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建築の骨格となる「構造デザイン」に焦点をあてた展覧会『感覚する構造 - 力の流れをデザインする建築構造の世界 -』の見どころを紹介。構造デザインの魅力や建物の奥深さを余すところなく知ることができる貴重な機会だ 建築家の伊東豊雄と構造家の佐々木睦朗との協働による「瞑想の森 市営斎場」の構造模型 建築関連の展覧会と言えば、デザインや思想、機能性、サステナビリティなどに焦点を当てたものが多い中、建築の骨格となる構造デザインに着目した稀有な展覧会『感覚する構造 - 力の流れをデザインする建築構造の世界 -』が、天王洲のワットミュージアムで開催中だ。 特に地震の多い日本では、7世紀末に建てられた法隆寺五重塔の耐震設計が今でも話題になるほど、古くから構造デザインが重要視されてきた。特に今年は1923年の関東大震災から100年という節目の年でもあり、この展覧会が構造デザインについて学ぶよい機会になるはず
斎藤幸平の著書『人新世の「資本論」』は、彼の想像をはるかに超えて、50万部以上を売りあげた 斎藤幸平が「脱成長コミュニズム」について書いてみようと決めたとき、担当編集者が懐疑的だったのも無理はない。日本ではコミュニズムは不人気だ。誰もが、経済成長を絶対的に良きものだと信じている。 だから、人口減少と経済停滞という日本の現状を危機としてではなく、マルクス主義的な再創造の機会として見るべきだと主張する本に、売り上げを期待するのは無謀だと思われていた。 しかし、売れた。2020年に刊行された斎藤の著書『人新世の「資本論」』は、彼の想像をはるかに超えて、50万部以上を売りあげた。斎藤は東京大学で哲学を教える准教授だが、日本のメディアに頻繁に登場して、自分の考えを訴える。『人新世の「資本論」』はすでに数ヶ国語に翻訳され、来年1月には英語版が出版される予定だ。 日本では、増加する老人の介護問題であれ、
RECIPE BY YOKO ARIMOTO, PHOTOGRAPHS BY YUKI SUGIURA, TEXT BY MIKA KITAMURA 有元流フライドポテトはほんのひと手間で、まわりがカリッカリッ。中はホクホク 「揚げものは、油の質が大切です」 情報が氾濫する今、私たちは“体によい”と言われればその食材を選び、反対ならやみくもに避けてしまっていないだろうか。例えば、揚げもの。おいしいけれど、“カロリーが高くてヘルシーではないから”、“太りたくないから”と控えている方も少なくないだろう。 「古い油を使っていたり、揚げてから時間が経ったりしたものは、油が酸化し、体にいいとは言えませんね。新しい油を使い、揚げ立てをいただけば、油の酸化は最低限で済むのです。だから、揚げものは家庭でするのがおすすめね」と有元さん。 「揚げる作業は大変と思われがちですが、調味に凝る必要はなく、油の力で素
35年間のキャリアを祝す展覧会がMoMAで開催中の、写真家ヴォルフガング・ティルマンス。「見ることによる詩」を追求し、パーティーと抗議活動の境界線を曖昧にしてきた。しかし、彼の関心はますます政治に向いてきている MoMAにて、展覧会の準備中のティルマンス PHOTOGRAPH BY DANIEL ARNOLD ベルリン、午前11時過ぎ。ヴォルフガング・ティルマンスのスタジオは活気を帯びてきた。光あふれる巨大な空間の一角にアシスタントが集まり、ティルマンスにプランを説明している。何百点もの作品が梱包され準備は順調に進んでいるが、忙しい日々はまだ続く。 ベルリンでは最近、マスクをすることが少なくなったが、みな顔を隠している。ティルマンスは、9月12日から来年1月1日までニューヨーク近代美術館(MoMA)で開催される回顧展「To Look Without Fear」の最終準備が、コロナウイルスに
BY LIGAYA MISHAN, ARTWORK BY CARMEN WINANT, TRANSLATED BY MAKIKO HARAGA 言葉には、亡霊のようなものがつきまとう。どんなに語源からかけ離れた意味をもつようになっても、古い意味を宿し続ける。それはまるで、完全削除を逃れた暗号の破片や、地上に出る瞬間を待ちながら土の中で潜伏し続けるセミの幼虫みたいだ。 過去数年のあいだに、“カレン”は風紀委員を自ら買って出て世間を闊歩するタイプの、干渉好きで高圧的な態度をとる白人女性を意味するようになった。彼女たちは自分の社会的地位は安泰であると思っているため、権限をもつ人物や機関を呼び出すこともいとわない。責任者との直談判を要求したり、警察に通報したりする。だが、あまりにも些細なことを問題視するし、まったくの作り話をしては、それを犯罪だと言い張ることも少なくない。 では、なぜ“カレン”とい
「人新世」の危機を乗り越えるには ーー 斎藤幸平 際限なく利潤を追求する資本主義。安価な「資源」と「労働力」を搾取し、「市場」を作り出し続けるためには、常に新たなフロンティアが必要だ。 「しかし地球は有限です。今や資本主義を潤すフロンティアは、ほとんど残されていません。それどころか、人類の経済活動、すなわち資本主義が地球環境そのものを破壊する『人新世』と呼ばれる時代に突入してしまった。先進国に暮らす私たちも逃れられない環境危機に直面しているのです」 『人新世の「資本論」』の著者・斎藤幸平は、現在の状況をそう捉えている。ベストセラーとなったこの本は、「SDGsは『大衆のアヘン』である!」、そんな強烈なパンチラインで幕を開ける。各国政府や企業が推進するSDGs(持続可能な開発目標)は、環境危機から目をそらさせるための免罪符だと言うのだ。 斎藤幸平(KOHEI SAITO) 1987年生まれ。大
BY TOMONARI COTANI, PHOTOGRAPH BY KENSHU SHINTSUBO, EDITED BY JUN ISHIDA 重要なのは多様性より多重性 ーー 千葉雅也 昨今のSNS界隈では、格差問題に紐づくさまざまな意識が前面化しているかのごとく、あらゆるイシューにかこつけて「足の引っ張り合い」が繰り広げられている。とりわけその傾向が強いメディアがツイッターだ。『ツイッター哲学 別のしかたで』という著書をもち、ツイッターの存在なくして今の自分のキャリアはなかった」とも語る哲学者・小説家の千葉雅也の目には、今日のツイッターの状況はどのように映っているのだろうか。 「とても単純な二元的な立場の対立、つまりどちらにつくかという選択を迫る空気が強いですよね。第三の道とか、二項対立ではない複雑さを言おうとすると、『ちゃんと状況にコミットしていなくて冷笑系』とか言われるわけです。
「石岡瑛子」、あるいは「EIKO」の名を聞くと少しだけ空気が引き締まる。怖れだけではない。彼女への憧憬がある。もう会えない無念もある。 石岡の仕事を総覧する展覧会『石岡瑛子血が、汗が、涙がデザインできるか』が東京都現代美術館で2021年2月14日まで開催中だ。 憧憬。歴史に残る表現者たちと、次々とコラボレーションをした。レニ・リーフェンシュタール、フランシス・フォード・コッポラ、マイルス・デイヴィス、アーヴィング・ペン、ビョーク、ターセム・シン……。その成果として、グラミー賞、アカデミー賞衣装デザイン賞を受賞。 無念。大きな仕事をいくつも成し遂げ、活動領域を広げ、さらなる期待を背負いながらも、この世界から足早に去っていってしまった。 石岡瑛子(EIKO ISHOKA) 1938年、東京都生まれ。アートディレクター、デザイナー。東京藝術大学美術学部卒業。資生堂時代に手がけた前田美波里を起用し
芸術家、フランソワーズ・ジローがパブロ・ピカソと初めて出会ったのは1943年。彼女が21歳のときだ。ある夜、2人はたまたまパリで同じレストランに居合わせた。ピカソは当時の恋人、ドラ・マールと友人たち、一方のジローは彼女の友人たちと食事をしに来ていた。食事を終えたピカソはジローたちのテーブルにやってきて、チェリーの入ったボールを差し出すと、グラン=ゾーギュスタン通りにあるアトリエを見にこないかとジローを誘った。すでに世界的に有名な芸術家となっていたピカソだが、もはや1920年代から30年代にマン・レイのカメラがとらえた“ハンサムな獣”のようにはジローの目には映らなかった。それでも、ジローは61歳のピカソに心奪われた。 これは広く知られた話だ。というのも、1964年にジローが米国のジャーナリスト、カールトン・レイクとの共著で出版した回想録『ピカソとの日々(原題:『Life With Picas
2019年6月、日本美術に関するあるニュースが報じられた。出光美術館が約190点のプライスコレクションを購入した――この知らせは美術関係者のみならず、広く一般の人々にも関心をもって受け止められた。 プライスコレクションとは、アメリカのエツコ&ジョー・プライス夫妻が所有する江戸絵画を中心とした美術コレクションだ。プライス夫妻は世界一の伊藤若冲のコレクターとして知られ、日本における若冲ブームを巻き起こした人物でもある。2006年に東京国立博物館で開催された『プライスコレクション「若冲と江戸絵画」』は、その年の一日における観客動員数世界一を記録した。また、東日本大震災の後には、被災地の助けになればという思いから、宮城、岩手、福島の美術館で巡回展『若冲が来てくれましたープライスコレクション江戸時代の美と生命ー』(2013年)を催した。今回、出光美術館が購入した作品の中には、この展覧会でも中心的な役
BY AATISH TASEER, PHOTOGRAPHS BY ROE ETHRIDGE, STYLED BY CARLOS NAZARIO, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO 「不安や恐れが僕にとっての原動力なんだ」とジェイコブスは話し始めた。 11月のNY、ソーホー。巨大なファッション史の本がずらりと並んだ彼のアトリエで、私はジェイコブスと差し向かいに座っていた。56歳の彼は、見上げるような高さのプラットフォームブーツを履いている。軍装備品のような電子タバコ「Smok G-Priv」を持つ指先にはグリーンとサファイア色のラインストーンがきらめき、ジェルで整えた長めの黒髪にはバレッタを並べて留めている。ブラックのウールパンツに合わせているのは、セリーヌのピンストライプジャケットだ。そのダークグレーの襟元からは、ブルーのエルメスのシルクスカーフをのぞかせている。
遡ること2018年11月、東京で開かれたディオールの2019年 メンズ プレフォール コレクションのショー。そのランウェイの中心に置かれていたのが全長11メートルを超える「セクシーロボット」の彫刻だった。制作したのは、アーティストの空山基。モデルたちがまとったウエアにも、空山が描いた「セクシーロボット」や「ロボット恐竜」、また空山がアレンジしたシーズン限定のディオールのロゴがモチーフとして使われた。 「その少し前、2018年の夏に開いた私の個展に(ディオールのメンズ・アーティスティック・ディレクターの)キム・ジョーンズがやって来てね。それがコラボレーションのきっかけ」と、空山は当時を振り返る。「キムは海外で出版されている私の作品集を持っていて、昔からのファンだったみたい。翌日に一緒に食事をしたら、その場で『コラボレーションしませんか?』って。その時が初対面。その後もいままでにないくらいスピ
ドロシア・ラングは、彼女の人生の後半を、英国人哲学者フランシス・ベーコンの格言を視界の端にちらちらと意識しながら送ってきた。その格言とはこうだ。「間違いや錯覚、置き換えや偽装なしに物事をありのままに捉え、その意味を深く考えること、そのこと自体が、発明で得られる成果以上に高尚なことなのだ」。彼女は1933年にこの言葉が印刷された紙を暗室の扉にピンで留めた。その紙は1965年に彼女が70歳で死去するまでそこに貼られたままだった。彼女が亡くなったのは、ニューヨーク近代美術館(MoMA)で彼女の最初の回顧展が開催される3カ月前。さらにその死は、写真という媒体の歴史上、最も象徴的な一枚を彼女が撮影した日から数えて、30年後だった。 ラングが1936年に撮影した写真《Migrant Mother(出稼ぎ労働者の母)》は、フローレンス・オーウェンズ・トンプソンという人物のポートレートだ。この被写体の素性
トリノから北へ1時間ほど電車で行ったところにある町、イヴレーア。この小さな町は、1950年代に、生活と労働を融合させたかつてない実験の舞台となった。タイプライターと会計機器のデザインと製造で名を馳せたオリベッティが、社員たちの生活を一生面倒みると決めたのだった。社員たちは社の敷地内にある商業専門学校で授業を受ける機会を与えられていた。昼食時には、同社を訪れた著名人ら(俳優、音楽家、詩人など)によるスピーチや公演などの催しものが目白押しだった。また、社員が引退すると、高額の退職金が給付された。社員が希望すれば、オリベッティが建設したモダンな家やアパートメントに入居することもできた。社員の子どもたちのための無料の保育所があり、出産する女性社員には10カ月の産休が与えられた。 7月は夏期休暇で、近郊に住む社員たちは、その間、自宅で農作業に専念することができた。社員たちに、都市と郊外の間で引き裂か
中秋の名月の翌9月14日、満月の夜に群馬県渋川市にある「ハラ ミュージアム アーク」に建築関係者ら約200名が集った。今年88歳を迎えた建築家、磯崎 新の米寿を祝うためだ。ハラ ミュージアム アークは東京にある原美術館の別館で、設計は磯崎が手がけた。広大な敷地にはオラファー・エリアソンやアンディ・ウォーホルの作品が点在し、美術館の一角をなす「觀海庵」では『縁起』と題した磯崎の展覧会も前日から始まった。 大型バス3台に分かれて会の参加者が到着する。その中には建築家の妹島和世や青木 淳、石上純也らの顔も見える。日が暮れる前にホンマタカシによる集合写真の撮影が行われ、会が始まる。お祝いのスピーチの先陣を切るのは、磯崎 新アトリエの元所員、渡辺真理(まこと)だ。「磯崎さんの周囲には、常に新しく謎だらけの興味深いプロジェクトが渦巻いていて、見とれているといつの間にか自分も巻き込まれ、大変な困難に直面
いつの時代も“永遠の命”の探求は建築に込められたテーマだった。死んだファラオ(王)の魂が天に昇っていけるようにつくられたという巨大な階段状のピラミッドに始まり、野心的なネーミングの展示会場「ニューヨーク・コロシアム」(1956年竣工、2000年解体、歴史的建造物を遺した古代ローマ皇帝の仲間入りを果たそうと目論んだ都市開発の帝王ロバート・モーゼスが建設)に至るまで、数多くの建造物が永遠の命を求めてつくられてきた。 60年代ニューヨークのコンセプチュアルアーティストでアマチュア建築家、ダダとフルクサス運動の架け橋的存在とみなされていたマドリン・ギンズと夫の荒川修作(名字の「アラカワ」で通っていた)に至っては、「死を逃れる」というテーマを――風変わりではあるかもしれないが――文字どおりに解釈し、それを建築で表現した。そして、ふたりがつくった家に住めば、本当に永遠の命を手に入れることができると確信
歌舞伎座で令和初となる「秀山祭九月大歌舞伎」の幕が開いた。中村吉右衛門さんを中心とするこの公演は、初代中村吉右衛門生誕120年を記念して2006年に始まったものだ。吉右衛門さんの養父である初代は、明治、大正、昭和の歌舞伎界に大きな功績を残した名優。それを裏付けるエピソードが吉右衛門さんの幼い日の記憶にある。 「『盛綱陣屋』に小四郎という役で出ていたときのことです。お客様というお客様が、初代の演じる盛綱をじっと見つめ、集中しているのがひしひしと伝わってきました。そして要となるせりふになると、劇場が揺れているかのような、とてつもない拍手に包まれたのです。盛綱という人物に心をつかまれ、思わず身を乗り出し無心で手をたたいている、そんな感じでした」 人間の内面を深く掘り下げた役づくりと、磨き抜かれた技術に基づく確かな演技力が熟成を極めた、晩年のエピソードだ。 中村吉右衛門(NAKAMURA KICH
本はかつて本だった。本といえば、それは紙の束を片側でバインドした、そのハードウェアの形式であり、同時にその形式のなかに格納された情報体を指していた。中身とそれを格納する器は不可分のものだった。ところが、デジタルデバイスの登場によって、不可分だったはずのものを分離することが可能となった。中身は「コンテンツ」という名のものに置き替わり、紙の束は「フィジカルの本」と呼ばれる、選択可能な「オプション」となった。今「本」と言ったとき、それがいったい何を指しているのかは、実に曖昧だ。コンテンツとしての本の話なのか、ハードウェアとしての本の話なのか。そもそも「本」とはいったい何を指していたのか。そうした混乱のなか、いまだに延々と繰り返されてきたのが「紙の本のよさ」をどう擁護しうるのか、という議論だ。 「手ざわりが大事」「デザイン性が大事」「デバイスに依存しないので保存性がより高い」「透過光より反射光で読
「意外かもしれませんが、日本のマンガはイギリスと無縁ではありません」。大英博物館で開幕した『The Citi exhibition Manga』展のキュレーター、ニコル・クーリッジ・ルマニエールはそう話す。この展覧会は、日本初の職業マンガ家である北澤楽天、岡本一平から、手塚治虫、鳥山明、萩尾望都、尾田栄一郎といった現代の作家までを取り上げ、日本マンガの成り立ちと独自の表現方法、つまり“マンガの読み方”を伝えるもの。単行本や原画に加え、コスプレやコミックマーケットなどの資料、マンガに着想を得た現代アート、井上雄彦の描き下ろし絵画やスタジオジブリを取材したドキュメント映像と見どころも豊富だ。 ニコル・クーリッジ・ルマニエール 大英博物館アジア部IFACハンダ日本美術キュレーター。セインズベリー日本藝術研究所研究担当所長も務める。写真は去る3月31日に閉店した東京・神保町のコミック高岡にて。彼女
ここはマンハッタンの築130年の建物、その地下にある茶室躙り口のこちら側から中を望む。多目的な用途も想定され、茶室としては広めの六畳間。炉が切ってあり、水屋も備えた堂々たるものである。「型にはまらないこと。アーティストのニーズに忠実にこたえてユニークな茶室にすること。多様な使い方に対応できること。アーティストの人柄に合わせること」。蔡國強氏から茶室の設計を依頼された建築家の重松象平氏が意識したのはそんなことだった PHOTOGRAPH BY AKIRA YAMADA 「茶室は簡素にして俗を離れているから真に外界のわずらわしさを遠ざかった聖堂である。ただ茶室においてのみ人は落ち着いて美の崇拝に身をささげることができる。」(岡倉覚三『茶の本』原文英語、村岡博訳 岩波文庫所収) 昨年、横浜美術館で大規模な個展『蔡國強展:帰去来』を開催した現代美術家、蔡國強。上海演劇大学で舞台美術を学んだあと筑波
“とうとうここまで来たか”という感慨がありますか? と問うと、まっすぐ目を見ながら是枝監督は即座に否定した。 「それはまったくない。階段を上ってきた、みたいな感覚はまるでありませんから。でも、先日アカデミー賞前哨戦の長い戦いが終わってノミニーが集まるランチ会に参加したらレディー・ガガがいた。『バイス』のクリスチャン・ベイルに会えたり、洗面所に行ってふと隣を見たらウィレム・デフォーだったりで、今はもう、ただただミーハーに楽しんでる(笑)。英語がしゃべれればデフォーに『フロリダ・プロジェクト、観ましたよ』ぐらい言いたかったのに、英語となるとどうしても躊躇してしまって……。授賞式の会場で英語をしゃべっていないのは、僕と『ROMA/ローマ』の主演のヤリッツァ・アパリシオさんの二人だけでしたよ」 日本を代表する映画監督として多忙な日々の中、まだ春の気配の遠い都内某所にて 昨年のカンヌ国際映画祭で『万
いい歌には羽がある。国や時代を越えて飛んでゆく。オーストリア生まれのシューベルト(1797~1828)の歌曲もそうだ。はるか遠く日本で、今なお愛されているのは間違いない。だが、歌に描かれている情景や登場人物は、ドイツ語の霧の向こうに霞んではいないだろうか。日本語の魔術師、松本隆がその霧を取り払った。『冬の旅』(1992年)、『美しき水車小屋の娘』(2004年)に続き今年4月、日本語に訳詞した『白鳥の歌』がCDになり、三大歌曲集プロジェクトがついに完結した。 日本語ロックの草分け「はっぴいえんど」のドラマーであり、作詞担当だった松本。その代表曲「風をあつめて」はソフィア・コッポラ監督の『ロスト・イン・トランスレーション』でも流れていた。バンド解散後、寺尾聰の「ルビーの指環」、松田聖子の「赤いスイートピー」などなど数えきれないヒット曲を手がけてきたことは周知の通り。そのかたわら取り組んできたの
望まれないもの、不必要なもの――それが雑草の定義である。雑草は栄養を与えてくれるわけではなく、美をもたらすわけでもない。私たちの生活になんら貢献することのない彼らは、価値のない植物と見なされてきた。しかし、そもそも雑草は生きるために人間を必要としないのだから、どうして人間を助ける必要があるだろう? 雑草はかすかな風にも種子を運ばせ、どんな過酷な条件の土地にも根を下ろし、はびこることができる。彼らは人間の文明からは完全に離れたところで、たくましく自立して生きている。そして人類の覇権をあざわらうかのように、地球をわが物としている。さらに困ったことに、雑草は略奪者だ。私たちが価値をおき、頼りにしている植物から土地と日光を横取りして彼らを追い出し、生存を脅かす。やみくもにはびこることで、私たち人間の生存までをも脅かす。 これまで敬遠されてきた、野性的なタンポポ、侵略的なイタドリ、トゲのあるイラクサ
漫画家としては、あの手塚治虫以来二人目となる、国立の美術館での個展を実現した荒木飛呂彦。その代名詞とも言える『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズを30年以上描き続ける、荒木の創作哲学とは Read in English 荒木飛呂彦は、間違いなく、日本の漫画史に長く名を残す作家だ。代表作は、1987年に『週刊少年ジャンプ』で連載をスタートした『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズ。現在もなお続くストーリーのすべての始まりは、主人公のジョースター家の跡取り息子ジョナサンと、この家に養子としてやってきたディオの戦いだ。少年漫画の王道たる“バトルもの”に、“同じ家に住む身近な他人が、吸血鬼になり、自分の命を脅かす存在になる”というホラー&サスペンス要素を掛け合わせたこの物語は、第2部以降、主人公と舞台を子孫の世代へとシフトし、ドラマとしてスケールを拡張していく。コミックスは今までに122巻が刊行され、その累
BY NIKIL SAVAL, PHOTOGRAPHS BY ANTHONY COTSIFAS, TRANSLATED BY FUJIKO OKAMOTO ほかの写真をみる ル・コルビュジエが設計した、東アジアで唯一の建築作品。いたって控えめな外観の〈国立西洋美術館〉(1959年竣工・東京) その建物は決して壮大な建築として声高に存在を主張しているわけではない。東京の最北端、江戸の面影を残す上野に、比較的小さなコンクリートの箱が細い柱に支えられて建っている。公園の中でひときわ目立つ灰色の大きな広場は、入場者を厳粛な気持ちにさせる。建物に近づくにつれ、正面に広がるフラットな空間から一転、小石をぎっしりと埋め込んだコンクリートパネルの外壁へと視線が導かれる。中心からはずれた位置に突き出るように設置された階段には、“芸術の殿堂”へと昇っていくという象徴的な意味が込められている。この建物
BY JUNKO ASAKA, PHOTOGRAPHS BY SHINSUKE SATO, HAIR & MAKEUP BY MAI HANZAWA 慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスの研究室にて。自身の専門である教育経済学について語る言葉はよどみなく、まなざしもきりりと鋭いが、大好きなファッションや愛猫の話になるとチャーミングな笑顔がこぼれる 慶應義塾大学の准教授、中室牧子さんの専門は「教育経済学」。すなわち「教育をデータを用いて統計学的に分析する応用経済学」だ。なかなか耳慣れないこの学問を、中室さんは日本における教育の実践の場で活用しようとしている。 慶應義塾大学を卒業後、日本銀行を経て単身ニューヨークへ。その後、ワシントンDCにある世界銀行で開発途上国の経済や医療、教育、インフラなどの調査研究に携わった。現在、中室さんが提唱している「科学的根拠(エビデンス)のある教育政策」という考え方は
キアヌ・リーブスといえば、これまでの当たり役のイメージが記憶に焼きついているだろう。『ハートブルー』(1991年)では、ストイックなFBI覆面捜査官。『マトリックス』(1999年〜)シリーズでは、お告げに導かれて暗黒の未来社会と戦うストイックな救世主。『地球が静止する日』(2008年)では、未知の惑星からやってきたストイックな使者を演じた。そんな彼が「アート系出版社のストイックな創業者」であると聞いても、あまりピンとこないだろうが、これもまた最近、彼の代名詞になっている。昨年の夏以来、キアヌがビジュアルアーティストのアレクサンドラ・グラントとともにロサンゼルスで立ち上げた小さな出版社「X Artists’ Books」は、精力的に作品を世に送り続けている。どのタイトルも、決して大手出版社が手を出さない、マニアックなものだ。 キアヌ
生活費を稼ぐための仕事は創造的探究とは対極にある――と思われがちだが、さにあらず。芸術家たちはいつの時代も「仕事」をもっていた。はたして創作以外の仕事は創作にいい影響を与えるのだろうか? PHOTOGRAPH BY MARI MAEDA AND YUJI OBOSHI かつて、アーティストが二足のわらじを履いていた時代があった。といっても「ベルディの新作オペラを買うよう議会図書館に提案する」といったいかにもそれらしい仕事ではなく、芸術とはおよそかけ離れた職業をかけもちしていたのだ。選挙演説のネタにされるような、ごく「普通の職業」との両立である。 たとえばT・S・エリオットは、日中は勤務先のロイズ銀行で外国籍の口座を管理するかたわら、夜の時間を使って『荒地』(1922年刊行)を書きあげた。詩人のウォレス・スティーブンズは保険会社に勤務して、不動産の権利に関する法務を任されていた。彼は約3キロ
別荘ではこの大テーブルで執筆。背後の油絵は母方の叔父、森通の作品で、サハラ砂漠の夜明けを描いたもの。 執筆中はオランダのシガリロZinoを、くつろぎのときはキューバ産葉巻をたしなむ その別荘には、かつて海から来るしか方法がなかった。今は建物が面した入り江にマリーナがあり、背後の崖から下る道もあるが、なるほどあるじがエッセイに書くとおり、まさに「海の基地」といった風情だ。 別荘の主、北方謙三は、この基地と自宅、定宿のホテルと3カ所で執筆する。それぞれの場所で過ごすのはおおむね月に10日ほどだという。ただ基地に来れば、クルーザーで海に出る、目の前の海で釣ったタコも料理する。孫が友達に「じいちゃんは貧乏だから自分で魚を釣るんだ」と言った、と目を細めるところを見ると、基地は家族が集まる場でもあるのだろう。 廊下に並ぶ、釣り竿とリール、ルアーのコレクション。ほとんどがカジキマグロなど大型魚用。北方の
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