サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
衆院選
d.hatena.ne.jp/tatsu2
原作を読んだときから吹奏楽部部長・小笠原晴香が駅ビルコンサートで吹くソロは期待していた。普段、部の中心である田中あすかの影にかくれがちな晴香が、前に出てノリノリのソロを披露する。これはぜひアニメで観たいな、と思っていたのだ。 『響け!ユーフォニアム2』7話で描かれたアニメ版のソロパートは、期待以上の映像に仕上がっていた。原作では「A列車で行こう」だった曲が「宝島」に変更され、アルトサックスで吹かれることの多いソロ(原曲はピアノ)をバリトンサックスで吹く。それだけでも見応え・聴き応えのある上、アニメならではの「動き」にも目を見張るものがあった。懸命な晴香の表情とリズム良く走る運指に加え、臨場感あるカメラワークが盛り立てる。 たとえば麗奈がそうであるように、ピンと背筋を伸ばして前を見て吹くのが本作の基本的な演奏スタイルだ。カメラも正面から演奏者を捉える。それがこのソロでは、正面にカメラを置いて
今年の夏アニメで視聴して最も楽しかったのは『アクティヴレイド -機動強襲室第八係- 2nd』だ。近未来、「ウィルウェア」犯罪に対抗するため組織された特殊部隊「機動強襲室第八係」通称「ダイハチ」の活躍を描いた物語であり、本作はその第2期。 セカンドシーズンになって面白さが加速した。そう言っていいはずだ。あるいは「作品のお約束が浸透し、楽しみ方の幅が広がった」と書いた方がわかりやすいかもしれない。稲城都知事やバードの陰謀を追うというストーリーの幹は用意されているし、伏線も張ってあるが、基本的にどこから観てもいい気楽な(計算された「気楽さ」だ)一話完結のスタイル。 軽妙な作劇が心地良く、サービスも欠かさない。好例は評判の高い第7話「絶対ピーピング宣言」。 3Dプリンターを使って等身大フィギュアを製作する違法業者が小型ドローンで女性陣の眩しい肢体を盗撮……という体でその映像を提供してくれる、変則的
殊勲の活躍、と言っていいはずだ。『この美術部には問題がある!』の及川啓監督は全12話中、絵コンテを10本(第10話のみ共同)、演出を2本、自ら担当した。工程が細分化され、絵コンテ「清書」の役職すら見かける昨今の深夜アニメでこの仕事量は異例だろう。ショートアニメではなく、30分枠のTVシリーズで達成したことにも驚かされる。 その恩恵を最大限授かったのが、主人公とメインヒロインを兼ねる宇佐美みずきだ。本作は一にも二にもみずきの乙女な可愛さを描き出すことに心血が注がれている。みずきはとにかく「赤面」する、少女漫画的なキャラクター(腕っぷしは強いが)。照れたり、ときめいたり、リアクションに忙しい。そして片思いの相手であり、同じ美術部の内巻すばるの鈍感さにいつも空回りしてしまう。そんな愛らしい様子に「ラブコメ」を感受する。ラブコメは距離が縮まったように見えても、関係値がいずれスタートに戻るという“流
薄い布で包んだ鋭利な刃物が首筋に当てられようとしている。 映画『聲の形』の切迫感をたとえるなら、こんな表現になるだろうか。物語の冒頭部からひどく没入的だ。西宮硝子のイジメられている様が息苦しかった。教師の対応に嫌な汗をかいた。そして、自分がもしあのクラスにいたらと考えて、心拍数が上がった。ディスコミュニケーションの説得性が嫌らしい。京都アニメーション得意の実写的レンズ選択と撮影による奥行きの効果。エッジの効いたカッティング。そして、ピンと張り詰めた「物質」としての音の緊張感。そのどれもが「伝わらないことを伝える」ために働いている。感情を乗せて、人間を描くために、機能している。 誤解を恐れず言うならば、山田尚子監督が以前口にしていた『哀しみのベラドンナ』と同種の映画かもしれないな、と思った。かつて『哀しみのベラドンナ』の山本暎一監督はどんなに抑圧され、疎外されても心があるかぎり(それが妄想で
新海誠作品は野菜の切り方がいい。たとえば、『言の葉の庭』のトマトとゴーヤを手際よく切って盛り付けていくシーン。タンタンタン、とリズミカルに切っていくのが新海流。 ここで作っているのは冷やし中華。思春期の“苦み”を描く作家らしく、盛り付けの野菜も苦みで選ぶのか、と当時は穿った見方をしてしまったのだけど、真相は奥さんの作るものを参考にしたようで。「新海さんちの冷やし中華」だったのだ。 ところで、新海アニメの「食」はちょっと変わった特徴を持っている。食卓に「不在」が並ぶのだ。父親か母親、もしくは両方いない状態で食事をすることが多く、一家団欒に不在が何気なく横たわっている(近作はそれが当たり前になってきている気もする)。最新作『君の名は。』でもそうだし、『言の葉の庭』や『星を追う子ども』を振り返っても同じ。食卓の風景にも新海の代名詞である「喪失感」が入り込んでいるわけだ。例外はショートフィルム・N
新海誠監督は以前、「ロマンチック・ラブの否定」という言葉を口にしたことがある。ロマンチック・ラブとは、恋愛対象を運命の相手と認識する社会学上の概念。新海アニメは、少なくとも『星を追う子ども』までその否定を出口にしてきた。失恋であったり、物語的な別離であったり、とにかく恋愛が成就して終わることはなかった。ヒロインを救い出した『雲のむこう、約束の場所』にしても、「あの後に待つ展開」はおそらく同じ出口を通っただろう。 風向きが変わったと感じたのは『言の葉の庭』からだ。成熟した作家の余裕があった。冷静で肯定的、それでいて否定的な部分も削ぎ落とさず、一歩引いたところから制作しているような、年輪のある作品。だから自分は新海アニメの中で『言の葉の庭』が一番好きだ。46分という中編の尺も作家に合っていると思ったし、バランスがいい。 そして3年ぶりの新作『君の名は。』が、ついに公開された。 今回は劇場長編ア
快い。縁側で足を伸ばし、新鮮な外気に触れながら、横にうずくまる猫のふんわりとした毛を撫でる。そうこうしているうちに、見慣れぬ「あっち側」の訪問者がプレゼントを携えてやってくる。となりの小さな魔女が目を輝かせ、突然の非日常を感受する。そんな様子が快い。『ふらいんぐうぃっち』はいつまでも眺めていたくなるアニメだった。 既視感はある。あずまきよひこの漫画『よつばと!』、スタジオジブリの劇場長編アニメーション『となりのトトロ』『魔女の宅急便』『天空の城ラピュタ』ら、「流通量の多い既視感」がいくつかの要素を埋めているのはたしかだろう。しかしそれは本作の彩りのひとつにすぎない。魔女見習いの千夏が空想だと思っていた事象や人に会い、半歩だけ非日常に歩み寄る。深入りはしない。すぐ家に戻り、母親に今日体験した不思議な出来事を話すのだ。その体験談がじつは、視聴者にも馴染み深い意匠であるという関係になっている。
スタジオジブリ発行の小冊子「熱風」。今月号(2016年6月号)のある連載で「これは!」と思うエピソードが披露されていた。 ある連載とは、奥田誠治プロデューサーの「もうひとつのジブリ史」。現在は『千と千尋の神隠し』と奥田プロデューサーの娘・千晶さんの関係について、本人の声も交え、掘り下げられている。今月はアカデミー賞受賞にまつわるエピソードを奥田プロデューサーの視点で回想されているのだが、宮崎駿監督に怒られたという話に興味をそそられた。以下に引く。 取材もすべて終わり、日本に帰る朝、ロサンゼルスのホテルで食事をしていたときのことです。清々しい気分でいたら、宮崎さんが不意に怒りだしました。 「そういえば、奥田さん、もう僕の過去の映像を使うのはやめてください」 唐突だったから、最初はわけが分かりませんでした。よくよく聞いてみると、日本テレビの番組で流した再現映像のことだと分かりました。「魔女の宅
健全な日本男子たるもの、そこに目が向くのは仕方のないことであって。 『ふらいんぐうぃっち』は生活芝居に特化したアニメだ。詳しくは 以前書いた記事 を読んでいただけるとありがたいが、人の動きだけでなく、動物の仕草も非常によく観察されている。何気ない所作にほお、と思う。それは軽トラックの荷台に乗って風を受けるチトとケニーの“耳なびき” *1 だったり、小さな舌を出してチロチロと水を飲む様子だったりする。気にしなければそのまま見逃してしまいそうな細部に、きちんとリアリティが込められているのだ。 さあ、そこで本題に移りたい。本作のチラリズムについてだ。 アニメに偶然はない。原則として偶発的に、たまたま、意図しないものが映り込んでしまうことは起きない(アニメーターの遊びや撮影で足された反射などの例外はある)。ちょっと上段に振りかぶった書き方になってしまったけれど、つまりは真琴がハシゴから飛び降りる際
去る5月3日、資料性博覧会09が開催された。パンフレットの特集記事に寄稿した縁もあって当日は会場に足を運び、大いに刺激を受けた。歴史の生き字引といって過言ではない「大先輩」がところ狭しと闊歩しているし、サークルの頒布物も思わず立ち止まって中身を確認したくなるものばかり。マニアの集う即売会は数あれど、資料性博覧会ほど濃いイベントはそうそうお目に掛かれない。本当に、いい勉強になった。 その帰路、まんだらけで見つけたミニコミ誌「漫画の手帖 5号」(1981,AUTUMN)が話の主役。個人的に探していた号で、特集は「アニメ美少女年代記」。これがアニメの美少女史を振り返る見取り図として、かなり分かりやすくまとまっている。どんなキャラクターが挙げられているかというと、「東映動画の美少女キャラたち」と称して先陣を切るのはご存知『太陽の王子 ホルスの大冒険』のヒルダ。そこから東映動画の美少女を遡っていく。
「街道上の怪物」KV-2が囮になってカチューシャを逃がす雨中の撤退戦は『ガールズ&パンツァー 劇場版』で最も涙を誘う場面だ。カチューシャの「カーベーたん!?」という無骨な重戦車をかわいらしい愛称で呼ぶ台詞がまたいい。東北訛りの強いニーナたち搭乗員とKV-2が一体化したキャラクターのように見えてくる。人物と戦車のレイヤーが重なった瞬間だ。 『ガールズ&パンツァー 劇場版』のソフトが届いてからというもの、毎日再生している。3種類のコメンタリーも聴いたし、ブックレットのインタビューにも目を通した。作り手の話を聞いてつくづく思う。各セクションのこだわりがそれぞれレイヤーとなって働き、すべてを重ねて出来上がったフィルムなのだなと。しかも、レイヤーひとつひとつに込められた情報が濃い上に、ハイ・ディテール。ゆえにこの作品の全貌はとても見渡せない。けれど、だからこそ何度観ても楽しめる。レイヤーを読み込む、
堀口悠紀子は2000年代後半から現在にいたる京都アニメーションの快進撃を支え、方々に多大な影響を与えたアニメーターだ。2014年公開の劇場アニメーション『たまこラブストーリー』を最後にアニメーターの仕事は休業し、現在はライトノベルのイラスト等を中心に請け負うイラストレーターへと軸足を移しているが、そのまばゆい軌跡は一向に輝きを失っていない。 前置きが長くなってしまった。このエントリーはタイトル通り、アニメーター時代に堀口さんが出演したスタッフコメンタリー内で京アニの先輩・北之原孝将氏の物真似をした瞬間のリストだ。堀口さんは他の方の物真似(石立さんら)もしているが、北之原さんの回数が最も多いため、メモしていたもの。いったいだれに向けているのか、この数でリストと呼んでいいのか分からない申し訳なさが先に立つものだけど、何かの参考になれば。 『けいおん!』第1巻 38分33秒〜 (北乃原さんの作打
定期的に目にする話題のひとつに「エンディングへの入り方がいいアニメ」「本編のラストにエンディングのイントロを被せるアニメ」というものがある。 そこで挙がっている主なアニメは『ふしぎ遊戯』『ヒカルの碁』『機動戦士ガンダムSEED』など。相当数の作品が挙げられているので詳しくは検索してもらいたいが、これらの大元は『シティーハンター』に端を発する「聖母たちのララバイ方式」と呼ばれるフォーマットのことだ。アイディアソースは「火曜サスペンス劇場」であり、そこで流れていた初代エンディングテーマ「聖母たちのララバイ」に掛けて、諏訪道彦プロデューサーが命名したもの。当時のTVアニメは本編とエンディングが切り離されている形式だったが、映画的に格好良く繋ぎたいという諏訪プロデューサーの発案により、導入された。その手法について、実は昨年刊行された「シティーハンター完全読本」収録のインタビューでこだま兼嗣監督が振
メモ代わりに書いておく。『田中くんはいつもけだるげ』第7話「田中くんのバレンタイン」のワンシーン。 上記の画像は、この回が初登場となった田中くんの妹・莉乃がドアの前でひとり悪態をつく(むしろ可愛げのある)終盤の場面だ。ここで莉乃はL字型のドアノブに手をかけ、ギュッと握るのだけど、ドアノブがセルだった。だからドアノブを見た瞬間、半ば自動的に「ドアノブを回すだろう」と思ってしまった。これは習性みたいなものだ。お分かりの通り、みごとにセルの雰囲気に騙されたということになるが、とても心地よかった。 ドアノブを回さず、そこから感情表現へ持っていく。さり気ない、本当に何でもないカットのはずなのに、無口でブラコンの莉乃というキャラクターのゆたかさがこの「騙し」に隠れていたような気分にさせてくれる。こんなちょっと気の利いたカットを見つけることも、TVアニメのささやかな楽しみのひとつだ。なお、このカットは原
アニメージュで連載している「バリウタの愛を知りたい!」が好きだ。荒木哲郎と平尾隆之による対談コラムで、演出家ならではのマニアックなトークが楽しめる個人的なアニメージュ3大連載のひとつ(後二つは「この人に話を聞きたい」と「設定資料FILE」)。そこではたまに、自身の監督作についての背景や制作秘話が明かされる。先月のアニメージュ2016年5月号(4月10日発売号)掲載の「バリウタ」はタイムリーに『甲鉄城のカバネリ』の制作エピソードが披露された。とくに好奇心を煽られたのはこの話だ。 第1話の絵コンテをあげた時、オレのなかでの達成感は、まずは「この内容を20分に収めてやったぜ!」ってこと。もうひとつは、「無名ちゃんが最後、回し蹴りでカバネの首を落として、下駄に仕込んだ刃が鳥居に刺さって抜けなくなって下駄を脱ぐってシーンを、ついに描いた!」ってことだからね。もう企画段階から言いまくってて、「刺さった
アニメ『ふらいんぐうぃっち』を観ていると、かつてあずまきよひこが自身の漫画『よつばと!』が何故アニメ化されないのかという問い合わせに答えていたことを思い起こしてしまう。 よつばが出掛けるまでの様子を引き合いに出し、「よつばがよいしょよいしょっと階段をおりてきて、てけてけと廊下を歩き、でんっと玄関に座ってヘタクソに靴を履き、よっこらしょっと重い玄関のドアを開けて、元気よく家を出て行く。そういう、普通アニメでカットされそうな描写もやらないと、アニメにする意味が無いと思うんです。で、こういう日常の演技描写はアニメの最も苦手とする分野です」、と。要するにこれは、よつばの全身をフレームに収めて動かすことを前提としている。キャラクターの全身を映した日常芝居は作画のカロリーがきわめて高い。もちろん、それを活かす演出あっての話だが、よつばの動きをアニメーションで描くのは、アニメーターへの負担がとんでもなく
散歩の道すがら、近所の公園に新しく桜の木が植えられていることに気づいた。何年かすると、公園の遊歩道がりっぱな桜並木になるのだろうか。密かな楽しみが増えた。 すっかり夏めいた季節になってしまったが、桜を眺めて思い出すアニメは決まって『秒速5センチメートル』(2007)だ。とくに電車の音をバックに花びらがはらはらと舞い落ちる様など、恰好の「秒速風景」。そういう時は心に住みついた作品になってしまったなあ、と感慨に浸ってみたりする(だれにでもあると信じたい)のだけど、考えてみると妙な話。現実の桜の花びらは秒速5センチで落ちてこないのに、『秒速5センチメートル』と思ってしまうのだ。ちょっとへんな現象である。 これが実は、喉の奥に引っ掛かった小骨だった。映画の公開当時は花びらが落ちるスピードなんて気にした事もなく、作中の貴樹よろしく「へえ、そうなんだ」と無邪気に頷いていた。しかし後にそうじゃない、もっ
2013年に放送されたアニメ『境界の彼方』には独創的なアクションがある。 多彩なバトルシーンが特徴の本作にあって、異彩を放つストップモーション風の剣捌き。第2話で披露されたこのアクション、タメツメの効いたタイミングが爽快で影付けもスタイリッシュ。スピード感溢れる殺陣に仕上がっている。驚いたことに、原画マンのアドリブだというのだから衝撃的 *1 。コンテでは暗闇の中で閃光が走る一瞬の斬撃を狙った感じだったらしいが、担当したアニメーターの奔放な想像力とそれを形にする手腕によって見事に昇華されている。原画の枠を越え、演出的な回路で描かれた物のようにも思える濃密な仕事だ。 これを受けてだろう、第4話のアクションシーンにも同様の発想でストップモーションが使われていることに注目。 当初、2話と4話の演出を担当した武本康弘がこのアクションを気に入り、コンテに描いていたのだろうと思っていた。しかしどうやら
年の瀬の恒例企画となったテレビアニメ話数別10選。一年を振り返りながら、今回は何度も観たくなる話数を中心にセレクト。 以下、コメント付きでリストアップ。基本的に放送日順(最速放送日)で並べている。 ■『SHIROBAKO』 第23話「続・ちゃぶ台返し」 (3月19日放送) 脚本/吉田玲子 絵コンテ/許蒴、菅沼芙実彦 演出/倉川英揚、太田知章 作画監督/大東百合恵、秋山有希、川面恒介、武田牧子、容洪、朱絃沰、西畑あゆみ 宮森あおいの「泣き」が話題をさらったシリーズの集大成。作中のカタルシスと現実のそれが入り交じり、相似形をとって一気に解放されるさまは爽快な感動があった。キャスト陣の熱演も光り、最後は西畑あゆみ、石井百合子による迫真の作画リレー。泣き作画の石井百合子、面目躍如の大活躍。 ■『血界戦線』 第5話「震撃の血槌」 (5月2日放送) 脚本/古家和尚 絵コンテ/松本理恵 演出/孫承希 作
いったい、何本の白旗が仕込まれているんだろう。無骨なはずの戦車がその瞬間、少し可愛らしいオブジェクトに擬態する。横転して動けなくなったり、致命的な命中弾を受けて行動不能になった戦車に上がる白旗。この判定装置によって『ガールズ&パンツァー』はスポーツの精神で行われる、あくまで「競技」(武道)なのだと視聴者に訴えかける。ひっくり返った戦車の「お腹」から白旗が上がる愉快な光景は、本作でしか見られない。楽しく、朗らかなギミックだ。主人公・西住みほが車長を務めるあんこうチーム・IV号戦車からも白旗は上がる。劇場版まで含めるとその数、なんと4度。テレビシリーズ12話、劇場版120分の間に「主人公メカ」が4度も撃破されているのだ。個人戦だったら、やられすぎと思ったかもしれない。しかし戦車道はチームで戦う競技であり、そこに妙味がある。たとえばサンダース戦(テレビシリーズ第6話)では、ナオミという作中屈指の
とにかく、テンポがいい。洒落ているとさえ思った。特にトップシーンが秀逸だ。漂ってくるのは紅茶の香り。優雅にティータイムを楽しむ、見慣れた赤い制服。しかしカメラを引くと、砲声鳴り響く戦場のど真ん中という状況。いったい、何が起こっているんだと観客もその中に放り込まれる。説明をしないのがまたいい。描写を重ねるうちに少しずつ全容をみせていき、成る程、これはエキシビジョンマッチで大洗と知波単学園が組んだ混成チーム、相手は聖グロリアーナと――え? なんて風に、状況をひとつ明かしていくと同時にサプライズをひとつ提供し、好奇心をくすぐっていくわけだ。その上、伏線の張り方も気がきいている。たとえば、一時帰省しみほを待っていた普段着のまほ。貴重なオフショットにグッときてしまうが、そんな普段着の姉の姿が実は伏線なのだ。まほの秘めたる想い、姉妹の絆、ドラマの縦糸はそこからするすると伸びていく。そして最終決戦、みほ
アニメのオーディオコメンタリーが好きだ。とりわけ、スタッフコメンタリーと呼ばれる演出家やアニメーターなど、制作スタッフによる裏話を聴けるものがいい。今回は劇場公開されたアニメ映画のコメンタリーの中から、聴き応えのある傑作をチョイスして紹介したい。あくまで自分の聴いた範囲の作品になってしまうが――、一度まとめておくにも良い機会だった。また、レンタル版にコメンタリーが収録されているかどうかも合わせて記しておこうと思う。参考までに。■関連サイト:アニメDVD・BDのオーディオコメンタリー出演者一覧まずはアニメ映画コメンタリーの「マストアイテム」と呼べる3本。 ■風の谷のナウシカ (レンタル版収録有り)出演者/庵野秀明、片山一良これが日本一有名なアニメコメンタリーではないか。当時一原画マンとして参加し、巨神兵のパートなどを担当した庵野秀明と演出助手だった片山一良による実況解説。話の中心はあの「ナウ
『響け!ユーフォニアム』13話、緊張感ある素晴らしい最終回だった。トップシーンから第1話の冒頭を反復させる対比的な構成で、これはシリーズ演出・山田尚子の真価が見られるかもしれないな、と妙な高揚感があった。13話は吹奏楽モノなら逃げられないコンクール本番の演奏シーンをはじめ、語り口を探せばいくらでもみつかりそうな濃い回であり、集大成だ。その一つに人物相関のおもしろさがある。第1巻のスタッフコメンタリーで脚本の花田十輝が「シリーズを通して部員全員に台詞を与えたい」と話していたが、ふだんは脇役の部員同士で会話するシーンが最も多かったのも、この回だろう。そこで重要になってくるのが「視線」の在り処だ。山田尚子という演出家は「誰がどんな風に見ているか」の演出が抜群にうまい。青春のドキュメンタリズム、微熱感覚の作劇、色々な言い方はできると思うけれど、心情への接し方とその解釈が独特なのだ。時には石原さんに
アニメ放映終了後にまとめて読もうと思っていたが、我慢しきれず『響け!ユーフォニアム』の原作小説に手を出してしまった。アニメと比較しながら読み進めていくと、これが面白い。原作1巻を1クールかけてアニメ化しているのだから(正確には短編集の挿話も拾っている)当然かもしれないが、アニメを再び観直すと「これはオリジナルだったのか!」という描写が頻出し、膨らませているポイントの多さになかば感心してしまったほど。たとえば、第5話「ただいまフェスティバル」で印象的だった久美子と麗奈の帰り道(麗奈が髪をかき上げるあの場面)も追加されたエピソードだ。そもそも、原作の久美子は麗奈のことを最初から名前で呼んでいて、距離感に若干の違いがある。アニメは麗奈との関係性を強調するためだろう、少し“遠い”ところからスタートしている。その甲斐あって第8話で「麗奈」と名前を呼ぶ特別な儀式が生まれたわけだ。名字と名前、どちらで呼
グランドジャンプ 2015年 6/17 号 [雑誌] 集英社 2015-06-03 by G-Tools最後のページをめくったとき、思わず感じ入ってしまった。18年に及ぶ長期連載作品『イエスタデイをうたって』(現在はグランドジャンプ掲載)最終回の話だ。単行本派という方は、お待ちいただきたい。前回ついにハルの長い長い片想いが報われた。最終回は結果的に失恋してしまったことになる榀子がリクオとの恋愛を振り返る場面から始まる。続いてハルの働く喫茶店「ミルクホール」のオーナー・杏子がついに結婚するという場面に移り、結婚式直前の心模様を拾う。本作らしいなと思うのはハルとリクオが最終回に直接登場しないことだ。読者が一番知りたいであろう(少なくとも自分はそうだった)ハルとリクオの今現在の状況は、付き合い始めて3ヶ月くらい経ち、タカコから「ずっとあんな感じなんだろうな」と言われる間接的な描写に留まり、多くは
あるクリエイターが頭角を現す瞬間というものが存在するとすれば、『響け!ユーフォニアム』第8話「おまつりトライアングル」はまさにそれを目撃した気分になった。絵コンテ/演出は藤田春香。アニメーターとしてのクレジットは見かけていたが、『中二病でも恋がしたい!戀』(2014年)で演出デビューした経歴からすると若手の方だろうか。ふと思い出したのは京都アニメーション出身の『アイドルマスター シンデレラガールズ』高雄統子監督が京アニ時代に担当したある話数だ。それは作画監督に堀口悠紀子を迎えた『CLANNAD』番外編「もうひとつの世界 智代編」(2008年)。堀口さんの繊細なアプローチに感じ入り、演出の契機になった話数だと後に語られている。事実、今観直すと剥き出しの高雄演出に唸る場面ばかり。「智代編」は高雄統子という演出家のキーエピソードといっていい。そうした例が頭に浮かび、「おまつりトライアングル」は藤
万策尽きず、最終話も無事放映された『SHIROBAKO』。めでたしめでたし。そんな最終話で嬉しかったのは「興津さん」と皆から呼ばれている武蔵野アニメーションの総務・興津由佳が大活躍したことだ。彩り豊かな本作の女性陣にあって個人的に一番注目していた興津さん。「残業をしない主義」「昔は制作だったらしい」など設定は散りばめられていたが、クリティカルなパーツを見せないキャラクターで、そこに興味の沸く“隙”があった。まず取り上げたいのは、興津さんのデスク周り。クールビューティな外見と事務的ではっきりとした言動は、シンプルで実用性重視の配置を想像させる。しかしよく観察してみると、ファンシーな小物が目を惹くチャーミングなデスク。「意外と可愛い一面を持つ」ことがデスク周りから伺えるのだ。ハート型のマウスパッドや花柄レースのコースターなど、こだわりの感じられる品がずらっと並ぶ。とりわけ目を惹くデスク右上に鎮
サークル・山田養蜂場発行の同人誌「バイユーの攻略本」が個人的なブームだ。「バイユーの攻略本」は11世紀のイングランドで起こったノルマン・コンクエストの模様を描いたバイユーのタペストリーを、クォータービュー方式のシミュレーションRPG風に紹介する同人誌。詳細ながらも噛み砕いた説明とどこか見覚えのある絵柄(オウガバトルシリーズファン的に)で構成された紙面は眺めるだけでも楽しく、読み応え充分。著者・ヤマーダ氏の中世へ向けた凄まじい熱量に圧倒されること請け合いだ。メロンブックス 商品詳細ページBIBLIOTHECA AUGUSTANA(バイユーのタペストリーの画像が掲載されているサイト)ところで、アニメファン目線でタペストリーと言えば、映画『風の谷のナウシカ』が真っ先に思い浮かぶ。まさしくバイユーを意識したであろう絵柄や上下の枠、宮崎駿みずから描いたというナウシカのタペストリーは作中の伝説に留まら
新人声優「ずかちゃん」こと坂木しずかにようやくスポットライトが当たった。『SHIROBAKO』第23話「続・ちゃぶだい返し」のラストシーンについて少し、書いておきたい。前回、しずかは自室で一人、テレビに出演しているフレッシュな声優をみながらビールをあおっていた。その様は胸に突き刺さり、痛々しかった。今回、まず憎い演出だなと思ったのは、キャサリンの妹・ルーシー役にしずかが選ばれるんじゃないかと視聴者に期待させている中、アルバイト先の居酒屋で映されるしずかのカットだ。静かに電話と取ったしずかの後ろは前回を引きずるように暗く、目の前は明るい。アフレコ現場にシーンを移す直前のこのカットは妙に引っ掛かった。どうして気になったかというと、23話のポイントは「誰と何を共有しているのか」だと思ったからだ。ラストシーンをみてみよう。宮森あおいは追加シーンのアフレコ現場に姿を現したしずかをみとめ、言葉にならな
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『d.hatena.ne.jp』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く