郡山遺跡に近い、仙台市太白区あすと長町から望む太白山。蝦夷は太白山に向かって朝廷への服属を誓ったのかもしれない 郡山遺跡に立つ標柱。この辺りは官衙の中央部だった=仙台市太白区郡山3丁目 はるか昔、人々の移動手段が徒歩だった時代、仙台以南と以北を往来する際に必ず通らなければならない場所があった。 仙台市太白区の名取川と広瀬川、大年寺山の裾野に囲まれた三角地帯の「郡山低地」だ。一辺は4~6キロほど。裾野に沿って現在は国道286号が通っている。 山裾より上流は、両河川とも両岸が崖になっていて通行は難しい。二つの川の合流部より下流は深くて渡れない。かねて街道は郡山低地を通っていた。今も国道4号やJR東北線など主要交通網が走る。 こんな交通の要衝に、近畿に都を構える律令(りつりょう)国家は蝦夷(えみし)を支配下に置くため出先機関を設けた。7世紀から8世紀にかけて機能していた郡山官衙(かんが=役
県埋蔵文化財センターが発掘調査を進めている豊後大野市大野町桑原の「加原遺跡」が、古代(8世紀後半~9世紀)の大野郡の役所(郡衙(ぐんが))に関係する遺跡であることが調査で分かった。当時の大野郡にあたる同市と旧野津町、旧宇目町内で郡衙に関係する遺跡が見つかったのは初めて。同センターは「今後、大野郡の新たな歴史が解明されるかもしれない」と話している。 調査は中九州横断道路の建設工事に先立ち、2009年から約4千平方メートルの範囲で行われている。今年に入り、柱を立てるための穴「柱穴」が建物4棟、倉庫3棟分発掘された。穴はおおむね直径約80センチ、深さ約1メートルと大きく、方形に彫られており、役所的な機能を持つ建物の柱穴に見られる特徴を持っている。 大野郡の郡衙は、史料により現在の豊後大野市三重町にあるという説が有力視されている。また、加原遺跡は郡衙特有の整った建物の配置が見られず、地形に沿っ
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