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体力トレーニング
d.hatena.ne.jp/kananaka
ヒカルちゃん*1にバースデーカード送ったよ、と彼女は笑う。エヘヘと照れたようにほころぶ口元が、目に浮かぶ文字列。今度子供たちも交えてスカイプしよう、うちの子は日本語あまり話せないけど。―――だったらヒカルも同じ、と私もすかさず打ち返す。 そうして、ひとしきり互いの近況や育児ネタに興じた後、まるで世間話のようにさりげなく、彼女は「今だから言える話」を切り出した。「あたし、子どもの頃いつも寂しかったんだよねー」と。 想定外だったのは、結婚しても子どもが出来ても、寂しさから卒業できなかったこと。あたしには父がいない。もちろん、一つ屋根の下で暮した生物学的父はいる。育児にも割と協力的な人だったし、子どもに経済的な不自由はさせない人だった。だけどやっぱり、あたしに父はない。 いじめられて「学校に行きたくない」と言ったとき、彼は学校を休ませてはくれたけど、理由を聞こうともしなかった。助けてくれなかった
予兆はあった。下肢へと続くなだらかな起伏、その内で穏やかに蠕動し息づく彼女が、ある日を境に静かな変質を始める。柔軟性を失い年季の入った漬物石のように重たく冷やかに縮かむと、それは少しずつ裂けては痙攣し、やがて雲母(マイカ)のように剥がれ、落ちてゆく。 油断していた。二週間ほど続いていた体調不良、抑鬱に倦怠感、不眠、皮下を線虫が這いずる感覚、レストレスレッグズ*1、その他下半身のみならず全身を襲う各種不快な症状に、心当りはあった*2。にもかかわらず「いやいやまだまだ」の思いが抜けなかったのは何故だろう。 ほんのり汗ばむまぁるいヒカル*3の頭をワシワシしつつ、それらがすべて杞憂であれ、と呪文をかけていたのかもしれない。これまでなんとか完母*4でやり繰りしてきた。確かに手元の育児本を開くと、「母乳育児のママにもそろそろ…」の記述が見いだせる。それでも出産から一年や一年半、未だ女の痛みが再開してい
私のカバンは某ネコ型ロボットと同じ四次元仕様である。その割にとにかく重くかさばり、また中身がすぐ行方不明になるアナログ的要素も併せもつ。ある日、いつものとおりゴソゴソしていると、見かねた友人がカバンの片紐を持っいてくれるとのたまった。 誓って言うが、「重いよ、ホント重いんだから、気をつけて。」と何度も繰り返したのだ。にも関わらず、彼女はまるでコントのボケ役のようにガクンと肘から先を落とし、ご丁寧にたたらまで踏んだ。 「げ、何入ってるの、この中!?」 やっとの思いで、お目当ての万華鏡*1を引張り出すことに成功した私は、カバンに突っ込んでいた顔を上げる。 「何って―――んと、生活用具一式?」 たっぷり数秒視線を泳がせた友の薄い耳たぶに唇を寄せ、さらに言葉を繋ぐ。 「だからね、私、いつでも家出できるの(笑)」 「い・・家出?」 そこまで言うと、酸欠の魚のような顔でオウム返しをする彼女から、素早く
ヒカルよ、今まで貴女に黙っていたことがある。実はハハにはヒミツがある。貴女に話すのはまだ少し早いかもしれないが、よい機会だ、今宵はハハの告白を聞いてほしい。 ヒカルよ、貴女のハハには主人(あるじ)がいる。え、そんなはずはないだって? いいやヒカルよ、ハハが寝ても覚めても貴女のそばにいるからとて、油断はならない。貴女が生まれるずっと前から、ハハはその方にお仕えしていたのだから。 ん、貴女の父ちゃんのことかって? いやいや、貴女のチチハハの間には主従関係など存在しない。貴女のチチとハハは姓も違うし、理由(わけ)あって今は住んでいる場所も別々だ。けれどヒカルよ、貴女もよく知るとおり、チチとハハは同じ時代を共に生きると決めた同士であり、戦友であり、貴女の人生の伴走者でもある。そのことに変りはない。 あいにく世間には、そういう二人のことを良く言わない人もいるようだ。この先、貴女のことを可哀相だと憐れ
一年で最も寒の厳しい季節のお愉しみに、ジビエがある。しかし、ここでうっかり友人知己に昨日の晩ご飯メニューなんぞを公開すると、「かわいそう」との非難を頂くことがある。曰く、シカやイノシシを殺すの、可哀相、と。 そういえば、東京在住の折に勤めた仏料理店でも、顧客にジビエを供する際は事前の料理説明が欠かせなかった。「こちら、野生動物の肉を使用したお料理になります」と伝えると、強い関心を示すタイプと明確な拒否反応を返すタイプに見事に分かれるためだ。同じテーブルについたカップルまたはグループの一人がジビエを注文する際も、さりげなく他のメンバーの反応を窺う。怪訝な顔をされることも多かった*1が、「野生鳥獣のお料理に抵抗のあるお客様もいらっしゃるものですから」と続けると、大抵は理解して頂けた。 昨今の日本において野生動物を食す習慣は、筆者のように彼らと居住区を共にする地元民と、一部の食通を除けば、馴染み
2010年12月9日14時33分。 くはっと声にならない声をあげ、カノジョはこのセカイで最初の光を見た。まだ像を結ばぬ瞳を全身の感覚器官で補って、確かに感じとっていた。このセカイの眩(まばゆ)さを、このセカイを充たす音の海を、このセカイに吹く乾いた風を、このセカイに蠢くものの気配を、そしてハハの胎内にいた時に想像もしなかったセカイが、ここに在ることを。 カノジョはもう一度、かはっと小さく咽せ、そうして小さく声をあげてみた。心許ない少しかすれた声で、初めて使う器官の感触を確かめるように。 ワタシはそれを遠くで聞いた。術中の失血量が影響し、血圧が降下し意識が朦朧としていた*1。無影燈の光の中をレーザーメスの白煙と肉を焦がす臭いが立ち、悪心と呼吸困難の中、吾子は苦しくはないかと案じつつも、水底に引き込まれるようにまぶたは重かった。 「そのまま寝ちゃっててもいいよ〜」 若い執刀医*2が、ベテラン看
朝一で愛猫の入浴。その情熱的な毛づくろいを横目に家中の掃除。休む間もなく高速道路を利用して一時間と少しかかる、今はまだ空き家状態の新居へ移動。そこの換気に掃除、草抜きを済ませ、ようやくひと息ついたところ、下記ブックマークが目に飛び込んできた。 吉本多香美さん、吉村医院から搬送され無事に出産。「母子共に健康そのもの」で良かったですね… - うろうろドクター - Yahoo!ブログ 元記事自体は2010年3月17日に投稿されたもので、雲集霧散しがちなネット上の情報としてはやや鮮度が落ちている。そんな話題にこのタイミングで何故目が止ったかといえば、個人的な事情から出産情報へアンテナを延ばしていたこと、および「食」や「医療」「育児」の分野における過度の「自然嗜好」へ警鐘を鳴らす幾つかの定期巡回先ブログへ、日頃から関心を寄せていたためなのだが、この情報を過ぎたネタと受け取れなかった事情が、もう一つあ
悪夢にうなされ、しとどの汗と共に目覚める。まだ未明。このまま再び布団にもぐっても、眠れないことはわかっている。ここは微睡みの未練を断ち切り、クローゼットへ。メットにサイクルウェア、グローブ、プロテクタ、シューズ。装備に十五分、外はまだ闇。愛車はプジョー、―――ただし、ここで言う愛車とは、年代物のマウンテン・バイクのこと。こんなご老体自転車を引きずりまわしているのは自分だけかと思いきや、年代物の自転車愛好家は巷に結構いらっしゃるらしい^^ たしか、車輪が発明されたのはメソポタミアのはずだから、回転する道具のもとは、未だ混乱渦中の中東になるはずだ。もし現代社会から回転するものをなくしたら、どうなるだろう。少なくとも交通機関は全滅だ。自動車も自転車も列車も乳母車も手押し車も車いすも。残るは徒歩か、裸馬*2に跨るくらいか。いずれにせよ、そんな時代になれば原始的な諍いはあっても、いま展開しているよう
淫靡な闇に誘われ、外に出た。くぐり戸を抜けると、爛漫と咲き誇る花桃が闇の匂いと溶けあい、鼻孔をくすぐる。物心つく頃から、夜が好きだった。白昼の陽光は、敏感なワタシの網膜に刺激が強すぎる。だから太陽が空にある内は目を細め、特にすることがなければ横になり、閉じゆく黄昏を待っている。 同居人は、そんなワタシを怠け者と思い込んでいる。 「オマエはイイなぁ、三食昼寝つきで」 そう言われる度、ワタシは心外さに短く抗議する。一時は本気で啖呵を切ることも考えたが、不毛な抗争と速やかに諦めた。人に如何様に思われようが、私は私の流儀を貫くだけ。そんなクールさを評価してくれる人は、探せば外に幾らだって居る。 今日も日がな一日、何もせずゴロゴロしていた。無為でいることを拒絶する人もいるが、ワタシの日中の無為は、夜の勤めのためにある。同居人が昼活動するために夜眠るのと、何も変らない。同居人も最近はそういうワタシを受
イチゴの旬は十二月だと思い込んでいたのは、今は遠い昔の話。それがクリスマス商戦に向けて、最もイチゴが高値をつけるシーズンだったとも知らずに。実際は春に花が咲き、五月頃収穫というのが春イチゴの本来の姿。それが近年は管理されたハウス(促成)栽培により、初春の二月頃から安価に入手できるようになった。 イチゴは品種がとても多い「果物*1」で、佐賀の「さちのか」「さがほのか」、福岡の「あまおう」「とよのか*2」、栃木の「女峰」、この改良新品種として登場した甘味がさらに強く大粒の「とちおとめ*3」、静岡の「章姫(あきひめ)」「紅ほっぺ*4」、奈良の「あすかルビー」、熊本の「ひのしずく」、徳島の「あかねっ娘(ももいちご)*5」、普通のイチゴの2〜3倍の大きさの特大粒が特徴の愛知の「アイベリー」、新潟県民に馴染みのある「越後姫*6」など、ネーミング一つとってもローカル色が窺える*7。それだけ消費者の人気の
※本稿は2010年1月16日付エントリ『冬物語 雪語り: vol.1 しづかな蒼い雪あかり』の続編です。エントリごとに独立した話題を取扱っていますが、順番に読み進んで頂いた方が解りやすい部分もあるかと思います。ご了承ください。 ■ハクチョウといふ巨花を水に置く 大人たちはその湖を「ハクチョウの湖」と呼び、子らに教えた。村が新嘗祭の準備を始める頃、鉛色の空を仰ぐと、遠くシベリアからカムチャツカ、オホーツクを経て、サハリン、クリル諸島(千島列島)、北海道と南下した、美しい冬の使者の飛影が目に入る。ハクチョウのような大型冬鳥が作る逆V字の飛行編隊は、前で羽ばたく仲間がつくった気流(翼端渦)を後続の個体がうまく利用することで、群れ全体の体力の消耗を最小限に抑える、彼らの旅の工夫である。毎年多少の数の増減はあるものの、オオハクチョウ、コハクチョウ、ユリカモメ、オナガガモ、マガモの大群が湖畔で羽を休め
私は料理をする。時に年代物のポンコツオーブンの懐柔に失敗し、ヘンテコなものを焼きあげる失態もなくはない。けれど少なくともそれ以上の頻度で、人前に供する。今のところ、腹をこわされたり、重篤な後遺症を訴えられたことはない。地場モノ且つ添加物なしの食卓に、一部のロハス愛好の友から妙な人気があることに、密かに戸惑っていたりもする*1が、いずれにしろ、私のことを知る人物*2にとって、日本国某所山の手のkanaka厨房の存在は珍しいものでもなんでもない。 けれど、ときどき私のことをよく知るはずの相手から、妙に意外がられることがある。「貴女は『家庭的』と呼ばれる事柄すべてに興味のない人だと思っていた」と。どうしてそう思うのか尋ねると、むかし私がそう力説していたのを確かに聞いた、と返される。その人数が一人二人のことではないので、もしかしたら本当にそんなことを口にしていた時代があったかもしれないと、最近、弱
雪の情景はいつでも、思春期の哀しみに彩られている。楽しさも嬉しさもあったはずなのに、思い出すのは豪雪に閉された過疎集落と、祖母と変らぬ年齢(とし)の<育ての母>の縮かんだ背に強い訛、そして烈風吹きすさぶ冬の日本海の情景ばかり。 今年は寝正月を返上し仕事三昧の年末年始を過ごしていたが、ようやく体が空いた。 「行こう」と思った。かつて過ごした雪国に。―――何故だろう、何故だか不意に*1。 現居住地も気温が0度を超せば「今日は暖かい」と感じる程度には立派な雪国なのだが、かの地の冬はレベルが違う。凍える息、うなる海、肌を貫く強風、網膜を刺す吹雪。ここの冬は<人間>が主体ではありえない。空が、海が、山が、雷が轟音とともに咆哮し、突如裂けた雲間から海原へ落ちるひと筋の光が、束の間の静寂を支配する。 雪上をお腹まで 埋もれながら歩むコナユキ。 実のところ、わたしはかの地での記憶があまりない*2。正確に
神無月も半ばを過ぎた頃、小さな包みが我が家に届いた。差出人欄をあらためると、学生時代にお世話になった今は亡きN先生のお連れ合い、S夫人の端正な筆跡が目に入る。茶色の包み紙をほどくと、はたして中から現れたのは、茨木のり子の『歳月』という詩集であった。 『歳月』は、詩人茨木のり子が最愛の夫・三浦安信への想いを綴った詩集である。 伯母は夫に先立たれた一九七五年五月以降、三十一年の長い歳月の間に四十篇近い詩を書き溜めていたが、それらの詩は自分が生きている間には公表したくなかったようである。 何故生きている間に新しい詩集として出版しないのか以前尋ねたことがあるが、一種のラブレターのようなものなので、ちょっと照れくさいのだという答えであった。 ――p128, 宮崎治「Y」の箱, 『歳月』(2007)花神社 詩人の一周忌に合わせ誕生した遺作集のあとがき―「Y」の箱―を読み、私はこの小さな贈り物の意味を理
今週のお題 ■夢の中で 夢の中で ぼくらは夫婦だった 彼女とふたり 夫婦だった 夕食の買い物を終え 大きな紙袋を抱え 車のドアを開け 先に彼女を助手席へ乗せる そんな他愛もない日々が しあわせだった 夢の中で 二人は夫婦だった 現実で叶わぬことが 夢の中の現実だった なのに 彼女は すこしも 嬉しそうでなかった 何もしてあげられない 何も―― 結局 夢の中でも <私>は <私>のままだから 買い物袋は今のようなビニール製でも、ecoバッグでもなく、一昔前の少しザラリとした手触りの茶紙の袋でした。 会計を終えた後で、お店の人がセロファンテープで口をとめてくれるような、ゴワゴワした紙袋。取っ手が何処にもないから、それを大切に胸に抱きかかえ、ステップ踏んで、お家に帰るのです。 昔から、あの袋が好きでした。青山などで、口からあふれるくらいたくさんの買い物をした人が抱えるああいう袋には、豊かさとしあ
過日、ある方にメッセージを送った。エールとリスペクト、そしてシンプルな感謝の気持ちを綴りたくて書き始めたはずが、気づけば自分の過去を振り返る内容になってしまった。実は自分のトラウマを、それを一般的に総称する言葉を使って記したのは、これが初めてだった。ただでさえお忙しく、そしてご心労の折に、読みづらい文面を送りつけてしまったことを、却って申し訳なく思う。 (以降、直接的表記は避けていますが、一部の方に不快を感じる記述が含まれている可能性があるので、畳みます。) これまで、私がその総称を使わずにきた理由は、幾つかあって。 一つには私がまだ被害の渦中にいた時代、この言葉は[3字]ではなく、[4字]で総称されることが多かった(注:その言葉は今でも見るのも書くのも苦痛なので、以降、かなり解りにくい書き方をします。)。わずか一字の違いだが、後者の[4字]表記は、間に<相>という字を組み込むことにより「
先日、10kgの青梅を頂いた話を書いたが、その後も何故か梅丸集団は増殖を続け*1、ついに在庫は20kg近くにまで膨れ上がった。全国的にはもはや梅加工ネタは周回以上遅れているだろうが、当地ではまだ入手が可能のようで…*2。梅干しにするにはやや生傷が多いことと、原材料供給先からの(加工返納)希望を鑑みて、内15kgをジャムに、2kgを梅シロップに、残3kgで梅味噌を作ることにする。 ■梅シロップ 材 料 青梅 グラニュー糖(氷砂糖、蜂蜜でも可) 酢(なくても可。カビの発生を防ぐ) 目 安 エキスが上がってくるまで瓶を上下に揺すって中身を混ぜてやる必要があるので、液漏れしない瓶を選択。 砂糖は青梅とほぼ同量を目安に。 作 り 方 01青梅を洗ってヘタを取り、水分をよく拭き取る。エキスが出やすいよう、実に竹串で穴を開ける。 02熱湯消毒した保存瓶の一番底にグラニュー糖を敷き、青梅、グラニュー糖
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