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12cに関するshig-iのブックマーク (31)

  • 墨書は「古今和歌集」収録の一首に該当する可能性が高いことが判明 -京都大学医学部附属病院東構内出土の和歌墨書土器について-

    吉井秀夫 文学研究科教授、吉川真司 同教授、金光桂子 同教授、千葉豊 同准教授、笹川尚紀 同助教の研究グループは、文学研究科附属文化遺産学・人文知連携センター京大文化遺産調査活用部門が所蔵する12世紀はじめごろの墨書土器を赤外線機器などを用いて再検討した結果、内面の墨書は、最初の勅撰集である「古今和歌集」に収録されている一首に該当する可能性が高いということを明らかにしました。 墨書土器は、医学部附属病院東構内南東辺(聖護院川原町遺跡)の発掘調査によって出土したものであり、口径約9㎝の土師器小皿で、内外面に墨書が認められます。 今回の発見は、平安時代後期の和歌文化の様相について考えるうえで、重要な素材を提供したといえます。研究グループは、今後、この和歌墨書土器が出土した遺跡の性格や和歌が土師器にしたためられた理由などに関して、国文学・考古学・日史学といった各方面から、多角的に分析を進めて

    墨書は「古今和歌集」収録の一首に該当する可能性が高いことが判明 -京都大学医学部附属病院東構内出土の和歌墨書土器について-
  • 神戸にひらかれた幻の都「福原京」 遺物や遺構から解き明かす 神戸市埋蔵文化財センターで企画展 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

    1991(平成3)年にオープンし、今年で30周年を迎えている神戸市埋蔵文化財センターは、発掘調査で確認された「福原京」に関する考古資料などを保管し、その解明とともに歩んできた。企画展では、平清盛没後840年にあたる今年、発掘された遺物と遺構により明らかになった「福原京」について紹介している。 平安時代末期、今の神戸市中央区楠町、兵庫区の平野や荒田一帯にあったと考えられる福原荘は、平氏一門が屋敷を構え、1180(治承4)年には、平清盛が福原への遷都を敢行。半年後に平安京へ還都されるまでの間、幻の都として存在した。 当時の建造物などが見つかっていなかったことから、800年もの間、その実態は不明で、方丈記や平家物語からその実態を想像するしかなかったが、1982(昭和57)年の神戸大学医学部付属病院構内(神戸市中央区楠町)で行われた楠・荒田町遺跡第2次発掘調査において、初めて「福原京」時代の遺跡が

    神戸にひらかれた幻の都「福原京」 遺物や遺構から解き明かす 神戸市埋蔵文化財センターで企画展 | ラジトピ ラジオ関西トピックス
  • 清盛ら平氏の拠点「六波羅邸」初の確認 堀跡を発見、京都東山  : 京都新聞

    平清盛ゆかりの六波羅邸跡で出土した軍事防御用の堀跡。土留めの石垣も施されている(16日午後2時25分、京都市東山区) 平安時代末期に平清盛ら平氏一族が屋敷を構えた「六波羅邸」の堀跡が京都市東山区で見つかったと、民間調査会社の文化財サービス(伏見区)が16日発表した。清盛が活躍していた時代の遺構とみられ、六波羅邸に関わる屋敷跡の確認は初めて。敵の侵入を防ぐために掘られたとみられ、軍事防御用の堀では京都最古の出土例という。 調査地は東山区五条通東大路西入ル北側の浅見五郎助窯跡。不動産開発に伴って約千平方メートルを発掘している。 調査会社によると、堀跡は東西15メートル、深さ1・3メートルの逆台形で幅は上面3メートル、底面1・8メートル。水も張られていたとみられ、南側には幅1・5メートルの土塁もあった。堀の西側5メートルは早くに埋め立てられ、埋めた部分と堀との境には土留めの石垣が築かれていた。石

  • 平清盛嫡男・重盛の邸宅「小松殿」の一部か、池跡発見(京都新聞) - Yahoo!ニュース

  • 清盛ら平氏の拠点「六波羅邸」初の確認 堀跡を発見、京都東山|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞

    平清盛ゆかりの六波羅邸跡で出土した軍事防御用の堀跡。土留めの石垣も施されている(16日午後2時25分、京都市東山区) 平安時代末期に平清盛ら平氏一族が屋敷を構えた「六波羅邸」の堀跡が京都市東山区で見つかったと、民間調査会社の文化財サービス(伏見区)が16日発表した。清盛が活躍していた時代の遺構とみられ、六波羅邸に関わる屋敷跡の確認は初めて。敵の侵入を防ぐために掘られたとみられ、軍事防御用の堀では京都最古の出土例という。 調査地は東山区五条通東大路西入ル北側の浅見五郎助窯跡。不動産開発に伴って約千平方メートルを発掘している。 調査会社によると、堀跡は東西15メートル、深さ1・3メートルの逆台形で幅は上面3メートル、底面1・8メートル。水も張られていたとみられ、南側には幅1・5メートルの土塁もあった。堀の西側5メートルは早くに埋め立てられ、埋めた部分と堀との境には土留めの石垣が築かれていた。石

    清盛ら平氏の拠点「六波羅邸」初の確認 堀跡を発見、京都東山|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞
  • 奈良・春日大社に最古級の日本刀 平安後期「安綱」作か:朝日新聞デジタル

    奈良・春日大社が所蔵する太刀について、12世紀の平安時代後期につくられた「古伯耆(こほうき)」と呼ばれる最古級の日刀だったことが分かった。春日大社が22日発表した。平安時代から武家に伝わる「伝家の宝刀」が、南北朝~室町時代初め(14~15世紀)に大社に奉納されたとみられ、日刀の歴史を考える上で重要な資料として注目される。 日の刀剣は、古代遺跡での出土品や正倉院宝物などにみられる反りのない「直刀」から、平安後期に反りなどの付いた現在の日刀の形が成立。伯耆国(現鳥取県中西部)で作られた「古伯耆」などが最初期のものとされる。 刀は無銘で、刃の長さが82・4センチ。鞘(さや)などの外装は南北朝~室町時代に作られた黒漆山金作太刀拵(くろうるしやまがねづくりたちこしらえ)とされる。大社によると、刃文の特徴などから古伯耆の中でも最古とみられる刀工「安綱(やすつな)」の作の可能性がある。このほかに

    奈良・春日大社に最古級の日本刀 平安後期「安綱」作か:朝日新聞デジタル
    shig-i
    shig-i 2018/01/22
    古伯耆
  • お知らせ : 京都新聞

    File Not Found. 該当ページが見つかりません。URLをご確認下さい。 お知らせ 事件・事故のジャンルを除き、過去6年分の主な記事は、インターネットの会員制データベース・サービスの「京都新聞データベース plus 日経テレコン」(http://telecom.nikkei.co.jp/public/guide/kyoto/)もしくは「日経テレコン」(社・東京 http://telecom.nikkei.co.jp/)、「ジー・サーチ」(社・東京、 http://www.gsh.co.jp)のいずれでも見ることができます。また、登録したジャンルの記事を毎日、ネット経由で会員に届ける会員制データベース・サービス「スカラコミュニケーションズ」(社・東京、http://scala-com.jp/brain/) も利用できます。閲読はともに有料です。 購読申し込みは下記のページから

  • 東大寺、平氏焼き打ちの痕跡か 東塔跡で出土:朝日新聞デジタル

    【動画】奈良・東大寺の東塔跡で、1180年の平氏の南都焼打ちで焼け落ちたとみられる痕跡がみつかった=井手さゆり撮影 平安時代末期に兵火で焼かれ、鎌倉時代に再建された奈良・東大寺の東塔(とうとう)跡(国史跡)で、奈良時代の創建当初の基壇(土台)が出土し、1180(治承4)年の平氏の南都焼打(なんとやきう)ちで焼け落ちたとみられる痕跡がみつかった。東大寺などが4日発表した。基壇の階段に焼け焦げた跡が残り、石材が倒れた状態で出土するなど、激しい炎に包まれながら倒壊した姿を今に伝える貴重な遺構だ。 創建当初の東大寺は、大仏殿の南東と南西に東塔と西塔(さいとう)を誇り、764年ごろの創建とされる東塔は七重塔で、高さ70メートルとも100メートルとも伝えられた。だが、源平の争乱が始まり、平(たいらの)重衡(しげひら)が反平氏だった奈良の興福寺や東大寺を攻撃。東塔も失われたことが記録に残っている。その後

    東大寺、平氏焼き打ちの痕跡か 東塔跡で出土:朝日新聞デジタル
  • 小さな寺の涅槃図、平安の作だった 重文指定へ 京都:朝日新聞デジタル

    京都の小さな町寺に伝わる「仏涅槃図(ぶつねはんず)」が、国の重要文化財に指定されることになった。近年まで「現役」で法要に使われていたが、数少ない平安時代後期の作とわかったためだ。激しい傷みを格修理するめどが立ち、関係者は喜びをかみしめている。 西念寺(さいねんじ、京都市下京区)の仏涅槃図(縦172・5センチ、横206センチ)は入滅する釈迦を弟子や動物が取り囲み、嘆き悲しむ様子を描く。2009年まで毎年2月の涅槃会の法要に掛けられていたが、同年8月の学術調査で評価が一変した。 釈迦が横たわる台の足側の側面が描かれ、衣部分の截金(きりかね)文様の滑らかな曲線や全体の色調の柔らかさなどが平安仏画の特徴を備えていた。高野山金剛峯寺の国宝「応徳涅槃図」(1086年)や東京国立博物館所蔵の重文の仏涅槃図(12世紀)にも匹敵する涅槃図と判明。調査した京都国立博物館の大原嘉豊(よしとよ)・保存修理指導室

    小さな寺の涅槃図、平安の作だった 重文指定へ 京都:朝日新聞デジタル
  • お知らせ : 京都新聞

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    shig-i
    shig-i 2015/12/25
    待賢門院璋子、崇徳天皇
  • 南島史が塗り替わる 12世紀製鉄炉跡の衝撃 歴史新発見 鹿児島県喜界島 - 日本経済新聞

    鹿児島県土から南へ約380キロ。周囲50キロ足らずの喜界島で、多数の遺跡から貴重な発見が相次いでいる。中でも12世紀ごろ、砂鉄から鉄を作る製鉄炉跡が沖縄など南西諸島で初めて見つかったのは歴史的な発見で、大きな衝撃が広がった。琉球弧と呼ばれる九州から台湾まで約1200キロの弧状に連なる島嶼(しょ)群で古代から中世にかけ極めて重要な役割を果たしたと見られ、喜界島に注目が集まっている。 喜界島には古

    南島史が塗り替わる 12世紀製鉄炉跡の衝撃 歴史新発見 鹿児島県喜界島 - 日本経済新聞
  • 「手塚治虫が鳥獣戯画を語る」日曜美術館(1982年)の再放送を見て驚愕する人々

    こういう再放送がありました。⇒【nhk_bijutsu ‏@nhk_bijutsu きょう20:00~の「日曜美術館」は特別アンコール「私と鳥獣戯画 手塚治虫」(1982年放送)です。手塚治虫さんが国宝「鳥獣戯画」の魅力を語った貴重な映像。話しながら途中で自らペンをとり、絵巻に描かれた動物の絵を描き出すシーンも!午後8:00~ Eテレ #nichibi 】 「アート解説者としての手塚治虫」を観るのは初めてという人も多し。 説明不要、それを見た人の感想です。TLや検索から。文章数が多いものを優先的に・・・

    「手塚治虫が鳥獣戯画を語る」日曜美術館(1982年)の再放送を見て驚愕する人々
  • 平安貴族別荘に土塁/宇治「源平合戦影響か」 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    shig-i
    shig-i 2015/03/19
    基房の松殿
  • 筑後国府に国司館跡、11~12世紀の柱穴出土 : 歴史と文化財 : 文化 : 九州発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    shig-i
    shig-i 2013/10/13
    筑後国府
  • 中日新聞:納税品に付けた荷札の木簡出土 長浜・塩津港遺跡:滋賀(CHUNICHI Web)

    トップ > 滋賀 > 2月16日の記事一覧 > 記事 【滋賀】 納税品に付けた荷札の木簡出土 長浜・塩津港遺跡 Tweet mixiチェック 2013年2月16日 (右)見つかった木簡の表。「皇后宮御封米」と書かれている(左)裏の墨書は「代十石栗毛母馬」と読める=県文化財保護協会提供 県文化財保護協会は、長浜市西浅井町塩津浜の塩津港遺跡から、平安時代後期に地方から税として納める品に付けた荷札「付札」の木簡が見つかったと発表した。律令(りつりょう)制度の中で貴族や寺社などに納めた税「封米(ふうまい)」と書かれている。この記述のある木簡の出土は全国で初めてといい、これまで文献資料でしかわからなかった物納の流れを証明する貴重な資料だという。 木簡には「皇后宮御封米(こうごうぐうみふうまい)」と書かれ、裏に「代十石(だいじゅっこく) 栗毛(くりげ) 母馬(ははうま)」と記されている。この記述は、

    shig-i
    shig-i 2013/02/16
    「皇后宮御封米」
  • 国宝・平等院鳳凰堂で大量の平安期の瓦 修理で確認 (産経新聞) - Yahoo!ニュース

    修復工事中の平等院鳳凰堂から降ろされた平安時代の瓦=14日午後、京都府宇治市の平等院鳳凰堂(恵守乾撮影)(写真:産経新聞) 昨年9月から修理が行われている京都府宇治市の平等院鳳凰堂(国宝)で、約5万2千枚の屋根瓦の取りはずし作業が終了し、3%にあたる1560枚が平安時代後期につくられた瓦であることがわかり14日、平等院と宇治市が発表した。 【フォト】 奈良・飛鳥寺から石敷き 大化の改新「槻の木の広場」裏付け 鳳凰堂はこれまでの調査で、天喜元(1053)年の創建当初は木製の瓦を使った木瓦(こがわら)葺きで、総瓦葺きになったのは約半世紀後の康和3(1101)年の修理からと考えられていた。今回の大量の平安期の瓦の発見で、「その見方が裏付けられた」としている。 同市によると、1560枚の平安期の瓦のうち、82%の1273枚が、文様などから、平等院の荘園があった大阪府八尾市の向山瓦窯跡で生産さ

    shig-i
    shig-i 2013/02/15
    「3%にあたる1560枚が平安時代後期につくられた瓦」
  • 俊寛:自筆書、初確認 デジタル化で署名解読−−京都- 毎日jp(毎日新聞)

    shig-i
    shig-i 2013/01/26
    陽明文庫兵範記紙背文書
  • 47NEWS(よんななニュース)

    「避難所でもお湯が何度も使えた」断水が続く能登に強い味方「水を98%再利用できるシャワー」 被災者が自ら運用、新しい支援の形に AIの教育活用に踏み出すシンガポール…世界トップ級の学力、生き残りに懸ける カメラで児童の動きを検出、中国技術の台頭がもたらすものは「監視」か「安全」か

    47NEWS(よんななニュース)
  • 平安時代の「タイムカプセル」 エックス線で経巻10巻確認 ― スポニチ Sponichi Annex 社会

    平安時代の「タイムカプセル」 エックス線で経巻10巻確認 福岡県大野城市教育委員会と九州歴史資料館は18日、同市乙金の古野遺跡で、12世紀前半(平安時代)の経塚から青銅製の経筒が埋納時のままの状態で出土し、エックス線CTスキャンで調査した結果、経筒の内部に経巻10巻が残っていることが分かったと発表した。  同資料館の加藤和歳保存管理班長は「埋納時の状態を保っている経筒内部がスキャンで確認されたのは初めて。当時の人々が仏教の教えをタイムカプセルのように残した」と話している。  市教委によると、経塚は東西2・1メートル、南北1・55メートルの穴の中に、さらに小さな穴を掘って石室をつくる構造。経筒は高さ約25センチ、直径約10センチ。さびによる接着で、ふたを開けられないため、スキャンで調査した。  経巻の上部は劣化して原形をとどめていなかったが、底に近い部分は、紙を巻いた状態で残っているのを確

    shig-i
    shig-i 2012/12/18
    大野城市
  • https://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/624/624PDF/kawai.pdf

    shig-i
    shig-i 2012/10/28
    川合康「「鹿ヶ谷事件」考」のPDF