東京都内の出版社に就職したエリートだった。しかし出版社では、編集者と
農業革命(食料生産革命)によって農業社会が、工業革命(Industrial Revolution 産業革命)によって工業社会が成立したように、今、情報革命によって情報社会が生まれつつある。この論文では、情報革命が経営形態にどのような変化をもたらすかを論じたい。第一節では情報革命とは何かを、第二節では情報革命によって生産形態がどう変化するかを、そして第三節では情報社会では経営はいかにあるべきかを論じる。 情報革命の本質工業革命以来、人類は人と物の拡大再生産を続けてきた。技術革新が生産力を増大させ、増大した生産力が人口の増加を可能にし、人口の増加は需要と供給の規模を増大させる。だが経済規模の爆発的拡大は、地球は有限だから永遠には続かない。大量生産と大量消費を至上命題としてきた工業社会は、石油危機に象徴される1970年代に挫折した。一方で低エントロピーの減少という資源問題が、他方で高エントロピー
2005年にカーツワイルは『シンギュラリティは近い[1]』を出版し、2045年の技術的特異点(シンギュラリティ)以降、人間が生物学的限界を超えた爆発的な進化を遂げると予言した。人工知能の能力が人間の能力に迫る中、カーツワイルのシンギュラリティ論を信じる人は増えつつあるが、彼の未来予測は本当に正しいのかどうか、批判的に検証してみたい。 なぜ情報技術は指数関数的に進化するのかカーツワイル[2]が80年代から抱き続けている信念は「世界を変える知の力はそれ自体を加速している[3]」というものだ。 2005年撮影のレイ・カーツワイル。Source: Michael Lutch. “Raymond Kurzweil in 2005." Licensed under CC-BY-SA. モラベック[4]と同様、カーツワイルは、ムーアの法則を一般化し、情報技術一般が指数関数的に進化すると予測する。 199
人間は、海中生活を送ることで、直立二足歩行や無毛性といった人間特有の性質を獲得したとエレイン・モーガンは言う。このアクア説は、学界ではほとんど支持されていないが、はたして正しいのだろうか。彼女の説を詳しく検討しよう。 水辺のボノボ。コンゴで撮影[1]。チンパンジーとは異なり、ボノボは水を恐れない。 1. ヒトはいかにして類人猿から分かれたのか1.1. イースト・サイド・ストーリーの破綻ヒトはいかにして類人猿から分かれて人間となったのか。この進化論上の問いに対して答えを与える従来の学界の定説は、次のようなイースト・サイド・ストーリー(東側物語)と呼ばれるシナリオだった。 800万年前、アフリカ大陸を南北に縦貫する大地溝帯(二つの隆起帯に挟まれた溝状の地形)が形成され、地溝帯の西側では、大西洋から湿気を含んだ偏西風が吹くために、熱帯雨林が維持されたが、東側では、偏西風が隆起帯に阻まれて、雨が降
このウェブサイトはクッキーを利用し、アフィリエイト(Amazon)リンクを含んでいます。サイトの使用を続けることで、プライバシー・ポリシーに同意したとみなします。 カロリー制限(calorie restriction)とは、摂取する食物のカロリーを削減することである。カロリー制限は、栄養失調をきたさない限り、様々な生物で老化の防止、加齢性疾患の減少、寿命の延長をもたらすことが確認されている。ダイエット目的で行われることもあるが、この言葉は、主として抗老化医学の分野で用いられる。本稿では、カロリー制限はなぜ老化を遅らせ、寿命を延ばすのか、カロリー制限にはメリット以外にデメリットもないのかについて考えてみたい。 二十世紀以前におけるカロリー制限の実践カロリー制限の歴史は古い。紀元1000年頃に、ペルシャの哲学者で医者のイブン・スィーナー(アウィケンナ)は、中年以降の患者に、若い時よりも食事の量
ウイルス進化説とは、進化はウイルスの感染によって起こるという仮説のことである。「ウイルス進化説」あるいは「ウイルス進化論」は、中原英臣と佐川峻による命名であるが、この仮説は海外では二人が提唱する前からあり、それらを含めた包括的な説とするなら、今日ウイルス由来の遺伝子が哺乳類の進化をもたらしたことが実証されているので、部分的には正しいということがわかっている。 1. ウイルス進化説の起源と背景二十世紀において支配的であった進化論のパラダイムは、ネオ・ダーウィニズム(Neo-Darwinism)と呼ばれる学説で、ダーウィンの進化論とメンデルの遺伝学を総合しているため、総合進化説(modern synthesis 現代の総合)とも呼ばれる。19世紀後半にアウグスト・ヴァイスマンが獲得形質の遺伝を否定[1]して以来、遺伝子がどのように変化して進化をもたらすのかが焦点となったが、1901年にユーゴー
人類は、いつから農業を始めたのか。農業を始めたことで、人類の生活水準は本当に向上したのだろうか。狩猟と採取で生計を立てている民族を参考に、かつての人類の姿を想像しつつ、この問題を考えてみよう。 1. 狩猟民族は農耕民族よりも生活は楽である今日、世界の辺境と呼ばれる地域で、農業や牧畜を営むことなく、狩猟と採取で生計を立てている未開民族がいる。私たちは、メディアを通じて「貧しく飢えた発展途上国の人々」というイメージを植え付けられているから、狩猟採取に従事する未開民族は、貧しくて不安定な生活を送っているに違いないと考えがちである。 しかし調査によれば、農業を行わない狩猟採集民が食物生産に費やす時間は、成人労働者一人当たり平均三時間から四時間である。残りの時間は、遊んで楽しむことができる。長時間労働を強いられ、過労死寸前の日本人にとっては、うらやましい限りである。農耕牧畜民族より、狩猟採集民族の方
生贄もスケープゴートも、罪なくして犠牲となるという点で共通点を持つものの、その機能と排除のベクトルが異なっている。両者の相違を分析しつつ、なぜ現代人が、生贄を捧げることをやめ、代わりにスケープゴーティングをし続けるのかを考えよう。 ウィリアム・ホルマン・ハントが描いたスケープゴート[1]。1854年の作品。 1. 生贄とスケープゴートの起源スケープゴート(scapegoat)とは、“the goat allowed to escape”、つまり「追放された山羊」という意味で、その起源は、聖書の次の一節にあるとされている。 アロンは二匹の雄山羊についてくじを引き、一匹を主のもの、他の一匹をアザゼルのものと決める。アロンはくじで主のものに決まった雄山羊を贖罪の献げ物に用いる。くじでアザゼルのものに決まった雄山羊は、生きたまま主の御前に留めておき、贖いの儀式を行い、荒れ野のアザゼルのもとへ追いや
スタジオに専門家でもない芸能人をゲストとして呼び、コメントを求めるという日本のテレビ番組でよく見かける光景は、欧米のテレビ番組ではほとんど見かけない。これは、欧米人が客観的真理を重視するのに対して、日本人は真理であるかどうかを他者との同意を通じて確認しようとすることによる。つまり、欧米人が情報番組に客観的な情報を期待するのに対して、日本人は、芸能人が自分たちの心情を代弁して表明し、意見の共有を確認することで安心しようとするということだ。[1] 1. 問題提起 日本の情報番組や教養番組では、番組の内容とは直接関係のない芸能人、作家、スポーツ選手などの有名人(以下、包括的に芸能人と呼ぶことにする)をスタジオにゲストとして招き、VTR を見せて、感想を述べさせるというスタイルが多い。最近では、雛壇芸人と呼ばれる大勢の芸能人が、雛祭り人形よろしく複数段の雛壇に座り、内幕ネタの世間話で盛り上がったり
老害批判は昔から存在するが、近年、若年者層に対する高齢者層の人口比率が増え、若年者層が高齢者層を支えるという日本の社会保障の理念が維持不可能になってきたため、高齢者叩きと社会保障制度批判が激しくなってきた。高齢者の延命よりも、もっと子育てに金を使うべきだと主張する人もいる。確かに日本の社会保障制度は抜本的な改革を必要としているが、少子高齢化のトレンド自体は否定されるべきではない。私たちは、高齢者を老害として排除するのではなく、高齢者から老害を排除するべきであり、年功序列システムを前提に高齢に引退を求めるのではなく、前提となっている年齢差別自体を廃止するべきである。 1. この国の主役は老人か若者か2016年9月15日に民進党代表に選出された蓮舫(1967年11月28日 – )参議院議員は、19日(敬老の日)に「お年寄りの原宿」といわれる巣鴨で街頭演説を行い、「これからは、この国の主役が65
このウェブサイトはクッキーを利用し、アフィリエイト(Amazon)リンクを含んでいます。サイトの使用を続けることで、プライバシー・ポリシーに同意したとみなします。 ガリレオは、アリストテレスの解釈ばかりをしていた中世のスコラ学者とは異なり、実験と観察を行うことで、古典力学の基礎となる力学法則を独自に発見したとかつて思われていた。たしかに、ガリレオは、自分をそのように見せようとしていたのだが、実際には、ガリレオによる落体の法則の発見は、14世紀のスコラ学者であるマートン学派が発見したマートン規則やオレームによるこの規則の応用によって御膳立てされていた。彼らはガリレオとは異なり、たんに思想実験をしただけで実証実験を行ったわけではなかったが、そもそも、ガリレオから始まるとされる十七世紀科学革命とは、力学と天文学の分野におけるアリストテレス=トマス・パラダイムからプラトン=アルキメデス・パラダイム
このウェブサイトはクッキーを利用し、アフィリエイト(Amazon)リンクを含んでいます。サイトの使用を続けることで、プライバシー・ポリシーに同意したとみなします。 私たち人間は、自分の性器が他者、とりわけ異性の他者に見られることに強い羞恥心を感じる。植物は、自分の性器である花を、それこそ「はなばなしく」誇示し、動物も、自分の性器の露出を恥ずかしいとも何とも思っていない。なぜ人間だけが恥ずかしそうに自分の性器を隠さなければならないのか。 ドメニコ・ザンピエーリ作『アダムとエバへの叱責[1]』。聖書によると、人類の祖先であるアダムとエバは、善悪の知識の木の実を食べたことで、目が開け、自分達が裸であることに気付き、それを恥じてイチジクの葉で腰を覆ったということになっている。この絵画で描かれているように、禁断の木の実を食べた理由を問われ、アダムはエバに唆されたと言い、エバは蛇に唆されたと弁明したが
現在、覇権国家として、世界で支配的な権力を握っているのは米国である。将来、多くの人がそう予想するように、中国が、米国に代わって覇権国家となるのだろうか。かつて有力な候補だった日本が覇権国家となることはもはや不可能か。過去の覇権国家の盛衰から、覇権国家の法則を導き出し、それに基づいて、これらの問題を考えてみたい。 1. 覇権国家の条件は何かここで、私は、覇権国家(hegemony)という言葉をウォーラーステイン(Immanuel Wallerstein)が使った意味で使っている。ウォーラーステインは、中核(core)と周縁(periphery)によって差異化された世界システムにおいて、単独で世界システムの経済と政治を支配する最強の中核を、特に覇権国家(hegemony)と呼んだ。第二次世界大戦以降の覇権国家は、言うまでもなく、米国である。では、米国の覇権は、今後も続くだろうか。 1.1. 中
現在日本では、売買春は法律で禁止されている。そして、多くの男たちは、「買春は悪だ」と、少なくとも頭では理解している。体が言うことを聞くかどうかは別として。では、この長く信じられてきた価値観に根拠はあるのか。はたして、「誰にも迷惑をかけずに、お互い自由意志で合意してやっているのだから、なーんにも悪くないじゃん」と開き直る売買春肯定論者の主張を、説得力ある理由を挙げて論破することは可能だろうか。いくつか候補を挙げて、その妥当性を検討してみよう。 この説によると、売買春というよりも、売買春を含めたフリーセックス一般が好ましくないということになる。もしも、セックスが夫婦間でしか行われないのであれば、性病は配偶者にしか感染せず、それ以上広がらない。これに対して、売買春がオープンに行われる場合、不特定多数の客を相手にする売春婦がスーパー・スプレッダーとなって、性病を蔓延させることがしばしばある。また、
仏教は、カースト制度による伝統的な差別を否定し、万人の平等を説く宗教であるにもかかわらず、女性を蔑視するのはなぜか。この問いに答えるには、そもそもなぜ、仏教の開祖であるガウタマ・シッダールタが出家をしたのか、その動機を理解しなければならない。 カジュラホにあるヒンドゥー教の寺院には、こうしたカーマスートラ(愛の技術)をモチーフにした彫刻があるが、仏教では性欲は全面的に否定される。 1. 女性を蔑視する仏教言説仏教は女性蔑視の宗教であると言われている。例えば、『増一阿含経』には、以下のような、女性を蔑視する記述が見られる。 お釈迦様は、長老に「女には、九つの悪い属性がある」とおっしゃった。その九つの悪い属性とは何か。女は、1、汚らわしくて臭く、2.悪口をたたき、3.浮気で、4.嫉妬深く、5.欲深く、6.遊び好きで、7.怒りっぽく、8.おしゃべりで、9.軽口であるということである。[1] 仏教
このウェブサイトはクッキーを利用し、アフィリエイト(Amazon)リンクを含んでいます。サイトの使用を続けることで、プライバシー・ポリシーに同意したとみなします。 ローマ・カトリック教会は、地動説を提唱したかどでガリレオを有罪にした。キリスト教が地動説を異端視したのは、たんにそれが『聖書』の記述に反するからだけではない。ユダヤ教やキリスト教は、母権宗教の克服により成立した父権宗教であり、ローマ・カトリック教会は、母なる大地が自ら勝手に動き出し、それが父なる神を象徴する太陽を没落させるという地動説の含意が、自らの支配を危うくする母権宗教の復活と感じたからだ。ガリレオは、俗語でわかりやすく対話篇を書いたので、その自然に対する認識は大衆に広まった。ローマ・カトリック教会は、母なる自然の真理に目覚めた大衆が自ら勝手に動き出し、それがローマ・カトリック教会を没落させることに危機感を抱いていた。この二
18世紀のイギリスの哲学者、デイビット・ヒュームは、因果関係の客観性を疑った懐疑論者として有名である。しかし、原因と結果の結びつきだけでなく、原因と結果の分割自体が主観的であり、その主観的動機を考えるならば、事象を原因と結果に分割した段階で、既に両者の関係は不確定になっていると言うことができる。 1. 因果結合の客観性に対するヒュームの懐疑論ある出来事Cがある出来事Eの原因であるための必要十分条件は何であろうか。デイビット・ヒュームは、CとEが近接していること、CがEに時間的に先行していること、そして最も重要な条件として、CとEの間に必然的な結びつきがあることを挙げている[1]。 ヒュームは、因果関係は客観的に存在するという当時の常識に反して、因果関係が心の中にあると考えた。実際、原因と結果は知覚できるが、原因と結果を結びつけている因果関係を直接知覚することはできない。CとEとの因果関係は
地球で最初に誕生した生物は、無性生殖により増殖していたが、進化史上のどこかで、有性生殖が始まり、それが今日生殖の方法の主流となっている。それなら、有性生殖には、デメリット以上のメリットがあるはずなのだが、そのメリットとは何だろうか。 有性生殖は無性生殖よりもコストがかかる1971年に、英国の遺伝学者、メイナード・スミスは、有性生殖には、“性の二倍のコスト the two-fold cost of sex”があることを指摘して、この問題を提起した[1]。有性生殖では、一つの個体を作るのに二つの個体が必要であり、一つの個体が一つの個体を作る無性生殖よりも、倍非効率である。したがって、他の条件を同じにしてシミュレーションしてみると、世代を重ねるうちに、有性生殖をする種は遺伝子プールから淘汰される。 減数分裂の模式図。この図に示されているとおり、減数第一分裂前期では相同染色体の間で乗換えが起こり、
大和(やまと)は、本来「山処」で、「山のような高い場所」という意味なので、日本神話における「高天原」の概念と同じである。アマテラスが高天原に君臨していたという神話は、卑弥呼が邪馬台国を都としていたという史実に基づいている。そして、≪甘木=天城≫は、≪山処=高天原≫の有力な候補である。[1] 龍王山城の北城本丸から見た奈良盆地[2]。手前に見えるのは、櫛山古墳で、その南に纒向遺跡がある。ヤマトは、狭義には、奈良盆地の東南地域(纒向遺跡がある場所)を指す言葉である。広義の用法としては、現在の奈良県に相当する地域が、大和国(やまとのくに)と呼ばれ、最広義の用法としては、日本全体が「ヤマト」と呼ばれる。 1. 大和とヤマトの関係我が国の国号が「日本」になる前、日本人は自分の国を「ヤマト」と呼んでいた。今日、大和と書いて、「ヤマト」と読み、狭義には奈良県内の箸墓古墳があるあたりを指すのだが、日本全体
シュメール人が六十進法を用いたのは、60 に約数が多いからとか、60 まで両手で数える方法があるからとかいった理由からだけではない。60 は、両手の指の数である 10 と一年における月の朔望周期の回数である 12 との最小公倍数として意味のある数だからである。そして、この点のおいてメソポタミアの六十進法と六十年周期の中国の干支は同じ構造を持っており、後者は前者の文化的影響で成立したと推定できる。今日、メソポタミアの六十進法も中国の干支も、木星と土星が同じ黄道上の位置で合接する 60 年の周期で説明されることがあるが、それは占星術が発達した時代に考えられた解釈であり、そうした後世の解釈で本来の意味を見失ってはいけない。 1. メソポタミアの六十進法はどのようなものかまずは、メソポタミア文明で用いられていた記数法と度量衡のシステムを概観することで、メソポタミア文明の六十進法がどのようなものであ
このウェブサイトはクッキーを利用し、アフィリエイト(Amazon)リンクを含んでいます。サイトの使用を続けることで、プライバシー・ポリシーに同意したとみなします。 もしも企業が、業界最高の人材を集めながら、業界最低の業績しか出せないことに気付いたなら、企業は直ちに経営の在り方を抜本的に見直すに違いない。さもなくば、従業員たちは安い給料に不満を募らせて職場を去り、その会社の経営は立ち行かなくなるからだ。ところが、日本は、先進国で最高の人材を持ちながら、先進国で最低の労働生産性しか出せていないという最悪のシステムを長期にわたって放置し続けている。日本人は国内の待遇が悪くても海外にはなかなか逃げないし、日本は経済大国であるため簡単には破綻しないから、政治家たちはあまり深刻にはとらえていない。しかし、私たちは、この情けない状況を変えるために努力しなければならない。 1. 日本のパラドックス日本人は
人々は、フェミニズムをジェンダー・フリーな平等主義と誤解することで、フェミニズムが持っている欺瞞的性格を覆い隠してきた。フェミニズムと平等主義を区別しながら、なぜフェミニズムが女性を解放しないのかを明らかにしよう。 1. フェミニズムは平等主義ではないアメリカでは、1973年に徴兵制が廃止されて志願兵制になってから、多くの女性兵士が誕生したが、女性が戦闘行為にまで参加することがよいかどうかをめぐってフェミニストたちの間で意見が分かれた。男女の完全な平等を実現するためには、女性兵士も、男性兵士と同様に銃を手に前線で戦うべきだと賛成する女性もいれば、戦争は男性原理に基づくもので、女性自ら戦争に荷担することは、フェミニズムの敗北だと言って反対する女性もいた。 こうした論争は、フェミニズムと呼ばれている思想に、狭義のフェミニズムと平等主義という対立する二つの立場があることを示している。平等主義は、
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私の著作『言語行為と規範倫理学』の解説動画、書誌情報、販売場所、概要、読者との質疑応答などを掲載します。本書に関してコメントがありましたら、このページの下にあるコメント・フォームに投稿してください。誤字脱字の指摘から内容に関する学問的質問に至るまで幅広く受け入れます。 私の著作『言語行為と規範倫理学』の要点を解説します。このビデオでは特に第二章のテーマであるメタ倫理学を取り上げます。ムーアの自然主義的誤謬批判とヘアーの普遍的指令主義とを批判的に吟味しつつ、メタ倫理学および規範倫理学の根本問題を解決するための私見を述べます。2. 販売場所販売価格は小売店によって異なることもあります。リンク先で確認してください。 Amazon.co.jp :: 言語行為と規範倫理学Amazon.com :: Gengokoi to KihanrinrigakuRakuten Kobo :: 言語行為と規範倫理
このウェブサイトはクッキーを利用し、アフィリエイト(Amazon)リンクを含んでいます。サイトの使用を続けることで、プライバシー・ポリシーに同意したとみなします。 哲学の専門家たちは、「超越論的認識」とか「超越論的間主観性」などと、「超越論的」という形容詞を頻繁に使う。今回はこの一見難解そうなジャーゴンをできるだけ平易に説明してみたい。 1. 超越論的認識とは有限性の自覚であるある人が、「自分は愚かな人間だ」と自覚しているとしよう。この人は、本当に愚かな人だろうか。そうではない。本当に愚かな人は、自分が愚かだということすらわかっていない人である。「生兵法は大怪我の基」という諺があるが、自分の能力の限界を知らない人ほど、大失敗をするものだ。自分の限界を心得ている人は、無理をしないし、その限りでは利口なのである。 自分の認識に限界があると認識できる人は、実は自分の認識の限界を超越している。限界
私の著作『エントロピーの理論』の解説動画、書誌情報、販売場所、概要、読者との質疑応答などを掲載します。本書に関してコメントがありましたら、このページの下にあるコメント・フォームに投稿してください。誤字脱字の指摘から内容に関する学問的質問に至るまで幅広く受け入れます。 エントロピーとは何なのか、エントロピーにはどのような法則があるのか、その法則は熱力学の対象を超えて適用できるのかといった問題を取り上げ、私の著作『エントロピーの理論』を読む人のための導入とします。Source: YouTube.2. 販売場所販売価格は小売店によって異なることもあります。リンク先で確認してください。 アマゾン日本 :: エントロピーの理論アマゾン米国 :: Entropy no Riron (Japanese Edition)グーグル・プレイ・ブックス :: エントロピーの理論楽天市場ブックス :: エントロピ
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