8世紀の末、平安京ができたころの都は左京と右京だけだった、といいます。左京の名は古い▼京都市の行政区としての左京区は、1929年に誕生しました。翌30年に、区内の鐘紡の工場で大争議が始まります。労働者4千人のほとんどが女工さん。給料減らしに対し立ち上がった彼女たちを、周辺の住民が、お米を寄付するなど大いに助けました▼次々に起こる労働争議。労働者を支援する左京の住民。彼らのたたかいに、知識人、大学人も合流してゆきました。国内で初めて治安維持法で弾圧された京都学連事件の検挙者38人のうち18人が、左京の京都大の学生でした▼共産党員となる経済学者・河上肇らが、左京の地で進歩と反骨の知の伝統を築いたのです。1947年、戦後初のいっせい地方選。左京区から当時の六大都市でたった一人、共産党市議が生まれました。河上肇の主治医だった安井信雄です▼連綿と続く、左京の人々の変革の事業。10日投票のいっせい地方