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武士は左側通行であったため、武士同士がすれ違うとき、お互いの刀の鐺(こじり:鞘の末端部分)がぶつからないようにするためでした。 刀の鐺がぶつかると非礼にあたり、もめごとの原因になります。武士が皆、同じ左側に日本刀を差すというルールを作ることで、武家社会の平穏維持につながっていました。 もうひとつの理由が、座って相手と対面するときのルールにあります。江戸時代に武士が正座をして相手と対面する際は、太刀を右膝頭の横に置きます。刀の抜きにくい右側に置いて、敵対心が無いことをあらわしていました。そのため、利き腕に合わせて異なる作法を用いていては、敵対心が無いことのアピールになりません。ですから、武士の子どもであれば、左利きは許されず、必ず右手で抜刀できるように矯正されました。 このような右利きの矯正は一般的に庶民にも広がっていき、日本の風習となったと考えられています。
蘭奢待は聖武天皇ゆかりの宝物を集めた正倉院に現在も収蔵されている。 正倉院の目録上の名前は「黄熟香(おうじゅくこう)」。全長156cm、最大径は43cmと、成人女性ほどもある巨大な沈香(じんこう)で、原産地はベトナムからラオスにかけての山岳部とされている。 沈香はジンチョウゲ科の樹木が幹の中に分泌した樹脂成分を採取した物。樹脂は、傷ついたり、害虫に食われたり、風雨にさらされたりすることに対する生体防衛反応として分泌され、1000年以上の年月を経てようやく採取できるようになる。中でも質の良い物は伽羅(きゃら)と呼ばれ、現代においては金の5倍以上の価格で取引されている貴重品だ。 聖武天皇によって名付けられた蘭奢待という雅名には、自身が創建した東大寺と「黄熟香」への愛情が感じられる。 良い香りを意味する「蘭麝(らんじゃ)」という言葉をもじった物と考えられ、「蘭」、「奢」、「待」の各文字には、それ
平将門は、平安時代中期の903年(延喜3年)生まれ。桓武天皇の血筋を引く5世です。桓武天皇のひ孫にあたる「高望王」(たかもちおう)が「平」姓を賜って臣籍に入り、「上総国」(かずさのくに:現在の千葉県中部)の国司を務めました。 この高望王の子供は全部で5人。「良文」(よしふみ)・「良正」(よしまさ)・「良将」(よしまさ)・「良兼」(よしかね)・「国香」(くにか)です。良将が将門の父で、「下総国佐倉」(しもうさのくにさくら:現在の千葉県北部)を所領していました。 そんな良将を父に持つ将門は、15歳で京に上ります。藤原北家・「忠平」(ただひら)の従者となり、京内外の犯罪を取り締まる「検非違使」(けびいし)を志願しますが叶わず、官位も低く、天皇の護衛をする「滝口の武士」に留まっていました。 決して実力不足と言う訳ではなく、この時代には「律令制」(りつりょうせい)が崩れ始め、天皇をとりまく貴族の中で
「刀剣」は、かつて武器として活躍し、現在では日本のみならず世界中に愛好家が存在する美術品です。日本の戦国時代を舞台にしたアクションゲーム「戦国BASARA」から端を発した刀剣ブームは、名刀である「三日月宗近」や「鶴丸」、「加州清光」「五月雨江」等を擬人化したブラウザゲーム「刀剣乱舞」でさらに火が点き、刀剣が好きな女性を指した「刀剣女子」は「新語・流行語大賞」にもノミネートされました。そして、大正時代を舞台にした和風剣戟奇譚「鬼滅の刃」によって、刀剣に興味を持つ子どもが激増。ゲームや漫画をきっかけとして、新たな刀剣ファンが名刀を観るため博物館に列をなすなど、かつてないほどの賑わいを見せているところです。 知れば知るほど興味が湧いてくる刀剣の世界ですが、情報を探すのが大変という方も多いのではないでしょうか。そんな方に向けて、「刀剣」、「日本刀」、「刀」、「剣」に関する様々な情報を教科書のように
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