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パリ五輪
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100 Indo-European (425) Albanian (4) Armenian (2) Baltic (2) Celtic (7) Germanic (37) East (1) North (10) West (26) Continental (20) High (15) BAVARIAN CIMBRIAN FRANKISH GERMAN, COLONIA TOVAR GERMAN, HUTTERITE GERMAN, PENNSYLVANIA GERMAN, STANDARD LUXEMBOURGEOIS MAINFRÄNKISCH MÓCHENO SCHWYZERDÜTSCH SWABIAN WALSER YENICHE YIDDISH Low (5) North Sea (6) Greek (6) Indo-Iranian (302) Italic (47) Slavic
こうせう なお、この表中の語が全て奈良時代から使われていたわけではない。奈良時代ならそう発音されただろう、という表である。 中国語には声調と呼ばれる発音の違いがあり、例えば現代中国語で ma という発音は、高音なら「媽」(お母さん)、上昇音なら「麻」、低音なら「馬」、下降音なら「罵」を表す。日本人が漢字を輸入した時これらの声調は全て失われたので、中国人が区別していた発音を区別できなくなった。それでもなお、現在「こうしょう」と発音される語に、「かうしゃう」、「かふしゃう」、「かうしょう」、「かうせう」、「かうせふ」、「くゎうしゃう」、「くゎうしょう」、「こうしゃう」、「こうしょう」、「こうせう」の 10 個の発音があった。平安時代に入り、語中のハ行がワ行に転じた。これにより、「かふ」が「かう」に、「せふ」が「せう」に合流した。次に室町時代になると「おう」が「おー」に、「えう」が「よー」に転じ
IPA 非対応版 言語の発音の基本となる部品を音素という。音素は実際の音(おん)の元になるが、同じ音素が前後の音素や方言、話者などによって異なる音になることがあるため一対一対応はしない。同じ音素の異なる音を異音という。例えば日本語の「シント(信徒)」の「ン」と「シンポ(進歩)」の「ン」は発音が異なる。ヘボン式ローマ字で書けば分かるように、同じ鼻音(びおん)でも前者は歯茎音(はぐきおん)の [n] で、後者は両唇音(りょうしんおん)の [m] だ。しかし日本語ではどちらも同じ音素であり、扱いは同じである。なお、音素は / / で、音は [ ] で囲む習慣になっている。日本語は他の言語と比べて音素が少ないため、発音が簡単だが、同音異義語が多くなる欠点がある。 音と音素の関係は、形態と形態素の関係と似ている。単語の基本となる部品を形態素という。例えば「群雲(むらくも)」の「くも」と「雨雲(あまぐ
このように ri 主義は合理的な解決法だが、エスペラント語は人工言語であり文法規範の力が強いため、一部の人々から新しい習慣を始めて徐々に広めるという戦術が使いづらい。ri 主義の帰趨(きすう)はまだ不透明である。 日本語に戻ろう。日本語は女性差別的であると外国人からよく指摘される。例えば文末の「わ」や「ぜ」、一人称の「あたし」や「俺」、「僕」などに女と男の差が表れている。だが実は日本語の男女差は語彙と用語法だけに表れており、文法自体は中立なのである。女性が「俺」を使っても社会的におかしいと思う人がいるだけで、文法的には正しい。つまり女性が「俺」を使った場合、自分を示しているのは明らかであり、言語能力が疑われることはない。一方、ヨーロッパ語のほとんどは名詞・形容詞・冠詞に男性女性の区別があり、男性形が標準になっていることが多い。それがない英語でも上記の man に見られるように男性中心主義が
うなぎ文というのがある。甲と乙の二人が丼物屋に入ったとしよう。 甲: 天丼、親子丼、うな丼、色々あるな。僕は天丼にするよ。 乙: 僕はうなぎだ。 乙の文がうなぎ文だ。乙は自分が人間ではなくうなぎだと告白したわけではない。うな丼に決めたと言っただけだ。しかし表面上は、自分がうなぎだと言っているように見える。ヨーロッパの言語には見られない文なので、かつては日本語の非論理性の象徴だと言われたこともあった。何も「うなぎ文」と名付けなくても良いのにと思うが、最初にうなぎ文を取り上げた金田一晴彦の例文が「僕はうなぎだ」で、それを深く研究した奥津敬一郎が「うなぎ文」と名付けたのだから仕方がない。命名権は常に第一人者にあるのだ。 うなぎ文は述語を省略したものと考えられる。 甲: 僕は天丼にするよ。 乙: 僕はうなぎだ。(← 僕はうなぎにする。) これは日本語話者には当然の解釈で、わざわざ説明するまでもない
漢字は優れた表記体系だ。漢字は表意性が高いため、脳内で意味に変換されるのが速い。一方、アルファベット等の表音文字はまず音声に変換され、それから意味に変換される。従って漢字のほうが速く読め、また失読症(字が読めなくなる脳障害)に強いことが分かっている。コンピュータの登場で手書きの必要性が減り、また多くの情報を素早く取り込む必要がある現代はまさに漢字に有利である。 だが漢字は三千年以上の歴史を持つため、現代社会には適さない価値観を含んでいることがある。中でも「女」を含む漢字は女性蔑視の考えに基づくものがあり、今後も漢字を使用していくためには我々現代人はこれらの差別的な漢字を意識的に改革していく必要がある。漢字を古代の遺物として固定化するならいつかは放棄されてしまう。常に新しい伝統こそ素晴らしいのだ。 ただし単語の言い換えより漢字の書き換えのほうがはるかに難しい。規格の制限のため、コンピュータで
■ 英語では /i/ と /ɪ/ は一つにならないため、"seeing" は /si/ と /ɪŋ/ の 2 音節からなる。 人間が音素ではなく音節を処理単位としていることは実験で明らかにされている。人間の長期記憶は無制限だが、短期記憶には限界があり、一度に 6 ~ 8 個の情報しか記憶できない。この限界を魔法の数 7 という。それ以上記憶するには、反復学習して長期記憶に移すしかない。電話の市内番号は最大 8 桁なので短期記憶で対応できるが、それに数桁の見慣れない市外番号が加わると短期記憶の限界を超えるため、メモを見ないで電話するのは難しい。 魔法の数は記憶の種類によって分かれている。人間が言葉を聞くとき、音を処理する部分と意味を処理する部分が同時に働く。それに応じて、音のための短期記憶と意味のための短期記憶がある。そして人間は 7 個の音素ではなく 7 個の音節まで短期記憶できることが分
digitus minimus (小指) 指の名前を調べるためウェブ上を渉猟していたら、驚くべき論文に出会った。ラースロー・マジャル氏の論文、Digitus Medicinalis - The Etymology of the Name である。その中で、ラテン語で第四指を表す語が 3 個挙げられている。digitus medio proximus (中の隣の指)、 digitus annularis (指輪の指)、そして digitus medicinalis (医者の指) である。最後のものは日本語の「薬師指」と瓜二つだ。まさか似た名前が遠くローマ帝国にあるとは思わなかった。氏によれば、かつて第四指を魔法の指と見なす考えが世界中にあり、次に示すように第四指の名にこの考えがはっきり現れているという。 第四指の名を呼ばない。「ゲド戦記」や「千と千尋の神隠し」にも描かれているように、魔法の世
URL: With the Gate of Japanese, you can see Japanese web sites without having a Japanese system. You have nothing to install in your system, but you probably need fast network and a good software environment. The quality of the image files is so low that enlarging them doesn't help much for you to learn Japanese characters. The quality, however, is enough to read for anyone who knows Japanese char
ユニコード非対応版 人の関心と語彙には関係がある。異なる言語を話す人は異なる考えを持つというサピア・ウォーフの仮説は批判されることが多いが、逆に、異なる考えがある時に異なる語彙を持つのは不思議ではない。興味があり細かく分類したい物に対して多くの語彙を準備するのは当然だろう。 日本文化は家族や血縁を大切にすると言われる。例えば今でも就職や政治、芸能関係で身内びいきが見られるし、先祖代々同じ墓に入るのも珍しくない。だが本当に日本人は血縁に強い関心を持ってきたのだろうか。もしそうなら日本語には親族名称、すなわち血縁や結婚による人間関係を表す単語が豊富にあるはずだ。 では日本語の親族名称を見てみよう。以下は日本語の血族名称である。 世代直系傍系
私はふと、0.252 という数を慎重に発音してみた。この数の発音は「レーテンニーゴーニ」だろう。人によっては「レーテンニーゴーニー」かもしれない。だが 0.252 を漢字で書けば「零点二五二」で、それを素直に読めば「レーテンニゴニ」なのに、そう読む人はいない。なぜだ。52.252 なら、その発音は「ゴジューニーテンニーゴーニ」か「ゴジューニーテンニーゴーニー」だろう。「ゴジューニテンニゴニ」と読む人はいないし、「ゴージューニーテンニーゴーニ」と読む人もいない。だが、例えば「テストの点は 52 点だった。」の「52 点」は「ゴジューニテン」であって「ゴジューニーテン」ではない。小数の読み方には日本語話者が普段意識しない法則が働いているに違いない。 やがて、小数だけでなく数字の羅列を読むときはいつでも 2 と 5 を「ニー」、「ゴー」と読むことに気付いた。例えば 0120-123-456 とい
この数体系は現代日本語では使われていません。ただし 1 から 10 までは、数の別の言い方として時々使われます。 古代日本語は現代日本語と発音が違います。昔は「ち」「つ」は「ティ」「トゥ」、「は」行は「パ」行、「を」は「ウォ」と発音されていました。例えば、「ひとつ」の発音は「ピトトゥ」でした。 数名前意味 古語現代語
100 * 異なる語形 † 異なる単語 # 音韻規則により最後の母音が取れる Indo-European (425) Albanian (4) Armenian (2) Baltic (2) Celtic (7) Germanic (37) Greek (6) Indo-Iranian (302) Italic (47) Latino-Faliscan (1) Romance (46) Eastern (4) Italo-Western (37) Italo-Romance (9) DALMATIAN EMILIANO-ROMAGNOLO FRIULIAN ISTRIOT ITALIAN JUDEO-ITALIAN NEAPOLITAN-CALABRESE SICILIAN VENETIAN Western (28) Southern (5) Slavic (18) 目次に戻る Copyr
言わせていただく 「させていただく」、「食べさせていただく」などの表現は単純な「する」、「食べる」とはかなり異なる。使役の「させる」と受益の「もらう」があり、相手の意志に関わらず自分のために実行する決意が感じられる。この不遜(ふそん)な言葉使いは、話者が本来表したいだろう謙譲と一致しない。我々が「させていただく」を聞いたときに不快になるのは、話し手の語法と意図に齟齬(そご)があるためである。試しに「させていただきます」を聞いたら「させてもらいます」に置き換えてみると良い。聞き手を無視した少し失礼な表現になるはずだ。ただし、相手の許可を得る場合や、相手の意志に反して何かを実行するときに使う「させていただく」はもちろん問題ない。「何と言おうと、やらせていただきます」と言うのはおかしくない。 似た表現に「お~する」があるが、これは単純な謙譲ではない。話し手が聞き手に何らかの利益を与える行動にしか
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英語や中国語を学ぶにつれ、私は母語である日本語の文法がはっきりと見えるようになった。そして日本語について考えるほど、良くできた言語だと思うようになった。しかし日本人は、外国語を学ぶのは熱心なのに日本語を教えることには無関心で、日本語を正しく説明できない人が多いのは残念だ。 チョムスキー以降の言語学で重視されるのは母語話者の内省である。日本語を話す者が自分の言葉を冷静に見つめ、法則を書き出すことは有意義だし、実に面白いことだ。ここでは私が日本語について考えたことを書いていく。
現在はうまく動きません。サーバーの設定が変わったようです。 何かを読み込みそれを変換して出力するプログラムのことをフィルターと呼びます。ここではウェブページの日本語を変換するフィルターを公開します。すべて私が独自に製作したものです。 各フィルターの「URL」というところに見たいページのアドレスを入力して了解ボタンを押してください。読み込んだページが特に変換されていなくても、そのページのリンク先もすべて変換されるので先に進んでみてください。 このプログラムを個人の楽しみ以外の目的で使用すると、著作権の侵害の可能性があります。また、変換後のデータが表示されるようなリンク方法を禁じます。ただし元データが自分のものである場合は構いません。
(2* × 10† + 1) × 100 4 桁の数を上下 2 桁ずつに分け、hundred でつなぐことができる。特に 1100 から 1999 までの数は一般にそう読む。ただし 1000 の倍数には使えない。例えば 2000 は常に two thousand で、twenty hundred とは言わない。 1976 は次のように読む。
100 * 20 は複数形(発音は同じ) Indo-European (425) Albanian (4) Armenian (2) Baltic (2) Celtic (7) Germanic (37) Greek (6) Indo-Iranian (302) Italic (47) Latino-Faliscan (1) Romance (46) Eastern (4) Italo-Western (37) Italo-Romance (9) Western (28) Gallo-Romance (9) Ligurian (1) Lombard (1) North (4) FRANCO-PROVENÇAL FRENCH, CAJUN FRENCH ZARPHATIC Piemontese (1) Rheto-Romance (2) Ibero-Romance (19) Southern
Code: NoSuchKey Message: The specified key does not exist. Key: help RequestId: 762BQWK3J8QJEGS6 HostId: +ebjnFf5y4WNBf/fv9ZDlEurh16jVJggxZptyVBO45QISxt0pE7je1ztW2FNAhiwVali44HfdRs=
作成:高杉(たかすぎ)親知(しんじ) 訪問者数が 6 万人に達しました。ありがとうございます。 最終更新日時: 2006 年 5 月 9 日 English page 日本語内省記 日本語について、色々考えたことを書き連ねています。現在 21 個の記事があります。 日本語変調器 他のウェブサイトの日本語を変換して表示する仕組みです。勝手に口語調にしたり、旧字体にしたりなど、面白いと思うので是非お試しください。 世界の言語の数体系 (更新) 世界の言語での数の数え方を集めています。現在 69 個の言語があります。日本語の数体系が素晴らしいことが分かるでしょう。 日本語を学ぼう (英語) 日本語を英語で説明するページです。現代日本語文法を主に解説しています。このページは訪問者数が 90 万人に達しました。 日本語の門 (英語) 日本語のウェブサイトを日本語書体がなくても見れるようにする仕組みで
漢字は 3500 年以上の歴史を持つ、現存する最古の文字体系である。中国の四川省や雲南省などに住む彝(い)人が使う彝文字も同じくらい古い可能性があり、両文字は何らかの関係があると主張する学者もいるが、現在彝文字は規範彝文(きはんいぶん)と呼ばれる音節文字に変わっており、本来の表意文字の体系を失っている。従って漢字が最古であることに違いはない。 諸橋轍次が編纂した大漢和辞典は、日本が誇る漢語研究の金字塔であり、収録する漢字数は五万を超える。現在使われる漢字は大体同じような画(かく)を持っており、縦棒、横棒、はね、はらいなど、共通の画を組み合わせて漢字を構成するが、大漢和辞典にある五万の漢字のごく一部は、見慣れない不思議な画を持っている。このような漢字のほとんどは、まだ画が固定化していない頃の非常に古い漢字が字典の中に生き延びたものである。いわば漢字のシーラカンスだ。これら生きた化石の中で、最
English page 私は世界のいろいろな言語でどのように数を数えるのかを集めています。私が個人的に複雑だと思う順番で並べてあります。このページは発音をカタカナ表記していますが、原音に近い保証はありません。一部、英語のままのページがあります。また、一部で UTF-8 を用いており、正しく表示されない可能性があります。 各言語の数詞の意味を日本語に直しています。その他、「 + 」と「×」を使って暗黙の加算・乗算を示しています。例えば、フランス語の数詞 vingt et un (21) と quatre-vingt-dix-neuf (99) はそれぞれ「20 と 1」、「4 × 20 + 10 + 9」と表されます。 間違いがあったらお知らせください。 複雑度 順位言語語族、語派母語話者人口使用地域
104×17 = 1068 寛永 11 年版では万進と万万進の混交を解消し、すっきりした万進の体系を完成させた。以降の版は全て万進で統一されている。今でも寛永 8 年版に基づき極以上を万万進とする説明を見かけるが、現在「十万極」などと使われることはまずないし、寛永 8 年版の位取りは寛永 11 年版で否定されているので、万進を使うべきだ。 算学啓蒙にあった不可思議の上の無量数は、寛永 8 年版から無量大数という名で組み込まれた。たまに無量大数と無限大を混同する人がいるが、両者は全くの別物である。無量大数はあくまで有限の数であり、無限大に比べれば限りなく小さい。1 から無量大数に増えても無限大への距離は全く縮まらない。また「無限大数」という表記を見ることがあるが、そのような言葉はない。 その後、寛永 20 年版から「秭(し)」が誤って「𥝱」と印刷され、読みも「序」や「舒」につられて「じょ」
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