ニュージーランド政府が、大地震の救出活動を打ち切りました。いまも、日本人28人をふくむ約200人の行方が知れません。家族の胸が張り裂けるような思いを察すると、言葉はむなしい▼四十数年前のこと。26人の命を奪った1964年の新潟地震が人々の記憶に新しいころ、もっけの幸いとばかりに震災を利用した会社がありました。新潟の阿賀野川ぞいに工場をもっていた昭和電工です▼阿賀野川の下流に水銀中毒の患者がいる、と分かります。新潟水俣病です。昭和電工の工場が水銀を出したと疑われると、国は判断をためらい、同社は責任逃れを試みます。新潟地震で倉庫から流れ出した農薬の水銀のせいだ、と▼メチル水銀は全身の臓器に運ばれ、有害物質の脳への侵入を防ぐ関門を通りぬけ脳も侵します。患者は、病気だけでなく社会的にも苦しみました。「たたりだ」「うつる」「嫁にやれない」「補償金めあてのニセ患者」…▼水俣病と認められてこなかった患者