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木簡に関するshig-iのブックマーク (130)

  • asahi.com(朝日新聞社):「和同開珎」造幣所、稼働時期裏付ける木簡出土 山口 - 文化

    出土した「天平二年」と紀年銘のある木簡=下関市教委提供  奈良時代に流通した国内最古級の貨幣「和同開珎(わどうかいちん)」の造幣所の一つ、長門鋳銭(じゅぜん)所跡(国指定史跡、山口県下関市)の隣接地から、造幣所の稼働時期を裏付ける年代が記された木簡が出土した。同市教委の発表によると、木簡が鋳銭遺物とともに見つかるのは全国でも初めてで、文献でしかわからなかった造幣所の場所と稼働時期を裏付ける資料として、専門家は「日の貨幣史上では画期的」としている。  市教委によると、木簡は全長220.5ミリ、最大幅10ミリで、「天平二年五月四日主□□部車万呂」(□は判読不能)と推定できるという。地表下85〜140センチの地層で縦に割れた状態で見つかった。同じ地層には貨幣を造る際に使った鋳型などもあったことから、市教委の担当者は「730(天平2)年時点にこの場所で鋳造されていたと確証づけられる」と話す。  

  • 平城宮造営時の米荷札 : 奈良 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    平城宮跡の整地土から出土した木簡。「丹波国氷上郡」や「白米五斗」、和銅二年か三年と見られる年紀が記されていた(奈良文化財研究所提供) 奈良市の平城宮跡・第1次大極殿院地区とその周辺から、同じ国や郡の名前が記された木簡がまとまって見つかった。和銅3年(710年)の平城遷都前後の米の荷札で、平城宮の造営中に捨てられたとみられ、奈良文化財研究所は「地方から届いた米が蔵に納められることなく、その場で労働者に支給されたのではないか」としている。 「伊勢国安農郡」と記された木簡が2点、安農郡の可能性がある木簡が1点あり、いずれも白米の荷札とみられる。「丹波国氷上郡」の荷札4点は、「白米五斗」と記され、うち2点は和銅3年と記載。丹波国の荷札はもう1点あった。 また、「祢万呂(ねまろ)」と書かれた木簡2点は筆跡が同一で、同じ荷物に付けられていた可能性が高く、「米が納められてから消費まで、短期間に同じ場所で

    shig-i
    shig-i 2010/04/21
    「平城遷都前後の米の荷札で、平城宮の造営中に捨てられたとみられ」
  • あをによし官僚の夢…西大寺“くじ引き遊び”木簡が出土 - MSN産経ニュース

    奈良時代後半に称徳天皇が造営した西大寺の旧境内(奈良市)から、「法師成」(法師に成る)「法王尓□」(法王に…)などと仏教上の位を記した木簡3点が市埋蔵文化財調査センターの調査で出土していたことが15日、分かった。センターは「西大寺造営にかかわった役人らが、仏教のさまざまな位に就くことを想像して遊んだくじ引きだったのでは」と推測。長屋王邸跡でもくじ引きとみられる木簡が見つかっているが、寺院跡からは初めて。 3点の木簡は、長さ7〜9.6センチ、幅最大1.5センチの小型サイズ。うち1点は片面に「□取人」、裏に「法師成」と書かれ、「これを取る人は法師に成る」の意味という。「沙弥(しゃみ)尓成」(沙弥は正式な僧になっていない出家者)と書かれた木簡もあった。 同じ調査地からは、約1200点の木簡が出土。解読分では、国内初の公開図書館を設立した石上宅嗣(いそのかみやかつぐ)の肩書など、役所の事務にまつわ

    shig-i
    shig-i 2009/12/15
    「「□取人」、裏に「法師成」と書かれ」
  • 福岡・金武青木遺跡 広域防衛示す木簡出土 怡土城 近隣から人員動員? / 西日本新聞

    福岡・金武青木遺跡 広域防衛示す木簡出土 怡土城 近隣から人員動員? 2009年12月12日 00:19 カテゴリー:文化 九州 > 福岡 金武青木A遺跡から出土した木簡の赤外線写真。「物部」(右上)「三家連」(左上)などの人名や、「志麻」(左下)など地名が書かれている(福岡市教委提供) 奈良時代の8世紀、大宰府政庁の防衛拠点として築かれた山城とされる怡土(いと)城跡(福岡県前原市)に近い福岡市西区の金武青木A遺跡から、人名や地名、年号などが墨で書かれた木簡9点が出土したと、同市教委が11日、発表した。市教委によると、これらの墨書は怡土城の造営や防衛体制を示しており、当時の山城に関するこの種の資料の出土は国内初という。 同遺跡は6月から調査を開始。8世紀中ごろから末期にかけて公共施設として使われたとみられる建物跡が見つかり、周辺から木簡や土器、鍛冶(かじ)場跡などが発見された。 木簡は長

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    shig-i 2009/12/12
    「怡土城の指揮の下、隣接する地域から人を動員して支援することを命令したと考えられる」と説明する。
  • asahi.com(朝日新聞社):ボヤキ役人、平安時代にも…扇に落書き「出世させて!」 - 社会

    平城宮の衛府推定地から出土した檜扇。右が表で左が裏面。右端の1枚に「早令官得」と書かれている=奈良文化財研究所提供  平城宮跡(奈良市)にある官庁街の遺跡「東方官衙(かんが)」から出土した8世紀後半の檜扇(ひおうぎ)の一部に、「早く出世させて」と下級役人のものとみられるぼやきが書かれていた。奈良文化財研究所が発表した。  落書きがあったのは、ヒノキの薄板6枚が連なった扇の一部。1枚の長さは22〜23センチ、幅3センチ、厚さ1ミリほどで、その1枚に「早令官得(早く官を得さしめよ)」と墨書きされていた。  裏には「雲上行鴈負露飛(雲上を行く雁(かり)、露を負いて飛ぶ)」という漢詩も書かれていた。雲上では雁が見えないと考えたのか、「上」を消して横に「下」の字が書き加えてあった。  扇が見つかったのは、宮殿を警護する衛府(えふ)という役所のごみ廃棄穴と推定される場所。奈文研の渡辺晃宏・史料研究室長

    shig-i
    shig-i 2009/12/07
    「早令官得(早く官を得さしめよ)」と墨書
  • 西大寺旧境内から国内初の図書館開設者の肩書き木簡が出土 - MSN産経ニュース

    出土した木簡について会見を行った奈良県立橿原考古学研究所と奈良市教育委員会の担当者ら=3日午後1時38分、奈良市の奈良市埋蔵文化財調査センター(大塚聡彦撮影) 奈良時代後半に称徳天皇が造営した西大寺旧境内(奈良市)から、国内最古の公開図書館「芸亭(うんてい)」を開設した文人貴族、石上宅嗣(いそのかみ・やかつぐ)の名前や肩書を列記した木簡などが見つかり、奈良市教委が3日、発表した。高官の名と数多い肩書が記された木簡の出土例は珍しい。紙の文書作成時に肩書の誤記を防ぐ役人の手控えとも推測され、出土例のない木簡という。 木簡群は判読可能分だけで約250点。西大寺の造営事務所「造西大寺司」に属したらしい「金堂所」に関係する木簡や、「太政官謹奏…」と記された木簡もあり、西大寺造営や役所的事務にかかわる重要な資料となりそうだ。 このうち、「参議従三位式部卿常陸守中衛中将造東内長官石上朝臣」(約30センチ

    shig-i
    shig-i 2009/12/03
    「太政官謹奏…」と記された木簡
  • 京都で出土の万葉歌木簡に「越中守」? 大伴家持か - MSN産経ニュース

    奈良時代の古代寺院「神雄寺」跡とされる京都府木津川市の馬場南遺跡(8世紀代)で、昨年発見された「万葉集」の和歌を記した万葉歌木簡の裏面に、「越中守(えっちゅうのかみ)」と読める墨書が赤外線撮影で確認されたことが15日、分かった。万葉集の編纂(へんさん)者で越中守(越中国守)を務めた歌人、大伴家持(やかもち)の可能性があるという。著名な万葉歌人の名が書かれた木簡の出土は過去に例がないという。 府埋蔵文化財調査研究センターが同日、向日市で開いた同遺跡シンポジウムで公表。同センターと奈良文化財研究所が、木簡(長さ23・4センチ、幅2・4センチ)の裏面を赤外線撮影で調べたところ、「中守」と判読できる2文字があることがわかり、すぐ上の判読困難な文字は「越」の可能性が浮上した。 大伴家持は、奈良時代の746〜751年に越中守を務め、馬場南遺跡の年代とほぼ合致することから、同センターは「『越中守』とすれ

    shig-i
    shig-i 2009/08/16
    「奈良時代の古代寺院「神雄寺」跡とされる京都府木津川市の馬場南遺跡(8世紀代)で、昨年発見された「万葉集」の和歌を記した万葉歌木簡の裏面に、「越中守)」と読める墨書が赤外線撮影で確認」
  • 「駅鈴」の警備担当簿木簡が出土 「鈴守」は2時間交替制? - MSN産経ニュース

    奈良時代の官庁街だった平城宮跡・東方官衙(かんが)地区(奈良市)のごみ捨て穴から、天皇の権力の象徴だった「駅鈴(えきれい)」を守った「鈴守」について記述した木簡が初めて出土し、奈良文化財研究所が5日、明らかにした。駅鈴は駅馬利用を許可する鈴で、「天皇御璽(ぎょじ)」の印とともに争奪の対象ともなった。木簡は2時間交代だった担当兵士の名を記した名簿とみられ、厳重な警備の様子が伝わる貴重な資料という。 木簡には、「鈴守」と記された下に「神浄成」「大伴総道」などの人名が記載。人名は2人一組で書かれ、そばには「戌」(午後8時ごろ)「亥」(同10時ごろ)「子」(午前0時ごろ)といった時刻が記され、2時間交代で駅鈴の警備に当たっていたことがうかがえる。 鈴守の木簡は、平城宮を守った軍組織「衛府(えふ)」について記したらしい木簡群のうちの1点。縦約35センチ、幅約5センチで、表裏に文字が記載され、年号が記

  • asahi.com(朝日新聞社):韓国の木簡に「ナニワ」さん 7世紀、日本人の名前か - 文化

    韓国・扶余(プヨ)で発見された木簡に日人とみられる名前が記されていることが、日韓の専門家の研究で明らかになった。扶余は朝鮮古代の百済の都で、木簡は7世紀のものらしい。「ナ尓波連公(なにわのむらじきみ)」(ナは那の異体字)と5文字あり、「難波」と記されるようになる大阪湾周辺に住んでいた有力者の可能性が高いとみられる。百済は飛鳥時代に日と緊密な関係にあったが、日人の名前が出土史料で確認されるのは初めて。  韓国国立扶余博物館が昨年、収蔵する木簡を整理。その際、「連」が身分を示す日古代の姓(かばね)であることに学芸員の李鎔賢(イ・ヨンヒョン)さんが気づき、日韓の専門家が解読した。  木簡は長さ20.9センチ、幅1.9センチ。10年ほど前の発掘調査で出土した。形から荷物を送る時の荷札と見られる。(渡辺延志)  鈴木靖民・国学院大教授(古代史)の話 「ナニワ」という日人の名前とみていいだろ

  • 西大寺旧境内:イスラム陶器の破片、平城京で初出土 奈良 - 毎日jp(毎日新聞)

    平城京跡で初めて見つかったイスラム陶器の破片=奈良市の市埋蔵文化財調査センターで2009年7月3日、宮間俊樹撮影 平城京内に奈良時代に建てられた西大寺の旧境内(奈良市西大寺新田町)で、西アジアから伝わった「イスラム陶器」のつぼとみられる破片が見つかった。奈良市埋蔵文化財調査センターが3日、発表した。「神護景雲2(768)年」と書かれた木簡も出土し、8世紀に伝わったと判明。イスラム陶器は大宰府跡(福岡県太宰府市)などで9世紀以降のものが見つかっているが、それより古く、平城京では初出土。奈良時代の海上交易を考える上で貴重な発見となる。 住宅建設に伴い、4月から調査。旧境内西南の溝の跡(深さ約1.5~2メートル)から、土器などと共に破片19点が見つかった。イスラム陶器は現在のイラクを含むアッバース朝(イスラム帝国)の領土内で作られた。破片には青緑色の釉薬(ゆうやく)が内外面に厚く塗られ、高さ約

    shig-i
    shig-i 2009/07/04
    「イスラム陶器は現在のイラクを含むアッバース朝(イスラム帝国)の領土内で作られた。破片には青緑色の釉薬が内外面に厚く塗られ、高さ約50センチのつぼとみられる。」
  • 奈文研と東大史料編纂所がデータベース連携へ  - MSN産経ニュース

    奈良文化財研究所(奈良市)と東京大史料編纂所(東京都)は29日、インターネットでそれぞれ公開している考古学、文献史学のデータベースの連携についての覚書を都内で交換した。同研究所の「木簡画像データベース・木簡字典」と同編纂所の「電子くずし字字典」の共通検索が可能なシステムを開発し、木簡解読作業を効率化させ、古代~近世の字形変化をたどる環境も整えるという。 「木簡画像データベース・木簡字典」は奈良時代などの木簡に書かれた文字の画像データベースで、約1万9000文字を収録。木簡の形状や出土地などからも検索できる。「電子くずし字字典」は平安時代~近世初頭の古文書などの崩し字のデータベースで、字形画像は約14万8000件を収録している。 2つのデータベースの共通検索で1画面上で双方のデータを見ることができるようになると、同研究所には木簡解読の作業が効率化するなどのメリットがある。一方、同編纂所には飛

  • 徳王子前島遺跡:古代木簡2点、県内初出土 奈良時代、文字書かれ--香南 /高知 - 毎日jp(毎日新聞)

    shig-i
    shig-i 2009/03/13
    「文字の練習用として使われた「習字木簡」(長さ約20センチ、幅約3センチ)と祭祀で使われた台形の「呪符(じゅふ)木簡」」
  • くまにちコム:児童ら約700人分情報流出 教諭所有のパソコンから

    都市圏の住民の間には、慢性化している交通渋滞への不満が強くあります。台湾積体電路製造(TSMC)の菊陽町進出などでこの状況に拍車が掛かるとみられる中、「渋滞都市」から抜け出す取り組みが急務。その切り札とみられるのが公共交通機関の活性化です。連載企画「移動の足を考える」では、それぞれの交通機関の現状を紹介し、あるべき姿を模索します。 学んで得する!お金の話「まね得」 お金に関する知識が生活防衛につながる時代。税金や年金、投資新NISA、相続や保険などお金に関わる正しい知識を、ファイナンシャルプランナー(FP)の資格取得を目指す記者と一緒に楽しく学んでいきましょう。 ※次回は「債券投資を知ろう」編。9月13日(金)に更新予定です。

    くまにちコム:児童ら約700人分情報流出 教諭所有のパソコンから
    shig-i
    shig-i 2009/02/19
    「佐色」「向路次駅」
  • 木簡:国内最古 地名示す「字」 岩手で発見 - 毎日jp(毎日新聞)

    地名を示す「字(あざ)」を記した国内最古の木簡が岩手県奥州市前沢区の道上(どうのうえ)遺跡で見つかった。20日発表した県埋蔵文化財センターによると、木簡は平安時代中期の10世紀のものとみられる。「字」は、古代の土地制度である条里制から生まれた土地の区画を表すもので、これまでに確認されたのは紙への記述で近畿地方が大半。この時代に東北でも課税などの土地支配が行われていた可能性があるという。 木簡は長さ約46センチ、直径約4センチの棒状。墨で縦書きに6列、「禁制田参段之事 字垂楊池」(3段=30アール=の田に関する禁止事項。田は字垂楊<たれやなぎ>池の)などと記されていた。文面から、地元の農民とみられる「公子廣守丸(きみこのひろもりまろ)」が平安京の貴族に寄進した田んぼだとして、部外者が勝手に耕すことを禁じ、掲示していたとみられる。 禁止事項を記した「禁制木簡」は、兵庫県豊岡市の袴狭(はかざ)遺

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    shig-i 2009/01/21
    禁制木簡
  • 平城宮跡最大級のごみ捨て穴 衛府の木簡など大量出土 奈良 - MSN産経ニュース

    奈良時代の官庁街だった奈良市の平城宮跡・東方官衙(かんが)地区で大量の木簡が出土したごみ捨て穴が、宮跡内では最大級の規模だったことが奈良文化財研究所の発掘調査で13日、分かった。穴は東西約10メートル、南北7メートル。宮城を守った軍隊組織「衛府(えふ)」などに関する大量の木簡や木くず、桧扇(ひおうぎ)なども廃棄されていた。同研究所は、付近の施設の再整備で出た廃材などを焼いた可能性があると推測。宮内のごみ処理方法がうかがえる、初めての資料という。 穴は昨年の調査時点では直径約6メートルの部分しか確認していなかったが、今回さらに西側に広がる部分を掘った。 穴付近からはそれぞれ時期の異なる2つの建物の柱穴も見つかり、同研究所は、大規模な建物が壊された後に穴が掘られて埋められ、別の建物が建てられたと推測。穴には炭などが残り、木くずや廃材などを焼いた可能性があるという。 また今回、新たに約200点の

    shig-i
    shig-i 2009/01/18
  • 平城宮跡発掘 : 奈良 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    古代の人々の生活や技術が見直され、未来へ生かそうと研究が進んでいる。平城遷都1300年へ、秒読みに入る2009年。歴史が我々に何を伝え、未来へどうつながるのかを探る。 1300年前が眠っている。 冬の朝、奈良市の平城宮跡。市街地の中にある約130ヘクタールの空間。広がる野原には霜がおりる。中高年の男女ら約15人は復元された基壇で、手や足をゆっくり動かし、太極拳に取り組んでいた。あぜ道には犬の散歩をする若い女性の姿。近くに住む元中学校教諭の溝辺文昭(73)は「戦時中は一面が畑で芋とかを作っていた。農家の人が『耕していると、カチッ、と音がして、掘ったら、瓦が出てきた』と言っていました」と笑う。 ■  □ 1959年、奈良文化財研究所による格的な発掘が始まる。2年後、宮跡で初めて木簡が出土した。79年発行の「木簡研究創刊号」は、その瞬間を、「タクサン!ナンカ字イカイタルデ」と担当者が言った、と

  • 奈良・高取薩摩遺跡/ため池施工者示す木簡出土 : ニュース : 列島いにしえ探訪 : 文化 伝統 : 関西発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    奈良県高取町の薩摩遺跡で、奈良時代末~平安時代初め(8世紀末~9世紀初め)のため池跡から、渡来系氏族の檜前一族が池を造ったことを示す木簡が出土し、県立橿原考古学研究所が9日、発表した。古代のため池について、その施工者が分かる例は極めて珍しい。 ため池跡は東西約40メートル、南北約90メートル。北側が堤になっていたとみられ、角材の内部をくりぬいた木樋(もくひ)の一部(長さ1・15メートル、幅50センチ、厚さ25センチ)が見つかった。上面には取水穴を開けた蓋(ふた)があったと考えられ、丸太を抜き差しして水量を調節したとみられる。 また、樋の周囲から、木簡(長さ21・5センチ、幅4・1センチ、厚さ9ミリ)や、平安時代の銅銭が出土。木簡には「波多里長(はたりちょう)檜前主寸(すぐり)なす」と墨書されており、波多という里の長である檜前一族が工事を始めたことを示している。 檜前氏は、渡来系氏族・東漢

    shig-i
    shig-i 2008/12/10
    木簡写真あり
  • 薩摩遺跡:古代の池、史料と遺構一致 木簡は「完成記念の式次第」--高取 /奈良 - 毎日jp(毎日新聞)

    薩摩遺跡(高取町)で見つかった8~9世紀ごろのため池。古代の池の発掘例は珍しく、木簡や取水口、祭祀(さいし)の痕跡も確認できるなど文字史料と遺構が一致する貴重な発見となった。開発主の名や築造過程を記した木簡は、まさに「完成記念の式次第」だった。木簡に書かれた「檜前主寸(ひのくますぐり)」とはどんな人物だったのか、池造営の背景となった開発ブームとは--。【林由紀子】 ため池が築かれた8~9世紀ごろ、律令国家は盛んに水田開発を推進した。新たに溝池を造って開墾した者には3代まで世襲を認める「三世一身法」(723年)や墾田の永年私有を認めた「墾田永年私財法」(743年)が出されると、続日紀などには池を造る記事がたびたび登場。僧行基や空海も池を造ったという。 「為政者にとって水を支配することは重要な意味を持つ」と指摘するのは、工楽善通(よしゆき)・大阪府立狭山池博物館長(考古学)。「日書紀に登場

    shig-i
    shig-i 2008/12/10
    「木簡は、最初に池を造った人物を波多里長(波多村の村長)の檜前主寸と伝える」
  • asahi.com(朝日新聞社):律令制は百済から学ぶ? 韓国で類似制度示す木簡出土 - 文化

    律令制は百済から学ぶ? 韓国で類似制度示す木簡出土2008年11月25日3時2分印刷ソーシャルブックマーク 古代の日中国をモデルに律令制度を整備する際に、朝鮮の百済(くだら)(4世紀半ば〜660年)が窓口の役割を果たした可能性を示す木簡が韓国で発見された。奈良〜平安時代の律令国家を支えた財政制度「出挙(すいこ)」と同様の仕組みが百済に存在し、記録の方法も日と同じであることが分かった。 百済の都だった扶余で、今年4月に木簡6点が発見された。周辺には役所が並んでいたと推定され、木簡の1点に税の収納を担当した役所の「外椋部」の名があった。木簡は長さ約30センチで「貸記」と表題があり、618年のもの。日は飛鳥時代で聖徳太子の時代に当たる。国立歴史民俗博物館の平川南館長(日古代史)、早稲田大の李成市教授(朝鮮古代史)らが解読し、百済が国庫に持つ稲の種もみを運用した「出挙」の記録と判断した

    shig-i
    shig-i 2008/11/25
    「律令制は百済から」の「律令制」がちょっとわかりにくい。
  • 宮中出入りチェックの門籍木簡 滋賀・紫香楽宮跡から出土 (1/2ページ) - MSN産経ニュース

    紫香楽宮跡から出土した門籍木簡。宮殿への門を通るためのIDカードの役割を果たしていたとみられる(甲賀市教委提供) 奈良時代に聖武天皇が造営した紫香楽宮(しがらきのみや)(742〜45年)があったとされる滋賀県甲賀市の宮町遺跡から、宮殿の門を出入りする官人をチェックする「門籍(もんじゃく)木簡」が出土したと18日、甲賀市教委が発表した。 門籍木簡はこれまで平城京と藤原京(いずれも奈良県)の9例以外に出土例がなく、市教委は「離宮のイメージが強い紫香楽宮だが、都市として機能していたことがはっきりした」としている。 門籍とは宮殿の警備を定めた奈良時代の宮衛令(くえいりょう)に定められた制度。官人それぞれに出入りできる門が決まっており、IDカードのように官位と姓名を書いた札を門で照らし合わせ、合致すれば通行できる仕組みだったとされる。 出土した門籍木簡は長さ17.7センチ、幅2.5センチ、厚さ5ミリ