サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
体力トレーニング
www.futoko.org
不登校の子どもたちが家庭やフリースクールで行なう学習を義務教育と認める法律の試案が、5月27日、フリースクールと夜間中学校の合同議員連盟総会で発表された。両議員連盟の方針は法案を今国会中に成立。来年度の通常国会にて学校教育法を改正し、経済支援制度を構築。運用の基本方針は、文科省の中教審に特別審議会を設け、フリースクール、夜間中学校関係者も交えてガイドラインを作成。早ければ法案の施行は、再来年度2017年度からとなる。 法案の名称は「多様な教育機会確保法(仮称)案」。目的は「さまざまな事情で義務教育を十分に受けていない者(年齢、国籍に問わず)」に対して、教育機会を確保する施策を総合的に推進すること。法案によると、保護者と子どもが学校以外で学ぶことを選んだ場合、親が「個別学習計画」を作成し、教育委員会に申請。教育委員会の「教育支援委員会(新設)」がそれを審査・認定する。学習計画を実施後、教育委
メディアプロデューサーであり、登校拒否、ホームスクーラーの先駆け的存在だった羽仁未央さんが亡くなられた(享年50歳)。羽仁さんは、本紙「不登校新聞」創刊1周年記念号に登場するなど、本紙との関係が深かった。ご冥福をお祈りします。 ――羽仁さんは、不登校の大先輩とも言えますが、いつごろから? 学校を辞めたのは小学校四年生、九歳のときでした。その前はパリにいたのですが、そのころから学校には行きたくなかったんですね。 小学校二年生で日本にもどってきて、一年ちょっとで学校に行かなくなりました。学校にとくにイヤな思いがあるわけじゃないんですが、とにかく毎日同じ所に行くということがイヤだったんですね。 でも、それがなかなか、うまく説明ができなくて、病気になればと、水ぼうそうにかかった友だちの家に行き、むりやり水ぼうそうにかかったりもしました。 ――お父さんは味方だったんですよね。 最初は、父も理解できな
文科省が「学校基本調査」の速報値を発表。それによると「特別支援学級」に通う児童生徒は18万7101人(前年比1万2220増)となり、13年連続で過去最多を更新した。「特別支援学級」に通う児童生徒はここ6年間は、毎年、ほぼ1万人ずつ増加を続けている。「特別支援学級(旧特殊学級)」に通う児童生徒の内訳は、小学校12万9020人、中学校5万8081人。1995年度までは減少傾向にあったが、96年度から増加に転向。2006年に「発達障害者支援法」が成立して以降は、増加傾向に拍車がかかり、00年代後半からは約1万人ずつ上昇している。
精神科医であり作家のなだいなださんが亡くなっていたことが6月8日にわかった。『不登校新聞』では追悼の意を込め03年9月に掲載したなださんのインタビュー記事を掲載する。記事はこちら
――どんな子ども時代でしたか? 僕の小学校時代は世間でいう優等生。勉強もそこそこできて、子どもだったけど偽善的でしたね。高校に入学したときに「もう勉強はいいや」と思った。「こんなことは絶対社会にでてやらない」という内容ばかりだった。中学生のころまでは勉強が何かの役にたつと思っていたけど、そのころには受験勉強とはテクニックなんだと感じていた。そのテクニックを身につけるための方法論が社会に出たときのためになる、という言葉は方便にしか聞こえなかったですね。 大学は実技試験しかない大阪芸大へ入学した。大学2年目までは、わりと通っていたけど、3年目には大学生の「関西SF連合」というSF研究会のグループでイベントのスタッフをして、オープニングアニメーションをつくったり、自主制作の映画とかをつくり始めていたから、学校に行っている暇がなくなった。学校よりもそこで活動しているほうがおもしろかった。それで、大
今回、見学した東陽食肉センターは、明治43年に設立されているので、100年近くの歴史を持つ屠殺場である。ここには、約100人ほどの人が働き、毎日、豚、牛、鳥、馬、羊、などの解体をしている。解体作業のほとんどは朝から午前中にかけて行われ、そのあいだで、約600頭の家畜を解体、年間にするとおよそ14万頭の家畜がここで解体される。 屠殺場に行くと聞いたときは、あまり行きたいとは思いませんでした。ある子の発案で決まったのですが、牛や豚を殺す所だと聞いて、無知な僕はB級ホラー映画のような場面を想像してしまいました。きっと家畜たちの断末魔の悲鳴がこだまし、あたりは鮮血で溢れ返っているのだろう。そんなものをわざわざ見に行かなくても……と思ったのです。ただ、家畜を殺すところを見る機会なんてそう滅多にないぞ、せっかくだから行ってみようかな、という興味もあり、結局は興味本位で行くことに決めました。 僕たちが到
虐待、親の自殺、ホームレス生活など、過酷な状況を生きてきた、歌人の鳥居さんにお話をうかがった。 ――まずは、生い立ちからうかがいたいのですが。 両親は私が2歳のときに離婚していて、父の記憶はありません。離婚後、母は私を連れて実家に戻りました。だけど、母は子どものころ、祖父母に虐待されていたらしく、祖父からは性的虐待も受けていたようです。 母は不安定な人で、あきらかに精神を病んでいました。たとえば、夜中にすごく怒りながら私を起こして、「家中のトイレットペーパーを濡らして並べて」と言 うので、その通りにするのですが、そのことを、朝になると覚えてない。夢のなかの出来事と現実の区別がついてなくて、夢のなかのことで怒られて、私のほう は、ただ謝るしかない。 幼稚園のころ、ふつうは絵本を読んでもらったりアニメを見て過ごしているだろう時間に、私は祖父母の悪口ばかり 聞かされて、ときにはいっしょに「死ね」
光陰矢のごとし、もうすぐ年が明けてしまう。年が明ければ、あれをひく。そう、一年の運勢を決める「おみくじ」だ。今回はこのおみくじについて、起源や購入方法などについて、女子道社や寺社にお話をうかがった。 おみくじの起源は、室町時代からあると言われる「元三大師神籤」。運勢や吉凶を漢詩に詠んだもので1番から100番まであり、現代とほぼ同じスタイルだったようだ。 現在、おみくじを製造する神社は全国で6社。そのなかでも最大手の女子道社はなんと約7割のシェアーを誇る。女子道社の創設は1906年。二所山田神社の21代目宮司・宮本重胤氏が女性解放運動を推進する機関誌『女子道』の費用捻出のため、おみくじを考案されたのが、そもそもの始まりだった。 ◎おみくじができるまで ほとんどのおみくじは和歌を詠んでいる。二所山田神社の23代目宮司・宮本公胤さんによると、正しいおみくじの読み方は「まず和歌を詠み、その意味を理
精神科医、高岡健さんに「人格障害」を中心として、その社会的背景、医療にできることは何か、居場所など医療以外の場でできることは何かなどをうかがった。 なぜ人格障害は増えたのか ――精神疾患は軽症化とともに蔓延化してきたと聞きますが。 統合失調症をはじめとする精神疾患は、日本では1970年代から軽症化してきたと言われています。これには社会構造の変化が影響しています。 マクロな視点から言えば、そもそも統合失調症(以前は精神分裂病)の概念自体、1890年代に登場してきたもので、100年余の歴史しかないものです。1890年代というのは、工業が軽工業から重工業に変わる時代で、この時代に精神病院が巨大化した。つまり、重工業に適応できない人を巨大精神病院に収容していったんですね。いわば、ギリギリまでガマンして、ガマンしきれなくなった人が精神病と診断され、医療の対象となった。 ところが1970年代以降という
第46回衆議院議員総選挙に向けて、本紙では各党に政策アンケートを実施した。アンケートでは、不登校、ひきこもり、いじめ、ベーシックインカム(無条件の所得保障)についての認識と施策を質問。回答した8党中6党が、学校でいじめを受けた場合、行政から当事者に「学校を休んでもいい」と伝えることが必要だと回答。子どもの休息・避難の権利を多くの政党が認めた。<各党回答はこちら> 行政から当事者に、いじめを受けた場合は「休んでもいい」と伝えることが必要であるかについて、公明党は「学校を休むことだけでは、解決につながらない」と回答。未来の党は回答を保留した。一方「必要である」と答えた政党のなかでも「条件」を付けたのが、民主・自民・社民の3党。民主は「緊急避難ならば」、自民は「死にたいと思うぐらいなら」、社民は「緊急的な対処として」と条件を付け加えた。みんな・共産・維新は「当然」「認めるべき」と全面的に必要性を
大阪市で昨年7月、当時46歳の姉を刺殺したとして、殺人罪に問われた被告の男性(42歳)への判決が大阪地裁で言い渡された(裁判員裁判)。河原俊也裁判長は、被告が発達障害のアスペルガー症候群だと指摘し「社会にに対応できる受け皿が用意されていない」として、求刑の懲役16年を上まわる懲役20年を言い渡した。これに対し、全国不登校新聞社の論説委員・浜田寿美男は「議論の過程がブラックボックス」だと指摘した。 ■論説・浜田寿美男 裁判員裁判がはじまって3年。職業裁判官によるかつての裁判に比べて、何がどう変わったのかを具体的に検証しなければならない時期がきている。しかし現状の制度下では、じつは、そうした検証がほとんどできない構図になっている。最大のネックは、裁判員が判決後も評議の内容を外に公表することを禁じられていることにある。 この点で最近非常に気になった裁判がある。本紙344号でも報じられた殺人事件で
厚生労働省に設置された「新たな地域精神保健医療体制の構築に向けた検討チーム」(座長/町野朔・上智大教授)は6月28日、保護者の同意なく精神科病院への入院が可能になるなど、精神保健福祉法が定める入退院制度の見直し案をまとめた。「精神科病院の入院患者を早期に退院させ、地域で暮らしていけるようにする」のが検討チームのねらい。今後、厚労省では同法の改正案をとりまとめ、来年の通常国会への提出を目指すという。 精神保健福祉法で定める入院は3つ。「任意入院」(本人の同意を入院要件とするもの)、「医療保護入院」(本人の同意が得られない場合、保護者の同意を入院要件とするもの)、「措置入院」(自傷他害のある人を対象に都道府県が行なうもの)だ。 現在、1年間に精神科病院に入院する患者数はおよそ38万人。そのうち、4割にあたる14万人が「医療保護入院」である。 今回の改正でここにメスを入れる背景として、同チームで
小さいころから「優等生」に縛られて生きてきて、がまんしていることにも気づかないほど、がまんさせられていたという哲学者の中島義道さんは、自らの体験も踏まえ、もっと自分を大事に、自分の感受性に合った言葉を開発することが大切だと語ってくれた。 ◎子どものころのこと 私は、何についても、簡単に決めつけてしまうことが苦痛なんですね。それは子どものころから、そうでした。よく「子どもは元気にしなさい」とか言われますよね。それがとてもイヤで、だけど自分でも何がイヤなのか、言葉ではうまく説明できない。そうすると、顔がこわばったり、何かすごく怖くなったり、言葉にならないかたちで出てくる。自分でも、自分がおかしいように思えたし、とても苦しかったですね。 人間なんて割りきれないものだし、わかりにくくて、捉えどころがないものですよ。それなのに親や教師は割りきろうとしてしまう。 それから、私は優等生で、教師や友だち、
5月1日、大阪維新の会大阪市会議員団が「わが国の伝統的子育てによって発達障害は予防、防止できる」などとした「家庭教育支援条例案」を5月議会にかけると発表したが、各方面から抗議や批判が殺到、7日には、発達障害の当事者団体などからの抗議を受け、白紙撤回した。一連の流れを受け、8日、大阪の不登校・居場所関連団体は「大阪市家庭教育支援条例案と条例・法律による『親学』推進に関する緊急アピール」を発表した。 大阪市の「家庭教育支援条例案」は、愛着形成の不足が発達障害の要因であり、それが「虐待、非行、不登校、ひきこもりなどに深く関与」、根本問題は「親心の喪失と親の保護能力の衰退」であり、「わが国の伝統的子育てによって発達障害は予防、防止できる」としていた。 辻淳子市議(維新の会)によると、条例案は埼玉県のもので、高橋史朗明星大学教授(親学推進協会理事長)から資料提供を受けたという。親学推進協会には、「長
私が不登校になり、問題視される側になったことから、日本では「よい・悪い」と言われていることが、ほかの国でも同じように考えられているかを、知りたいと思っていました。 とくにオランダは、テレビなどで「大麻が認められている」とか「自由の国」と聞いたことがあります。そんなオランダでは、どんなふうに教育を行なっているのか? と思い、オランダの教育事情について調べてみました。今回はオランダに8年間在住し、オランダの教育史を研究されているリヒテルズ直子さんとシューレ大学の朝倉景樹さんに取材しました。(山本侑佳里) 調べてみて、驚いたのは、まず、オランダの教育が多様な点と学区制がないため幅広く学校が選べる、という点です。リヒテルズ直子さんは「オランダの学校が100あれば、100のちがう教育をやっている」と話してくれました。その言葉だけではピンときませんでしたが、調べてみると本当にさまざまな学校がありました
――現在の教育状況をどう見られていますか? 日本の戦後教育には、一人ひとりの個の尊厳を守り、人格の完成を目指すという理念がありました。教育とは個の発達支援、それが教育基本法の基本理念でもあり、憲法の理念です。 この教育基本法が、昨年暮れ、60年ぶりに「改正」されました。しかし、これは「改正」と言えるような代物ではありません。旧法とは理念のまったくちがう法律ですから、新・教育基本法と言えるでしょう。 新法の特徴は二つあります。一つは憲法の理念に明確に反していること。新法の理念は、憲法の原則である国民主権、平和主義、基本的人権の尊重に反しています。もっと言えば新法が目指すところは国家主導の教育であり、いわば戦前の教育に戻ったとも言えるでしょう。 もう一つの特徴は教師の「直接責任制」の廃止です。学校においては、教師が日常的に接する子どもや親の要求に耳を傾け、教育を実践することにより、その責任を果
――シナリオライターとして「バッドエンドの物語しか書けない」と悩まれたこともあったそうですね。 いまでもその気持ちはあります。それを覆すものってなんなんだろうか、と。そもそもバッドエンドの結末しか予想できないのは「なるようにしかならない」「自分の力では運命を変えられない」という考えが根底にあるからです。それはある面では真実だと思うんです。でも、そういう悲観と個人の満足感は別なのかも、と。世の中の価値観や常識に自分を合わせていくと、結果的には他人を蹴落としたり、面倒が起きたりすることになる。あるいは将来や社会という大きな視点で見ると悲観的な考えになっていく。そういうことではなくて、あくまで自分に即した理想、快楽、達成感を軸に据えれば、そこには誰も干渉できません。たとえそれが傍から見て愚かだと思われても恥じることではなかろう、と。幸せを感じる枠組みを変えてしまうことが大事なんじゃないかと思うん
今号は、評論家・芹沢俊介さんと、ひきこもり名人・勝山実さんの「ひきこもり著者対談」を掲載する。評論家と当事者、立場はちがえども長きに渡って「ひきこもり」と向き合ってきたたお二人に、おたがいの著書の感想を踏まえながら、お話いただいた。 ――芹沢さんは野球がお好きなんですね。 芹沢俊介(以下・芹沢) いやー、僕は野球少年で。東映フライヤーズが好きだったんですよ。 勝山実(以下・勝山) 奇遇ですね。私も阪急ブレーブスが好きなんです。 (新庄がつくった北海道ファイターズ、ダルビッシュの喫煙、今はなき駒沢球場、江夏はブルペンで寝ていたなどパ・リーグ談義が続く……) ――ああ(笑)、この話は一生終わらないので本題にいきましょう。ひきこもりにとって必要な支援とは何か、この点についてお二方の考え方聞かせてください? 芹沢 一般的に言われるひきこもり支援は斎藤環氏を中心とした、社会的ひきこもり観に則したバイ
今回は、『無痛文明論』の著者、森岡正博さんへのインタビューを掲載する。現在の社会の息苦しさはどこにあるのか、私たちは、そこから抜け出すことはできるのか、いまの社会のあり方と不登校・ひきこもりについてなど、お話をうかがった。 ――無痛文明とは、どういうことなのでしょうか? たとえば、いま、この部屋にクーラーを入れていますね。クーラーによって外の暑さから逃れ、快適な空間をつくりだしているわけですが、これは、まさに無痛化装置と言えます。無痛文明というのは、痛みや苦しみを避け続け、快適さを求める仕組みが社会にはりめぐらされていることを言っています。 無痛文明は、快適さを実現した反面、自分自身が変容していく喜びの可能性を失い、喜びの不感症となり、カプセルに包まれているような状態を生み出しました。多くの人が、そこに何かおかしさを感じつつも、抜け出す道が見えないまま、カプセルのテクノロジーのなかに入って
――糸井さんの10代のころって? 僕、学校は好きだった。学校が好きと言うよりは、行けば友だちがいるじゃない。いろんなタイプの友だちがいたんで、それ全部がおもしろかったんですよ。 中2ぐらいから、下宿をしている友だちの家に集まって、だらだらしてましたね(笑)。出前取ったら、そこの下宿している子のお母さんに、「子どもが出前取るなんて生意気だ、食べに行きなさい」って言われた。あっ、そりゃそうだなって思って、時間もあるんだしさ。わざわざ持ってこさせる必要ないじゃない(笑)。そういうところは、わりに素直で、「そうだよな、俺たちが出前取るなんて生意気だよな」とか思ったりするような、ハンパな子でしたね(笑)。信念がないんだよな。勉強はできなかったけど、おもしろかったよ。 ――ほぼ日刊イトイ新聞(以下、ほぼ日)を立ち上げたきっかけは? 自分で好きなこと書いてられるってのは、こんな楽しいことかって思ったの。
今回は劇作家の別役実さんにお話を伺った。別役さんには劇作家として感じておられることはもちろん、教育・不登校・親のあり方についてどう捉えられているなどを伺った。別役さんは、現代社会が普遍性より独自性を求める社会へと軌道修正をはじめている、と語った。 ――不条理劇を書いたのはいつごろですか? 1960年代サミュエル・ベケット(※メモ参照)の不条理劇『ゴドーを待ちながら』が日本で上演され、新しい劇作家はみんなショックを受けました。当時は、人間の行動は合理的で、人間自体が論理的に解読できる存在だと位置づける「リアリズム演劇」が近代演劇の主流でした。不条理劇はこの「解読できる人間」に対するアンチテーゼとして、生まれたのです。不条理劇では人間とは得体の知れない生命であって、解読はできないものと位置づけられます。この解読できない部分が人間にとってもっとも豊かな部分だと思います。僕も『ゴドーを待ちながら』
――アニメをつくる魅力とはなんですか? 自分だけがどんなにがんばっても、100点以上のものは出てこないけど、アニメや実写映画は集団作業で、ほかのスタッフの人たちとミックスされたときに一種奇跡のようなことが起きることがある。そういう時には200点にも300点にもなる。それは意識してつくれるものではなくて、映画の神様が降りてきてくれるようなそういう瞬間がある。自分では思いつかないようなところへ持っていってくれる。だから、アニメは面白い。それが現場の持つ「場の力」だと思うし、当然、枠にはめていたら、出てこない。 アニメをつくるとき、作品に自分が近すぎると頭がおかしいような状態になる。だから、どこか醒めていないと僕はつくれない。創作活動でよく言われるのが自分癒し。たとえば、絵を描くことによって、自分のおかしくなりそうな部分を押さえているようなパターンもある。村上龍さんは「表現とは自分のなかの穴を埋
最近、山陰地方で高校の職員をしている男性とお話しする機会があったが、そのとき、ひとつの質問を受けた。「人権・同和担当教員」という肩書きで仕事をしているその方は、被差別部落出身の生徒たちの進路保障をふくめて、部落差別の問題にとりくんでいる。おなじ立場にある教員たちとも交流しながら仕事をしてきた。ところが最近、この領域にカウンセリングめいた学習や実践がひろがってきて、どう考えてよいのかとまどっている。違和感もあるが捨てがたい気もする。この問題をどう考えるか、という質問だった。 そのカウンセリングめいたものというのは、たとえばセルフ・エスティーム、エンパワーメント、エンカウンター、セルフヘルプグループといった片仮名用語に代表されるという。これらの片仮名はそれぞれ自己尊重、力をつける、内面的に出会う、自助グループといった意味であり、個人の力を重視するアメリカのカウンセリング文化が日本でひろがるなか
子どものころ、まわりのおとなたちが「人を比べることは、はしたない」と、折々に口にするのを耳にした。誰より彼のほうが美人だとか、あの人よりこの人のほうが賢いとか、そういう話題を控えなさいという、暮らしのなかの戒めだったのだろう。その背後には、みんながいっしょに生きていくうえで、人の比較はおたがいの関係を悪くするのだよとの知恵が働いていたのだと思う。 そんな節度や、たしなみは、いまやどこかへ消え去った。露骨な比較と評価が世の中を覆う時代になってしまったからだ。子どもは学校で、おとなは労働の場で、絶えず見張られあらゆる評価にさらされている。しかも、評価する立場にある者はその上にいる管理者から、なぜその評価をしたのか説明せよと、いわゆる説明責任を求められ、自分の評価をさらに評価される。こうしてとめどなく人を比べ値踏みを重ねるはしたない行為が、当たり前の世の中になった。その風潮は、当然のことながらお
今回は、石川良子さん。ひきこもりの会の世話人も務める石川さんは「いまこそ、ひきこもりを再考すべき」と語る。ひきこもりの現状や今後についてうかがった。 ――ひきこもりの問題に取り組むいきさつは? 私自身、ひきこもりの経験があるわけではないのですが、ひきこもりにシンパシーを感じたのが、そもそもの始まりでした。ひきこもりが注目され始めた2000年ごろ、私は大学卒業後の進路に悩んでいました。この先どうするか、と考えながらもまったく就職活動に身が入らず、身も心もモヤモヤしていました。 ちょうどそのころ、ひきこもりの存在を知ったんですね。「この人たちの何が問題なのか」と疑問を抱くと同時に、「ひきこもりの問題は私のいまと通じる部分がある」と感じました。その後は、運よく大学院に滑り込むことができたので、当事者に会い、話を聴くことを通して考えを深めたいと思うようになったのが始まりです。 ――ひきこもりの現状
――こういう新聞の発行はご存知でしたか? いや、知らなかった。でも、おもしろいね。 以前から松本キミ子さんの活動はよく知っていて注目してたんだが、この新聞で彼女の最近の消息を知ることができた。いまは、日本にとどまらず、世界にその仕事を広げているんだね。すごいね。彼女もそうだったんだが、産休とか非常勤の先生みたいな、学校の周辺に位置する人たちがいい仕事をしてるね。 それから、メキシコに行って、サパティスタ民族解放軍にめぐりあった大田泉生さんの記事なんか、ほんとうにおもしろい。「登校拒否体験が原点だ」という彼の気持ち、よくわかるよ。 ――最近、『本音を聴く力』(同朋舎刊・角川書店発売)という本を編まれたり、「輪になって語ろう」というKBS京都のテレビ番組で中学生たちと話し合ったりされていますが… 登校拒否は「逃げ」だっていう見方がありますよね。登校拒否は卑怯だし、弱いっていう考え方がありますよ
不登校、ひきこもりの経験者に話を聞く「不登校、その後」。今回は林恭子さん。林さんは高校2年生で不登校をし、そこから「生きづらさとの闘いが始まった」と、当時をふり返る。20代半ばには丸2年ひきこもるが、「生きづらさの根っこ」をひたすらに問い続ける日々は、現在も続いているという。自身の不登校、ひきこもり経験をふり返って思うこと、また親子関係についてもうかがった。 ――不登校のいきさつは? 学校に行かなくなったのは、高校2年生のときでした。とくにきっかけがあったわけではなかったんですが、連休明けから体調不良が続いて、しだいに学校に行けなくなりました。 わが家は転勤族でしたので、引っ越した先の新しい高校に編入したんですが、通ったのは1日だけですぐに退学しました。その後、通信制高校と大検を受けて大学に進学したものの、2~3カ月すぎたころからやっぱり行けなくなってしまい、大学も中退しました。 当時は「
7月28日、政権交代後初の死刑執行が行なわれた。千葉景子法相は同日の死刑執行に立ち会ったうえで記者会見し、「死刑について根本的な議論が必要」と指摘している。Fonteでは死刑について2010年5月1日、永山則夫事件を担当した大谷恭子弁護士にインタビューをしている。永山則夫事件で実際に見てきた「死刑」とは、どんなものだったか。 ――そもそも永山則夫裁判に関わるきっかけは? 私が関わったのは1審の死刑判決が出てからです。率直に言えば、やる気はなかったんですが、かなり荒れた法廷で弁護人をやる人がいない、と言われました。私は、どんな事件でも、どんな人でも弁護は必要だと思っています。弁護士が、事件によって「やりたくない」などと言うのはいかがなものか、と。ただ弁護士とその人との相性というのはあります。その人と弁護人がおたがいに信頼関係が築けないと、どんな結果になろうとも、おたがい不幸になるんです。だか
厚生労働省の調査研究班(代表/齊藤万比古・国立国際医療センター国府台病院)が、ひきこもり支援にあたる専門機関の職員などに向けた「ひきこもりの評価・支援に関するガイドライン」をとりまとめた。 今回発表された「ひきこもりの評価・支援に関するガイドライン」(以下、ガイドライン)は、07年から09年にかけて行なわれたひきこもりの背景にある精神障害の実態調査がもとになっている。 本調査は全国5カ所の精神保健福祉センターにおいて、ひきこもりの相談に訪れた当事者184人(16歳~35歳)を対象に精神科診断を行なったもの。 調査結果によると、なんらかの精神障害を有していると診断されたのは149人。分類不可とされた1名をのぞき、【1】統合失調症などを有し、薬物療法を必要とする群(49人)、【2】広汎性発達障害など、生活・就労支援が必要となる群(48人)、【3】パーソナリティ障害など、心理療法的支援が必要とな
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『特定非営利活動法人全国不登校新聞社』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く